第14話 食客
飛び込んできた男は青い顔をしている。
息を切らし、焦りと恐怖が入り混じった表情だ。
メルロは早朝に眠りを妨げられたにもかかわらず、ムッとした様子もなく問い返す。
彼女にとって、こういう事態は日常茶飯事なのだろうか?
「どうした?」
と、メルロは冷静に尋ねた。
「調味料が盗まれました」
と、男は震える声で報告する。
「ふむ。で、もう捕まえたのか?」
と、メルロはまるで当たり前のことのように続ける。
「それが、届かぬと思った時には、既に証拠もなく…」
と、男は言い淀むように答えた。
その言葉に、オレの頭に浮かぶのはこの世界の「盗む」という行為に関する知識だ。
この世界でアイテムを盗む方法はいくつかある。
少なくとも、オレが知っている限り、主な手段は4つだ。
1つ目は、オレが得意とする<窃盗>スキルを使って、相手のアイテムボックスからそろっと盗む方法。
だが、このスキルは上げるのが非常に難しい上、訓練そのものが禁止されていることもあり、あまり一般的ではない。
国家や大規模な組織が<窃盗>スキルを養成しているという話は聞いたことがないが、もし存在すれば、それ自体が国際問題になるだろう。
2つ目は、アイテムボックス内の物ではなく外界にあるものを、自分のアイテムボックスに入れて盗む方法。これは比較的簡単に行えるが、相手が気づけば大事になる。
3つ目は、相手を殺して、その肉体が1時間後に消滅した後に残るアイテムボックスの中身を盗むという、もっとも血生臭い手段だ。
4つ目は、相手を脅して、アイテムボックスから商品を取り出させる方法。脅しがバレれば、これもリスクが高い。
そして今回、問題となっているのは「調味料」だ。
調味料というアイテムは、一般的にはそこまで高価ではない。
しかし、ウチの店でも扱っているような高級なスパイスや特定の希少品は別だ。
それらは時に金貨と同等の価値を持つ。
盗まれた調味料が何かにもよるが、この事態を考えると、今回のケースは2番目の手段を使ったのではないかというのがオレの予想だ。
「調味料か…」
オレは呟くように考えを巡らせる。
これがもし高価なものなら、犯人はしっかり準備をしていたに違いない。
「では、明日新たな調味料の手配を、護衛もつけてやってみろ」
「御意」
用事が済むと、オレの事は気にもせず男は出て行った。
男が出ていくと、部屋の中に微妙な静寂が戻った。
だけど、オレの頭の中はまだざわついていた。何かが引っかかる。
それは嫉妬の炎だ。
メルロが男をこんなふうに扱うことが日常茶飯事なのかと思うと、どうしても胸がザワつく。
「すまん。起こしてしまったか?」
メルロが優しく声をかけてくる。
まるで何事もなかったかのように。
「いえ、大丈夫です」
とオレはぎこちなく答えた。
だが、その表情は浮かばれない。
そして、メルロは少し微笑みながら、
「昨日は凄かったな」
と軽く言った。
まるで昨晩の出来事が、何気ない日常の一部であったかのように。
ふおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
ついにこの瞬間が来た!
37年の苦節を経て、オレの人生に新たなページが刻まれた!
もう、これ以上の瞬間はないってくらいの至福のひとときだ!
こんな言葉を自分が耳にする日が来るなんて、夢にも思わなかった。
いや、正直夢には見てたけど、まさかリアルでこんな日が来るとは…。
「オレ!いい仕事できたぞ!」
心の中で自分に感謝する。
ありがとう、オレ!
ずっと積み上げてきたエナジーが、今ここでついに解放されたんだ!
長年の努力、そして忍耐が報われる瞬間だ。
もう、何も怖くない。
オレの蓄積したエナジーに乾杯だ!
今、この瞬間だけは、過去の苦労も何もかもが報われた気がする。
まさに、人生の頂点に立った気分。
「経験浅き自分には、まだまだ修行せねばならぬ事も多く、そう言っていただけて大変嬉しく思います」
と、オレは一応謙虚な返事を返すが、内心では小さくガッツポーズを決めている。
だが、そんなオレの自己満足の時間は長く続かなかった。
「謙遜するな」
とメルロは軽く笑いながらも、
「ところで、お主、エルフではないな?」
と、突然核心を突いてきた。
「え?あ?」
と、オレは慌てた。
突然の鋭い指摘に、脳内はフル回転。
「エルフ族は基本的に淡白だ。お前が特別だとしても、昨日のそれは異常だ。エルフであるはずがない」
と、メルロは冷静に告げる。
オレのエナジー、暴走しすぎだ!
