第一章 二話『畏怖』


始めようぜ・・・・・、戦争を」


 千切り姫――ミレ・クウガ―は不敵に笑った。それは美しい姫君のようにでもあり、策略を練る謀略家でもあり、どちらも悪役として美しく君臨していた。


「お前……なにを言って――」

「どっか頭でもぶったなこりゃ。まぁいい、そばから離れんなよ――こっからが楽しいところだからよ」


 『離れんなよ』と言ったはずのミレはユグドラシルを軽く手で突き放す。

 雪に足を取られ体勢を崩しよろける主人をさらに足蹴りにし、ミレは夜空を見上げた。


「スゥ――」

 赤味を帯びた眼光で空を仰ぎ――冷え切った空気を胸いっぱいに吸い込む。

 胸部が膨らみ切るぎりぎりまで息を溜め込み、


「ぁぁぁ――」

 

 口をさらに大きく開け――


「――ぁぁぁあああああ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”」


 ――叫ぶ。 

 空漂う天空城に届くほど叫。

 恐ろしいほどの絶唱がかき消されることなく雪の大地に響き渡る。

 大気がビリビリと鳴り――

 その瞬間――夜空から『月影・・』が落ちてくる。


「これは――」


 これは合図だ。

  

 地響きを立て――それはミレの前に落ちてきた。

 アキが想像を重ねて描いた魔獣。黒い塊。

 雪原で降り立ったのは数十メートルはある巨大な影の『毛象マンモス』だった。

 黒煙を纏い致死の匂いを醸す四足歩行。まるで固まった石油のような質感の肌からは体からは黒い血が溢れている。

 唯一きれいに並んだ歯々の白色が不気味さを掻き立て、八つある眼は仰々しく開きミレの指示を待っている。

 血とガソリンが漂う巨大な黒のマンモスが、ミレの指示をいまかいまかと待ちわびている。


「ふぅ。ハローハロー。みんな起きて。仕方ねぇ仕方ねぇお仕事の時間だ。朝食は食べた? 音楽の準備はOK?」


 アキはまともに声を上げることもできず、ただただ目の前の魔獣を見上げるだけだった。

皮膚から溢れるガソリンが発火し全身が燃え盛る。血の匂いと焼け焦げた匂いが漂う。

 そして月影はひとつどころではない――何十、いや何百とも数えられるだけの影が天から降り立っている。


「くっくっく……こっちの準備は万全。今なら何人でも殺せそうだ。あちらさんはまだかな――っと、おやおや。お見えだ」


 ミレは視線の先、雪原の向こうを見ながらそういった。

 そこには――小さな点・・・・が見えた。


「嘘だろ……?」


 点は少しずつ大きくなり――そしてどんどん増えていく。

 増え続けたソレはミレとユグドラシルの視線にくっきりと現れる。

 小さな黒い影がゆっくりと人型に変わっていく。

 雪原に広がり続ける黒い粒たちは徐々に姿を現し――影は増して大きくなっていく。

 ゆっくりと近づく黒い粒は確かに人間だった。おおよそ視界いっぱいにひろがある粒たちは何百では到底きかないだろう。

 二万人。それがどれほどの数字か理解は出来なかったが自分の住んでいた小さな市の全人口が目の前にいる。

 そしてそれ以上に――アキの背中をより凍らせるに役立つものを、彼は聞いた。

 ――それは声。雄叫びと呼ばれる、命の咆哮。


「「「があああああああああぁぁぁ!!」」」


 彼らは吠えるように叫んでいた。

 おおよそ視界にいる全ての人間たちによる咆哮。空気の振動が耳と肌に届き※※の足を震わせる。

 全軍勢は渾身の力で雪を蹴りぬき我先にと駆け走っている。


「おい見ろよ。ガルディアだ。兵は――おおよそ二万くらいか? なかなかやる気じゃねぇの」


 くっくっく――とミレは八重歯を見せながら笑う。

 笑うミレをよそに雄叫びはどんどん迫り来る。声に加え、鎧の金属音が派手に響く。

 視界に映る人間の勢いに、いや全てを理解することができずただ立ち尽くす。



「本当に戦争が……」


 怒り叫びながら迫る兵士。

 並び待つマンモスの怪物。

 ここにいる――作者だけが浮いていた。

 

「……ここにゃ『人間の魔女』がいるからよ。くっくっく。こっちが取れりゃガルディアの屑共に一歩リードだ。おい、金玉引っ込む前にさっさと戻れ主殿。かすり傷でもしたらブッ殺すぞ」

「ど、どうしてだ……なんでこんなことに」

「はぁ?」


 困り果てたかのように、ミレは反射的にイラつきが含まる声を出す。


「どうしてって――てめぇが言ったんだろうが」

「……俺が?」

「てめぇが言ったんだ、『人間を殺し尽くせ』ってな。だから私達はここにいる。てめぇの願いのためにな」


 ミレ・クウガーは、世界に迷い込んだ日本人をまっすぐ見ていた。己が信じる神として。


「こ……こんなの……俺が望んだわけじゃ――」


 望んだわけじゃない――そう言おうとしてとどまった。 

 違う。これはアキが、ユグドラシルが望んだものだ。



 

