第一章 一話 『残酷な世界へようこそ』

 

誰かが言った。


「漫画は一ページ目だ」 

「映画は開始十秒で客の心を掴め」

「小説は最初の一文で読者は離れる」


 人が物語を作る際、とにかく大切にされるのが一話目のインパクトである。それは物語の頭であり目玉で、小説であれば最初の一行が、漫画であればカラーの見開きが今後の物語を決めると言っていい。

 だから、ペンネーム『アキ』は工夫した。

 誰の目にも留まるような見開きを。

 少しでも誰かの心を動かせるような冒頭を。

「物語の一話目は、戦争から始めよう」と。

 けれど――。





 

 ひんやり――とした感覚が頬にあった。


「んん……冷たい……」


 頬に当たる何かひんやりとした感覚によって、アキは目を覚ます。意識がはっきりする中で、それはほっぺだけでなく、体全身に感じた。

 

「くそっさっきのはなんなんだ……身体中が痛てぇ――くない?」


 ――痛くない?

 

 あれほどあった頭痛や全身の痛みがまるでなかったかのように、なかったことにされた・・・・・・・・・・ように消えていた。

 


「なにがあったん――」

  ゆっくりと立ち上がろうとした時だ。

  アキは自分が雪に埋もれながら立っていることに――いまこの瞬間気付く。


「雪……?」


 雪の冷たさが膝の高さまで感じられ、かなり積もっていることが分かる。

 慣れない雪にヨタヨタとしながら腰に力を入れた。

 


「さっきまで部屋にいたはずなのに――」


 代わりにあるのは、見覚えのない世界。

 慌てて周りを見渡す。

 それは、風切り音が耳にゆっくりと届くほど、静かな夜だった。夜空に浮かぶ月と満点の星が、まるで見下ろすようにアキを見ていた。


「夢にしては妙に――」


 初めて見た景色にアキは|既視感・・・を覚える。


「……? なんで俺は既視感を覚え――さ、寒い!」


 かじかんだ手を息で暖めようとしたその時、その目はあることに気付く。

 

「何か光ってる?」


 左手の平に小さな何かが入っていた。


「石の破片?」


 それは長さが小指の半分もない――小さな淡い紫の欠片だった。

 アメジストのような結晶体は弱々しい光を発している。


「えっ――」

 

 その時、アキは目を見開いた。

 驚愕のあまり固まり、視界に飛び込んできたものを凝視する。

 ――それはアキ自身の両手両指。

 スラリとした指。尖った爪。白い肌。

  

「俺の……俺の手じゃない――!」


 間違いであってくれと願いながら、探すように右手で顔を確かめる。

 高い鼻。こけた頬。薄い唇。

  

「――俺は誰だ」


 全てが違った。

 目に映る自らの手も、吐き出す声も、歩みが止まった体の重みも、この景色に埋もれる自身の姿すべてが違う。

 

 

 その時、答えが現れる。


「おい主殿あるじどの。あんたさっきなんて言ったよ?」

「えっ?」


 声が聞こえた。

 肌は透き通るように白く。

 瞳は燃えるように赤く。

 髪は見とれるほど美しい。

 羽織るは黒と赤のドレス。

  


「そんな――」


 アキは自分の眼を疑った。


千切ちぎり姫ミレ・クウガー?」


 それはまるで当然のように。またはまるで必然のように。

 物語の大悪役――千切り姫ミレ・クウガーは舞い降りた。


「あ”ぁ”?」


 ミレ・クウガ―は気に入らないものを見るかのように右眉だけをあげた。

 

「なに当たり前のこと聞いてんだ?」


 不可解なものを不可思議に見つめる彼女をよそに、アキは与えられた情報を処理しきれない。


 「どうなってる! どういうことだよ! なんでお前が……!?」


 男勝りの口調。

 気品溢れる黒く長いドレスに身を包み、首にはミンクのような毛皮のマフラーを巻いている。ポニーテールのようにまとめた紅蓮の後ろ髪は腰ほどあり、雪風に吹かれまばゆく靡く。

 赤黒く輝く大きな眼光。悪意に満ちた不敵な笑み。

 腰には黒の大太刀。細く長いきれいな左薬指にはエンゲージリング。

 鈍く赤い光沢をもったハイヒールはなぜか雪に刺さらず、月に照らされた横顔は見惚れてしまうほど美しい。

 奇抜さと美しさを兼ね備えたミレ・クウガーは、じっと※※の顔を見つめ続けている。 



「お前は俺の――想像上のキャラクター……だろ?」


 この女を※※は知っている。

 いや、知っているという表現は正しくない。

 なぜなら彼女は、自身が書いた物語に出てくるラスボスの副官、千切り姫ミレ・クウガーなのだから。


「なんでどうして……?」 

「あ”~? 急にどうしたよ。寒空雪の中で寝ころびやがって。酔ってんのか? それとも寒さでおかしくなったか?」 


 くっくっくと笑いながら近づいてくる。 


「ミレ……。魔神ユグドラシルの右腕……?」

「あ゛? そうだよそうだけど、ホント大丈夫かよ。らしくねぇぜ?」

主殿あるじどの? 俺が……?」

「あぁ? 他に誰がいんだよ。主殿は主殿だぜ?」


 一瞬不思議そうな顔をしたミレは、ユ※ドラ※ルの元へ静かに近づくと一気に胸倉をつかむ。

 そしてまるで無理やりキスを迫るかのように顔を近づけた。

 毛皮のマフラーがチクチク痛い。が、それに構うほどの余裕はない。


主殿あるじどのよぉ、ホントさっきからおかしいぜアンタ。寝ぼけるのも大概にしろよ。戦争が始まるんだ。ボスは後ろで隠れてろ」


 ユグド※シルの瞳に、ミレの妖艶な薄い唇と瞳がうつる。


 その時――違和感に気付く。

 先ほどの違和感が形となって意識に表れる。

 立ち上がり慌てて周囲へ視線を向ける。


「そんな――!」


 眼を大きく開く。


「雪の大地――」


 冷静に判断しようとし――それを脳が拒否する。


「圧し潰されるような暗い夜――」


 夜空を見上げる。


「月と星が覗き込む――」

 


 まるで昨日の晩御飯のように。思い出せそうで思い出せない、知っているようで知らない感覚。

 想像したくもない現実が広がっていく。 


「命を懸けた雄叫び――」


 脳内に悲惨な光景が映し出される。

 それは存在しない思い出・・・・・・・・


「凍り付く――血の匂い」


 見たこともない景色を、この世界を覚えている。 

 

「一章零話――魔女戦争……?」


 それはアキの頭の中にしか存在しない世界。

 自らが書いた物語の第零話においてプロローグとして描いた魔女争奪戦にて登場する雪原にそっくりであった。



 まるで当たり前のことを当たり前のように話す様子に、ミレはあきれた顔をする。


「はぁ?」

「せ、戦争? 戦争が始まるのか……?」

「ぶっ――はっはっはっは! 始まる? 始まるって言ったかこの御方は! 始まるってお前! なんだなんだイカれすぎたかよ!」

 

 ミレは遠く視線を投げかけながら、鼻で笑うように続ける。


「ピーピー喚いたかと思えば今度は妄言をおっしゃってるやがるなこのアホ主殿!」 

 

 はっはっは! と彼女の声だけが虚空に広がっていく。

 

「『始まる』? そいつぁ大いに間違ってるぜ」


 帯刀された大太刀を腰から抜き、ギラめく眼下で大いに笑う。


始めようぜ・・・・・、戦争を」

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