どうしてこんな展開になってしまったんだ。
天国から一気に崖っぷちだ。
身元がバレるなんて、冗談にもならない。
「えーと、私はエルフの中でも特別の中の更に特別なのです」
と、オレは必死に言い訳を紡ぎ出す。
これでごまかせればいいが…。
メルロは疑いの目を向けながらも、
「ふむ。私の身体は異種のオスのエネルギーを若干吸い取るようでな。エルフや人族では、翌朝にこうして会話できる者などほとんどいない」
と、さらなる疑念を口にする。
「だから、私は特別の中の更に特別なのです」
とオレは繰り返すが、内心では焦りに焦っていた。
「お主が何者かは、今は問わん」
と、メルロは思わせぶりに言い、オレに視線を投げかけた。
「どうだ?ウチの食客にならんか?食事も付くし、特別に小遣いもやろう」
食客?
リッチなお姉さんの食客?
それはまさに夢のヒモ生活。
メルロと一緒に暮らせるなんて最高だ。
だが…、その反面、どうしても何かが引っかかる。
美味しすぎる話には、裏があるに決まっている。
こんな美人が、いきなりオレを食客に招くなんて、ヤバい匂いしかしない。
オレの頭の中で、甘い誘惑と警戒心がせめぎ合っていた。
「昨夜の不意打ちは、私も楽しんでしまいましたので良いでしょう。ですが、それで、このような立派なお屋敷の食客にまで招待されるというのは、なんだか話がうますぎます。怖いので辞退させてください。」
そう言ったオレの言葉に、メルロは少し微笑んだ。
そして、落ち着いた声で言葉を返してきた。
「何か勘違いしているようだな。お主、私を見て何か気づかぬか?」
言われて改めてメルロの姿に目をやる。
ローブから覗く足は、まるで彫刻のようにスラリと伸び、透き通るような白さを持っている。
肌は滑らかで朝日の光を浴びて輝いているように見える。
控えめな双丘も上品に、だが確かに存在感を放っている。
その美貌に思わず見とれてしまうが、何かが違う。
ん?
よく見ると、確かに昨夜より少し若く見えるような気がする。
「えっと、言い難いことですが…」
「なんだ、遠慮はいらん。気づいたことを言え」
「昨日より少しお若くなられているように感じます…」
メルロは満足げに頷き、ゆっくりと答える。
「さもあらん。昨夜は久々に存分にエネルギーを吸い取らせてもらった。このように満ち足りた朝は久しぶりじゃ」
オレは驚きつつも、妙に納得してしまった。
昨夜の出来事が彼女にこれほどの変化をもたらしたというのか。
それとも、オレの見間違いか…?
「メルロさんのような財力と権力、そして美貌をお持ちなら、エネルギーなど思うがままでしょうに」
「それが、そうもいかんのじゃ。まず、萎縮して使い物にならんものが半分。それからエネルギーが少ないものが半分。私を満足させることができた男は、お主で二人目じゃ」
その言葉にオレはさらに驚いた。
そんなことがあるのだろうか?
確かに37年間溜め込んだパワーはあるけれど、まさかそれが特別だったとは思わなかった。
もしかすると、オレのスキルや<魔族交流>が何かしら影響を与えたのかもしれない。
「田舎者故、会話のどこに失礼があるのか分からないのですが、理解出来ないので、聞きます。メルロさんは魔族なのでしょうか?一人目の方とは?」
オレは緊張しながらも率直に尋ねた。
そんな質問が通じるのか、これで怒らせはしないかと思ったが、メルロはその問いに対して意外にも穏やかに微笑んだ。
「ルークは、率直な男だな。そういう物言いは嫌いではない。まず、私はピクシー族と魔族のハーフだ。それ故のこの身体なのだろう。因果なものだ。それと、一人目の男に関しては、多くは語れんが、私のようなものが気楽に会える人では無いという事は言っておこう。」
彼女の言葉にオレは驚きを隠せなかった。
魔族の血を引く美女、しかも一人目の男は想像を超える存在だということか。
やっぱり、メルロに魔族の血が流れているからこそ、<魔族交流>が思わぬ効果があったもんだ。
オレは今まで、<魔族交流>はあくまで魔物と会話するだけの役立たずスキルだと思っていた。
<スキル値変更>に比べて、使えない能力だと思っていた。
だが、今は違う。
今ならこう言えるだろう。
「魔族交流万歳!ありがとう魔族交流!」
心の中で叫びたくなる気分だ。
メルロのような完璧な美女がオレに「貴方無しでは生きられない」と遠回しに告白してくるような状況なんて、この先もう二度と訪れないかもしれない。
まるで夢のようだ。
だが、それでも気になることが一つある。
メルロのような完璧な女性ですら手に入れられなかった「一人目の男」とは誰なのか?
