「本当にありがとう」
「カイネスって確か例の浮気男よね?」
問いかけてくるユリアーナに頷き、カイネスたちから視線を外してエリオットに目を向ける。
たぶん、だけど。あの二人を招待したのはミラーレス侯爵家の面々だ。でも、どうして招待しだんだろうか? それだけが分からない。
特に彼等と侯爵夫妻に繋がりなんて無かったはずだけど……。
ユリアーナと同じようにカイネスたちの方に顔を向けていたエリオットは、わたしの視線に気がつくととても素敵な笑みをお綺麗な顔に浮かべる。
……な、なんだかとっても嫌な予感がするんですが。ユリアーナが「あらあらぁ」って楽しそうに笑ってるのにもなんとも言えない不穏さを感じるのですが。
咄嗟に二人から距離を取ろうと後ずさったが、両腕を二人にガシッと腕を掴まれてしまった。う、動けねえ……。
「せっかくだから挨拶しに行ってやろうか」
「ならわたくしも――と言いたいところだけれど、今回は貴方に譲るわ」
冷ややかな光を宿す緑の瞳と、楽しげに細められた紅蓮の瞳が同時にわたしへと向けられる。
うーん、これはなに言っても逃げられないやつですね……。
腰にエリオットの手が回されたのを見て、腹を括る。
サクッと行って、サクッと挨拶してユリアーナのとこに戻ろう。
二人のいる所まで後数メートルという所まで近づいた時、カイネスがふとこちらを見てギョッとしたような顔をする。
カイネスの様子に気がついたらしい浮気相手もわたしの方を見てからエリオットの方に視線を向け、またわたしの方に視線を戻すと顔を歪ませた。
「何でお前が」と言わんばかりの表情だ。すぐに取り繕った笑みを貼り付け直していたが、バッチリ見ちゃったよ。わたしもエリオットも。
あー、近づきたくねー! 知らんぷりして放置しておきてー!
エリオットにだけ聞こえる声量で駄々を捏ねてはみたが、まあ当然隣の婚約者様は素知らぬ顔で彼等の元へと足を進めるので、腰にしっかり腕を回されてしまって逃げられないわたしもついていくしかない。
全力で嫌がってることは察してると思うけど、今回ばかりは引いてくれないらしい。あの二人を招いていることも教えてくれなかったし。
それでもやっぱり嫌なものは嫌だから、「やだなー、行きたくないなー、やーだーなー」とちらっちらお綺麗な顔を伺うこと数回。
全て華麗に無視されて、カイネスたちの所まで来てしまった。
「ひ、久しぶりだなイリス」
「初めまして、エリオット様。キャシー・ランディルと申します。本日はお招きいただきありがとうございます」
なんとか笑みを作ったカイネスがわたしに声をかけてきて、それに続いて隣の浮気相手――ランディル嬢がエリオットに満面の笑みを浮かべて挨拶をした。
それに思わず顔を顰める。無視されたことに腹が立ったわけではなく、彼女の無作法さにだ。
彼女は男爵令嬢。対してエリオットは侯爵家の人間で爵位持ち。
エリオットから彼女に声をかけるか、わたしがエリオットに元婚約者であるカイネスを紹介し、それからカイネスが彼女をエリオットへと紹介してから挨拶をする、のが本来のマナー。
親しい間柄ならば別にいいけれど、そうでないのならば彼女からエリオットに声をかけるのはよくない。というか、初対面だってのにファーストネームで呼ぶのもなんなの。
お前の彼女わたしの婚約者に不敬働いてるんだけどという気持ちを込めて、咎めるようにカイネスに視線を向ければ彼はきょとんとした顔をした。その反応に「あれ?」と首を傾げる。
おかしいな。彼も一端の商人で一応貴族であるわたしと婚約するにあたってそういったマナー教育を受けていたはずなのだけれど……。
なんでその、何も分かってませんみたいな顔していらっしゃるので?
