読みやすさの本質とは何か

 今回は前回の続きとも言える内容ですね。

 ですのでいきなり本題です。


 前回「改行も句読点も全くない文章なのに、なぜか読みやすかった作品」について触れたのですが、その「なぜ」の理由が、わかったような気がいたしまして。


 はい。一言で申しますと、「統一感」ですね。


 くだんの作品は、「改行も句読点も全くない文章」という書き方に統一されておりました。なので読み手である私の脳も「この作品はこういうものだ」という認識を受け入れるべく、あらかじめ理解の下地を作っていたのではないかなと。


 もしも逆に、中途半端に「一般的な小説のルールが守られていた箇所」があったならば、おそらくはとても読みづらいものに感じていたかと思われます。つまり、「我が道を突き進んだ」ことが、結果的に功を奏しておられたのでしょう。



 もちろん、これは「私だからそう感じた」というだけのことです。


 なかには、作品が絶対に〝小説の記法〟を遵守していなければ、読む以前に脳が拒否反応を示してしまうという方もおられるでしょう。そうした自分なりのルールに従うことも、私は大切だと思います。


 私にも、思わず拒否反応を示してしまう言葉などがたくさんありますからね。たとえば「ベッド」のことを「ベット」と書かれていると、鼻が詰まるので苦手です。


 なぜかわかりませんが、鼻が詰まってしまうんですよ。季節や体調を問わず、これを見た瞬間に鼻が詰まります。自分でこれを書いている〝今〟ですら、鼻が詰まってしまいました。とても不快です。


 むろん〝賭ける〟という意味で「ベット」と書かれている場合には、そんなことは起こりません。あくまでも〝寝台〟という意味で書かれている場合のみですね。なので、これが出てきてしまうと「――うわぁ!」と言いながら、その付近から数行を一気に読み飛ばしてしまうこともあります。



 ですので、「こういう書き方をされると読めない」という方の気持ちは、とてもよくわかります。たとえ私が「ベッドをベットと書かれると、鼻が詰まるので読めません」と言っても、おそらくは意味がわからないでしょう。「ふざけている」のだと思われかねません。しかしネタでもなんでもなく、これが〝私の事実〟なんですよね。


 はい、また鼻が詰まりました。ツライです。

 こうした「他人にはわかりえないツラさ」が、とてもよくわかります。


 だからこそ自身が執筆を行なう際には、なるべく癖のない、美しい文章を心がける必要があるなと。――改めて、そう感じた次第です。



 今回は短いお話でしたね。

 ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る