それを思うと不安が湧き上がるが、今はその答えを急ぐ必要はない。
オレにはまだやるべきことがある。
「少しの間、考えさせてください。最終的にお世話になるのだとしたら、私の抱えている事情も諸々話さなければなりませんし、準備も必要ですので。」
オレは慎重に、時間を稼ぐことを選んだ。
メルロがこれほど強大な存在であるなら、軽々と彼女の提案を受けるのは危険だ。
メルロは優雅に頷き、少し考え込むように目を細めた。
「私にとって、お前はかなり貴重な存在なのだ。条件的に不都合があるなら、なんなりと言ってくれ。出来る限りの対応はしよう。」
メルロの言葉には、冷静な余裕とともに、どこか強い期待が感じられた。
この提案を断るのは簡単なことではなさそうだ。
それにしても、オレのような普通の冒険者に、ここまで大きな価値があると言われるとは――想像もつかなかった。
オレはまだ見ぬ未来に対して、一抹の不安と期待が入り混じる中、静かに息を吸い込んだ。
心の中で葛藤が渦巻く。
オレはもう、即断したいくらいの誘惑に駆られていた。
魔族の血を引いた妖艶なお姉さん、しかも自分に好意を寄せてくれている。
彼女はリッチで権力もある。
若返りまで期待できるかもしれない。
こんな夢のような話、見逃す理由なんて無いじゃん!
夢のヒモニート生活が目の前に待ってるなんて、誰が拒める?
だって、ラグ一家のこととか、ドラゴンのこととか、正直めんどくさいことばっかりだよ。
誰かにもたれかかって生きるって、楽に決まってる。
それにしても、こんな条件で引き寄せられるのは初めてだし、ここは流されてしまいたい気分だ。
でも……その「好条件」ってところが、心の奥底で引っかかっているんだよな。
なんでこんなにうまくいく話が、目の前に転がってくるんだ?
第一、「知らない人の言うことは簡単に聞いちゃダメだ。その人を良く知ってから判断しなさい」って、バアチャンがよく言ってたじゃん。
子供の頃、オレにしっかりと教えてくれた、その言葉が、今も頭に響いてくる。
焦ることはない、もう少しメルロのことを調べてからでも遅くはないだろう。
オレが彼女を完全に信用してもいい相手か、慎重に見極める必要がある。
「考える時間を下さいまして。ありがとうございます。では、今日はここでお暇させていただきます。」
オレはそう言って、立ち上がった。内心では、即座に答えたい衝動を抑えつつ、メルロに微笑んだ。彼女もまた、微笑み返しながら言った。
「良い返事を待っている。頼むぞ。」
その言葉には、優しさと期待が入り混じっていたが、どこかに潜む何かが見え隠れしている気がした。
オレは背を向け、ゆっくりとその豪華な部屋を後にした。
心の中で自分に言い聞かせる。
「焦るな、まずは慎重に進め。」
メルロの屋敷を出て、まだ眠りから覚めきっていない街を歩く。
陽が昇りかけたこの時間、人影はまばらだが、すぐに背中に感じる視線。
お約束だな。
メルロもオレを信用してないんだろう。
オレが彼女を疑うように、向こうもオレが何者かを探ろうとしている。
尾行なんてのは当然の流れだ。
住宅地を抜け、商店街に入る。
人通りが少し増えたが、後ろに感じる気配は依然としてついてくる。
商人の姿をした連中だが、素人じゃない。
手際もいいし、プロだろう。
オレも、この程度の尾行は何度か経験してるが、バレずに巻くのは容易なことじゃない。
細い路地に差しかかると、角を曲がる瞬間に、<潜伏>と<隠密>を発動させた。
気配を殺し、物陰に身を潜める。
追ってきた尾行は、角を曲がった瞬間、キョロキョロと周囲を見渡すが、オレの姿は見えない。
お疲れさん、と心の中で呟きつつ、彼らが諦めて去るのを待つ。
尾行が遠ざかるのを確認してから、別の路地に移動。
すぐに<潜伏>と<隠密>を解除し、商人用の変装セットを取り出し、商人ローブに着替える。
これで、一見するとただの商人だ。
オレの「モート」としての顔は、この街でも通用するだろう。
まずは宿屋へ行き、5日分の宿泊費を前払いで払った。
宿の主人には「近く仕入れに行くかもしれないが、部屋は空けておいてくれ」と頼む。
隣町での拠点として、この宿は何かと役立つだろう。
商人としての立場も守りつつ、ルークとしての行動にも役立つ。
続いて、商店街をぶらつきながら回復剤を補充する。
自分で作ることもできるが、今は時間が欲しい。
商人としての活動を装うためにも、少し無駄に買い物をして、周囲に「モート」が活動しているアリバイを残しておく。
交渉を挟みつつ、必要のない商品もいくつか買っておくのがコツだ。
これで、少なくとも午前中は商人としての仕事をこなしたことになる。
買い物を終えると、物陰に入って再び<潜伏>と<隠密>を発動。
商人モートから、ルークへと戻る。
これでまた、自由に動ける。
さて、ラグのところへ行くか。
隣町のメルロについても、同業者の彼なら何かしら知っているだろうし、情報収集も兼ねて行ってみる価値はある。
情報収集と監視も兼ねて、オレはラグの元へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます