第3話 回想

夕日が照らす美しい街並みを見つめ、俺は怖気づく心を落ち着かせるために過去の思い出に浸ることにした。


オレの店がオープンしたのは、ちょうど去年の春だった。

ようやく準備が整い、店の看板を掲げて、初めて扉を開いた日。

あの日のことは今でも鮮明に覚えている。

なぜなら、フローネたんがわざわざオープン祝に駆けつけてくれたからだ。


店を開けたばかりの俺は、右も左も分からず、緊張で頭がいっぱいだった。

ずっと夢見ていた自分の店だし、何年もコツコツと準備してきた場所だ。

それでも


「本当に客が来るのか?」

「この店でうまくやっていけるのか?」


と、不安に押しつぶされそうになっていたんだ。

初日は誰も来ないかもしれない。

そんな不安が心に渦巻いていた。


だけど、昼過ぎ、扉が開いてふわっと春風と一緒に入ってきたのが、フローネたんだったんだ。

もうその瞬間、俺の心は一瞬で救われたよ。


「モートさん、オープンおめでとうございます!」


彼女は笑顔でそう言って、俺にお祝いの花束を差し出してくれた。

エルフらしい美しい白い花が束になっていて、なんて言ったっけ、あの花…。

名前は覚えてないけど、花自体がフローネたんと同じように優雅で可憐で、まさに彼女にぴったりな贈り物だった。


その時のフローネたんは、いつも冒険に出かける時の防具ではなく、少しだけカジュアルで可愛らしいドレスを着ていたんだ。

それもオレにとっては新鮮でさ、彼女の普段の冒険者姿とは違う、より女性らしい姿に見惚れてしまったよ。


「こんなに立派なお店を一人で作り上げるなんて、さすがモートさんですね」


そう言ってくれたフローネたんの言葉に、オレは心の底から感謝した。

だって、オレなんかがエルフ族の中でも美しさで名高い彼女に、そんな風に言ってもらえるなんてさ、夢みたいだったんだ。


オレは照れ臭くて


「いやいや、そんな大したことないよ。なんとか形にしただけでさ」


とか言って笑ったけど、内心ではもう感動の嵐だったよ。

だってさ、オレのためにわざわざ時間を割いて祝福に来てくれたんだよ?

フローネたんがだよ?

こんな夢のようなことがあるか?

