第二章 三話 『エルフの姉妹』
妹ロリア・ロスと姉アビー・ロスにが初めて泣き出したくなるような痛みを与えたのは人間だった。
「主従関係を教えるため」だと、男は言った。
幼いロリアにとって主従関係という言葉の意味は理解できなったが、痛みと共にそれが恐ろしいものだという認識はしていた。
三日目前の五月二十六日の夜、売人だと言う男たちはアビーの住む
魔術師――つまりはガルディア国の人間ということだろう。
焔環魔術をひっさげ、あろうことか村に火をつけ、男のエルフ――父や叔父たちを殺していった。
焼け野原になった森、殺された父の死体、母の形見を残して、妹ロリアと姉アビーは手錠と烙印を与えられ馬車に乗せられた。
暗い夜の道。
「お姉ちゃん……私たちどこへいくのかな」
石だらけの狭い山道に揺らされながら、ロリアは馬車の中で自らの行き先を子供ながらに考える。
「大丈夫だからねロリア。お姉ちゃんがいるから」
姉アビー・ロスは厳重な手錠ごとアビーの頭を撫でる。妹の奇麗だったショートカットの金髪は泥で汚れ、それを撫でるアビーの両手も乾いた土がついている。
「ほんと?」
「うん、大丈夫大丈夫。だから少し休みなさい」
宝石のような青の瞳で見つめる妹に、アビーは大丈夫と口にした。理屈のない安心にロリアは頷く。
「私たちどこへいくのかな」という問いにアビーは答えることが出来なかった。
人間という存在がいかに森人族を
山を越え、ガルディア国の領土に入れば――恐らく逃げることは出来ないだろう。
「寒いからそっち行っていい?」
「いいよおいで」
ロリアは手錠の縄を出来る限り伸ばし、アビーの近くに座った。
寒い日の夜だった。
近くにある
「ロリアだけは守るからね」
頭を優しく撫でてあげる。ロリアは温かく柔らかい姉の手を感じながら、小さく寝息を立てる。
どうかこの子だけでも――そう願わずにはいられない。
アビーはあたりを見渡した。
馬車にいる
馬車の先頭を見る。
松明のかすかな明かりで後姿しか見えないものの、太った男と背の高いやせ細った男が二人座っていた。
アビーとロリアの馬車は最後尾だった。
いくつかの馬車は連なりゆっくりと北へ向かっている。
山を越えるため、幅がギリギリ馬車一台分の参道を通っていく。
左側には大きな渓谷があり、道を踏み外せばそのまま谷底へ落ちていくだろう。
無理やり作られた悪路は車輪の振動が直接お尻へ伝わる。
ロリアの寝息に耳をすませていると、馬車の先頭から会話が聞こえてくる。
「ふぅーさみぃ……。なぁ親父。俺は
頬がこけた二十代ぐらいの男が、白い息を出しながら隣の父親に話しかける。
「あぁ、儂も久々だ。捕まえたのは全体で十八体。うちの配分はたった二体だが……それでもどんでもない金になる」
親父と呼ばれた男は、でっぷりとした腹を邪魔に思いながら
「なぁ親父、どこに売るのか決まってるか?」
「姉の方を高く買ってくれるお客さんがいてな――噂をすりゃ」
父親の視線に一匹の鳥が見える。
「カカカ買ウ! アアアアアネアネ姉アビー・ロス! 場所! 鈴ナリ声ノ山! 時間! 五ノ三十! ショウゴ!」
「へ、へ返答ハ!」
「承知した。支払いの準備を」
「『シ、承知シシシタ! 支払イの準備ヲヲヲ』」
父親の返事をそのまま繰り返したのち、伝承鳩は飛び去って行く。
ガルディア国方面へ飛び立った小鳥を眺めながら息子は親父に尋ねる。
「なぁ親父、一体誰が買うんだ?」
「国のお偉いさんだ。毎度希少な魔獣魔族を買ってくれる。今回の所望は森人族の女、二次成長期後、躾け済み。しかし明日とは……向こうもずいぶん急いでるんだな」
