お揃い
忙しくしていれば時間はあっという間に過ぎていき、いよいよ三日後には婚約パーティだ。
明日も朝から最終確認のためのダンスレッスンだから、英気を養うためにも睡眠を取らねばならないと、早めにベッドに入ったけれど……ぜんっぜん眠れない。
いつもなら我が家とは違う侯爵家の高級感溢れるふかふかのベッドに入ればものの数秒でぐっすりと眠れるのに、今はどれだけ時間が経ってもちっとも眠気がやって来てくれない。
寝なきゃ寝なきゃと思えば思う程に、眠りから遠ざかっていくの本当になんなの。
これはダメだなと溜息を吐いてベッドから起き上がり、礼儀作法の教本を読み返しておこうかとベッドサイドのランプに灯りをつける。
その時、コンコンと部屋の扉がノックされた。
「イリス、俺だ。少し話がしたいんだが……今いいか?」
「エリオット? ちょっと待って」
聞こえてきたエリオットの声に返事をし、ベッドから降りる。
クローゼットに入れている薄手のカーディガンを出して羽織り扉を開て、シャツにスラックスというラフな格好をしたエリオットを部屋の中へと招いて二人掛けのソファに並んで座った。
「寝ようとしてたとこ悪いな」
「別に良いよ、全然眠れなかったし。で、どうしたのさ? なんかあった?」
「いや、その……今更だけど、ちょっと色々と強引過ぎたこと謝った方がいいかなー? と」
「ほんと今更過ぎですね」
「だよなー……」
ちょっと落ち込んだ感じで俯くエリオットの頭に手を伸ばし、ぽすぽすと軽く撫でる。
「ま、わたしとしては助かったしいいよ。……昔のこと持ち出された時はちょっと、うん」
「はっきり言ってくれていいんだぜ?」
「こいつ最低だなって思った」
「ごもっとも」
悪かったよと、すまなさそうな顔をするエリオットにもういいよと笑う。
別にそこまで気にしてないし、婚約してくれたおかげで助かったしね。
というか改めて考えてみても、この婚約基本的にわたしばっかりが得してるんだよなぁ。
弟の学費とか、わたしの嫁ぎ先とか、あっさり解決したし。昔から交流のあるミラーレス侯爵家とは、さらに強い繋がりができた。
正直怖いくらいこちらに対する利益が大きい。
だからこそ不安というか、罪悪感というか、そういったか感情が、むくむくと胸の奥から湧き上がる。
「……婚約してくれるって言ってくれた時も聞いたけどさ、エリオットは本当にわたしなんかが婚約者でいいの? その顔使えば、わたしなんかよりずっとずっと条件の良いご令嬢捕まえられるでしょ?」
だから失礼だとは分かりつつも、そう尋ねた。
いやだって、わたしとこいつじゃあ本当に色々と釣り合わないんだよ。
家柄も、容姿も、魔術師としても、こいつと対等だと胸張って言えるようなことがわたしには一つだって無い。
どころか、傷跡が残ってしまうような大怪我をさせたことを考えると印象はマイナスだ。
友人関係を絶たれるどころか、大事な息子を怪我させられたと侯爵家に潰されたっておかしくはなかった。
それでも友人であり続け、今では婚約までしているなんて奇跡と言っても過言ではない。
だからこそ終わりがある関係を結んだ今、捨てられるかもしれないとか。いらないと言われるかもしれないとか。そんな不安が付きまとう。
向こうから持ちかけてきた婚約ではあるけれど、人の気持ちなんてあっさり変わるもの。
まして相手はたくさんのご令嬢たちから熱いラブコールを送られる超優良物件。目移りしない保証はどこにもない。
エリオットが誰か別の人を好きになって、婚約者でなくなるだけならまだいい。
でも、それだけじゃすまなかったら? 幼馴染としても親友としてもいられなくなったら?