「初めましてランディル男爵令嬢。それから、イリスの『元婚約者』のカイネス君。今日は来てくれてありがとう」
エリオットはわたしと違ってランディル嬢に対して特に不快そうな顔を見せることなく、にこやかに挨拶を返して元婚約者という部分を強調するように言いながら、見せつけるようにわたしを抱き寄せた。
全力で牽制してるなぁ。カイネスの顔を見てよ。笑顔めっちゃ引き攣ってるよ。
ランディル嬢の方は嫉妬に塗れた顔をしてた。すぐに取り繕っていたけど、バッチリ見られたと思うよ。
「……どうして君たちが招待されたのかは分からないけれど、まあパーティ楽しんでって」
貝になっていたかったけれど、一応カイネスは元婚約者だったわけだし何も言わないのはどうかと思って、そう言った。
ちょっと疑問がぽろりとしてしまったのはご愛嬌だ。本当にどうしてこの二人が招かれたのかさっぱり分からないし。ま、理由を聞く気も無いけれど。
だってもう元婚約者なんかに興味も未練もありはしないから。
さあ挨拶もしたからこれでいいだろうユリアーナのとこに帰ろう帰して。
軽く袖を引っ張り、少し離れた所で愉快そうにこちらを眺めているユリアーナの方へと顔を向け視線でエリオットを促したが、ちらっとわたしを見下ろすだけで動いてはくれない。
何でですか。親友様の元に帰してください。
「あらぁ、婚約者なのにあたくしたちを呼んでいたことを教えてもらっていなかったの?」
「ちょ、キャシー!」
にまにまとしながらランディル嬢がわたしを見る。カイネスも嗜めるように声を上げたが、わたしに向けられた目には婚約者時代によく見た見下すような色があった。
「実は君たち二人を呼んだのは伝えたいことがあったからなんだ。ああ、もちろん婚約破棄の件を責めたいわけじゃない。むしろ逆だ。俺は二人にとても感謝しているよ」
なんだコイツ等という視線を向けた時、わたしを庇うかのように一歩前へと出たエリオットが弾んだ声で言う。
それにカイネスたちが不思議そうな顔をする。わたしも首を傾げた。お礼を言いたかったとは?
「ランディル男爵令嬢が、イリスの『元婚約者』であるカイネス君を誘惑してくれたから、カイネス君はあっさりとイリスを手放してくれた。そのおかけで俺はずっと好きだった彼女と念願叶って婚約することができた。本当にありがとう」
心から嬉しそうなのにどこか冷えた声に、チラッと見上げた見た彼の横顔に、ぞぉっと背中に怖気が走った。こ、これはバチくそにキレてる感じですね……。
しかし二人はエリオットの様子にまったく気がついていないらしくて、きょとんとした間抜け顔を仲良く晒している。これぞお似合いカップル?
「お礼に君たち二人のご両親を説得して、婚約を結んであげたよ」
「本当ですか!? 親父あんなに怒って反対してたのに……!」
「……えっ、そんな話お父様たちから聞いて、」
「俺からどうか二人の婚約を許してほしいと願ってね。最初は渋っていたけれど、最後にどちらも快く認めてくれたよ。これでやっと重荷が無くなると喜んでもいたな。ああ、それからご両親から二人に渡してくれって手紙を預かっているんだ」
懐から取り出した手紙を二人に渡すと、エリオットはわたしの隣に戻ってきてまた腰に腕を回した。
……二人に渡された手紙が地獄への片道切符に見えたのは何故だろう?
「ああ、それからもう一つ。二人のご両親は君たちとはもう縁を切るとのことだ。違約金や慰謝料も自力で払えと」
『……へ?』
間抜けな声が二つ分上がる。
しかしエリオットは気にすることなく。とん、と軽く床を蹴り、二人の足元に二つの転移陣を構築する。
「安心してくれ。ちゃんと返済できるように仕事も用意した。少々きついだろうが、十年……いや二十年くらい真面目に働けば解放されるとも。その後は自由に生きればいい。ただ、」
今まで一度も聞いたことのない程冷え切った声が響く。
「もし、万が一、俺やイリスに関わってこようとした場合徹底的に踏み潰してやる。覚えておけ、虫けら共」
転移陣が強く光り輝く。
光が収まった頃には、もう二人の姿はどこにもなかった。
けれど、会場にいる人々に困惑の気配は無い。
むしろ「やっと終わったかー」みたいな顔をしている人がほとんどだった。
どうやら何も知らなかったのはわたしだけらしい。
「……エリオット?」
「もう少ししたらお義父上と弟君も来てくれるだろうから、それまでのんびりユリアーナとお喋りして楽しもうか」
さっきまでは全然動いてくれなかったくせに、今はさっさと行こうと手を引いてくる。
ああ、もう。ほんとこの幼馴染様は。
「嫉妬深い上に沸点低いなぁ」
「嫉妬深くて沸点低い男は嫌いですか?」
「まさか。大好きですとも」
似た者同士お似合いねと、合流したユリアーナに言われた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます