第四章 船出の時

第四章 船出の時

~五月二十九日~

 いつも通りの月曜日。休日明けで少し憂鬱な気持ちの中、変わらない日々を消化するために登校をする。

 しかし今日に関しては特にその足取りは重たかった。

 結局、僕は部活動を決めることができないまま期限最終日になってしまった。

いっその事仮病でも使って休んでしまえば楽になるかもしれないとも考えたがそれはただ問題を先送りするだけでしかない。それに仮病を使うだけの勇気は僕にはない。

 中間テストが近づいてきているためか少々ペースアップした授業に意識を集中しようとするがすぐに別のことが頭を埋め尽くしてしまうため、板書こそノートに書いてはあるもののそこに関する先生の説明は一切頭に入っていなかった。

 友達にもなんだか上の空だよな。心ここにあらずって感じ。と言われてしまう始末。体調を心配する声も貰ったが体だけは無駄に丈夫なためなんともない。少し寝不足なだけと言ってその場は納得してもらった。

 お昼休みになってもその状況は変わらない。なんだったら時間が刻一刻と迫っているため心境的にはとても辛い。

中庭のベンチに座ってただ地面を眺めることしかできない。脇にはコンビニで買っておいたパンが入った袋があるが正直、食欲はない。いつもなら温かな陽気に眠気を誘われるところだがそんな余裕すらない。

一度大きく天を仰ぎ、大きく息を吐く。体の中にある辛さを外に出すが吐き出したところでそれ以上のものがまた生まれるだけ。

そして僕は視線を戻しながら手に持った小さな紙切れを見る。そこには四つの部活動の名前が書いてあり、それぞれの上には線が伸びて交差を繰り返し、四つの出発点へと繋がっている。

 これは数日前に僕が期限日までに部活動を決められなかった時用に作っておいたあみだくじ。候補の四つは友達が入部しているところや今から入っても迷惑にならなそうなところを選定した。

 先生も頑張って引き延ばしてくれた。最初の期限は四月終わり。それが気が付けば五月末。一ヶ月もよく期限が伸びたものだ。だがこれ以上は伸ばすことはできない。

 元々決まらなければこうしていくつか候補を出して決めようと思っていた。これを作っていた時もそう決心していたはずなのだが改めてこの紙を前にするとその気持ちに揺らぎが出てくる。

 本当にそれでいいのか。こうした何かに頼ることをやめて自分で決めることができるようになるためにここに来たんじゃないのか。もう昔のように誰かに頼ってばかりの自分を終わらせるためじゃないのか。

「はあ……」

 様々な思いが頭の中に湧き上がってしまったため一度それを吐き出す。しかしそんなことただの気休めでしかなく実際、頭の中はまだ埋もれたままだった。

 どうするべきか、とベンチの背もたれに背中を預けていると僕の目の前に誰かが現れた。

「こんなところで何してんだ」

 その声に僕は空を見ていた視線を前に戻す。

 特徴的な肩から掛けたブレザーに片目を覆う眼帯。こちらを不思議そうに見るその顔を見ながらその名前を口に出した。

「赤里先輩」

「校舎からお前が座ってるのが見えて来たが何してんだ?」

「何を…… 何もしてませんでした」

 僕は手に持っていたあみだくじの紙をポケットに入れながら言う。考え事をしていたとはいえ何もしていないと言えば何もしていない。だからこの返しもおかしいものではないはず。

「なんだそれ。貴重な昼休みがなくなっちまうぞ」

 赤里先輩は僕の回答に対して一瞬眉をひそめたもののすぐにいつもの表情に戻り、僕の隣に腰掛けた。

「眩しい空だな。目に染みるぜ」

「片目を覆っているからこそ余計に染みるんですかね」

「こんな日はどこか行きたくなるな」

 大きく伸びをしながら赤里先輩は言う。自由奔放な先輩はいつでもそんなことを思っていそうだが今日に関しては少しだけ同意してしまう。

「そうですね…… 教室で授業を受けているだけなのは勿体ないですね」

「じゃあ、このまま行っちまうか」

「……それもいいかもしれませんね」

 すでに深く考えないで返事をしている。どうせ行くなんて言っても行くことはないんだし。

「見習い、お前なんかあっただろ」

「えっ?」

 その言葉に僕はとっさに赤里先輩の方を見た。そこにはいつもの狩る愚痴を叩く時の飄々とした表情はなく真剣だった。

 今の話の流れでどうやってその結論に至ったのか。僕には分からずただ目を点にしながら必死に答えを探すことしかできなかった。

「ど、どうしてですか?」

「お前は腐っても真面目だ。だからいくら天気がいい日でも授業をほっぽり出して外に行くなんて選択肢はない。だがお前の表情は本当に行きたいと言っている。それはなぜだ」

 僕はそれに答えることはできなかった。いや、それ以上にほんの少しの会話と表情だけでその人のことを読み取る。そのことに驚き、他のことを考える余裕がなかった。

伊達にあの三人をまとめ上げて海賊の船長はやっていないんだろう。

「そ、そんなことないですよ。ただ話を合わせただけです」

「だったらどうしてそんな苦しそうな表情をしているんだ」

 そう言われ、顔に手を当てるが自分では自分の表情は見ることはできない。それに僕の反応を見て確信したような表情を浮かべていた。

 嘘に嘘を塗り重ねるがそれはただ赤里先輩に嘘を決定づけるだけの理由を与えているだけだった。

 僕は観念して今、自分が置かれている状況をそれなりに話した。部活動にまだ加入しておらず期限を延ばしてもらっていたがそれも今日が最終日。なのにまだ加入する部活動が決まっていないことを。

 赤里先輩は意外にもしっかりと聞いてくれた。決まっていないなんて優柔不断なだけと笑うクラスメイトもいた。実際、赤里先輩もそんな風に言うんじゃないかと少し心配していたがそんなことはなかった。

「そんな感じでどうするべきか迷ってここにいたんです」

「そうか」

 話し終えた僕に赤里先輩は特に何も言わなかった。昼休みも大分終わりに近づいてきているため同じように昼食を食べていた他の生徒たちは校舎に戻り始めていた。

「お前は……」

 すると赤里先輩が口を開いた。

「本当にどこの部活に入るか、で悩んでいるのか」

「そ、それはどういうことですか」

「正直、入るだけならどこでもいいだろ。それこそ入部しても幽霊部員になることだって禁止されている訳じゃない」

「…………」

 耳を覆ってしまいたかった。このまま行くと僕が心の奥にしまい込んで誰にも話さないようにしていた幼稚でカッコ悪いそれを言い当てられてしまいそうだった。

「見習い。お前はその胸の中に何を隠している。部活決めをそこまで真剣にさせるものは一体なん————」

「何もっ‼ 何もないです……」

 僕は勢いよくベンチから立ち上がりながら赤里先輩の言葉を遮った。人に対してここまで強めの語気を出したのは初めてだったかもしれない。

 そしてそのことにすぐ気が付き、僕は赤里先輩の方を見た。もしかしたら言葉を遮ったために怒っているかもしれない。

 だが意外にもその表情は少し笑みを含んでいた。

「なんだ。そんな声も出せるんじゃないか」

「……っ! 失礼します」

 ちょうど昼休み終了のチャイムが鳴ったため僕は教室へ戻るために校舎の方に歩きだした。教室に戻り放課後が近づくのと今ここにいることを天秤にかけた時、明らかにここにいる方が辛かった。

赤里先輩は特に何も言わず、僕も振り返りその顔を見ることはできなかった。

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