第四章 船出の時(6)
僕には幼馴染がいる。それも世間的には天才と呼ばれるようなの子が。
卯ノ花マイ。幼稚園の時から一緒に遊んで、小学校に中学校と共に過ごした。
どのくらい天才なのかと言えば教科書を読めば大体のことを理解し、運動神経も蒼美先輩には劣るものの特定の部活に所属していないのに所属している人とほぼ互角の実力を持っていた。それにその秀才さや実力をひけらかし、誰かを下に見るなんてことのしない人格も兼ね備えていた。
だからこそ色んな人に慕われ、常に中心に立っていた。
そして僕はというとそんな幼馴染と比較して平凡だった。教科書も何回も読み直し、予習復習をしてやっとマイの背中が薄っすらと見える程度。運動神経も球技はちょっと苦手で持久力もあまりない。優しさなんて誰しもが持っているものだから比較対象にはならない。
そうしてなんでもできるマイと僕の関係は昔から分かりやすいものだった。
ある時にはなんでお前なんかが天才のすぐそばをうろついているんだ。なんて言われたこともあった。多分、その時から僕はマイから離れるべきなんだろうと少しずつ考えるようになった気がする。
そして幼稚園からずっと一緒だったマイと離れるきっかけなったのが高校受験だった。
マイはもちろんこの付近というより高校の中で特にレベルが高い高校へと進学を早々と決めた。もしかしたら前からそこしか見ていなかったのかもしれないけど。
僕はというとその話を聞いて一応、過去問などを見たりしたがどうあがいても一年間の勉強だけでたどり着けるような場所ではなかった。
それでもマイと同じ学校に通うという漠然とした目標だけを持って、勉強を始めたのだったが夏に行われた模試で話にならないレベルの評価を出し、僕は進路の変更をすることを決めた。
色々見て回った結果、今の高校に進学することを決めた。もっともレベルの高い高校に受験することを少しでも考えていたため過去問などを解いても合格レベルには達していた。
だがそれ以上に僕の中に大きく降りかかったのが僕自身に何かを決める意思がないということだった。
今までマイの後ろをついて回っていて、全ての決定をマイに任せていた。高校受験も最初はマイがそこを受けるからという理由だった。そして一緒の場所に通うことができないということが分かって新しい進路を考えたがどこに行けばいいのか全然分からなかった。
自分の学力に合わせてや部活の強豪校など人によって選択の方法は違う。しかし学力は普通、部活には所属していない。そんな僕が高校を選択する基準がなかった。
そうしてしらみつぶしに高校見学をしていく中で無限に存在する部活、その中のどこかに所属しなければいけないがそれ以外は自由なことが多い高校を見つけた。
ここでならもしかしたら僕が興味を持って、自分の意思で入りたいと思える場所があるかもしれない。そう思ったのだ。
「そうして入ったのはいいんですが結局、僕は何も決められないまま今に至ります」
あまり面白くない自分の思い出を話し切り、小さく笑った。
赤里先輩は僕の隣に立ち、足元が濡れるのも気にせずただじっと僕の話を聞いてくれていた。話の端々に言葉を挟んでくるかと思っていたため少しだけ意外だった。
「確かにあそこはレベルが高いな。わたしでも文系の科目に関しては多少勉強をしなければ怪しいな」
後ろからそんな声が掛かり、振り向くといつの間にか柴堂先輩たちがいた。
どこから聞いていたのかは分からないが少なくともマイの進学先くらいから聞いていたようだった。
海賊の中でも頭のいい柴堂先輩がそういうのならそこに合格したマイは凄いのだろう。でもするべき勉強も多少なのは柴堂先輩の天才具合を物語っている。
そういえば先週、一緒に行った大学に多くの進学実績を持つのもそこだったはず。
「あたしもそこにスポーツ枠で呼ばれたけど勉強がね~」
蒼美先輩もどこからか持ってきた流木でスイングをしながら言う。多分、言葉には出していないが勉強だけではなく公式、非公式の試合に出れないことによるスポーツへの思いもあったのかもしれない。
