017 死せる幼女王女



 ゴォオオオォ


「王女殿下! お早くこちらへ!」

「この部屋に一旦隠れましょう!」

「え、ええ」


 白銀の鎧に身を包んだ騎士に促され、燃える廊下から一室に入る。

 そこは控えの間だった。

 謁見に訪れた者の休憩室でもあるこの部屋は、それなりの家具と調度品が置かれていた。

 今のところ火の手はここにまで至っていない。

 だが、それも時間の問題だろう。

 一刻も早く城外へ落ち延びねば、待っているのは焼死か敵兵による惨死の違いでしかないのだ。


「はぁ、はぁ」


 始まりは、政務でお忙しいお父さまとお母さまよりも先に一人で摂った夕食も終わり、そろそろ就寝前の沐浴を済ませようかと思った矢先の出来事であった。

 突如として城に大勢の敵兵が雪崩れ込んで来たのだ。


 近衛騎士長ランドル、そして他数名の騎士と共に、火の放たれた城内を逃げ惑った。

 敵の目をかいくぐり、時には倒しながら、ようやくこの一室に到達したのだ。

 どうやらこれはクーデターであるらしいとランドルは言っていた。

 クーデターと言うものがなんであるかは今ひとつ理解できなかったが、とても恐ろしいことが起こったのだと幼心にもわかった。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 緊張と恐怖のせいか、乱れた息はなかなか整ってくれない。

