第2話

 始まりは突然だった。きっかけは妹が生まれたことだった。だから、きっと誰もが期待していた。僕が「いいお兄ちゃん」となることを。


 妹ができたのは、十一歳の時だった。年の離れた妹の誕生に、僕ははやる気持ちを抑えきれなかった。絶対可愛がってやるんだ、優しいお兄ちゃんになるんだという思いでいっぱいだった。

 だけど、親の望む「いいお兄ちゃん」は少し違うみたいだった。



 彼女を見つけたのは、高校の入学式だった。まるで静寂な森の露のような透き通った声。ひとつひとつに柔らかさと聡明さを感じる所作。吸い込まれそうな栗色の瞳。クラスには美人と言われる子もいたけれど、僕には彼女が誰よりも煌めいて見えた。生まれて初めての一目惚れをしてしまったのだ。


 二年生で彼女と同じクラスになれた。彼女は勉強も運動もよくできた。休み時間に友達と談笑する姿も、僕を飽きさせなかった。でも、彼女は時々悲しそうな目をした。その正体が何なのか、僕にはわからなかった。


 あの日も、そうだった。気晴らしに屋上に出た僕の前にあったのは、柵に両手を置き、ぼんやりと景色を眺める彼女の背中だった。まさか、と最悪の考えが頭をよぎる。気がつくと、「小宮こみやさんっ」と叫んでいた。その時振り向いた彼女の顔は、今も忘れられない。普段の温和な笑みとは違って、口元は笑っているのに、目は悲しいような、辛いような、そんな顔をしていた。けれどもそれも一瞬で、彼女はいつもの笑みを浮かべた。

「真田…くん?」


 その瞬間、咄嗟に出てしまった二文字を、僕は後悔した。衝動的、という言葉がしっくりくると思う。頭で考える前に、心が彼女を欲していた。


「え…と……」

 彼女の目には動揺の色が浮かんでいた。そりゃそうだ。ほとんど話したことない奴に告白されたら、誰だって戸惑うだろう。

「返事は、いつでもいいからっ…」

 変な空気に耐えられなくなり僕は逃げるように去った。しかも、好きの二文字はすらすらと言えたくせに、今さっきは声が裏返ってしまった。恥ずかしい。かっこ悪い。そんな気持ちが拭い切れず、その日は彼女の姿をまともに見れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る