そこも当然、勉強だけではなくスポーツにも力を入れており、将来のプロや世界に羽ばたくことを期待されている人が呼ばれていたりもする。
「きっとわたくしも普通高校に通うことと言われなければそこに行っていた可能性も少しだけありましたね」
日傘を差しながら黒崎先輩も頷く。その傘も森川さんが用意したのだろうか。
黒崎先輩は確か元は女子学園に通っていたと言っていたか。もちろん黒崎グループの令嬢だからそこに通うのも簡単に想像できる。
というかここにいるみんな普通なら今の高校ではなくそっちに通っているはずの人ばかりだ。
改めて僕は凄い人たちと一緒にいるんだなと思ってしまった。
「なるほど。お前の悩みってのは大体分かった」
最後に話の間、ずっと口を開かなかった赤里先輩がそう言った。悩みなんてほどのものではないが実際僕がずっと抱えて来たものではある。
「それでなんで入部届を出し渋ってんだ?」
「えっ⁉ そ、それは結局自分が入りたいと思うところを見つけられなかったから」
「そのくらい分かってるわ。出すだけならどこでもいいだろ? あみだくじまで用意してたんだから」
「それは自分で決めたってことになるんでしょうか?」
「お前があみだくじでいいって思ったんならいいんじゃないか」
くじに書いた部活も教室でそれなりに話す人がいるからってだけでそれ以外に理由はない。正直、そこに入りたいかと言えば入りたくはない。期限が迫っているから作ったものでしかない。
ということはこの選択は僕の本心ではない。
片目の隠れた赤里先輩。だが片目だけでもすでに僕の心を見透かされているような気がした。
僕は赤里先輩を見ながら首を横に振る。
「僕はこの決定をいいとは……思えません」
そう言うと赤里先輩は口の端を上げた。そしてそれは他の三人も同じだった。
「まずは自分の気持ちに正直になること。これは合格かな」
「期限が迫ると人は簡単な解決法に行きたがるものだ」
「先日の論文もですか?」
「……ノーコメントだ。少なくともあれは逃げていない。道が逸れただけだ」
自分の気持ちに正直になる。確かに今までやってこなかった。僕より決定を間違えない人がすぐそばにいたからそんなことすら放棄していた。
「少なくともお前は一つ自分で決めていることはある」
「っ! そ、それは」
「この学校を選んだことだ」
一瞬、赤里先輩が言っていることが理解できなかった。この学校を選んだこと?
でもそれはマイと一緒の高校に行けなかったから選んだだけであって……
「言いたいことも分かる。だが、なりゆきで決めたわけじゃないんだろ。しっかりここでなら何かを見つけられると思った。だから選んだ」
「でも僕は何を見つけられていない! 入ってみたい部活も皆さんが見つけた宝も‼ 何も見つけられていない……」
僕は行き場のない怒りを叫ぶ。そんなこと分かっている。でも結局僕は見つけられていない。決めることができなかったからこうして悩んで、悩んで、悩み抜いて、どうすることもできずここにいる。
人が簡単にできることができない。そんな僕が誰もが心に一つ持っている宝箱を開けることなんてできない。
僕の怒号を聞いた赤里先輩は困ったように頭を掻いた。
そうだ、こんな僕を相手にするだけ時間の無駄だったんだ。
そう思った瞬間、赤里先輩は僕の背後に行き背中を押し始めた。何が起きているのか分からないまま僕は浅瀬まで連れて来られた。
「さあ、こっちを向け」
「な、何を?」
言われるがまま振り向くとそこには満面の笑みを浮かべている赤里先輩がいた。何をするのか全く分からないがなんとなくその笑みに恐怖を覚えた。
「心配すんな。一瞬で終わる」
その言葉の意味を聞き返す前に勢いよく上半身を押されて、僕は背中から海に落ちて行った。
何が起きたのか分からないまま全身を駆け抜ける海の冷たさ。次に感じるのは口から入る塩味のする海水。そこまで来て僕は海に突き飛ばされたことを理解した。
浅瀬からちょっとの場所だったためすぐに体が沈むなんてことはなかったがそれでも頭から足先までずぶ濡れになってしまった。
上半身を起こしながら首を横に振る。時間にしてもほんの数秒しか沈んでいなかったが思った以上に水を含んでいたらしくバシャバシャと髪から雫が飛んでいく。
