第二章 七話 『魔神』
「どうして……どうして
オリバーが急ぎ死体へと振り返る。
その時――死体の右腕が――燃えたままの右腕がオリバーの左足首を掴んだ。
「なっ!? 熱っ!」
死体は万力のように足首を握る。
そしてボワァっと炎が燃え移り始める。
「誰か、誰か消せぇ!」
オリバーは叫んだ。
死ぬまで燃え続ける焔環十四条。魔術にもて遊ばされるかのように全身へと火が回る。
「
オリバーを包み始めた炎は、どんどんと轟音を立てながら燃え上がっていく。
狩人の一人が、息継ぎせず水精術式の詠唱を急ぐ。
「早く! 早くしろ?」
「水精九幕『
狩人の放つ水精九幕。水精術式の初章シリーズ。殺傷能力はなく大量の水を生み出す基礎魔術式は、勢いよくオリバーに水を浴びせる。
燃え移っていた火が大きな音を立てながら打ち消される。
「た、助かった……」
全身に水を浴び、
安堵。大きく息を吐きオリバーは生きていることに感謝した。
そう感謝した……感謝し安心したからこそ、オリバーは一瞬――遅れてしまった。出遅れてしまった。
いまするべき――本来の反応を。
「『魔神は死なない』」
黒焦げ死体がまるで、そうまるで。
狩人たちの目に飛び込んできたのは、かろうじて人の形をした黒焦げの遺体。むき出しになった炭の皮膚と気味が悪いほど白い歯。
「――っ!」
オリバーは本来、逃げるべきだったのだ。足首を切ってでも、この奇妙な男から一目散に離れるべきだった。例え腹が立っていたとしても、様子見のためだけに近づくべきではなかった。
いやなにより――エルフを捕まえるべきではなかった。
「そんな――あり得ない!」
「『魔神は殺せない』」
白い歯は、同じように言葉を繰り返す。
するとまるで言葉に呼応するように、男の体が再生し始めたから。
「こんなことが――」
炭となったはずの両手両足が逆再生の如く治っていく。
「あり得ない!」
狩人たちはそれをもはや茫然と見つめていた。ナイフを持った手は男へ向けているが――恐怖のあまりカタカタと震えている。
真っ黒な炭の塊と白い歯がまるで魔神のように不気味に笑う。
「『魔神は笑わない』」
「なんだよ……! なんなんだよお前は!」
オリバーは恐怖のあまり叫ぶ。尻もちをつき男を見上げていると、
「『来たか』」
と、空を見上げながら言った。
そして――その台詞とほぼ同時に。
――オリバーの視界の
「ようやく追いついたぞ
現れた女声に、オリバーは息を飲むことすら忘れる。
それは伝承でしか聞いたことのない存在。
高い鼻。
白く透き通るような肌。
燃えるような赤の瞳。
腰まで届く長く奇麗な髪。
黒と赤の儚げなドレス。
鋭く尖った八重歯。
少し低いドスの効いた声。
「千切り姫……?」
それは人間に、ガルディア国にとっての悪の象徴。
数十年、魔神の代わりに魔獣魔物を従えた姫。
現時点で最も人間を殺してきた大悪党。
「に、逃げろ!」
「あれは千切り姫だ! 魔女大戦で最も恐れられた魔造兵器だ! 俺たちのかなう相手じゃない!!」
「助けてくれ!」
オリバーと狩人たちは蜘蛛の子を散らすように森の中へ逃げていく。
ミレは慌てることなく、
「
とため息交じりで言った。
「『ミレ一人か?』」
「ユグドラシル様! 可愛い妖精、リズレットちゃんもいますよー!」
そういうとミレの肩からひょっこりとリズレットが顔を出す。
「『リズもいたのか』」
「心配したんですよ私たち! 全くも―!」
「『悪かった』」
「城は下がらせるぞ。こんなところにいたんじゃ、ガルディアのやつらに見つかっちまう」
「『分かった』」
「主殿よぉ、大体なんのためにこんな辺境な所まで――」
ちらり、とミレが辺りを見回す。目に映るのは逃げる十数人の狩人。火傷を負い、右足を引きずりながら逃げる商人。そしてうつ伏せに倒れている女のエルフ。
「なるほどな――主殿、
「『どっちとは?』」
「あんた、エルフを助けに来たのか、それとも――この人間どもを殺しに来たのか?」
「『聞く意味あるのか?』」
「ははは! 違ぇねぇ」
ミレは頬を釣り上げ笑う。そして膝を曲げ、
「第二外装――顕現。『
ひゅん――とミレは地面を蹴った。同時に土と枯れ葉が舞い上がる。
それはミレがもつリミットの解除。美しく艶のある長い脚は、少し地面を蹴るだけで兎の如く跳躍する。
その力を、狩人たちを捕まえるためだけに使う。時間にすればほんの刹那。今のミレではおおよそ二歩で一人、また一人と追いついた。
ミレが一瞬で消えたころ、ユグドラシルの体が再生し終わる。元のやせ細った白い肌。
ユグドラシルは息を大きく息を吸う。土の匂いが鼻を通り肺へ溜まる。
「リズ。
まるでさきほどとは別人のように、落ち着いた声で妖精へと声をかけた。
リズがフワフワとアビーの元へと近づく。
「うーん裂傷はひどいですが出血はそんなにですね。はい! これならお茶の子さいさいですよ!」
「そうか……良かった」
リズレットはすぐさま治療をはじめ――
「はい終わり! すぐ目を覚ましますよ!」
と、可愛らしい顔で彼女の治療を終えた。
その声と呼応するかのように、ユグドラシルは拳に力を込める。
そして真剣なまなざしをしながら、
「リズ、すまないがミレの援護に行ってくれないか?」
と言った。
妖精であり、ミレの実力を知っているリズレットは疑問に思う。
「え、どうしてですか? ミレちゃんなら一人でも――」
と言い終える前に
「わっかりましたよっと。空気が読めるできるリズちゃんは、必要もなさそうなミレちゃんの援護にまわりまーす」
「ありがとう」
静かな森の中で、ユグドラシルとアビーは二人っきりになった。
「ん……」
うなされる様に、アビーが目を覚ます。
「ここは――」
「もう大丈夫。ここには俺と君しかいないよ」
安心してほしくて、ユグドラシルは出来る限り彼女の不安を取り除くように話す。
「助けて……くれたんですね」
その言葉に、ユグドラシルの表情がゆがむ。
「違う……そうじゃないんだ」
ここから、物語は加速度的に広がっていく。
ーーーーーーー
「それは違う……違うんだ。感謝なんてされちゃいけない……むしろ俺は――」
――むしろ俺は君を殺そうとしたんだ。
「ありがとうございます……」
けれどアビーはそんな表情に気付くことなく、ただ目の前にいる命の恩人に感謝をした。
体をゆっくりと起こした。
「あれ……? 痛くない……けど体が動かしにくい」
「あぁリズ――仲間が治癒してくれたんだ。けど無理に起きてはいけないよ。体は治療したけど、大きな負担がかかってる。しっかり休まないと」
「どうして……私を助けてくれたんですか?」
どうして――その問いに答えられずにいた。
だから誤魔化すように、アビーの頭を撫でる。
「俺の妹――こうやって撫でられるのが好きだったんだ」
ユグドラシルの唐突な言葉。
「えっえっ? 妹?」
「半分しか血は繋がっていなかったし、かなり歳は離れていたけど、よく一緒に遊んだんだ」
アビーは困惑していた。まだなにひとつ飲み込めてはいない。けれどなぜか頭を撫でる手が妙に心地よくて、動揺する心が勝手に落ち着いていく。
眉をひそめるエルフの少女に、ユグドラシルは言葉を続ける。
「アビー、君のモチーフは俺の妹なんだ」
ユグドラシル――彰人は、キャラクターを作り出すとき、近くの人間を参考にした。母親、父親、妹、友人、そして自分。
なぜそんなことをしたのか。それはよりキャラクターたちに愛を込めるためだ。自分をモチーフにした主人公を作れば、彼は勝手に話し始める。
独立したキャラクターたちが、頭の中で会話をした。そしてそれを絵にする。
そうやって漫画を描いてきた。
そして――アビーのモチーフは妹。
口癖、家族思い、頭を撫でられるのが好き、将来の夢はお嫁さん――それらは全て、彼女から作られた。
優香。彰人の記憶の中の彼女は、十二歳から成長していない。
けどどこからか、それを忘れてた。妹だったはずのアビーはいつからかキャラクターとして独立し、それを殺すことで物語を盛り上げていた。
「こうやって撫でられるのが好きでね。だから、どれほど世界が歪んでも、物語がねじ曲がっても。俺は君を救いたかった」
「妹――」
その言葉に、アビーは思い出す。
「そうだロリア!! ロリアが今もまだ捕まってるの! ロリアも――」
自分を助けてくれた大切な妹ロリア。混乱した記憶中から思い出す彼女ことを、目の前の恩人に頼もうと願ったその時。
『ロリアも助けて』その言葉を言い終わる前に――アビーは固まった。
――震える指先で、ユグドラシルの後ろをさす。
「なにか――なにかいる……!」
アビーの異変に、ユグドラシルは焦り後ろを向く。
「……あれは?」
なにか間違った違和感が二人を襲う。
二人の視線の先――それはただの細い木だった。
この森の中で、ただやせ細った、今にも枯れそうな木。
幹は枝のように細く、葉もほとんど落ちていた。その木の後ろから――鋭く尖った棘のようなものが現れる。
棘。
黒い棘のようだ。
奇妙な光景。細い木の見える範囲にはなにもないというのに、突如木の幹から一本の棘が現れる。
「なん――」
動いた。
黒く細い鋭利そうな棘は動いた。
突き刺さってしまいそうな棘は、一本、また一本と増え四本。
――そこでユグドラシルは気付く。
「――爪?」
爪だ。あれは黒く細い鋭利な爪だ。
突如現れた五本の爪は、扉を開ける様に木の細い幹をつかむ。
「なんだよあれ……!こんな設定――
ユグドラシルは、ずっと考えていたことがある。
それは、登場人物Aに関する疑念であった。
彼は第一話に登場し、スキャット・デルバルドを引き立てるために登場させたモブキャラクターである。
Aは読者へ不快感を与えるために登場した。彼の登場は酒場で終わり、これから先、物語には一切関与しない。
名も歳も分からないようなキャラクターであり舞台装置でしかなかったA。
けれど彼は確かにこの世界、この異世界に産まれ、確かにそこに存在した。
つまり、ユグドラシルが書いた世界――『召喚術師と世界の果て』の切り取られた描写から、彼らの人生は始まったのではないか。
物語に必要なキャラクターを作り、その一部を漫画として描写していた。
一部を描写した結果、キャラクターたちに人生が生まれた。
キャラクターたちは物語に存在し、どこにカメラがあり描写されるかどうかには自覚がない。
たとえば――『第一章 一話 スキャット・デルバルドの日常』
スキャットから金をむしりとった登場人物Aの
あくまで物語のあと、描写されている外において、Aに触れた。実験と称した、憂さ晴らしに過ぎないものではあったけれど、それは確かに結果を持ち帰った。
物語の外――つまりは描写外で行われたことについては、
今後登場しないであろうキャラクターに影響を加えたところで、物語はさして変わらず進んでいく。
それが得た結果、この世界のルール。
これらを確信した後、ユグドラシルはふと思う。
『ではもし物語へ深く干渉すればどうなるのか』
登場人物Aとアビー・ロスの違い。
Aと出会ったときは
ユグドラシルは慎重にならざる終えなかった。
この世界にとって、物語とは人生であり、結末とは未来だ。
ユグドラシルが最初に救うと決めた少女。
アビーと呼ばれるエルフ。
彼女の結末はもう既に確定している。
焼死。
暗闇の中、焼き殺される。
だがもし、例えば。
確実にやってくる未来を変える――物語を変えるのであれば。
自分好みの未来を望むということがこの世界、もしくはこの
どんな変化を与えるかなんて。
想像しきることは可能だろうか。
あえて言うのであれば――ユグドラシル、いや彰人は。
正しい想像など――欠片もしていなかった。
物語を変えるという意味を。
未来を変えるという重さを。
ただ持ち合わせることになった自責の念にかられ、己の好みの未来へと改変するなど――そんなものは。
――
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