第29話 さようなら

 次の日、鬼神が指定した時刻、午後2時に

隼人のもとに黒塗りの車が到着すると、

車中から村山が姿を現した。

 村山が、2階の隼人の部屋を見上げると、

部屋のドアがゆっくりと開き、中から

隼人とレイ、そしてヒカルが出て来た。


 三人が階段を下りてくると、

村山が一言、

 「どうぞ、お乗りください」

 と呟いた。


 バタン……。

 村山は、三人が後部座席に座ると、

車のドアを閉め、自分も助手席に

乗り込んだ。

 

 黒塗りの車がゆっくりと動き出し、

片陰の街の中を走っていく……。

 車内では誰一人、言葉を発することは

なく、古びたアスファルトの上を走る

振動が身体に響くのを感じながら、

車は、片陰の街を後にした……。


 「随分と走るんだな……」

 隼人が呟いた。

 すると助手席に座る村山が、

 「あぁ、君たちの街から遥かに遠く

君らが辿り着くことができない

夢の街に行くのだから……」

 「確かにそうだろうな……」

 隼人は、村山の言葉にそう答えると、

隣に座るヒカルに声をかける。

 「ヒカル? どうした? 

 おまえの居場所に帰れるのに……」

 「う……ん。隼人さん、実は……」

 ヒカルの煮え切らないような声に、

村山がミラー越しにヒカルに視線を送った。

 「隼人さん、私なんか忘れてるような

気がして……」

 「忘れてる? 何を?」

 「う~ん。なんか大事な記憶が

抜け落ちてる感じ? がして……」

 

 ヒカルの言葉を聞いていた村山が、

彼女の言葉を遮るように言った。

 「鈴香様、記憶が戻ってよかったです。

 それに、大事な婚約者、最愛の鬼神様のことを

思い出されておられるではないですか。

 それが何より喜ばしいことですよ……」


 「そうだけど……」

 ヒカルが口をつぐんだ。


 「ヒカル……この人の言うことも

あながち、嘘じゃないと思うよ。

 あまり気にするな……」

 隼人が微笑んだ。


 車は、少しづつ、ドリーム・タウンに

近づいて走って行く……。

 片陰の街を出て数時間、

車はドリーム・タウンの中に入った。

 綺麗な整備されたアスファルト、

建ち並ぶ高層ビル群と緑が青々と茂る

街路樹が見えた。

 窓を開けると、澄み切ったような綺麗な

空気は呼吸をするのも楽しくなるような

気持ちにさせる……。


 「あ、兄貴、すげ~な。ここが、

ドリーム・タウン……」

 窓ガラスに両手を当て、目を大きく

見開いたレイが隼人に声をかける。

 「ああそうだな。俺等の街とは

段違いだ……。とても同じ人間が

暮らしている街とは思えないな」

 隼人がそう言うと、


 「あたり前です。この街は、

すべてを手に入れた者だけが

住むことが出来る街なのですから」

 村山がそう答えた。



 車は、ドリーム・タウンの中央に

大きく、高くそびえる通称『タワー』

の前に停車した。


 村山が、後部座席のドアを開くと、

三人が車から降りる……。

 高く大きくそびえるタワーを見上げた

隼人とレイは、ゴクっと生唾を飲み込んだ。


 「鈴香様、どうぞ。皆様がお待ちです」

 村山がヒカルを先導する。その後ろに

ついて行く隼人とレイ。

 自動ドアが開くと、そこには、スーツ姿の

男性がずらりと並んでいた。

 

 彼等の中には、見覚えがある顔も見られた。

 彼らは、一斉にお辞儀をすると、

 「おかえりなさいませ。 鈴香様」

 と言った。

 


 EVまでの距離を歩く中、隼人は不思議な

違和感を覚えていた……。

 それは、彼等の服装と所作……。

 片陰の街での彼等はダークスーツを

身にまとい鋭い目つきだった。

 しかし、今、目の前にいる彼等は、

爽やかな色のスーツを着て、ニコやかな

表情を見せている……

 何より、村上自身も別人のような、

雰囲気を醸しだしているのだから……。


 チン……。

 EVのドアが開くと、

 「どうぞ、上で会長と奥様、

そして、鬼神様がお待ちです」

 村上が微笑んだ。

 EVに乗り込んだ四人、

EVのドアが閉まると、一気に

上の階へ上って行った。



 「兄貴、すげ~。速ぇ~」

 驚くレイ……。


 チン……EVが停止した。

 

 ドアが開くと、村山がEVを出て

三人をエスコートする。

 「ん?」

 隼人が後ろを向くと、不安そうな

ヒカルが隼人の上着の袖を握っていた。

 「どうしたヒカル……」

 「なんでも……ない」

 ヒカルを見た村山は、

 「鈴香様、そのような者の袖を

握るなど鬼神様がご覧になったら、

ヤキモチを焼かれますよ」

 と言うと、彼女の隼人の上着を掴んでいる手を

強引に引き離した。


 長い廊下を歩くと、真っ白いドアが見えた。

 村上が姿勢を正すと、自動ドアが開いた。


 自動ドアが開くと、そこには鬼神が

立っており、満面の笑顔でヒカルのもとに

走り寄ってくると、彼女を抱きしめた。

 「あぁ、鈴香さん。会いたかった……

昨日、あなたを見つけてから、今の今まで、

僕の頭の中は、あなたのことでいっぱいです」


 「透さん……私も会いたかった」

 鬼神の腕の中でヒカルが呟いた。


 鬼神はヒカルに微笑みを返し、

彼女から自分の身体を離すと、

 「隼人君、レイ君、君達には本当に

感謝の気持ちでいっぱいですよ。

 今日は、彼女を見つけていただいたお礼に

おもてなしをさせていただきます」


 鬼神が微笑むと、いつの間にか

隼人とヒカルの隣に立つ村山が、

 「お二人とも、どうぞこちらへ……」

 と、部屋の中にあるもう一つのドアの

方を見つめた。


 隼人とレイは互いを見ると、

村山の後を歩き出した。

 それを見たヒカルも、

 「じゃあ、私も……」

 と彼等の後ろについて行こうとした

その時、鬼神から腕を掴まれた。

 「え……?」

 少し驚いたヒカルが鬼神の顔を見ると、

彼は優しい口調で……

 「鈴香さんは、彼等とはここで……

最上階で、会長と奥様がお待ちです。

 彼等には、私が責任を持ってお礼を

させていただきますから……」


 「そうだよ。ヒカル……っと、

鈴香さん、早くご両親を安心させてやんなよ」

 隼人が言った。

 「ほら、彼もそう言ってますよ」


 ヒカルが、隼人とレイの前に立つと、

 「隼人さん、レイ、今までありがとう。

お世話になりました。 そして……」


 ヒカルが涙目になった。

 「ヒカル……俺等も楽しかったよ。

元気でな……」

 笑顔のレイが言った。

 「ヒカル……お幸せに……さようなら」

 隼人が呟いた。


 「さようなら……」

  隼人を見上げ、ヒカルもそう呟いた。


 「彼女を最上階へ……」

 鬼神がそう言うと、部下がヒカルを

連れて部屋から出て行った。


 自動ドアが閉じ、

 隼人とレイと村上の4人になった鬼神が

口を開くと呟いた。


 「さてと……取引の時間ですね」

 

 ヒカルが部屋から出て行くと、

鬼神は、部屋の中にあるもう一つのドアを

見つめ……

 「どうぞ、こちらへ……」

 ドアが開くと……そこには、

ベッドの上に横たわるコトの姿……

隼人とレイが慌てて

彼女を抱き起こすと、

大声で彼女の名前を呼んだ。

 「コト、コト、しっかりしろ」

 隼人の声に反応したコトが、

 「は……隼人」

 とかすかな声で彼の名前を呼んだ。


 彼女を抱きかかえ、鬼神を睨みつけた

隼人……

 「おまえ、コトに何をした……」

 興奮する隼人をよそに冷静な鬼神が

 「変な疑りはやめてください。

 昨夜、僕が鈴香さんを見つけたことが

あまりにも嬉しくて、祝杯についつい

彼女をつきあわせてしまって……」


 「え?……」

 隼人が呟いた。

 

 「隼人……レイ……」

 コトが隼人の腕の中から起き上がると、

 「私は、大丈夫だよ……飲み過ぎたみたい。

 連れに来てくれてありがとう。

 それよりヒカルは?」

 「ああ、彼女はご両親のもとに……」

 「そう、記憶が戻ったんだ……」

 

 コトはそう言うと立ち上がり、

 「K様、よかったですね。

 でも、ヒカルが遠山財閥のご令嬢で

K様の婚約者だったなんて。

 昨夜、私も聞いて驚きました」

 と言った。

 「コトさん、ありがとう……」

 鬼神が微笑んだ。

 

 「さて、それではお礼に食事を……」

 と鬼神が言いかけたと同時に隼人が、

 「食事はいらないよ。コトを連れて帰る。

お礼は……そうだなあの街まで送ってくれ」

 「言われなくとも……」

 一瞬、鬼神が口角を上げた。

 最上階の部屋の自動ドアが開くと、

中から、ヒカルこと鈴香の父、遠山財閥会長と

その妻、彼女の母が鈴香のもとに駆け寄り

彼女を強く抱きしめた。

 「鈴香……無事でよかった。本当に……」

 「お父様、お母様……心配かけてごめんなさい」

 「おまえ、何でよりによってあの片陰の街に

いたんだ?」

 遠山の質問に……

 「わかんない……です。気がついたら、

あの街にいて……」

 「でも、無事で本当によかった」

 涙を流す母親……。

 「それで、おまえを助けてくれた人達は?

一緒じゃないのか?」

 遠山が鈴香に聞いた。

 

 「お父様、それは……」

 鈴香が言いかけた時、自動ドアが開き

鬼神が部屋に入って来た。

 鬼神は三人の顔を見ると、

ニコッと微笑み、

 「残念ながら彼等は帰りました。

 こちらも、鈴香さんのお礼をしようと

お引止めしたのですがね……

 お礼の札束もお受け取りに

なりませんでしたよ」


 「そうか……それでは仕方ないな……

一言、お礼を言いたかったが……」

 遠山が残念そうに言った。


 それを聞いたヒカルは、窓際に

行くと、ガラス窓に手を当て、

遥か下に見える地上に視線を送った。


 ビルの一番下の玄関前に停まる

一台のミニカーのように見える車に

乗り込む豆粒のような隼人たちの

姿が見えた。


 「隼人さん……」

 ヒカルが呟いた。

 

 車に乗り込もうとした隼人が

不意に空高くそびえる最上階を

見上げた。

 先に乗り込んだレイが、

 「兄貴? どうしたの?」

 と声をかけた。


 「あぁ、なんでもね~よ」

 と言うと隼人は車に乗り込んだ。



 最上階から隼人たちを乗せた

車を見送るヒカルは、

見えなくなるまでずっと、

その車を目で追い続けた。

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