008 脱出



 それから三日が過ぎた。

 時計などないので正確な時間はわからないが、三回夜が来て四回朝が来たのだ。


 

 わたしは今、小国アニエスタと隣国ドミニオンの国境付近に居る。

 国境と言っても長大な壁があるとか、関所が設けられていたりはしない。

 前にも言ったが、二国は遠戚関係であり、極めて良好な友好国だから隔てる必要すらないのだろう。

 では、何故ここが国境付近とわかるのか。


 答えは簡単。一度街道の様子を見に行った際、『この先ドミニオン』とか『悠久の国 ドミニオンへようこそ!』などと書かれた立札を見つけたのだ。

 これが敵の仕掛けたフェイクだったら悲しすぎるが、流石にそんなことはないと思う。

 街道の反対側には『この先アニエスタ』、『安らぎと大穴の国 アニエスタへようこそ!』の看板もあったからだ。

 なのでわたしは国境付近にいると断言できた。


 それにしても、うちの国は大穴しか売り文句がないのだろうか。

 まぁ、あの穴はそれなりの観光資源らしいし、他に何も取柄のないド田舎なのは事実なのだが。


 あっ、わたしの中でキャルロッテがむくれた顔してる!

 ごめんごめん。けなしたわけじゃないんだってば。のどかでのんびりとしたいい国だと思うよ。うん。


 ともあれ、ここまで来ればもう隠れる必要もない。

 あの間抜けな……いや、愉快な暗殺者も追ってくることはないだろう。

 なぜなら正反対の東へ向かったように小細工を施してきたからだ。

 わたしが残した偽の足跡に引っかかっていればだが。


 と言うわけで、わたしは堂々と街道を歩いている。

 すると前方に大きな川と橋が見えてきた。


 ん、また立札があるね……えーと、なになに。


 距離があるので目を細めると、途端に視界がズームアップされる。

 またもや勝手にスキルが発動したようだ。


 これは『望遠』だね。

 『聞き耳』と同じく五感拡張系のひとつで、【DGO】でも頻繁に使う、とっても便利なスキル。

 でも遠くを見るのに集中しすぎると、近くにいるモンスターに気付かずガブリ、なんてこともある。


(んーと、あっ! これよりドミニオン、だって!)

『やったわねミフユ! 遂にクエストクリアよ!』

(クエストだったのこれ!?)

『えっ? あっ、おほほほ、こっちの話よ! 王女たる者がそんな細かいことを気にしちゃダメ!』

(……)


 どうにも怪しい。

 だが今はいい。

 それよりもドミニオンがどんな国か興味津々なのだ。

 ゲームでも新しい国や街に到着するとワクワクしてしまう。


 トコトコと橋を渡り、最後の一歩をジャンプ!

 これでわたしはドミニオンに入国したのだ。


「あああああ! 間に合わなかったぁ! ぜぃぜぃ……」


 悲痛な絶叫に振り返ると、橋の向こうでボロボロの姿になったあの暗殺者が、肩で息をしながら愕然としているではないか。

 しかも傷だらけで血まみれだ。


 こっちが驚いたよ!

 いったい何があったらそうなるの!?

 そんなに険しい道のりだったっけ!?

 っていうか、初めてちゃんと顔を見たかも。

 黒と白のメッシュな髪でショートヘアの結構な美人さんだ。

 右半面が髪で覆われてるのは、傷痕でも隠してるのかな?

 いや、中二病の可能性もあるか。邪気眼的な感じの。


「くっ……! まさか西へ向かっていたとはな……! 東に一日進んでも追いつけぬからおかしいとは思ったが……偽の足跡を残すなど、なかなか小賢しい真似をするではないか小悪魔め!」


 あ、フェイントに引っかかってくれたんだ?

 律儀な人だね。ありがとう。

 だけど、一日も差があったのにもう追いついてきたわけ?

 すごい足を持ってるんだね。


「だが国境を越えられてはもう追えぬ……お主の勝ちだ、王女よ」

「……なんかごめんなさい。不意打ちなんてしちゃって」

「はっはっは、気にするな。不覚を取ったのは己の精進が足らぬ故よ」


 あのさ、この人あんまり暗殺者に向いてないんじゃないかな……

 しかもそれほど悪い人じゃなさそうなのがまた……


「ともかく、勝負はお主の勝ちだ。雇い主には王女は死んでいたと伝えることにしよう。これでもう追われることもあるまい」

「……いいの?」

「うむ。達者で暮らせ。いざ、さらば!」


 そう言うと彼女はボロきれと化した黒装束をなびかせ、アニエスタの方向に走り去っていった。

 ほんと、暗殺者とは思えない良い人だったね……あっ、名前を聞くの忘れた。

 ……ま、いいか。



 今度は気楽に街道を進み林を抜けると、かなり大きめの街が見えてきた。


 おー、なんだか真新しい感じの街だね。

 どんな街なんだろう。楽しみー。


『ミフユ。少しいいかしら』


 ネメシアーナの声で何となく立ち止まる。

 至極真面目な声音だったからだ。


(どうかしたの?)

『ええ。今、あなたは女神の試練を達成したわ』

(?)


 女神の試練って、【DGO】でわたしたちが挑んだ高難易度ダンジョンの名前と同じ……


『初めての達成者であるあなたに、女神ネメシアーナから【女神の加護】を贈るわ』

(女神の加護……)


 それは、前世のわたしが最期に受け取ろうとしたアイテムの名だ。

 結局は受け取れず死んでしまったが。

 アミリンたちの誰かがきっと手にしているはず。

 みんな元気かなぁ。元気だといいなぁ。

 死ぬのはわたし一人でたくさんだよ。


『さ、胸元を見てみなさい』

(……げ、なにこれ!?)


 わたしの胸元にはピンク色の大きなハート形をしたペンダントが!

 しかもハートの両脇に白い翼!

 まるで魔法少女の変身アイテムみたい!


(恥ずかしいからアイテムボックスにしまっておくね……え、ちょっと、あれ? 外せないんだけど!?)

『女神の権能を無礼(なめ)ているの? それは祝福なんだから常に身に付けておきなさい』


 なんてことをしてくれたのよ!

 こんなの祝福というより、呪いの装備じゃん!

 まさかお風呂に入る時もこのまま!?

 恥ずかしすぎる!


『……ミフユ。良くお聞きなさい。あなたはもう自由よ。これからはあなたの……あなただけの人生を歩むの』

(ネメシアーナ……)

『巻き込んでしまって本当に申し訳ないと思っているわ。ミフユも、そしてキャルロッテにも』

(そんなことないよ。辛い目にも遭ったけど、わたしは転生できて良かったと思ってる。ネメシアーナに出会えたこともだよ。キャルロッテもきっと同じ気持ち)

『……そう言ってくれてありがとう。救われるわ』

(女神が救われてちゃダメでしょうに。救う側でしょ)

『そうね。これからは遠くからあなたを見守っていくわ。だからここでお別れ』

(……寂しいよ)

『私もよ』


 お互いにしんみりとしてしまう。

 短いようで長い付き合い。

 ネメシアーナはわたしがキャルロッテに転生してから前世の記憶を取り戻すまでの9年間、ずっとそばで見守っていたはずだ。

 友達のような、姉のような、そして母親のような不思議な女神。


(……また……会えるかな?)

『ええ、必ず』


 溢れ出そうになる涙をこらえながらわたしは尋ねる。

 ネメシアーナの声も震えていた。


(うん……その時を楽しみにしてる。きっとわたしはバインバインのナイスボディに成長してるはずだよ)

『どうかしら? キャルロッテあなたの祖母である王太后はガリッガリだったわよ』

(言わないで!)

『ふふっ、私も楽しみにしてるわ。その時まで思い切り好きなように生きなさい! じゃあね、ミフユ』

(うん。ネメシアーナ、またね!)


 フッとわたしの身体から何かが抜け落ちたような感覚に陥る。

 あぁ……本当に行ってしまったんだ……

 ……やっぱり、少し寂しいね。


 それでもわたしは顔を上げ、街へ向かって大地を踏みしめるのであった。


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