14. 小菜

 ある日、中柿おじさんをすらりとした都会風の女の子が訪ねてきた。


「ただいま、お父さん」

 とその子が言った。


 おじさんには娘がひとりいることは聞かされていたけれど、このきれいすぎる女の子が娘だと知った時、竹香はびっくり仰天して、しばらくぽかんと口をあけていた。ありえない。


「私、小菜ナナよ」

「わたしはチーチーです。よろしくお願いします」

「こちらこそ」


「そんなに似てないかい」

 とおじさんが言った。

「いや、そう、いや、あのう」

 全然似ていないのだけれど、正直に話すとおじさんを気がつけることになることが気がかりで、竹香はどもってしまった。


「似てるわけがないんだ。気を遣わなくていい」

 とおじさんが笑った。

 娘といっても実の子ではなくて、道端に捨てられていたところをおじさんが拾って育てたのだという。

「私のたったひとりの大事なお父さんよ」

 と小菜ナナがおじさんに抱きついた。「お父さん、大好き」


「私、宮廷で働いているのよ」

「すごいですね」

「ちっともすごくない。官女といっても、食道の台所で、配膳係として働いているのだけ」


 皇子の妃だと聞いても驚かないほどきれいな小菜が、配膳係としてで働いていると知って、竹香はうれしくなった。なんだか、可能性が広がったように思った。


「それ、後宮というところにあるのですか」

「いいえ。後宮まで、食事を運んでいくのが仕事。でも、中にはいったことはないの。あそこに、はいりたいのだけれど」


 配膳係の給料は安いけれど寝るところや制服が与えられ、食事は3食つき、たまに風呂にもはいれて、2ヵ月に1度は休みがもらえる。だから、休みの日には父親にお小遣いを渡しにくるのである。

「それに、いつかは皇帝お食事を運ぶ機会があるかもしれないし」

 と小菜はうれしそうな顔をした。


「宮廷に、わたしの仕事の口はないでしょうか」

「どんな仕事を探しているの?」

「どんな仕事でも」

「何ができるの?」

「わたし、庭のお掃除、洗濯、お風呂沸かしとか、得意です」

「ああ、洗濯の仕事なら、あるはず。この間、友達が人が足りないとこぼしていたから、すぐに採用してもらえるけど。やってみる?」

「はい、やりたいです。お願いします」


 というわけで、竹香は洗濯部に雇われることになった。

 宮廷では、制服も寝るところも与えられ、食事もつき、「おいしい、おいしい」とパクパク食べたので、洗濯部の仲間が驚いた。

「あんた、これまで、何を食べてきたの?」


 竹香は味というより、小菜という友達ができ、みんなで食べるのが楽しくてならないのだった。また相部屋でしゃべったり寝たりするのも、うれしくてならないのだ。


 小菜はもうここに3年もいるから、宮中のいろんなことを知っている。彼女は何よりも歌うのが好きで、高く美しい声が出る。でも、相部屋では大声で歌うわけにはいかないから、小菜は夜になるとそっと抜け出して、ある秘密の場所に行って歌うのだという。

  

「わたしも山にいた頃は、林の奥に秘密の場所をもっていて、そこでひとりで踊っていたのよ」

「そうなの、同じね」


「私の秘密の場所に行ってみる?」

「いいの?よかったら、行きたいです」


「もちろん。そこはね」

 ナナは得意そうに笑った。

「チーチーが見たら、ぜったいに驚くから」

 

 後宮のすぐ外に石壁に囲まれた「芍薬麗園シャクヤクレイエン」という美しい庭がある。

 春には桃や梅、夏にはシャクナゲ、秋には紅葉と一年中彩かな庭なのだが、訪れるのは鳥だけである。庭師がふたり、午前中にやってくるだけで、午後からは来ない。

 所有者は遠音皇子トドロキノミコだが、彼が庭を訪れるのは1年に1度か2度、やってくることがあるかないか。そこさえ気をつけていれば、この庭は小菜の自由なのである。


 小菜が芍薬麗園を案内した日、竹香はその見事さに声が出なかった。

 天国でも、こんなに美しいはないだろうと思った。


「こんなにすばらしい庭なのに、どうして誰も来ないの?」

「これよ」

 小菜が白目をむいて亡霊のジェスチャーをした。


「おばけ?」

「そうなの。チーチーはそういうの、こわい?」

「こわくない。生きている人のほうがこわい」

 

 今から15年以上も前、麗妃レイヒという妃がいて、皇帝から特別に愛されていたが、後宮の女たちのすさまじい嫉妬しっと翻弄ほんろうされて、麗妃はこの庭にある池に身を投げて死んだのだ。

 

 死んでから麗妃は亡霊になり、後宮の者に次々と復讐をするので、女官たちが恐れて、中には精神がおかしくなる者もいた。


 その他にも国のあちこちで災難が続き、万策尽きた皇帝が、最後の頼みとして考えついたのが、仙師に協力を頼むことだった。皇帝からの求めに応じて、8人の仙師たちが山を下りてきて、悪霊を払い、1年余りかかって、国の事態を正常化させたことがあった。