って思った。


彼女が少しだけ店内を見回して、


「素敵なお店ですね」


と言ってくれたとき、オレの心はもう幸せで満たされてた。

実際、その瞬間だけで、今までの苦労がすべて報われたような気がしたんだ。


その後、彼女は少しの間だけど、店にいてくれて、ちょっとした会話を楽しんだんだ。


彼女は


「忙しくなったら、またお店を覗きに来ますね」


と言って、またその優しい笑顔を残して、去っていったんだよ。


あの日のフローネたんの笑顔、そして彼女が店に来てくれたという事実は、オレにとって何よりの宝物だ。

あれから一年が経つけど、その時の光景は、まるで昨日のことのように鮮明に覚えている。



半年前、まだレオン・フィルナスがフローネたんと出会う前のことだ。

あのとき、レオンはこの街に来て数日後、俺の店に一人でやって来た。

今思えば、あれが彼との最初の出会いだった。


その日も特に客が少なくて、店の中は静まり返っていた。

正直、暇すぎて退屈していたところに、扉がガラリと開いた音が響いた。

振り向くと、そこにいたのは一人のエルフ。

長身で、銀色に輝く髪、そして青緑色の瞳を持った男だった。


「いらっしゃいませ」


と、いつものように声をかけたけど、内心は緊張していた。

だって、ぱっと見ただけでその男がただ者じゃないことは一目で分かったからだ。

彼の持っている雰囲気、立ち姿、そのすべてが異質で、洗練されていた。

まるで別の世界から来たような、そんな感じだった。


「こんにちは。この店の評判を聞いて来たんだが、君がモートさんか?」


と、彼は静かに言った。


その声もまた、妙に落ち着いていて、俺を警戒させるようなものではなかったけど、なんか引っかかるんだよな。

無駄にかっこいいっていうか、あまりにも完璧すぎる。

なんていうか…俺のような凡人とは明らかに違う、そんな感覚を覚えたんだ。


「ええ、俺がモートですが、何かお探しですか?」


と、いつも通りに応対したつもりだったが、どこか気後れしていたのを覚えている。


レオンはゆっくりと店内を見回しながら、特に何かを急いでいる風でもなく、ただその場の空気を楽しんでいるかのように歩いていた。

そして、手に取ったのは俺が丹精込めて作ったシルバーソードだった。


「この剣、君が作ったのか?」


と聞かれ、俺は少し自信なさげに


「はい、そうです。自慢の一品です」


と答えた。


彼はその剣をじっと見つめ、しばらくしてから微笑みながらこう言った。


「いい剣だな。職人の技が光っている」


その一言に、俺は内心驚いた。

俺の作ったものが、こんな完璧そうな奴に認められるなんて、正直思ってなかったんだ。

てっきり、もっと冷やかし半分で来たのかと思ってた。

だって、彼の外見からして、俺のような鍛冶屋なんか興味ないだろうと思ってたからさ。

でも、そうじゃなかった。


「ありがとうございます」


と返事したものの、戸惑いが隠せなかった。

だが、レオンはその剣を軽く持ち上げながら、再び言葉を紡いだ。


「君の腕を借りたいと思っていたんだ。これからこの街でしばらく滞在する予定だが、実は、俺の武器が少し疲れてきていてね。できれば、君に調整をお願いできないだろうか?」


その瞬間、俺はまさかこんな大物が依頼をしてくるとは思わず、驚きと緊張が同時に押し寄せた。

普段は冒険者たちから素材を買い取って作業することが多かったけど、こんな直接依頼は珍しい。

しかも、あの完璧なエルフから頼まれるなんて。

内心「やれるのか?」と不安だったが、同時に「これはチャンスだ」と思った。


「もちろんです。お任せください。どんな調整が必要か、詳しく聞かせてもらえますか?」


と、いつもより少しだけ落ち着いた声で応えた。

だけど、心臓はバクバクだったよ。


レオンはそれを聞いて、小さく頷きながら


「剣のバランスが少し崩れているのと、戦いの中で多少の歪みが出ている。あとは、少し研ぎ直してもらえれば、またしばらく戦えるはずだ」


と詳細を教えてくれた。


その後、彼の剣を手に取って確認し、言われた通りに修理をすることにした。

彼はその間、俺が作業する姿をじっと見つめていた。

作業中、無言で見られるのは正直気が散ったけど、なぜか彼の視線には圧迫感がなかった。

むしろ、俺を信頼して任せてくれているような、そんな温かみすら感じた。


修理が終わり、レオンに剣を渡すと、彼は軽く振ってバランスを確認し、満足そうに微笑んだ。


「これでまた戦える。ありがとう、モートさん」


その一言に、俺は「どういたしまして」としか言えなかったが、心の中では何か大きなことを成し遂げた気分だった。

彼の完璧な外見や物腰に最初は反感すら抱いていたけど、この時、少しだけ彼を尊敬し始めたんだ。


レオン・フィルナス。

完璧で、俺には到底及ばない存在。

だが、あの日の一件で、少なくとも彼が俺の技術を評価してくれたことは、今でも少しだけ誇りに思っている。

とはいえ、今後フローネたんとあんなに親しくなるなんて、あの時の俺はまだ知らなかったんだけどな。


ああ、あの二人が頻繁に一緒に店に来るようになったのは、3ヶ月前くらいからだったか。

きっかけは、確かレオンがフローネたんを危機から救ったことだったと聞いている。

フローネたんの冒険仲間から話を聞いたんだが、ある日、彼女が魔物に襲われた際、間一髪で助けたのがレオンだったらしい。

それ以来、二人は妙に仲良くなり、依頼を一緒に受けることも増えてきた。


初めて二人が揃って俺の店に来た時は、正直、何とも言えない気持ちになった。

あの銀髪のイケメンエルフと、俺のフローネたんが、まるで息の合ったパートナーのように見えたからだ。


その日は、いつも通り店で鍛冶の仕事をしていた俺のもとに、店の扉が開いて二人が入ってきた。


「モートさん、こんにちは!」


とフローネたんが明るく挨拶してくれた。

その笑顔を見ただけで、俺の胸は締め付けられるような痛みを感じたけど、それでも何とか笑顔を作って返事をした。


「いらっしゃい、フローネさん。それにレオンさんも」


レオンは軽く頷いて


「モートさん、また来たよ。今日は少し道具を見せてもらおうと思ってね」


と、落ち着いた口調で言った。

相変わらず完璧なエルフだな、と内心で思いつつ、俺はいつものように接客に徹した。


二人は店内を歩きながら、時々笑い声を交わしていた。

レオンがフローネたんに


「この剣、君に合うんじゃないか?」


と提案したり、フローネたんが


「これ、レオンにも似合うかも!」


と冗談を言ったりする姿は、もう息がぴったりだった。


その時、レオンがふと俺に


「実は、近々南方に旅立とうかと考えているんだ。しばらくこの街を離れることになりそうだから、その前に装備を整えておこうと思ってね」


と話してきた。


南方に旅立つ…二人で?

