12. 旅立ち

 竹香が人間界に戻るための許可は、わずか2週間ほどで下りた。予想外の早さである。

 

先日のパレード事件のことについては、ふたりの大宗主たちは実にゆゆしきことだと認識し、立腹していた。次代のエースと期待されている冬氷と永剣が、ともにパレードに単独参加しながら、大勢の前で、半人間の子を空に招いて、大々的に舞ってみせたのだ。

 

 パレードは前例がないほど盛り上がったけれど、あの行為は決して褒められることではない。

 しかし、ここで騒ぎたてるのは逆効果。竹香はハーフでも雨集宗家宗主の娘だし、宗主の義父は前総督である。ここで口を開けば、かえって世間の噂の炎に油を注ぐことになる。だから、無反応を続けていた。

 それが、宗主自身から娘の仙界退身願いの話が持ち込まれたのだから、渡りに船、これは得策だと考えたのだ。1日も早く、そっと出ていってもらおうではないか。



 許可が問題なく出たと聞いた時、竹香はうれしいはずなのに、悲しい気持ちが先にきた。

 条件はただひとつ。仙界のことについては、何ひとつ語ってはならないこと。

「わかりました。何も話しません」


 竹香はやはり自分はこの世界には受け入れてもらえていなかったと思い知らされた。でも、これは自分が望んだこと。仕方がない。


「最後にもう一度、聞く。チーチーは本当にこれでいいのか」

「はい。これでよいです」

 竹香が頷きながら、もう戻れないのだと思った。ここには、戻りたくはない。でも、なぜなのだろう、涙が出そうになる。そのことを父に知られないように、笑顔を作ってみる。うまくはいかなかったけれど。


「そうか。じゃ、明日の朝、霧が消えないうちに、父が人里まで送っていこう」

「いいえ、大丈夫。ひとりで行けます」


「チーチーの足だと3日はかかるだろう。途中には見張りもいて、ややこしいから、一緒に行こう」

「はい」

「竹香とも、これが最後の飛行だな」


「でも、お父さんは仙師だから、いつまでも、生きられるのですよね」

「いや。仙師は不老不死だと言われているが、それは人間と比べたらの話で、われわれもやがては死ぬ。ただ、病気にならず、重い怪我をしなかったら、人間の3倍4倍は生きられるだろう」

「病気になったり、怪我をしたら、だめなのですね」

「でも、仙術で治せる場合がある。仙師と人間との一番の違いは、人間は人に看取られて死に、人によって葬られる。しかし、仙師は死を察したら、ひっそりとひとりで姿を消す。死ぬところは、誰にも見せないのだ。それが、仙師の正しい死に方だ。人間は無駄に死ぬことを犬死イヌジニというが、仙師はそれを人死ヒトジニというのだ。仙師は、誰も人死はしたくない。名誉ある仙師として消え、次の世に、生まれ変わりたい」


「どうやって姿を消して、生まれ変わるの?」

「仙師としての規律があり、我々にはさいごに行くべき場所があるのだ」

「その場所はどこですか」

「仙師でなければ、知ることができない。遠いところにある秘密の場所だ」

「そこに行くと、どうなるのですか」

「次の世界へ行くと教えられているが、誰も戻ってきた者はいないので、その先は、その時にならなればわからない」



 その最後の日、父親と娘はともに飛び、人里の近いところで地上に下りた。

「父の娘でいてくれて、ありがとう」

 と父が抱きしめて泣いた。竹香は父が泣いたのを初めて見て、自分は本当に親不孝な娘なのだと思った。ごめんなさい。


「お父さんの娘でよかったです。ありがとうございます」

「チーチー、幸せになるんだよ」

「わたし、人間界に行って、幸せになります」

「そうだよ、幸せになるんだよ」


 父は娘に生活資金にするようにと言ってお金をわたし、竹香は義母に感謝の気持ちを書いた手紙と、貴星には珊瑚の髪飾りをわたしてくれるように頼んだ。


「いいのかい、こんな大事なもの」

 父が珊瑚の髪飾りを見て驚いていた。

「はい」

 と竹香が笑顔で頷いた。


「だって、わたしのたったひとりのお姉さんだもの」

「伝えておくよ。喜ぶだろう」

  考えてみたら、貴星とはたくさん喧嘩もしたけれど、何でも言える姉だったと思う。それに、やることがストレートで、時々は思ってくれて、何かにつけておもしろい人だった。


「昨夜、お姉さんがわたしの部屋に来て、お母さんのことを教えてくれました。お母さんは病気だったからわたしを手放したけれど、今は治って、後宮にいるって言っていました」

「いや、後宮にはいないだろう。噂は無責任なものだから、信じてはいけない」

「じゃ、お母さんはどこですか」

「どこにいるのだろうか」

「貴星姉さんが言ったように、もし後宮にいるとしたら、国王の妃になっているかもしれないということですか」

「いいや。後宮には何千人という女官がいるのだよ。その中から皇帝に選ばれるのが、ひとりの皇后、2人か3人の妃、あとは側室。その他に、多くの女官がいる。父には桃風が後宮にいるとは、考えられない」

「わたし、後宮に行って、本当のことを調べてみます」

「いや、やめておきなさい。後宮に一度はいったら、二度と出てはこられないのだから」

「一生、死ぬまでそこで暮らすということですか」

「そうだ。後宮は避けたほうがいい。自由がなくなるぞ」

「はい。そうですね」


「竹香のことは、遠くの宗家に修行に行ったとでも伝えておこう。ほかに、何か言づけを残したい人はいないのかい」

「……いないです。それに、わたしのことなんか、すぐに忘れます。お父さん、もし、わたしがお母さんに会ったら、伝えてほしい言葉がありますか」

「桃風にかい」

 と父は言って、腕を組んで考えた。すまない、いや、ありがとうか。


「さて、何にしようか」

「お父さん、こんな時は、愛してるって言うのよ」

 父は娘の口から「愛」という言葉が飛び出たので、

「おお、なんだい急に」

 とえ落ち着きを失った。


「お父さん、驚いた?」

「驚いたよ。チーチーはそう言われたことがあるのかい」

「言われちゃった。愛してる、愛してるって」

 竹香はきゃきゃと笑いながら、ぴょんぴょん飛び跳ねた。


「うそよ。そんなこと、うそに決まっているでしょ」

 

 おもしろい子だ、と父は思った。小さな頃は、こんなふうによく笑うおもしろい子だった。それが、どんなにか押しつぶされていたのだろう。のっかっている重い蓋が取れたのか、もうこんなに活発になっている。


「そうだな。もし、いつか、どこかで母さんに会えた時には、愛していると伝えておくれ」

「はい、ちゃんと伝えます」

「チーチー、元気でな」

「はい。わたし、行きます」


 竹香は振り返らずに、人里のほうに向かって歩いた。

 自分が望んだことなのに、涙が流れた。

 この山にいたいわけではないのに、別れる時は、こんなに辛い感情になるのだと思った。

 仙界での15年、こんなはずではなかった。 どこかで、ものすごく大きな失敗をしてしまったという思いが強い。

 でも、もういい。

 過去は忘れる。

 今日から、人間界で、新しい自分になる。

 目の前のことを一生懸命にやっていれば、どうにかなるさ。


 でも、……、

 竹香の足がぴたっと止まった。

 大体のところでは、一生懸命やってきたと思うけど、でも、どうにもならなかった、そんな気がしてきた。


 竹香が鼻をすすった。その目に涙があふれて、満杯になった涙が、頬を伝って下に落ちた。

 わたしは悲しくない。がんばる。

 わたしは、問題に向かっていく自分が好きだ。



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