「もう一匹は?」
「まだ決まってはねぇが……森人族なんだどこへだって高く売れるさ。ふぅ手が凍りそうだ。手綱変わってくれ」
「あぁわかった」
「気をつけろよ。細い道だし左にゃ渓谷だ。落ちて死にはしないだろうが……荷車を落としてみろ、儂たちゃ食っぱぐれて死ぬぞ」
「わ、わかってるよ」
「じゃあ儂は少し眠る」
父親は禿隠しの帽子を顔にのせ、毛布を体に巻き眠り始まる。
幾ばくが時間がたち息子は少し考え、ある提案を父親に投げかける。
「なぁ親父……ひとつ案なんだが」
「ん? どうした」
細く背の高い男ははねちっこい声で父親に、
「売る前にちょっとだけ味見しちゃいかんか? あの太もも見てみろよ……想像するだけでよだれが零れ落ちそうだ」
といった。
中年の親父はいきなりの提案に怪訝な声で、
「馬鹿野郎。一体いくらすると思ってんだ。馬と荷車を五つ買ってもお釣りがくる。馬鹿な事言わずに大切に運べ」
「じょ、じょうだんだよ言ってみただけだ」
へへへ、と息子は笑いながら前を見る。
目の前には馬車がいくつも連なっており、どの馬車にも積荷とエルフが数匹積まれている。
アビーは思った。
あと二つも山を越えれば、そこから先は魔族の敵、ガルディア国の領地だ。あちら側に着いてしまえば森人族の味方など誰もいないだろう。
「どうにか逃げなくちゃ……」
ちらりと手にかけられた縄手錠を見る。
手錠には太り縄が伸びていて馬車の柱に繋がれている。
「これさえなんとか出来れば」
アビーは無理やり引きちぎろうとする。が、全く緩む気配はない。
それは当然だった。特上マニラ麻の紐とダンロウ蜘蛛の糸とをかけあわせて作られた縄はエルフ程度の筋力で断ち切れるものではない。
「なにか……なにか方法は」
アビーは自らの手を見る。細く長い指。白い肌。一瞬、ある方法が浮かぶ。
「痛い……かなぁ」
それは手首を折って抜け出すということだ。
幸い、馬車は最後尾だ。
見張りはいない。
道沿いに走り続ければ行けるだろうか。
静かに手首を捻じ曲げ、悲鳴を上げずに折る。ゆっくりと進む馬車の後ろから降りる。
「でもそれは無理か……」
膝枕をしてあげている妹ロリアを見る。
――ロリアにそんなこと出来ない。
自分だけならばもしかすると逃げ切れることがあるかもしれない。静かに脱出し逃げ切るかもしれない。だが妹にそれは難しいだろう。
商人の親子二人にバレず――つまりは悲鳴を出さずに手首を折る必要がある。
そんなことを幼い妹が出来るだろうか。
幼い妹が痛みを我慢できるだろうか、そもそもアビーに妹の手首を折る勇気があるだろうか。
いくつもの不安が脳内に残り、結果として手首を折り逃げ出す案をやめた。
極端なことを言ってしまえば――自分だけが手首を折り逃げ出す、ということは可能だとアビーは考えた。
自分一人で――とほんの一瞬だけ思案し、
「二人で帰ろうね、あの村に」
とロリアに語りかける。
ロリアには家族が必要だ。アビーにも家族が必要だ。
ふたりは互いを支えあって生きていきたい、そう願っている。
しかしながら、着実と時間切れは迫っている。
山を越えガルディアに入ってしまえば、逃げ出したところで助かる見込みはない。
「魔神ユグドラシル様……どうか私たちに
アビーは目を閉じ祈る。
なにか小さな救いを。生き残るチャンスを。静かに祈る。
――そしてそのチャンスは小さな形で訪れた。
ガタン!と大きな音と揺れが馬車を襲った。
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