いざ、婚約パーティ

 さて、あっという間に婚約パーティ当日である。



 会場は夜会の時にも使われる侯爵邸の広々としたダンスホール。

 お義母様たちは既に会場入りしているのだけれど、父さんとルークは領地にドラゴンが出たらしくて、そっちの対処でこちらに来るのは少し遅れると連絡を貰った。

 マリー叔母さんは急な仕事で来れなくなって、魔術通信で連絡来た時半泣きだったなぁ……。



 招待している客のほとんどうちの身内(姉たちは除く)だけど、何人かはお義母様のお茶飲み友達や、お義父様の仕事関係の人だ。

 ちなみにこのパーティには、それなりの数の結婚適齢期のお嬢様方が来てるんだけど……まあ、皆さん大体はエリオット狙いだった方々でして。



 未だに狙ってんじゃねえかなぁ。エリオットってば超優良物件だし。

 わたしを婚約者の座から蹴落として、自分がその後釜になろうとか考えてたりして。たぶん。想像するだけでこわい。



「緊張してる?」



 ダンスホールの扉の前に立った時、隣にいるエリオットが心配そうに聞いてきた。



「ぶっちゃけますと、めっちゃめちゃ緊張しておりますです」



 きっちりと髪を整え、正装をしているエリオットを見て震えた声で答える。



 今のエリオットは魔術師団の証である黒いローブを着ていて、袖や裾には銀糸で見事な薔薇とエリオット自身の紋である蝶の刺繍がされている。

 中に着ている軍服は彼が二年前に倒したドラゴンの素材によって作られた一級品だ。

 肩にはこれまで彼が与えられてきた勲章の数々が飾られている。



 いつもきらきらしている幼馴染が、いつも以上にきらきらして見えて格好良いと思うのと同時に、見るからに凄い人の隣に立つのに自分はあまりに分不相応ではないかと不安になる。

 会場には入れば突き刺さってくるだろう値踏みするような視線の多くには、たぶん敵意がふんだんに含まれている。ちょっとでも粗相をすれば何を言われるか。



 どくどくと、心臓が早鐘を打つ。

 初めてエリオットの隣で歩くのが怖いと思った。



 本来なら彼はわたしにとって雲の上のような人で、まず関わることのなかった人。

 それが何の因果か幼馴染兼親友となり、今は婚約者として隣に並び立っている。



 手が震える。今すぐ帰りたい気持ちなる。扉の前から回れ右して、逃げ出したかった。

 それでもと、ぎゅっと強く拳を握る。怯え、縮こまろうとする自分にしっかりしろと言い聞かせる。



「でも、エリオットの――エリィの隣はわたしのものだって伝えるためにもがんばる」



 少し引き攣ってしまったけれど、それでもなんとか笑みを貼り付けウィンクしながら子どもの頃に呼んでいた愛称を呼べば、彼はきょとりと緑の目を瞬かせて……ひどく柔らかな微笑みを浮かべた。



「俺もイリスの隣は俺だけのものだって、他の奴等に見せつけるの頑張るわ」

「いや、別にエリオットはそこまで頑張らなくていい」

「なんっっっでだよ!?」

「だってとっくの昔にわたしの隣はエリオットだけのものだし。他の誰かを置くつもりはないからさ」

「……平然とした顔でそういうこと言うのなんなのほんと。好き」

「わたしも好き」



 顔を見合わせ、どちらからともなく笑い出す。

 気がつけば手の震えは止まっていた。



 差し出された手に、自分の手を重ねる。

 ……昔から知っている幼馴染の手はかつての小さく柔らかかったものではなく、いつの間にか大きくて少し硬い男の人の手になっていた。



 一歩足を踏み出すと同時にエリオットが魔術を使って扉を開く。

 開かれた扉の先には華やかな衣装に身を包んだ招待客たちが大勢いた。



 会場に入ると人々の視線がこちらに向けられ、エリオットのおかげで解けたはずの緊張がぶり返してきた。

 や、やべえ……。招待客の人たちのほとんどが我が家より格上の家の方々なんだが……??



 分かってはいたけれど、実際に我が家よりも格上の客人たちの姿を見て小さく「ひぅ」と情けない声を上げてしまい、隣のエリオットが心配そうに「お、おい。大丈夫か?」と顔を覗いてくる。



 大丈夫じゃねえ。ちっともまったく大丈夫じゃねえよ。

 そう言いたかったけれどぐっと我慢して、大丈夫となんとか笑ってみせた。



 繋いだ手を少しだけ引いて行こうと促す。

 頷いたエリオットにエスコートされ、会場の真ん中へと移動した。

 突き刺さるような視線に尻込みしそうになるけれど、背筋を伸ばして真っ直ぐに前を見る。



「本日は私、エリオット・ミラーレスとイリス・メレッドの婚約パーティにお越しいただき誠にありがとうございます」

「今宵はどうか、ごゆるりとこのパーティを楽しんでいってくださいませ」



 エリオットが頭を下げたのに合わせてわたしも頭を下げる。

 顔を上げれば、招待客たちはパチパチと拍手をしてくれた。



 そこからは個人への挨拶回りをして、ファーストダンスをなんとか踊りきって、少し落ち着いた頃。

 休憩しようかと、バルコニーへと向かおうとした時背後から肩をとんとんと軽く叩かれた。



「ふふ、相変わらず仲が良いわねぇ。妬けちゃうわ」



 聞こえた声に驚きつつも振り返れば、学生時代の女友達――ユリアーナがいた。



「はぁーい、イリスにミラーレスの坊っちゃま。久しぶり」

「ユリアーナ!?」



 え、えっ、何でユリアーナいるの!?