 ――けれどそれは、とても幼稚で安易な発想。


『そうだ! 物語は戦争から始めよう。そうすれば緊迫感が生まれる!』

『人間は副官ミレの解き放った化け物に蹂躙されよう!』

『うーんどうせなら死んでいくキャラに意味を持たせようか。ここで死んだモブキャラが実は主人公のお父さんだったりして!』


 人目につきたい、インパクトを持たせたい。

 そんな子供じみた思考のもと、作られた物語の始まり。盛り上げるために用意された世界観。

 ありがちな死の描写。

 悪役を際立たせるためだけの舞台装置。

 彼らの死を望み、悲しみを望んだ張本人。


「違う……俺の、俺のせいだ……全部……全部……っ!」


 迫りくる偽物たちを目の前にして、ユグドラシルは自身の愚かさをようやく理解した。この世界がたとえ作られたものとしても、今ここにある世界が偽物とは限らない。


「みんな……みんな殺されるっ! ミ、ミレ!やめてくれ! 俺が悪かった!」


 凛と立ち、人間を睨むミレ・クウガーに、ユグドラシルは懇願するため近づく。冷えてうまく動かぬ足を言おうなく動かすものだから真っすぐ歩くことなく雪の中に倒れる。

 それでも前へ、這いずりながら深い雪をかき分ける。

 黒のヒールを履いた長い足にたどり着き――やめてくれと願う。

 しかし、ミレには届かない。

 まるで見下すように言う。


「頭イカれてんのか。あいつら殺さなきゃアンタが殺されんだよ。それにこっちも大勢やられてる。ここで手打ちなんざ反吐が出るね。これはあいつら人間を殺す戦いであり、私達魔族を守る戦いでもあるんだよ」

「ミ、ミレ! 頼む!」

「ヤだね」


 ミレはくるりと後ろを向き、並び待つ巨象たちへ言葉を贈る。


「さぁ。殺そう。一人残らず殺し切ってしまおう。んであぶって千切ちぎって遊ぼ。頭蓋ずがいはペシャンコ背骨せぼねはおしゃか♪」


 リズミカルにミレは笑う。


「私は千切り姫ミレ・クウガー。この戦地をあなた方に差し上げましょう。私のお友達さん。可愛い可愛い黒燃毛象チェルゼノームたちよ。溢れかえるほど腐り濁る人間を、爽やか死体にして家族へ返してあげちゃおう」



 天空城から聞こえる鐘とミレの声を合図に、黒燃毛象チェルゼノーム達は二万の軍へ向かって走り出す。

 数百頭からなる地響きがアキの体に駆け巡る。

 巨体を機敏に動かしながらまるで和紙のように人間を破り、食いちぎっていく。

 巨大なマンモスが敵陣に跳び進めるだけで――数人の敵兵を踏み潰す。

 鉄骨のように長く太い鼻を乱雑に薙ぎ払うだけで――敵兵は脆く破裂する。

 草食獣のような歯を立てるだけで――敵兵は食いつぶされる。  

 残虐。悲惨。そんな言葉で表すことすらおこがましい。


「こ、こんなものを……俺は……」


 目の前に広がるのは、到底受け入れられない世界だった。

 万の兵を数百体の魔獣が食い散らかす姿。


「俺はなんてことを――」


 血の匂いに追われ、※※は戦場へと歩み近づく。

 溢れかえる死体。

 むせ返る血の色。

 延々と続く悲鳴。

 虐殺が繰り返される赤い海で一人の兵士を見つけた。

 ガルディア国の制服は血にまみれ、右手と右足がなく、目玉も潰れている。

 兵士はまるで生体反応のように「あっ――あっ――」と声をこぼす。

 

「おい! 大丈夫か!」


 慌てて血まみれの体を起こし兵士を抱きかかえる。


「暗い――なにも見えない――」 

「今助けるから……」


 男はアキの声に反応すると、ズボンのポケットから小さな懐中時計を差し出した。


「もう――俺は助からない、感覚が――ないんだ」

「諦めるな! 大丈夫だから!」

「誰か……誰か知らないが……これを……これを子供に――」


 潰れた顔と力ない血まみれの左腕で、兵士は差し出す。


「ダメだ! 死ぬな! 頼む頼むよ――」

「――危険だぜ、主殿」


 その瞬間――ミレの大太刀が男の額に刺さった。

 血がぬるりと溢れれ、男が電気を浴びた実験用のラットのように痙攣する。


「人間は危険だ。自爆や騙し打ち、なんでもありだ。いい加減、城に戻れよ主殿あるじどの。アンタのそばには絶えず私がいるが――それでも万が一がある。親玉は引っ込んでな」


 ミレは男から剣を抜き、血を払う。


「お前……なんてことを……」

「? なんてことを? ――おいおいマジでどうしちまったんだよ」

「なにを言って――」


 ――あぁ違う。


「おかしいのは――俺か」


 アキ改め、魔神ユグドラシルの意識はそこで一度途絶えた。





ーーーーーーーーーーーー


『国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた』

 誰しも、聞いたことがあるのではないだろうか。これは、川端康成の長編小説雪国の書き出しである。 日本人なら一度は耳にし、想像したことがある一文。脳みそを掻き立て、新たな世界へ踏み出す心を映し描く美しき文。

 

 誰かが言った。

「小説は一行目」

「漫画は見開き」が一番読まれると。

 人が物語を作る際、とにかく大切にされるのが一話目のインパクトである。それは物語の頭であり目玉で、小説であれば最初の一行が、漫画であればカラーの見開きが今後の物語を決めると言っていい。

 だから自作の小説『召喚術師と世界の果て』において工夫した。

 誰かの記憶に残るように。誰かの気持ちに触れるように。


 

『物語の一話目は、戦争から始めよう』と。


 

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