その言葉を聞いた瞬間、俺は胸の中に一瞬で何かが崩れ落ちるような感覚を覚えた。

二人が一緒にどこかに行くなんて、想像すらしたくなかったが、現実は容赦ない。

レオンが言ったその言葉には、特に感情を込めているわけではなかったが、その冷静さが逆に俺の心を抉った。


「そうなんですか。それじゃあ、旅に必要な装備を見ていきましょうか」

と、俺は努めて平静を装って答えたが、心の中はモヤモヤでいっぱいだった。


レオンは自分の剣や防具を手に取り、慎重に選び始めたが、フローネたんは


「南方ってどんなところなんだろう?」


と、楽しそうに話しながらレオンに寄り添っていた。

二人で笑い合う姿が、まるで何か別の世界の風景のように見えて、俺はその場に立っているのが少しつらくなった。


「あとは何か他に必要なものはありますか?」


と、なんとか話を続けようとする俺に、レオンは


「いや、これで十分だ。君のおかげで良い装備が揃ったよ」


と満足げに微笑んだ。


「それじゃあ、モートさん、また旅立つ前に寄るね」


と、フローネたんが手を振りながら店を後にした。

彼女のその明るい声を聞きながら、俺は心の中で


「もう会えなくなるかもしれない」


と漠然とした不安に襲われていた。


あの日以来、二人は定期的に店に顔を出しているが、毎回同じように仲が良さそうで、俺の心は少しずつ苦しくなっていった。



「モートさん、本当に今までありがとう。お店がいつも頼りになってたよ」


俺の思いに対してあまりにも素っ気ない別れの言葉を残して、二人は南方へ旅立っていった。

最後の別れが、俺にとってどれほどの地獄だったかなんて、誰にもわかりゃしないだろう。

レオンとフローネたんが二人揃って店に来た時、俺はもう覚悟していた。

旅立つことは知っていたし、彼らが一緒に行くことも分かっていた。

それでも、心のどこかで、何かが変わるんじゃないか、最後の最後で何かが起きるんじゃないか、そんな淡い希望があったんだ。


でも、そんなのは幻想だった。


フローネたんのその言葉、あの笑顔。

もう二度と会えないかもしれないという感傷なんて微塵も感じさせない、あまりにも自然で、そしてあまりにも美しい笑顔だった。


それに対して、俺は何を返せばよかったんだ?


「こちらこそ、またいつでも寄ってくれよ」


なんて、よくもそんな言葉を口にできたもんだ。

内心では、ただ怒りと嫉妬で心がぐちゃぐちゃになっていたのに。


「これが最後の店寄りかもしれないが、君の品々は忘れないよ。モートさんの腕は最高だ」

とレオンは、またあの完璧な微笑みで俺に感謝を伝えた。

何なんだよ、あいつ。

何でそんなに冷静でいられるんだ?

俺がどれだけ苦しんでいるか、全然分かってないくせに、そんな表面だけの礼儀正しさを見せつけて、ただ俺を見下してるだけじゃないか。


再び怒りがこみ上げてくる。

俺は彼女を手に入れることができなかった。

この手で、何も掴めなかったんだ。

レオンに全てを奪われて、俺はただの敗者だ。

嫉妬、怒り、失望、全ての感情が混ざり合って、俺は自分を抑えきれなくなった。

こんな世界、クソくらえだ。


俺は自分の能力をもう一度見つめ直した。

商人として培ってきた器用さ、それを今こそ使う時だ。

そうだ、商人なんてもうやめだ。

盗人として生きてやる。

どうせ、何もかも失ったんだ。

俺には何も残っちゃいない。

それなら、せめて自分の手で何かを奪ってやるしかないだろう。


「窃盗だ、これしかない」


俺はこの街で一番の盗人になる。

今まで正々堂々と生きてきたけど、そんなのはもう無意味だ。

どうせ、俺みたいなヘタレには、正しい道を歩んでも報われることはないって、もう分かりきってる。

だったら、俺は悪に染まってやるよ。


「むしゃくしゃする気持ちを解消してやろう」


今は、それしか頭にない。

何も考えず、ただ怒りを発散するために、初めての犯罪に手を染めるんだ。

俺が今まで必死に守ってきたものなんて、全部意味がなかった。

フローネたんは俺を見向きもしないし、レオンにすべてを持って行かれた。

だったら、俺も奪ってやる。

俺にとって大事なものが失われた今、他人の大事なものなんか奪ってやっても構わないだろう?


俺は今、心の準備をしている。

今夜、俺は初めての犯罪を犯す。

何もかもがどうでもよくなった俺には、もはや何の恐怖もない。




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