そう考えると、一歩も動けなくなってしまうくらい怖くて怖くて堪らない。
わたしにとって、エリオットは特別だった。
幼馴染で、親友で、家族同然の相手。姉二人を除いた家族以外の誰もが不気味がった人と少し違うわたしの目を綺麗だと、素敵だと言って笑ってくれた人。
彼のために死ねるのならば喜んでと笑って言えるくらいには、大好きなのだ。
だからこそ、そんな相手を失ってしまうかもしれないと思うと、不安で不安で仕方がない。
そんなあまりにも情けない心中を嘘偽り無く吐露すれば、エリオットは片手で顔を覆った。
「お前ってほんと……!」
そう呟くと、はあぁぁと長い溜息を吐く。
呆れられたのだろうかと俯いた時、ぐいっと力強くエリオットの方に体を引っ張られて抱きしめられた。
「好きだよ」
耳元に寄せられた口から溢れた告白に、きょとりと目を瞬く。
言われた言葉が少しの間理解できなくて、脳が処理落ちする。
「初めて会った時から、ずっとずっとお前が、イリスのことだけが好きだ。関係を壊したくなくて、なにより俺に勇気が無くて、情けないことに今の今まで言えなかったけど……」
「……マジか」
「マジだ」
なんとか動き始めた脳がから回って、だいぶ色気の無い返しをしてしまったけれど、それがおかしかったのか返ってきた声は笑っている。
俯けていた顔を上げれば、愛おしいものを見るような緑の瞳と目が合った。
どんなものよりも綺麗で、わたしが一番大好きな色。
「今は信じられなくてもいい。これから一緒に過ごして、ゆっくりじっくり時間をかけてお前の心を手に入れるつもりだから、覚悟しておけ」
「……エリオットって、本当にわたしのことが好きだねぇ」
「イリスだって俺のこと好きだろ」
「そりゃあ、大事な大事な幼馴染兼親友様ですし?」
「俺にとってもそうだよ。大事な幼馴染兼親友で、初恋の相手」
こつり、と額が合わされ間近に綺麗な緑が迫る。
「それだけは変わらない。誰にだって変えられない。俺にとってもイリスは特別だから」
「お揃いだね」
「ん、そ。悲しいことに初恋ってとこ以外お揃い。それでも、不安?」
いいや、と笑う。
エリオットの背中に手を回し抱きしめ返した。
「もう不安無くなった」
「ならよか、」
「あ、それとさ、初恋のとこもお揃いだよ。一応」
「――へぁっ!?」
奇声を上げるとばっ! と勢いよく離れられた。何故。しかもなんかちょっと薄暗い部屋の中でも分かるくらいには顔真っ赤になってる。
あらやだかわいい。うちの親友様かわいい。全力で照れてらっしゃる。
「お、おおおお、おま、おまえ、今なんて!?」
「もう不安無くなった」
「その後っ!!」
「初恋のとこもお揃い?」
「お前俺が初恋だったの!?」
「言ってなかったっけ?」
「聞いてない!! 聞いてないぞそんなこと!? え、いつから??」
「エリオットがわたしの目を綺麗だって、素敵だって言ってくれた時からだよー」
「マジかよ!?」
真っ赤に染まった顔を隠すように両手で覆いながら叫ぶエリオット。
今夜中だからもうちょい声抑えて抑えて。お義母様たち寝てるだろうから。
咎めるように唇の前に人差し指を立て、「しぃー」と言えばエリオットは下を向いて静かになった。素直で大変よろしい。
褒めるように頭を撫でる。少しの間そうしていたら突然手をガシっと掴まれた。……と思ったら、ぐいっと肩を掴まれベッドに押し倒された。
「? えり、」
「……俺、今まで散々お前に振り回されてきたけど今日はその中でも一番だわ」
上から低い、ひっっっっっくい声が聞こえ背筋が震える。
そっと視線を上げると、綺麗な顔から一切の表情を削ぎ落としたエリオットの顔が眼前にあり、「ひぇっ」と情けない声が出る。
やっべえ。なんかよく分からないけどエリオットさんめっちゃ怒ってるぅっ!
「あの、あのぉ、エリオットさん? な、なんでそんなにお怒りなので……??」
わたしの問いかけに、エリオットはにっこりと。それはそれは綺麗な笑みを浮かべた。
ただし、目はちっとも笑っていないという不思議。こわい。
「俺ばっかりさ、イリスに振り回されてるのは不公平だと思うんだ」
「う、うん」
「だからさ、偶には俺が振り回してもいいだろう?」
鼻先がくっつきそうな程、綺麗な顔が近づく。
そこでやっとエリオットの緑の瞳が、ドロリとした甘く重たい熱を宿していることに気がついた。
「婚前交渉はダメだけど、恋人同士の触れ合い程度ならいいだろう?」
そう言ったエリオットは、たいへん楽しそうな顔をしていた。
翌朝、わたしはまともにエリオットの顔を見れなかった。
午後くらいにはなんとか見れるようになったけど。お義母様たちの微笑ましげな笑みが辛かったよ……。
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