 仙師は芍薬麗園に仙術を施した後、後宮とこの庭の間に石壁を作り、後宮からは出入りができないようすることを提案した。その助言に従って、壁を作って以後、後宮に亡霊は出ていない。


「その仙師の名前とか、わかりますか?」

「それは、知らないわ」

 竹香はもしかしたら、その仙師のひとりというのが、父親ではなかったのかと思った。


 芍薬麗園は息子の遠音皇子のものになり、麗妃の霊が怒り狂わないように美しく保たれているのだが、彼自身さえ、訪れることはまれなのだ。

 

 小菜は亡霊なんて信じないし、亡霊がいたとしても歌がお好きらしく、一度も邪魔をされたことがないのだという。


「亡霊さまは踊りも好きかもしれないわよ。私が歌うから、チーチーは踊るというのはどう?」

「わたし、やりたい。亡くなった妃さまのためにも、踊りたい」

 竹香は踊りたくて、うずうずしていたのだった。

 

 この国の光楽皇帝は、まだ後継者を決めてはいない。

 皇太子候補としては3人の名前が挙げられている。亡くなった麗妃の忘れ形見の遠音エンネ、第二妃の長男豪裕ゴウユウ、今の皇后のひとり息子侶長ロチョウの皇子である。


 この3人の中で一番年長は25歳の遠音皇子、一番優秀だと言われているのが第二妃の豪裕皇子、一番年少だが現皇后が推しているので侶長皇子である。


 ただ皇帝は麗妃の遺児である遠音皇子には特に目をかけているが、なかなか皇太子に指名できないでいた。


 光楽皇帝は遠音王子が町の女と遊んでいるという噂を聞いていた。それは皇子が魅力的で若いせいだから、問題はないだろう。母親を早くに亡くした寂しいに違いない。まあ、そのうちに落ち着くだろうと願っていた。

 

 今夜も、白や薄い赤、濃い赤の芍薬が美しく咲いている芍薬麗園で竹香と小菜が灯をつけて、楽しそうに笑っている。

 その日は美しい月夜で、ナナが歌い、竹香が踊った。

「楽しい?」

「さいこうーにたのしい」

 と竹香が大きく笑った。


「ナナ、友達になってくれてありがとう。わたしのはじめての友達」

「友達じゃないよ」

「じゃ、なに」


「私達は親友でしょ」

「わたしと、親友になってくれるの」

「私もチーチーが親友になってくれたら、うれしい」

「初めての親友。うれしいな」

 

 小菜の願いは後宮にはいることである。そして、そこで皇帝に見初められて、妃になることだという。

「後宮にはいって見初められたら、一生そこから出てこられないのよ。いいの?」

「いいの。それが、望みなのよ」

 

 小菜は皇帝の側室か、妃か、できたら皇后になって、息子を産む。息子が次の皇帝になれば、自分は国母として尊敬されるだろう。そんなこと夢みている。


「皇帝は中柿おじさんより年が上だし、ナナは申し込まれたら、会ったことがない人とでも結婚できるの?好きでなくても、いいの?」

「関係ない。選ばれたら、好きになると思うから」

「へー、そんなもの?」


「チーチーはどんな人と結婚したいの?」

「やっぱり好きな人。でも、好きな人は一生できないと思うから、ずっと働いて、ひとりで生きていく」

「ずうっと洗濯部で働くつもり?手が荒れるよ」

「そうなのよね。洗濯は嫌いではないけど、手がぼろぼろになる。だから、お金を貯めて、何か商売を考えようと思うの」


「どうして好きな人ができないと思うの?」

「本当は、前に思う人がいてね、向こうもそうかなと思ってしまったんだけど、それが違っちゃって。わたしは、もう男は誰も信用しないと決めているの。中柿おじさん以外はね」


 そんな話をした数日後、後宮から使いがやってきた。

 芍薬園でふたりの姿を見た者がいたようで、後宮で、踊りと歌を披露せよというのだった。


 ふたりの様子を見たのは、久しぶりに庭を訪れた遠音皇子だった。亡母の庭で歌ったり、踊ったりするのを見て不愉快に思ったものの、これがなかなかおもしろい。最近は皇帝が退屈なさっている様子なので、この娘たちを招いて、少し喜ばせてあげてはいかがなものかと思ったのだった。


「ついにきました」

 小菜はついにチャンスが訪れたと飛び上がって喜んだ。竹香は自由でいたいから、後宮にははいりたくはない。でも、相手が皇帝なので、無下に断ると首が飛ぶかもしれないから、どうしようかと頭をひねった。


 竹香はわざと階段から飛び降りて怪我をし、宮廷医院に運ばれた。医師がこの足では踊れないと一筆を書いてくれたので、後宮には行かずに済んだ。

 一方、小菜は歌が認められて、後宮に女官としてはいることになった。



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