そして僕を突き飛ばした張本人である赤里先輩の方を見る。
「……何をするんですか」
「どうだ? 全身ずぶ濡れの気分は」
「……あまり、いいとは言えませんね」
さすがの僕でもふつふつと怒りが湧き上がって来ていた。何の理由もなしにいきなり海に突き飛ばされれば誰だってそうなるはず。
「少しは視界がはっきりしたか?」
「はい?」
「ネガティブになってると見えるものも見えなくなるぞ」
「えっ……」
見えるものも見えなくなる? それは一体なんなのか。答えるより先に赤里先輩は僕の方に近づいてきた。
そして自分のズボンが濡れることもいとわず僕の前でしゃがんだ。
「そんな簡単に宝が見つかってたまるか」
「でも見つけることが海賊の意味で……」
「海賊ってのは宝を求めて大海原を行くもんだ。宝を見つけたから海賊じゃない。ましてや海賊になりたいから宝を見つけるんじゃない。宝を見つけるまでの冒険を、困難を、全てをひっくるめて俺たちは海賊って呼ぶんだ!」
宝を見つけるまでの冒険を、困難も海賊に必要なこと。
誰もが最初っから海賊ではない。だが逆を言えば誰でも海賊になれる。スポーツの達人も天才的な発明家も社長令嬢でも。
そしてなんの取り柄のない一般人でも。
「お前の航海は始まったばかりだ。この広い海の中にある宝を見習い、お前はこれから見つけるんだ。なあ、ワクワクするだろ?」
その屈託のない笑顔を見ながら僕は一人考えた。
やりたいことが分からない。それを見つけるために一つの部活、もしくは複数の部活に籍を置いていても見つけられるか分からない。一生かけて見つからないかもしれないものを探すことなんて果たしてできるのだろうか。
それだったら僕はどうすれば……
「あぁ、そうか」
違う。そんな難しく考えることじゃない。僕は今、学園海賊にいたいんだ。
部活動を決められなかった焦りもあったがそれ以上にどこかに入ってしまうと学園海賊のみんなと常にいることができない。
でも今の今まで学園海賊に入る勇気がなかった。それは海賊になるということは既存の部活に入らないということ。
学校の決まり、自由を得るうえで唯一課せられた決まりを守らないことになる。他の三人はそれぞれ部活に入らずとも自由を得るための理由があるが僕にはない。
だが今回、赤里先輩はそれを示してくれた。学校時間中に抜け出すことで海賊という存在自体がこの学校の枠に縛られないものなんだということを。
もしかしたら本人はそんなこと考えていないかもしれないけど僕にはそう思えた。
この広い海の中にある宝。僕の心の中にある宝物を果たして見つけることができるだろうか。まだ自分で何かを決めることもままならない僕だけど。
いや、今から変わっていけばいい。この胸を鳴らすワクワクが僕を突き動かす限り。
まずその始まりはこれから始めよう。
一度大きく深呼吸をして赤里先輩に向き直る。そこには突き飛ばした時とは違う、笑みが浮かべられていた。
「いい顔になったな」
そう言う赤里先輩に対して僕は手を差し出す。
「砂に足を取られちゃいました。引き上げてくれませんか?」
「ああ」
差し伸べられた赤里先輩の手を握る。そのまま勢いをつけて起き上がるふりをして繋がれた手を引っ込める。
赤里先輩も一瞬、唖然とした顔をしたまま僕の隣に思いっ切り頭からダイブしていく。
ザバンという音と共に僕と同じようにずぶ濡れになる赤里先輩を見て、久しぶりに声を出して笑った。
何も言わないで僕を海に突き飛ばしたんだからそのくらいの仕返しは許されるだろう。
「ぷわっは! しょっぱ」
するとすぐさま海から顔を出した赤里先輩が口に入った海水を噴き出しながらこちらを見た。
「見習いお前、やっていい事と悪い事ってもんがあるだろ⁉」
「先にやったのは赤里先輩じゃないですか」
「お前なぁ~」
そう言いながら全身ずぶ濡れの赤里先輩が立ち上がると横から何かが飛び込んできた。
鳥かと思ったが明らかにそれよりも大きい。細いが筋肉質な脚、揺れる青いリボンに愉快そうな笑い声。
「チェストー‼」
蒼美先輩のドロップキックがさく裂して赤里先輩は更に吹き飛ぶ。蒼美先輩も受け身を取りながらも水面に落ちていく。
二人分の大きな水しぶきに僕はとっさに顔を隠した。先に海から上がってきたのは蒼美先輩だった。
「いや~ 船長に一矢報いるとはやるねぇ、見習い後輩くん!」
「ど、どうも」
「宝探し、あたしも手伝ってあげる。その代わりにまた色々手伝いをしてもらうけどね」
「分かりました。お願いします」
先ほどの水のかけあいとは違い、完璧に制服が濡れた蒼美先輩。ワイシャツの奥に水色っぽい何かが見えたがなるべくそれを視界に入れないように頑張った。
「それは我々も同じだ」
「柴堂先輩。それに黒崎先輩も」
「悩むことも多いと思いますがその時はまた大きなケーキを焼きますね」
「あはは…… お手柔らかに」
あの大きなケーキのことだろうか。出来たら普通サイズをお願いしたいのだが。
そうこうしていると蒼美先輩にドロップキックを決められ、吹き飛んでいった赤里先輩が浮かび上がってきた。
「アスリート。てめえ! 見習いのは二千歩譲っていいがお前のはダメだ!」
「えー、おじいちゃんの遺言なんだもん。後輩をイジメるやつは蹴っ飛ばしていいって」
「お前の爺さんまだ死んでねえだろ!」
「だが、いきなり突き飛ばすのはいかがなものかと思うぞ。キャプテン」
「同害報復と言いますからね。……まあ蒼美さんのは少しやりすぎではありますけど」
悪びれない蒼美先輩に正論を言う柴堂先輩。黒崎先輩はどっちつかずだが多分これがこの四人のいつもの光景なんだろう。
だがなぜだろう。どうして柴堂先輩は手に破壊力抜群の水鉄砲を持ち、黒崎先輩は撥水性のよさそうな傘を持っているんだろうか。
「いいだろう。だったらお前たちに教えてやる。学園海賊の中で一番強いやってやつを」「ちょ、まあここら辺でやめにしましょ」
いつの間にか赤里先輩対蒼美先輩たちという構図が出来上がっていた。そして運の悪いことにちょうど間に僕がいる。
このままでは嫌な予感しかしないため停戦を呼びかけたが一足遅かった。
「くらええええ‼」
「いっけえええ!」
二人の海戦の合図と共に左右から大量の海水が降り注ぐ。逃げる暇もないくらいの水のかけあいの応酬に巻き込まれてしまった。
四人が僕に気が付いた時にはすでに僕はあり得ないくらい濡れていた。
「あーあ、お前たちもイジメたー」
「ぐっ、何も言い返せない」
「えっと、蒼美先輩のひいお爺さんが言っていたんでしたっけ?」
「一応、設定ではおじいちゃん」
「後輩をイジメるやつにはどれだけ水をかけても許されると……」
「ま、待つんだ。落ち着こう」
僕はとても冷静だ。みんなに海水をたくさんかけてもらったんだから。これ以上冷静になったら風邪を引いてしまう。
「では、いきますよおおおおお‼」
僕はそう叫ぶと四人に向けて水を思いっ切りかけ始めた。
結局、僕たちは風が肌寒くなるまで遊び尽くしていた。
全員、制服がびしょ濡れでこのまま帰るわけにはいかないということで黒崎先輩のお家にお邪魔して、お風呂と夕食までご馳走になった。
高級料理店で出てきそうな食事の数々に圧倒されてしまいあまり味を覚えていない。
そして新品になって返ってきた制服を着て、僕たちはそれぞれ家路に付いた。
頭を空っぽにして遊んだのはいつぶりだっただろうか。バカみたいにはしゃいで周りの目も時間も気にせず。
だがそのおかげか妙にすっきりした気分だった。数時間前まであれだけくよくよと悩んでいたのが嘘のようだ。
明日、学校に行けば色々言われてしまうかもしれない。でもそれも学園海賊に入ったことの証なのかもしれない。
そして明日、登校したらすぐにしなければいけないことがある。一歩を踏み出すための大事なことだ。
だがその前に一つ。僕はカバンから折り畳まれた紙を一つ取り出す。それは入部する場所を決めるために用意していたあみだくじ。
歩きながらそれを折っていき、紙飛行機を完成させる。
「バイバイ。僕の悩み」
そう言って夜空に投げた紙飛行機はちょうど吹いた強い風に乗って、どこまでも飛んで行った。
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