第一章 六話 『千切り姫 ミレ・クウガー』
ユグドラシルの演説が終わり、城内の大広間は大宴会となった。
酒を注いでは飲み、注がれては吐く。
そこにはマナーやルールなど存在せず荒くれものの無法地帯。
騒ぐ声には必ず笑い声が混じり、騒音なのに心地よいという矛盾が生まれる。
そんな異形達の宴会を、ミレ・クウガーとユグドラシルは上段の間に二人で座りながら眺めていた。
「城の外でも、大広間に入れなかったあいつらがクソ迷惑に騒いでるらしいぞ」
隣に座り朱杯で酒を飲むミレ・クウガーは、化け物たちを見ながらユグドラシルに声をかける。ほほを釣り上げた横顔には鋭利な八重歯がちらりと見えた。
ミレもユグドラシル同様、高そうな着物を着ている。
違いがあるとするならば、ミレの着物は赤が混じった黒留袖だが、肩の部分だけがはだけ白い肌が露出している。
酒を飲むミレの頬は少しだけ赤く染まっており、妖艶さを醸し出す。
「主殿よぉ。結構な風景だよなぁ。朝には戦争に負けてたくさんの死者が出たっていうのに、あいつら忘れてやがる。まぁ馬鹿共だから仕方ねぇか」
嫌味を言ってるはずなのに、ミレは鼻歌を歌いながら黒のポニーテールを揺らす。
「お前はそんな馬鹿共の副官だぞ?」
「主殿は親玉じゃねぇか」
酒を飲み赤くなっても相変わらずの嫌味口調の彼女にひとつ冗談を言う。
「あれ、お前乾杯が終わったら部屋に帰るんじゃなかったのか? うるさいからって」
「……黙れバカ」
「何が嫌なんだよ? 酒が飲めないわけでもないだろう?」
「……飲めるさ」
「?」
不思議そうに見つめてくるユグドラシルに、ミレは降参したように話し出した。
「……この景色が変わっちまうのが好きじゃないんだ」
「景色?」
そういうとミレは右端にいる
天井まで届かんとするしゃれこうべの肋骨の部分に妖精族や
「……あの
次に
「昔はもっと倍の数がいたんだがな。多くは焔術系で焼かれちまった」
ミレはうるさいしうざいし鬱陶しい騒音をつまみにしてくいっと酒を飲む。
「全く、馬鹿な奴らだよホントに。なぁ
彼女の言葉には哀愁が混じっていた。
「……そうだな」
「こいつらは馬鹿だからな。簡単に泣くし簡単に笑う。でもって簡単に死ぬからな。誰かが指揮してやんなきゃならねえ」
ミレは少しだけ目を細める。その視線はばか騒ぎのやつらから一切動かない。
「あんたはどうやら記憶が混乱してるようだが……主殿が復活するまでの三十年で、たくさんのやつらが死んだよ。静かなヤツもよく笑う奴も――死にたくないと泣いたヤツも」
ミレはそっと手に持つ朱杯に視線を落とした。酒がゆっくりと波揺れる。ちゃっぷんと静かになる音は、馬鹿共の声で掻き消える。
「私はな
大広間を静かに眺める。
「そうすりゃ少なくとも、今は誰も死なずには済む。命を捨てずに済む。誰かも分からない亡骸を抱きしめずに済む。これってよ、いわば幸せなんじゃねぇかな」
だが――とミレは髪をかき上げながら言った。
「彼らには奪われたものがたくさんある。土地、財産、尊厳、友、恋人……。それらを私は――取り返してやりたい。あいつらの夢を叶えてやりたい。
そしてなにより――死んでいったあいつらの命に意味があったのだと教えてあげたい」
ミレの言葉に、アキは目を丸くする。
それは、アキにとって意表をつかれた言葉だった。
「……あぁ」
「私は魔造兵器で指揮官代理だから、きっとここにいる誰よりも頑丈で、誰よりも生き延びるだろう。つまり……あいつらが私より先に死んでいく。
このうるさいうざい鬱陶しい風景が
真剣な眼差しを、ユグドラシルは隣から眺める。
ミレの考え方を
「あぁ――お前はそんなことを考えていたのか」
と、心の声が漏れた。
「? どういう意味だよ」
「いや……俺はそこまで考えてなかったから……」
「? 相変わらずよくわからねぇな」
ミレが手酌で酒を注ぐ。どんちゃん騒ぎの中、奇麗な鼻歌が混じる。
「俺は……馬鹿だなぁ」
呆けた顔で、ユグドラシルは目の前の風景を向いた。
目の前に存在する異形たち。彼らを作ったのは紛れもなく自身だったが、それはあくまで主人公たちの敵として存在する、いや
過ぎないはずなのに。
「ミレ……ちょっと独り言を言ったもいいか」
「らしくねぇな」
「聞き流すだけでいいからさ」
「ん。わかった」
ミレは簪(かんざし)の鈴をならしながらずいっと近づいてくる。
それはどんどんと距離をつめ酒の匂いと鼻の息が迫る距離まで近づける。
「いやそんなに近づかなくても」
「あ? 文句あるのかよ」
「文句っていうか……」
ミレ・クウガーはまるでキスをしそうな距離まで顔を近づける。
彼女の頬は酒の影響か赤く色付き、吐息からは酒の匂いと共に色気が醸し出される。
酒を飲んだ美人はこんなにも綺麗なのか、とユグドラシルは思った。
「くっくっく……主殿、もしかして照れてるのか?」
からかうように笑うミレ・クウガーはすこぶる楽しそうだ。
「て、照れてない!」
それは図星である。ミレ・クウガーという人造兵器は、ユグドラシルが出会った容姿の中でも最も美しい女性だった。
すらりと長い足、引き締まったヒップ、慎ましくも形のよい胸。
モデルのようなプロポーションをしたミレ・クウガーの良さをさらに引き出すのが、男っぽい口調と動作だ。
「ったく可愛げのねえ主殿だよ。こんな美人が近くにいるってのによぉ。くっくっく」
あぐらをかきながら屈託なく笑う姿すら、いや姿だからこそ魅力に見えた。
「お前は――そんな風に笑うんだな」
「あ? そりゃ笑うさ。楽しけりゃ笑う。特にからかい甲斐のあるやつと話してるときはな」
アキが本当に言いたかったことは、そういうことではなかった。
主人公から見たミレ・クウガーは、もっと残忍なキャラクターだった。
いつも影で暗躍し、主人公たちをバカにするように立ち向かう美女。
それをみて、ユグドラシルはなおさら思った。
「映画とか漫画とか……ラノベ小説に文学雑誌。アニメってあるじゃん? 主人公が登場して、悪者が襲ってきてピンチになる。二人は愛でそれを乗り切り最後はハッピーエンド。なんて素敵でありふれた物語」
「映画……? アニメ?」
「ようは物語だよ。喜劇でも悲劇でもいいけど物語。人間が非日常を楽しむために作ったフィクション」
「ガルディア国にある英雄物語みたいなやつか? 紙と文字でまとめられた書物?」
「そうそう。そんな物語。主人公がいてヒロインがいて敵がいる簡単な物語」
呟くように。
「『召喚術師と世界の果て』っていう物語にも、敵がいたんだ。残忍で人間をゴミとも思わない敵の女幹部。数百体におよぶ化け物。世界征服を目論むラスボス。そして――心優しい主人公たち」
『召喚術師と世界の果て』
それは作られた物語。残酷な世界を目的として、意味のない編集のアドバイスによって変えられた物語。
「主人公はね、命をかけて必死に戦うんだ。守るものがあるから。守りたいものがあるから。どんなに強い敵に出会っても、悲しい別れがあっても。立ち上がるからカッコいいんだ。そして倒す。そんな物語」
ミレを一瞥することなく、続ける。
「主人公は正しくて、悪者は悪い。当然のことなんだ。けど……
後悔するように、吐き捨てるように。
「それを……俺は知らなかった。ただ敵としてそこに登場させた。読者に敵意が伝わるよう残忍に、怒りを表すよう残酷に。誰かに読まれるために……。馬鹿だよなぁ俺は。何も分かっちゃいなかった」
どんな人間、生物にも生きた証というものが存在する。
消防士として子供を救い死んだ父親も。
それを誇りと思わず泣いてしまう母親も。
安心させたくて、夢を語った子供も。
いろんな人がいる。自分の世界が自分だけのものじゃないんだと、ようやくわかった。
それは物語のなかでもそうだ。ただ主人公にやられるためだけの存在として生まれてきたキャラクターにも、人生がある。
「確かに――俺の物語は薄っぺらかったなぁ」
悪役は死ぬ運命にある。けれど目の前にいる彼らは、それすら知らない。
舞台装置として作られた存在ということすら認識できていないのだ。
「君たちが死ぬのは……全部全部全部、俺の責任だ。でも……仕方なかったんだ……ダークファンタジーにしたかったんだ……残酷な世界で戦う主人公、怒りに我を忘れて前に進めないヒロイン。読者の感情を引き起こすのに――死というのは簡単だったんだ」
まるで懺悔のように、ユグドラシルは天に向かってつぶやく。
「俺はどうすればいい? どうすれば償える?」
「よくわかんねぇけどよぉ、主殿のやりたいようにやればいいんじゃねぇの?」
「俺のやりたいように……?」
「ホント、あんたらしくないぜ主殿。やりたいようにやればいいだろう。それがあんただ。ウダウダ人間のように悩みやがって。好きにしろよ」
やりたいこと――と言われユグドラシルは考える。
「やりたいように――か」
ミレはただじっとユグドラシルを見つめた。
そのとき声がかかる。
「ミレ様、ちょっとお時間いただけますか」
現れたのはさきほど身支度を手伝った白髭をたくわえた老人の小人だ。
「ん。すまない主殿。少し外す」
「いいよいいよ」
「私にゃ何に悩んでるのかよくわかんねぇけどさぁ……」
ミレが立ち上がりながら、言葉を続ける。
「苦しいなら、それに笑いながら立ち向かえ。あんたはそういうやつだ」
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