第2話 終息する災厄

 県立第一桜が丘高校。それまで教室の窓から見える景色は、私の中で多少の季節の移り変わりはあるものの毎日変わらない平凡な風景が広がっていた。

 この学校に入学して毎日が充実していて、毎日少しでも近くにいるのがうれしくて、それでも自分から話しかけるのには遠くにいて、少し寂しくて春夏秋冬の窓の外を眺めてぼーっとすることもある。彼と偶然同じ学校になり3年間彼を遠間から見るだけとはいえ、一緒に過ごせるのだと。学校のモットーは共学・共生・共友・協力だとかで、クラスは3年間変わらない。だけど、今学期から徐々に変化を始めた。少しの暖かい日差しと、少しの肌寒い風を感じながら新しいブラウスにそでを通して学校指定の少し大きめのカーディガンをはおり毎朝が来るのが楽しみで仕方ない。2年生になって席替えを迎え、ずっと想いを寄せていた彼が偶然にも隣の席になったのだ。キラリには盆と正月がいっぺんに来た感じで窓側彼の顔を眺める回数が増えた。少しづつ抑えられない気持ちのパウァーが溜まっていくのが、ヴォルテージがアップするのがわかる。精一杯の勇気で言葉を紡ぎ、少しづつ距離を縮めていく。彼が好きなもの、彼が好きな言葉、彼が好きな食べ物、彼が好きな…タイプ…気になって仕方ない、幸いにも彼女はいないようだ。 私にちょっとはチャンスはないかな?ダメかな?彼の好きなタイプってどんな感じなんだろう。私はカワイイ!ってビジン!って感じじゃないのは自覚してる。告白して玉砕して、残りの学校生活1年を気まずいものにするのも嫌だけどちょっと接近するのは許されるよね。なんて、毎日がそんな感じで上がったり下がったりの気温のように心は上下しながら、修学旅行を迎えた。


 幼いころの記憶とはいえ鮮明に思い出される。 忘れもしない、彼に会ったのは小学4年生の今と同じくらいの頃だった。

 薄暗く寒くなった日が落ちかける黄昏時。放課後、同じクラスの佐藤しおりと下山田明日香の三人で、あの子イケメンとか、芸能人は誰がいいとか、キラリはなんか体つきが大人っぽいとか、そんなありがちな井戸端会議で時間を忘れてしまっていた。


 「今日はしおりちゃんたちとお喋りしててちょっと遅くなったからね」

 家への帰り道を近道をしてみよう。と、思ったのがきっかけだった。桜大公園の本道を挟むように植樹されているソメイヨシノの花も終わり、葉桜のアーチをくぐった先にある公園を斜めに走る散歩道が近道に思えた。

 奥に向かう申し訳程度に舗装されている散歩道は、本道からだいぶ外れ人気もなく獣道とあまり変わらない。普段ひとりなら怖くて通らない雑木林へと続く道を、家路を急ごうと歩き始める。好奇心が勝ったのか初めて通る道は心なしか未だ明るく見えた、開けていた空が次第に背の高い木々へと変わっていく。くるくると軽くダンスを踊るように回転しながら、ウキウキな気分で歩いてゆく。初めて通る道は、少しずつ暗くなり、少しずつ周りが見えなくなっていることも気づかず。


「こんな道があるんだね!違う道もいくつかあるんだね、だね!明日も行ってみよう!明日は反対側の散歩道を歩いてみよう。今日は近道だけど、家からちょっと遠くなるかな?かな!暗くなちゃうからあっちの道は早めに学校から出ないとね。だね!」

 興奮気味なのと少しの不安と寂しさを感じ、独り言を大きく口に出す。散歩道は雑木林を奥に進むにつれ、あたりは暗くなっていた。でこぼこした道を出口の方向へと躓きそうになりながら自分なりに足早に歩いた。


「うわー、こわい。真っ暗になっちゃう!これほんとにうちへの近道になるんだよねぇ…」

 少し不安になり足を止め散歩道の先を見つめるが、人気のない散歩道は心細く暗さは不安を増大させる。そんなに時間が経ったわけでもないのに、空は木々に覆われているためか真っ暗で、公園の眩しいくらいのLED電灯の光もあまり届かない。


 ーガサ!ガサガサ!

 突然キラリの後ろから勢いよく何かが背の低い木々を掻き分けて飛び出した。黄昏を味方に茂みの中に潜んでずっと追いかけてきていた「ソレ」けものが僅かな光でも反射してギラギラと光る鋭い爪を構え、ひけらかす様に大きく振り上げ、満を持して現れたのである。 初めての道に嬉々として、わくわくして、自分の踏みしめる足音や自分が発する声や、回る踊るステップ。周りがまったく見えていなかったのだ。警戒をするには遅かったのだ。


「ひっ…」

 木々の音に振り返ると、目の前に現れたソレの尋常ではない表情と大きく振り上げられた爪に、止まりそうな息を辛うじて今使える精一杯の力で吸いこむと、その音が嚙み締めた歯の隙間から洩れる。動かない足、震える膝、抜ける腰、日中も影の残る乾かない雑木林の水気を含む土と散った後の桜の花びらが靴底を滑らせ、顔から崩れ落ちる。スカートは濡れ、泥だらけにし、汚してしまう。立ち上がろう、逃げよう、少しでも離れよう、後ずさりをしよう、とするが恐怖の魔手に心臓を鷲掴みにされているようで体は少しも動かない、足も地面に縫い付けられているように持ち上げることもできない。


 「「ぐるる」」と唸りながら近づいてくるソレは、捕食した後の妄想を思い描きその欲望を剝き出しにした顔で現れたのだ。餓えに目をぎらつかせ、半開きの口からは、このうまそうな小動物をどうやって食ってやろうか、と期待の唾液がだらだらと滝のようにあふれ出していた。うまそうな妄想キラリが夕暮れに「「一人で」」目の前に現れ、都合よく人気の無い道へと「「一人で」」入り込んで行く。この現実チャンスを逃す手はない。散歩道の入り口から妄想を見つけ追いかけてきた。引きちぎり、噛みついて舐めまわしてゆっくり貪る為に。ソレの爪はもうキラリの顔前に冷たく光って、近づいてくるソレの表情がこれから何が起こるかをキラリに


「ころされる!」

 そう思わざるを得ない。パパやママがよく見ているゾンビに食べられる映画や推理物のドラマの被害者がそうなるように、私もそうなるのかも知れないと。


「「うまそうだ、うまそうだ」」

 そう聞こえてくる気がする。


「「助けて、助けて、ぱぱ、まま!」」

 心に思うことはできても声は出ない。

 へたり込んだキラリを、ソレは欲にまみれた唾液にまみれた、この世の全てを手に入れたような、勝ち誇った顔で見下ろす。都会のこの時間は、静寂の夜にはまだ早く風のささやきと木々のざわめきと街のノイズが多少の声ならかき消してしまう。   

 

 さあ、夢にまで見た現実チャンスだ何もかもを失っても手に入れなければならない。ソレの左手がキラリの足を掴もうと、触れんとするその時だった。


「おい!なにしてんだ!」

 はっきりと張りはあるが、どことなく震えている声、この雑木林を貫通するくらいの大きな声がキラリの耳にも届き、ソレの耳をつんざく。


「誰か!けーさつおねがいします!けーさつ!けーさつ!」

 ソレはキラリから飛びのき慌てふためき、その声の方向へと目標を変えた。その動きは早くはないものの声の方向へ、まだ妄想を諦めず、邪魔をしたものを排除し、濁った眼と半端に開いた口から流れるよだれが狂気を振りまいているのが判る。黄昏時、声の方向は暗いが、その声の調子やシルエットから妄想と同じくらいの小動物だとわかる。小動物なぞ鋭い爪を持ったソレにとっては、どうとでもなるか弱い生き物なのである。こいつを黙らせてからゆっくりと妄想を頂くとしよう、そうだこの小動物も食ってしまおう。この現実チャンスに自分を止めらない、後戻りはできないのだ、ここで止まれば二度と現実はこないのだ。そのためならこの邪魔なものを殺してでも妄想を手に入れるのだ。


「がああああああああああ!」

 ソレはそのか弱い小動物に襲い掛かろうと、獣の前足を振りかぶる。鋭い爪のようにいつも持ち歩いている小型の折り畳みナイフを振りかぶって、誰ぞ彼に全速力で襲い掛かる。覆いかぶさり、上から突き立てれば終わりだ。楽勝だ。


 バジッイイイイイイイイ!

 何かが弾けた。ソレの目の前は一瞬、真っ白になった。


 桜の枝は折れやすい。殴りつけたとしても大したダメージはない。小動物は意識せず、中段に構える。突進してくるソレ狂気に対して折れやすい桜の枝で対抗しようとする。小手も面も胴もスキだらけではあるが、たった一本の折れそうな桜の枝では二の太刀はない。大人であれば桜の枝でも一の太刀を疑わず初撃でうち伏せる事もできるのだろう。

 方法は一つしかない、狙うは体の中で一番弱い部位。小学生剣道では狙ってはいけないと教えられた突きだ。しかもただ突くだけなら飛びかかってくるソレ狂ったけものの力には絶対に負ける。吹き飛ばされないように、小動物は雑木林の少し太い名前も知らない木を背にして構える。


 3歳から親の影響で剣道を学び、幼い頃から親の影響で映画アニメにどっぷりハマった。特に異世界アニメは自分を投影することが容易にできる妄想の中でも最高のジャンルだ。そんな薫は小学4年生にして立派なマセガキ中二病だった。すべてが親の影響だが、それが悪いとも恥ずかしいとも思わない。今は。

「「こういうとき、異世界主人公はギリギリラッキーで切り抜けて、女の子を助けてハーレムででへへって、ツンデレるんだろうな。パル!頼りにしてるぜ!」」 ツンデレる方向がちょっと違う気がするも、10歳とは思えない妄想を描きつつ、意外に冷静で客観的に物事がみれている。

 

 ソレ勝利を確信したけものは案の定、勢いよく向かってきた。好都合である。狙いは喉元。


 「「だけど、怖い!」」


 正眼にまっすぐ構えていた枝を薫は右足を引き体をずらしつい逃げてしまう。体が覚えていたのだろう剣道でいう半身になり、正面衝突を辛うじて回避した。枝の先は吸い寄せられたようにソレの喉に真っ直ぐ向かっていく。勢いが付いて突進してきたソレは半身になった薫にかすって跳ね飛ばし、そのまま背後の木と衝突し枝はソレの喉に突き刺さった。


「ゲハ!ガハッ!」

 ソレ不意を突かれたけものは何が起こったかわからないまま、弾けた何かに突き飛ばされ、空中でくの字になり飛ばされた後、背中から倒れその衝撃で息を吐くがそれ以上の息ができない。ソレは息を吸うことも吐き出すこともできないことに気づく。気が付けば舌が飛び出そうなくらい喉を突かれていた。それが何かもわからないまま爪と反対の手で喉元を触ってみる。小学生とはいえ剣道経験者の正眼に構えられた枝は暗がりであることも手伝って、対面から見ればほぼ点にしか見えない。突き刺さる木のささくれと皮がチクチクと感じ、少しドロッとした生暖かい液体が手にまとわりつく。


「ごごごやごぉおごごぉごごぉ!」

 声にならない唸り声をあげ、再度爪を振りかぶりるが、息はできず興奮した状態で全速力で走ったのとすべての力を込め襲い掛かったため、体の中の酸素がもうない。動けない。爪がすり落ち、首を搔きむしる。ソレ安藤忠彦はもう自分で立ち上がれなかった。


 

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