第三章 航海~今と過去~(7)②

「実は今日はゴミ拾いが本題ではないんです」

 適当なベンチに座りながら先ほどもらった飲み物を飲んでいると黒崎先輩が口を開いた。

「と言いますと?」

「昨日、森川さんと会いましたよね?」

「うっ、は、はい…… すみません」

 多分隠してもすぐにばれることだと思い僕は素直に白状した。黒崎先輩が席を外したほんの少しの間しか話をしていなかったのにどうやって気付いたのだろうか。

「謝る必要はありませんよ。そんな気がして昨日の帰りに問い詰めただけですから」

 それはそれであの車の中が地獄のような緊張感に包まれたんだろうなと想像は容易かった。果たして森川さんは大丈夫なのだろうか。

「まあ、今回はわたくしについて知ってもらおうと思いまして」

「黒崎先輩について、ですか?」

「はい。これからも末永く付き合いが続くとなると知っておくべきだろうと」

 黒崎先輩は少し視線を落としながら言う。

末永くという言葉に少しドキッとしてしまったがその様子からすぐに気持ちを切り替えた。

 昨日もあまり自分の私生活については話したがらない様に見えた。話したくないことを無理やり聞くことはしたくないが本人が話すと言っているなら僕はただ黙って聞くだけだった。

 でもその橋渡しくらいはできるだろうと先に口を開いた。

「昨日、森川さんからこれをもらったんです」

 僕はポケットに入れていた財布から一枚の紙を取り出す。上等な紙質にくっきりと黒いインクで印刷されているそれを黒崎先輩に渡す。

『黒崎グループ専属ボディーガード 森川』

 黒崎グループ。日本の企業の中で知らない人がいないほどの有名企業。生活するうえで必ず目にするしなんだったら近代史の教科書にだって創設者の名前が載っている。

 だが黒崎という名前も日本に一世帯だけという訳ではないため名字を聞いた時、思い浮かべもしたが関係ないだろうとすぐに頭から消した。

「そうですね。わたくしは現グループ社長の娘、黒崎アカリです」

「そんな方がこんな近くにいるなんて思いもしませんでした」

「驚きましたか?」

「そりゃあ驚きますよ」

 いたずらっぽい顔で笑う黒崎先輩を見ながら僕も肩をすくめながら答えた。

 これは伏せておくが昨日家に帰ってからパソコンで黒崎先輩の名前を検索してみた。すると黒崎グループの息女ということもあってか、いくつかの記事があったりした。同様に蒼美先輩も柴堂先輩も検索をすれば今までの功績を見ることができた。唯一赤里先輩の名前は何も出てこなかった。

「隠すつもりはなかったんです。ただ最初っから明かしたらその……」

「僕が気を遣ってしまう。ですか?」

「……はい。元々先輩後輩という上下関係がある中に更に考慮すべき関係ができれば白井さんは何も言えなくなってしまいます」

 僕としては人に何か意見することはあまりないからそういうことも初めから言われていてもよかった。と今なら言えるが実際のところは分からない。

「始めの頃はわたくしも驚きました」

「と言いますと?」

「お父様がこれからは一般人の感覚というものも必要になる。そう言って決めましたから。それまではそのまま通っていた大学まで一貫の女子学園に通うと思っていました」

 そこから黒崎先輩は少しずつ自分のことについて話し始めた。昨日、休日の過ごし方について家の用事と言って片付けていたのはそこに様々な習い事が含まれており、習い事をそんなに掛け持ちしていることを話せば自然と家の話に発展してしまうことを恐れてあえて言わなかったらしい。

 前津高校に通うようになったのもお父さんの友人が経営をしているそうで色々都合がよかったらしい。うちの高校にやけに監視カメラの類のものが多い理由も察せられた。

「少しだけ憧れていました。普通の高校がどういうものなのかと。今までの何不自由ない生活も嫌ではありませんでいたが常に何かを意識した生活は窮屈でした」

 きっと黒崎先輩が元通っていた学校は家柄などの見えない攻防戦があったのかもしれない。黒崎先輩はその中でも頂点に位置していただろうけど。

「ですけどここもそう変わりありませんでした」

「何かあったんですか?」

「自由が広がると見えるものも変わってきます。わたくしを見る視線。憧憬や尊敬、崇拝。それと同じくらいの羨望や嫉視に嫉妬。あの時よりももっとひどかったです」

 傍から見ても黒崎先輩の育ちがいい事は分かる。そのため羨ましさや妬みが多く寄せられたのかもしれない。

「その上、お父様からの交友関係への調査もありました。もうわたくしに人を信じるということはできなくなりかけていました」

 身辺調査というのには覚えがあった。昨日、森川さんが同じようなことを言っていた。友人ができるたびにそんなことが行われていたとなれば人と関わることを止めようと考えるのも無理はない。

 しかしそれでは黒崎先輩のお父さんが言う一般人の感覚というものを理解できないのではないのか?

「お父様は教えたかったんです。上に立つ者と一般人は分かり合うことができないと。環境の違いが価値観の絶対なる違いになることを」

 だいぶ大回りな事をしているように思えるが言って聞かせるより実際に体験させた方が早いというのも事実。そしてそれを黒崎先輩は身を持って感じた。お金持ちへの憧れも何不自由ない生活への妬みも。

それに僕と黒崎先輩の価値観が同じところは少ないと思う。ゴミ拾いに取り組む意欲だって呼ばれて来た僕と自主的に参加する黒崎先輩では大きく違う。

 でも、それでも。

「僕たちはこうして話ができています。絶対の違いではないのでは」

「……そうですね。あの時も近い言葉をかけてくる方々がいました」

 方々。その複数形の人物たちが誰なのか今までのことを考えると容易に想像できた。

「人との関りを絶ったある日の放課後。裏庭でボウリングの玉を使ってキャッチボールをしていました」

「それはまた、衝撃的な光景ですね……」

「翌日はテニスボールを使った二人制お手玉。その次の日は校内で逆立ち競争。この人たちは一体何をしているんだと興味で見ていたというより観察が近かったですね」

 あの二人ならそんな光景がすぐに頭の中に浮かんでくる。きっともう一人は傍らで情報収集でもしていたんだろう。

「そんな日々の中、遂にわたくしは見つかってしまいました」

「ああ……」

「そしてこう言われました」

『前から見てたみたいだが仲間に入れて欲しいなら自分から言え! お前が何者だろうがなんでも誰かがやってくれるって思うんじゃねえぞ!』

「それはまた手厳しいですね」

「そうですね。でも、何者だろうが。あの言葉は今でも鮮明に覚えています」

 その時のことを嬉しそうに話す黒崎先輩。その瞬間に何を思い、何を感じたのかは僕に分からなかった。

「今まで黒崎グループ社長の娘という肩書だけがわたくしでした。それを一人の人として見てくれた同年代の方は皆さんだけでした」

「それからの日々はなんと言うかスリリングに溢れた日々でした」

 そこから黒崎先輩は学園海賊としてやって来てたことを話してくれた。最初はただ遊ぶことに抵抗があったそうだがいつの間にかみんなに交じって笑顔を取り戻したと。

 そのことを話す黒崎先輩は本当に楽しそうで大切な時間だったのだろうと思わせた。

「でも、お父さんから身辺調査はなかったんですか?」

「もちろん、ありましたよ。しかしそれくらいで止まるあの人たちだと思いますか?」

「権力という大きな力にも向かって行ったんですか?」

「はい。なんだったらうちに直接乗り込みに来ましたよ」

「……それはまた、大胆不敵な行動を」

 黒崎先輩がいなかった時と考えるとブレーキとなりうる人がいないため走り始めたら止まることを知らないんだろうな。でもこれの場合はその突き進む姿勢があったからこそ何かを成しえたのかもしれない。

「そうして改めてわたくしは学園海賊の一員として迎えられたという訳です」

「でもそこからどうしてメイドという役職になったんですか?」

「それは簡単です。わたくしは皆さんにたくさん助けてもらいました。なので何かを返すために奉仕をする姿勢を見せようと考えた時、近くにメイドがいて閃きました」

 なるほど。お世話になったみんなに恩返しをしたいと。なんとも黒崎先輩らしい理由だと思ってしまった。

「それに……」

「それに?」

「初めてできた本当の友達。それを大事にしたいと思いまして」

 多分、黒崎先輩の『宝物』が分かったかもしれない。大企業の令嬢として生まれ、ふさわしい品格を身に着け、幼い時から友人というより将来のツテとなりうる人間関係を築いてきて、ここに来ても一歩引かれた関係しか築けなかった黒崎先輩が初めて作れた友達。並んで歩くことができるそんな人たち。

 僕がそんな大切な輪の中に入ってしまっていいのだろうか。

「さて、いい時間ですし帰りましょうか。お家まで送りますよ?」

「いいえ。そんな。大丈夫ですよ」

 少し考えているうちに立ち上がっていた黒崎先輩に僕は遠慮の言葉を伝えるが公園の外を指さして朗らかに笑っていた。

「まあまあ、そう言わずに。すでにそこに車が来ていますから」

 視線の先を見ると昨日見た高級車が見えた。その運転席には森川さんがおり会釈されたので僕も同じように返した。

 しかし反応してしまったためもう逃れるすべはなかった。僕は観念して黒崎先輩と一緒に車に乗って家まで送ってもらった。

 だがそんな楽しい時間も終わりが近づいており、僕に残された時間はそう長くはなかったことをすぐに思い出すのだった。

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