 君確か外交の仕事で超絶忙しい旦那さんに引っ付いて、色んな国を飛び回ってる最中だったよね。

 しかもこの前くれた手紙には、海を隔てた国にいるとか書いていませんでしたか??

 しかもこっちに帰って来れるのは早くても半年後だって……。



「サプライズよ、サプライズ。せっかくだから可愛いわたくしのお友達を思いっきり驚かしてあげようと思って」

「そういうとこ相変わらずだよな、公爵夫人様は」

「ふふ、どうもありがとう」

「褒めてはない。ところでレクサスはどうした?」

「向こうに置いてきたわ。泣いて縋られたけど、早くお祝いしてあげたかったら」



 呆れた顔をしたエリオットのことなんぞなんのその。

 その美貌に艶やかな微笑みを浮かべ、パチンとこちらに向かってウィンクしてきた。



 やだ……わたしの唯一の女友達マジで最高過ぎないか……??

 喜びのあまり叫んでしまいそうなんですけど……??



「ユリアーナほんとマジで愛してるぅー!!」



 嘘。小声でだけど叫んだ。衝動が抑えられなかった。愛妻に置いて行かれて号泣しているだろうレクサス様には悪いと思うけれど。

 彼女がわざわざわたしのためにここまで来てくれたことが、嬉しくて嬉しくて堪らない。



 あまりにも喜び過ぎて魔力制御がうまくできなくなって、ブワワッと周囲に溢れさせてしまった。

 しかし溢れ出たわたしの魔力をエリオットが魔術で打ち消してくれたおかげで、キラキラと七色の光となって散り空気に溶けて消える。



 いつもありがとうエリオット。流石頼りになるねエリオット。あぁ、顔の熱が冷めねえ!



「あらあらイリスったら。目の色が変わっちゃってるわよ」

「むり……いまもどせない……」

「イリスさん? 隣に貴女の婚約者がいるっていうのに堂々と浮気ですか? ねえイリスさん??」



 熱くなった頬を両手でおさえながら、未だに不安定な魔力を抑えようとひっひっふー、と深呼吸を繰り返してなんとか心を落ち着かせる。



 わたしは感情が大きく乱れると、魔力も一緒に乱れに乱れ目の色が変わってしまう。

 元々の目の色はなんの変哲もない焦茶色なのだが、嬉しい時は天色、怒った時は緋色、悲しい時は紫黒といった風に変化するのだ。



 こういう特殊体質を持つ人間が、うちの家系では何十年かに一人か二人は生まれる。わたしが産まれる前に亡くなったらしい祖父もこの特殊体質だったんだとか。

 特殊体質と言えばなんか凄そうだけど、ただ魔力制御が下手くそになって目の色が変わっちまうというだけのもの。特に凄くはない。



 むしろ魔力制御が甘くなるというのは、人よりも魔力が多いわたしの場合マイナスに働く。

 今では魔力が溢れる程度に抑えられているけれど、昔はもっと魔力制御が甘くて暴走した魔力が近くにいる者に害を与えた。



 それが、エリオットの体に未だ残る傷跡。

 暴走した魔力を抑えきれずに彼を傷つけ、生死の境を彷徨わせた。



 それでも変わらずにわたしの隣にいてくれた。大丈夫と笑って、離れようとはしなかった。

 ユリアーナも同じ。一度危ない目に遭いかけたのに、怖がることなく友達でいてくれている。

 二人共、わたしの特別で大切な人。



「本当に来てくれて嬉しい。ありがとうユリアーナ」

「貴女の晴れ姿は必ずこの目に焼き付けてやるって決めていたもの。当然よ」

「相思相愛じゃん。最高好き」

「イリスさんイリスさん、俺のこと忘れてません? いい加減怒るぞ」



 そうして三人でわちゃわちゃしていた時、ふと視界の端っこに見覚えのある顔が入り込んだ。

 誰だったかなと記憶を掘り返して、思わず「あっ」と声が出た。



「カイネスの浮気相手……と、カイネスじゃん!?」



 あの日。カイネスに婚約破棄された時、その隣にいた浮気相手の男爵令嬢と彼女に近づく元婚約者の姿に、どうしてここにあの二人がいるのかと目を見開いた。

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