第4話 壁越え

街へ繰り出したオレの鼓動は、今まで感じたことがないほどドキドキしていた。


今まで、現実世界でもこの異世界でも、ずっと「いい人」で生きてきた。

揉め事や諍いには極力関わらないようにして、時には泣き寝入りしてでも平穏を求めてきた。

そんな生き方がオレのスタイルだったんだ。

だが、今から行おうとしていることは、それまで積み重ねてきた全てを一瞬で台無しにするかもしれない行為だ。


変装もした。

スキル値の変更も万全に整えた。

だが、それでも次から次へと心の中に言い訳や泣き言が浮かんでくる。

オレは、どうしようもない万年ヘタレだ。


考えてみれば、オレには他人のステータスや装備、そして「能力値」が見えるという異能がある。

この世界の住人にはそれが見えないらしく、最初は驚いたものだ。

「スキル値」や「必殺技」はオレも他人のものは見えないが、ステータスだけで相手の強さや装備を推測できるのは、商人としても大いに役立ってきた。

今夜は、その力を使って初めての犯罪に手を染めるつもりだ。


振り分けたスキルについて、もう一度頭の中で整理する。


<アイテムボックス観覧 50>

相手のアイテムボックスを遠隔で観覧できるスキル。

これが無ければ話にならない。


<鍵開け 50>

多くの人がアイテムボックス内に宝箱を入れているため、その宝箱を開ける技術が必須だ。


<窃盗 100>

他人のアイテムボックスから、自分のアイテムボックスに物品を移す技術。

これが今回の鍵だ。


<潜伏 58>

万が一、失敗したときに隠れるために振っておいた。

高位の探知能力者がいたらお手上げだが、何もないよりはマシだ。


<隠密 50>

音もなく動くことができる。

まるで風のように、誰にも気づかれないように。


器用さ80、これに加えて変装もして、2重3重に安全を確保しているつもりだが、それでも心は逡巡している。

27年間法治国家に生きてきたし、この異世界でもそれなりにルールを守ってきたから、どうしても罪悪感が拭えないんだ。


とりあえず、狙い目の場所として頭に浮かんだのは、食堂、商品ギルド、冒険者ギルド、そして銀行だ。

だが、今回は酒場が一番手軽で安全そうだ。

酔っ払った客を相手にすれば、狙いやすいだろう。

最悪、逃げる羽目になっても入り口近くのカウンター席なら逃げ道も確保しやすい。


そこでオレは、街の反対側にある「ファイアーロックバー」に向かうことにした。

いつもの街並みが、今夜は別の場所に感じる。

10年も住んでいる街だが、こんな風に夜の街の反対側まで歩くのは初めてかもしれない。

すれ違う女の子たちが、俺を見ると笑みを浮かべて何やら囁き合っている。

きっとイケメンマスクとエルフセットの効果だろう。

くそ、イケメン爆発しろ。


しばらく歩いて、ようやく「ファイアーロックバー」が見えてきた。

赤く灯された看板が松明の光で浮かび上がり、店の中からは喧騒が漏れてくる。

外にも10人ほどの客がグラスを片手に談笑している。

大賑わいだ。


「ふぅー」


一度深呼吸をして、店の中に足を踏み入れた。


「いらっしゃいませー!」


マスターとウエイトレスが明るく迎えてくれた。

小粋なバーは満員で、活気が溢れている。

俺はカウンターに座り、目立たないように注文する。


「マスター、とりあえずロックレッドビールを」

「はいよ。あんた冒険者かい?」

「ああ、さっきこの街に着いたばかりだ」

「そうかい、ゆっくりしていきな」


マスターはヒゲもじゃのドワーフ族だ。

でっぷりした体で豪快に笑い、目の前に赤いビールをドンと置いた。

真っ赤なロックレッドビールはこの店の名物だ。


「お待ち!」

「おお、これはうまそうだな」


正直、初仕事の前に酒を飲むのはどうかと思ったが、勢いがないと「理性と道徳心」の高い壁は越えられない。

グラスに入ったビールをグビグビと飲み干す。

唐辛子が入ったような辛さと、炭酸の刺激が心地よい。

夏には最高だ。


「かぁー!染み渡るなぁー!」

「エルフにしちゃあ、随分とくだけてるな」

「あ、え、よく言われます」

「オレはあんたみたいな男が好きだ。最初の一杯からチビチビ飲むやつは信用ならねぇ」


マスターに話しかけられながらも、内心では作戦を進めていた。

オレの<アイテムボックス観覧>の範囲内には、


目の前のマスター。

これは論外だな。だって、店の経営者を狙うなんて、さすがにリスクが高すぎる。

これからもこの街で商人としての表の顔を続けるには、彼との関係を壊すわけにはいかない。


右隣カウンター席で飲んでいる女。

夜のバーで一人でカウンターに座っている女だ。

これがまた、むちゃくちゃいい女だ。

人間族で、セクシーなボディラインが目立つ。

出るところが出ていて、目が釘付けになりそうだ。

彼女がロックグラスでチビチビやっているのは、かなり強そうな酒。

見た目だけじゃなく、肝も据わっていそうだな。


後ろのテーブル席で注文をとっているウエイトレス。

猫耳がついている…装飾かと思ったけど、よく見ると尾が動いてる。

ケット・シー族か?

