第二章 終話 『得たものと失ったもの』

 ミレ・クウガ―が額に汗を浮かべながら叫んだ。


「なんだこれは――!」


『幽霊の境界線』


 ガルディア国の領地から遠く離れた、一部の魔族が住まう大森林。

 生い茂る森は日光を遮り、高い湿度が理由で腐葉土の匂いが馴染んでいる。 

 自然の土地。まだ人間の手が入っていない場所。

 さきほどまで、ミレ・クウガ―はガルディア国の狩人たちに対する静粛を行っていた。

 狩人十人に及ぶエルフへの蹂躙は、千切り姫ミレ・クウガ―による反撃により終止符となる――はずだった。

 

「あ、主殿あるじどの!」

 

 しかし二人を取り残したところで――ユグドラシルの叫び声が森中を駆け巡った。

 尋常ではないことが起きた――それを感じ取ったミレが慌てて戻り、見たのはうつ伏せに倒れているユグドラシルと大量の血。

 右手と両足を失い、自己再生による治癒が途中である。


「なにがあった! くそ!」

 

 敵を警戒しつつ急ぎ主のもとへ駆け寄る。


「――――」


 ぐったりしたユグドラシルを、ミレは呼吸がしやすいように抱える様に起き上がらせる。

 

「おい!」

「…………」

「返事をしろ!!」

「…………」


 ミレは焦っていた。

 呼吸はしている。息はある。手と足も再生へ向かっている。

 激しい痛みも伴う再生だが、死ぬことはない。それも時間が経過さえすれば次第にやわらいでいくだろう。

 だからこそ余計におかしいのだ。

 あと少しで十全となるはずの体なのに。

 ミレが何度声をかけても――ユグドラシルは反応しない。

 

「くそっ!リズ! リズ! 早く来い!」 

 

   

「あのエルフはどこ行った! あいつにやられたのか!」


 ユグドラシルと別れたから、さほど経っていないはずだ。

 現時点で、いま周りに。もしいれば、当然ミレが察知できるだろう。

 あの場にいたのは、十人の狩人と一人の商人。そしてエルフ。

 散り散りに森へ逃げた人間を狩るのに少し手間取ってしまったが、それでも大した時間ではない。

 ほんのわずかな時間だ。

 もしあの状況で主を襲える存在がいるとすればエルフに違いない――とミレは考えた。 

 「……アビーは、そんなことしないよ」


 アビーと言う言葉に、はじめてユグドラシルは反応を示した。

 ミレは一瞬だけ息をつき安堵したが、なおさら深まる謎に再度詰め寄る。


 「なら説明しろ!」


 しかしその言葉にユグドラシルは反応をしない。

 ただ落胆したかのようにうつむいている。

 

「ちょ!どうしたの!」


 ちょうどそのとき、妖精族のリズレットが慌てて戻ってきた。 

 しかしそれどこではないミレは、そのままユグドラシルへ問いかけ続ける。

 

「お前いい加減にしろよ! 勝手にガルディアに入国したり、城を飛び出してここにきたり! 自分勝手にもほどがある!」

「ちょ、ちょっとミレちゃん!」

「なぜ説明しない! 少しはこっちのことも考えろよ!」

「ミレちゃん!! ちょっと待って!」 


 珍しいリズレットの静止にミレは苛立ちを隠せぬまま答える。

 

「なんだよリズレット! 何が起きたか説明しねぇコイツが――」

「ユグドラシル様――泣いてる」


 リズレットに制止され、そこでようやくミレは気付いた。

 うつ向いたまま見れぬ表情。

 しかしぽたぽたと彼の燃え焦げた服を涙が濡らしている。

 泣いているのだ、主は。

 

「――!」

 

 ミレは息をのむ。

 怪我以上の緊急事態。

 

 

「ど、どうして泣いてる主殿! 痛いのか? やっぱり傷が痛いのか!? 悪かったよ強く言って悪かったよ! 泣かないでくれよ!」


 ミレは子供のように慌てた。

 とにかく泣き止んでほしくて、でもどうすることもできない自分に。

 

「なんで泣いてるんだよぉ……」

 

 そして次第に、ミレの瞳にも涙が溜まっていく。


 「お前が泣いてると私も悲しくなるだろうが……」


 彼が悲しければ、当然ミレも悲しい。

 泣いている理由は全くわからなかったけれど、それでも一緒に悲しいのだ。

  

「……帰ろう? 主殿。私たちの家に」

 

 

 

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