第三章 航海~今と過去~(6)

~五月二十七日~

 翌日の土曜日。僕は休日だが制服に身を包んで学校を訪れていた。

 あの後、迎えに来た柴堂先輩のお父さんの車に乗って家まで送ってもらった。が帰宅後友達に連絡をして課題がないかの確認を取ると英語で問題集を次の授業で提出すると聞いた。だが運の悪いことに英語の問題集を机の中に仕舞いっぱなしにしていた。

 次の授業が月曜日のため面倒だったが取りに行く選択肢しかなかった。

 いつもなら賑やかな昇降口も廊下も誰もおらずなんだか不思議な気分だった。外では屋外系の部活動が活動をしていた。もしそういう系に入っていれば部活の次いでに取りに行くという理由付けができたのかもしれない。

 だがこれに関しては僕の怠慢が原因のため文句を垂れても仕方なかった。

 問題集を回収して階段を下りながらこれからのことを考える。このまま帰ってしまうのもいいがどうせならどこか寄り道をしていくか。

 そんなことを考えながら昇降口に出ると人影が一つあった。学校指定のジャージの上からオーバーオールを着ている。どこの部活だろうと思いながら見ているとその人が振り返った。

「白井さん?」

「はい?」

 聞き慣れた声で名前を呼ばれて僕は思わず変な声が出てしまった。しかし聞こえてきた声と服装が僕の中で一致せず本当にあの人なのか混乱してしまった。

 真相を確かめるために近づくと僕の記憶に違いはなかった。

「……黒崎先輩」

「はい。黒崎です」

 そこにはいつものように朗らかに微笑む黒崎先輩の顔があった。

「えっと、何をなさっているですか?」

「土いじりです」

「土いじりですか?」

「はい。まあ百聞は一見に如かずです。ついて来てください」

 まだ二くらいしか聞いていないのだが見た方が理解できるのは確かだと思う。

 黒崎先輩は僕が靴に履き替えるのを待って、外に歩き出した。

 案内されたのは前に部活動見学の時に園芸部が花を植えていると言っていた花壇だった。そしてよく見てみるとその一角に『黒崎アカリ専用』と書かれた看板が設置されていた。

「こちらわたくし専用の場所となっております」

「専用ですか……」

「学校からのご厚意で用意してもらったんです」

 一角とは言ったが花壇全体の大きさから見たら半分くらいの広さでそこには一人で手入れをしたとは思えないほどの花が咲いており、正直園芸部が管理しているところより華やかに見えた。

「一人での管理ですからまだまだですよね」

「いいえ。そんなことは」

「去年から植え始めたものもありますからあまり数がないんですよね」

 だいぶ謙遜しているが今でも十分すぎるくらいだ。去年入学してここを植え始めたと考えればこの下段はすでに完成しているように思える。黒崎先輩の頭の中で描いている花壇は一体どうなっているんだろうか。

「お水をあげようと思っているのですが一緒にどうですか?」

「え、いいんですか?」

「もちろんです。わたくしの場所は学園海賊の場所でもありますから」

 そう言うとどこからともなくジョウロを取り出した。メイド服でないとどこからともなく取り出すのはできないと思っていたため驚いてしまった。

 しかも今サラッとだが僕を学園海賊の一人として数えていたし。

 さすがにジョウロの中に水は入っていなかったため近くの水道に汲みに行き、乾いた地面に水を与えていく。

「そうです。満遍なくかけていく感じです」

「なかなか難しいですね」

 最初に見本を見せてもらい僕はまだ芽の出ていない場所をやることになった。ある程度筋肉はあるとはいえ程よく重さのあるジョウロから偏りなく水をかけていくのは難しい。

 黒崎先輩は決して手を出すことなくただアドバイスをしてくれるだけだった。でもそれが自分でやれているという充実感があった。

「いい感じです!」

「よ、よかったです」

 やりきった達成感と変な緊張感もあったためジョウロを下ろしながら僕は息を吐いた。その時、花壇に植えられた花の中でひと際目立つ赤色の花があった。他のより大きく育ちふんぞり返ったように咲いているそれに何か既視感を覚えた。

「それは船長さんが植えたものです」

「なんかぽいですね」

「ふふ、そうですね。ちなみに隣の青色は蒼美さんが。紫色は柴堂さんが植えました」

 黒崎先輩がそれぞれ指差すのを見ると青色の花は元気そうに茎をビシッと伸ばしており紫色の花は二つの陰に隠れて茎が少し猫背だった。

 植えた人によって花の成長に影響があるなんてことはないだろうがこの三つに関しては例外なのかもしれない。

「実は密かに皆さんの名前を付けて育てています」

「なんかいいですね。それ」

 秘密ですよ。と口に人差し指を当てる黒崎先輩を見て僕も同じように口に人差し指を当てて、二人で笑いあった。

 そしてその後、管轄外ではあるが他の花壇や中庭の植物の様子も見に行くと言うので僕は荷物を黒崎先輩が置いているという場所に置かせてもらい付き合うことにした。

 花壇に関しては黒崎先輩や園芸部、先生たちが時々見ているらしくそこまで荒れた様子はなかった。それでも土は乾いているため先ほど学んだ水のあげかたを復習するように与えていく。

 中庭の植物も枝が伸びすぎていないかなどを確認するが学校が定期的に業者を呼んで手入れを行っているそうで不自然に伸びて危ないものはなかった。

 しかし一部黒崎先輩が気になる部分もあるようだった。

「ここのどこが気になるんですか?」

「そうですね…… 業者としては危なくないように手入れをするが仕事なのは分かっていますが少し雑なように見えまして」

 それは少し見上げるくらいの大きさくらいの木だった。僕はそういう美的センスはあまりなく今のままでも十分なんじゃないかと思う。

「少しお待ちください。ハサミを持ってきます」

 そう言って黒崎先輩は来た道を戻って行ってしまった。ハサミもどこからともなく取り出すのかと思ったが違った。

「それはお嬢様が普段使いしている物だからです」

「ああ、そうなんですか。ってうおぉ、ビックリした」

 突然声がしたと思ったら僕が立っている茂みの後ろからスーツ姿の人が飛び出してきた。

 体に付いた葉っぱを気にすることなくジッと僕のことを見てくる。こういう時ってどううすればいいんだろうか。大声を出す?

 そんなことを考えているとスーツ姿の男性が会釈をしてきた。状況が呑み込めない僕はとりあえず会釈し返した。

「えっと、どちら様ですか?」

「申し遅れました。私はアカリお嬢様のボディーガードをしております森川と申します。以後お見知りおきを」

「は、はあ……」

 最初にもお嬢様と言っていたがやはりそれは黒崎先輩のことだったのか。

「それでボディーガードの方がどうして」

「いえ、ただお嬢様が楽しげにお話をされていたのであなたがどのような方なのかと」

「僕はただの一般人ですが……」

 サングラスをしているため目から感情を読み取ることができない。それ以外の顔の部位は一切動かないため怒っているのかそれとも喜んでいるのかも分からない。

「そうですね。身辺調査などをしても特に引っかかることはありませんでした」

「し、身辺調査⁉」

 普通に暮らしていれば聞くことのない言葉に僕は少しだけ背筋が伸びた。

「ご安心下さい。すでに資料は焼却処分いたしました」

「何をどう安心しろと言うんですか」

 すると森川さんは何かに気が付いたようにゴソゴソと動き始めた。

「こちらを」

「これは?」

 両手を添えられながら渡されたのは一枚の名刺だった。そこには森川さんの名前が書かれていた。

「何かあれば連絡をください。アカリ様に関しても、私に関しても」

 では。と言って森川さんは茂みの中に帰って行ってしまった。何がなんだか全く分からないままだった。ただ一つ分かったことは……

「お待たせしました」

 後ろから黒崎先輩の声が聞こえて僕は渡された名刺をポケットの中に閉まった。

「どうかなさいましたか?」

「いいえ。虫が茂みの中から出てきて驚いていただけです」

 あながち間違っていない説明をすると黒崎先輩は首を傾げていた。

 森川さんは黒崎先輩が戻ってくるのを察知して突然帰って行ってしまったのか。でもまだ距離があったのによく分かったな。

「よくありますよね。わたくしも前に枝を切っている時にハチの巣が落ちてきてさすがに驚きました」

「いや、それは驚くとかのレベルではないと思うんですが……」

「まあしっかりと捕まえて巣ごと無に帰しましたけどね」

 笑いながら言う黒崎先輩を見ながら僕はただ乾いた笑いをするしかなかった。目の前にハチの大群が現れたのにどうやってそれを退けたのか。そして何をして無に帰したのか。

 僕は深く考えるのを止めるのだった。

 その後、先輩が枝を切って行くのを僕は近くで見ているだけだった。さすがに枝切りまでは教えてもらうわけにはいかないし教えられてもできる気がしなかった。

「黒崎先輩は休日って何をなさっているんですか?」

「突然どうしました?」

「いえ、蒼美先輩や柴堂先輩はなんとなく想像できるんですが黒崎先輩はいまいち想像できないというか……」

 それを言ってしまうと赤里先輩も何をしているか分からないけど。

 僕の質問に対して黒崎先輩は枝を切る手を止めた。

「そうですね。学校だけでなく家の花壇を手入れもしていますし、ショッピングにも行きます。後は家の用事ですかね」

「家の用事ですか」

「まあ色々です」

 そこで話を区切って枝を切るのに戻ってしまった。そもそも休日に何をして過ごそうがそれは人の勝手だ。興味本位の質問だったとはいえこれ以上聞くのは無粋かもしれない。

 気が付けば日が傾き始めるような時間になっていた。他愛のない会話をしながら校内を回るのはなんだか校内案内をしているようで楽しかった。

「今日はすみませんでした。本当なら花壇だけだったのに」

「そんなことは。僕も楽しかったのでよかったです」

「そう言っていただけると救われます」

 ジャージにオーバーオールを着ていた黒崎先輩も今はメイド服に戻っている。休日の学園海賊のようでもないのにメイド服を着ているなんてそれほど気に入っているんだろう。少し標準的な制服の姿も見てみたい気もするけど。

「あの、白井さん」

 このまま解散かと思ったが黒崎先輩が僕を引き留めた。

「どうかしましたか?」

「明日、お時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」

「明日ですか?」

 無理とは言いません。と付け足す黒崎先輩を見ながら僕は明日の予定を頭に思い浮かべるがこれと言って特に予定はなかった。

「大丈夫ですよ。特に何もありません」

 何もしないで過ごすよりかは黒崎先輩の予定に付き合った方が有意義になりそうな気がした。

「本当ですか! では、後ほど連絡をいたします。それでは」

 別れの挨拶をして黒崎先輩は後ろに止められていた高級車に乗って帰っていった。

 その予定がなんなのか分からないがそんな突拍子のないことではないだろう。

ちなみに運転手は森川さんが勤めていた。

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