 普段から鍛えているわけでもなく、9歳になったばかりの身体と精神には多大な負荷だった。

 恐怖や焦燥がそれに拍車をかける。

 気を抜けば失神してしまいそうであった。


「ここで機を計り、その後脱出いたしましょう」


 ランドルの言葉に、混乱した頭のまま、一も二もなく頷く。

 信頼のおける彼に従うのが最善策だと思ったからだ。


 遠くからは悲鳴や絶叫、金属を打ち付ける音が今なお続いている。

 耳を塞いでしゃがみ込みたくなる衝動に駆られたが、どうにか踏みとどまった。

 それは幼いながらも芽生え始めた王女としての自覚からだろうか。

 ただ、心配なのはお父さまとお母さまがどうなったのかだった。


「国王陛下……王妃陛下……」


 北側の壁を見つめながら、ギリッと奥歯を噛みしめるランドル。

 忠誠心の強い彼はとても悔しそうだった。

 しばらくそうしていた彼は、意を決したように言った。


「……私は謁見の間に赴き、国王陛下と王妃陛下をお救いする!」

「騎士長!」

「ランドルさま!」

「行かれるのですか!?」

「無茶です!」


 口々に叫ぶ部下の騎士たちに力強い笑みを投げかけるランドル。

 一人一人の肩に手を置いて、最後の命令を下した。


「お前たち、王女殿下を頼んだぞ」

「はい!」

「必ずや!」

「命に代えても!」

「お任せください!」


 ランドルは満足そうに頷くと、跪いて瞳を覗き込んできた。

 覚悟と使命感に彩られた彼の目は、窮地にあっても色褪せていない。


「キャルロッテさま。この先何があろうとも決して挫けませぬよう。落ちた日は必ずまた昇るものです。叶うならば、殿下が即位するお姿をひと目見たかった。では、お達者で」


 彼はそう言って笑い、ひとしきり頭を撫でると、燃え盛る廊下へ走り去った。

 王族に対して不敬だ、などと言う文官も中にはいたが、力強く撫でてくれる温かなあの手が好きだった。

 お父さまの手と同じくらい好きだった。


 そんな感傷的な気持ちは、一瞬で打ち砕かれた。


「ケヒャヒャヒャ! 見つけた! 見つけたぞ~! キャルロッテ~、お前で最後だ!」


 控えの間に躍り込んで来たのは、見たこともない鎧の兵たちと、派手なローブを纏った細身の男だった。

 ローブの男は、いつも気持ち悪い目でお母さまを見つめる嫌なやつだ。


「ヨアヒム……貴様……!」

「まさかこれを手引きしたのは貴様なのか!」

「宰相でありながらクーデターを引き起こすなど……この裏切り者が!」

「陛下から賜った恩を仇で返すとは! 人でなしめ!」


 騎士たちの罵倒も、どこ吹く風。

 ヨアヒムはこちらを凝視したまま下衆な笑みを浮かべ、軽く指を鳴らした。

 一斉に騎士目掛けて殺到する兵士。


「ぐおおお!」

「王女殿下!」

「お逃げください!」

「お早く!」


 敵兵と剣を打ち合いながら4人の騎士が叫ぶ。

 だが、意思とは逆に震える脚は思うように動いてくれなかった。


「キャルロッテ王女殿下……全ては貴女と…………貴女のお母さまが悪いのですよ」


 血走った目のヨアヒムが近付いてくる。

 嫌悪感と恐怖で吐きそうになった。

 ヨアヒムの右手に何か光る物が握られていると思った時。


「精々あの世で親子共々悔いてくださいねぇ」


 ペロリと耳を舐められ総毛立つ。その耳元で囁く薄気味悪い声。

 突然焼けるような痛みが走る脇腹。

 床まで流れる赤く温かいもの。

 刺されたのだと認識すると同時に崩れ落ちる身体。


 最後に映ったのは、抵抗虚しく切り伏せられた騎士たちの姿だった。



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「ハッ!?」


 息苦しさのあまり身体が大きく痙攣した。


「はっ、はっ、はっ……はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 空気を求めて喘ぐ喉はカラカラだった。

 荒い呼吸音だけが辺りを満たす。

 自分でも何が何だかわからなかった。

 思考が全くまとまらないのだ。

 それでも、どうにか現状を把握しようと努めた。


 ぼやける目を必死に凝らすと、梁が剥き出しの天井が見えた。

 どうやらわたしは仰向けに寝ているらしい。

 身体に白い布がかけられているところを見るに、ベッドの上だろうか。

 頭の下の柔らかな感触は枕。

 やはりベッドか。


「ふぅ……ふぅ……」


 少しずつ認識できるようになると、呼吸も動悸も徐々に落ち着いてきた。

 それに伴い、頭もはっきりしてくる。


 さっきのは夢……?

 違うよね、あれはキャルロッテの記憶だ。

 キャルロッテが最期に味わった死の恐怖の記憶だ。


 もぞりと何気なく身を起こすも、全身に痛みが突っ走った。

 だが痛みのお陰で確かに生きていると実感できた。


 あいたたた……それにしてもここはどこなの?


 どこかの屋内だと言うことはひと目でわかった。

 しかし少なくとも病院や宿屋には見えない。

 ごく普通の家屋といった感じだ。


 ふと左側に目をやればサイドチェストのようなものがあり、その上にわたしの革鎧と、手甲付きの手袋、そして見覚えのない拳大の革袋と、懐に入れていた冒険者カードが置いてあった。大剣は壁に立てかけられている。

 それを見てハッとなるわたし。


 そう、そうだよ!

 わたしはハンターベアと戦って……!


 脳裏にまざまざと甦る生々しい光景。

 不思議と恐怖感はなく、代わりに大きな喪失感がわたしを襲った。


 ……わたしは右腕を失ったんだね……


 いつッ!


 右手首の辺りが引き攣るように痛んだ。

 無いはずなのに痛い。

 これが幻肢痛というヤツだろうか。

 無意識に腕を摩ろうとして。


「ん?」


 異変に気付いた。


「あっ、あれっ? えっ? あれ!?」


 何度摩っても、同じ感触。


「腕が……ある……!」


 思わず右腕を掲げ、まじまじと眺める。

 傷ひとつない白い肌。

 グーパーすれば当たり前のように指が動く。

 違和感などあろうはずもない紛れなき自分の腕。

 あれは全て夢だったのだろうか。

 そんな馬鹿な。


「な、なんで!?」


 間違いなく食べられちゃったのに。

 ハンターベアは美味しそうにわたしの腕をもぐもぐしてた。

 今思い出しても腹の立つ。

 なんなのあの熊。


 そういえば、どうしてわたしは生きてるんだろ……

 絶対に助からないと思ってたんだけど……

 そもそも、ここはどこ?

 死後の世界?

 だったらネメシアーナも近くにいるの?

 ……お腹減った。どれくらい寝てたのかな……


 色々な疑問が一斉に湧いてくる。

 お陰でせっかく落ち着けそうだった気分が台無しだ。


 ガチャリ


 頭を抱えたわたしに、ドアを開けて声をかける者がいた。


「お、気付いたようじゃの」



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