それにしても、あの動きが可愛い。

だが、今回は泥酔者がターゲットだし、ウェイトレスは除外だな。


ドア近くでへべれけになっている男。

完全に泥酔してるな。

夜はまだ始まったばかりだというのに、もう酔い潰れてる。

右目に傷があって、見た目は少し怖い。

尻尾が鱗に覆われているから、サラマンダー族だな。

どうやらこいつが一番安全なターゲットになりそうだ。


選択肢は隣の女か、酔っ払いの男だが、リスクを考えると酔っ払いの男を選ぶしかない。

一度<鑑定>にも振り分け。


<アイテムボックス観覧>を発動しながら、酔っ払いの男のステータスを<鑑定>する。


名前:ラグ・ドルチーノ

筋力 258

体力 172

耐久 166

器用 15

敏捷 141

知識 23

魔力 12


完全に武闘派だ。

こんなやつにバレたら間違いなくオレは終わる。

だが、今さら引き返すわけにはいかない。

<鑑定>に振り分けた数値をもとに戻す。


「どうしたい、なにか悩み事かい?」

「え、ああ、ちょっと…」

「そんなしけた顔してねぇで、どんどん飲んで忘れちまいな!」


マスターはオレの表情を察して、軽く声をかけてくるが、オレは作業に集中する

とりあえず、マスターは適当にかわすしかないな。

ちょっと、考え事してる表情を作って、グラスをいじりながら、意識下では、男のステータスのアイテムボックスタブを選択。


ここで、<アイテムボックス観覧>がうまくいかないと、感が良い人だと、不快感で何かされてるって分かっちゃったりするらしいけど、まぁ、器用380だ、余裕で開ける。


うん。

アイテムボックスの中、ゴチャゴチャだわ。

整理整頓しろよな。

なんか動物の骨多数入ってます。

はい、小さいけど、宝箱見つけました。


筋肉バカは貴重品少し。

コイツはハズレかも。


<鍵開け>で、パカッと開きました。

うん。

我ながら凄い。

スルスルっと出来ちゃって自分の能力に脱帽。


宝箱の中は、

指輪1

スクロール1

10万ドラン硬貨3


とこんな感じ。



ちなみにドランって単位だと金銭感覚、分からないだろうけど、普通に現実世界の通貨と同じ通貨価値だと思えばいいかな。

普通のパン一個がだいたい150ドランって感じだから。


ここで、おれのアイテムボックスを開いて。

<窃盗>で

ヒョ→

ヒョ→

ヒョ→

ヒョ→

ヒョ→

と全部、オレのアイテムボックスに瞬時に移動しました。

みんな軽量の物だったので、凄く簡単でした。

貴重品はだいたい軽量のモノが多いから、<鍵開け>までいければ、大体大丈夫そうだね。


さて、余裕があれば<潜伏>と<隠密>を<アイテム鑑定>に振って、成果を確認したいところだけど、ここはグッとこらえよう。


そして、カウンター席の美女のアイテムボックスも覗いて、あれやこれやゲットしたいけど、グッとこらえよう。


目の前の、ロックレッドビールをグビグビグビーっと飲み干す。

勘定を済ませて店を出る。

マスターの満面の笑顔が、なんだか心に刺さった。


外に出た瞬間、オレは強烈な高揚感と胸のドキドキに襲われた。

初めての犯罪を成功させたという実感が、じわじわと体を駆け巡る。

それでも足取りはポーカーフェイスで、自分の店に向かう。


街の裏通りを抜け、誰にも見つからないように店の裏口から中に入る。


完璧だった。

今夜の仕事は、誰にも気づかれずに終わった。

これほどの成功を味わったことは、これまでの商談では一度もなかった。


<鑑定>に振り分け、自分のアイテムボックスを開く。


心臓の高鳴りと共に、今夜の成果を確かめる。

だが同時に、「とんでもないことをしてしまった」という思いが頭をよぎる。

窃盗がバレれば、重罪。

死刑か、最悪奴隷落ちだ。


だが、今日はそのリスクを考えないことにする。

今夜は眠れるわけがないからな。

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