第三章 航海~今と過去~(5)
~五月二十六日~
翌日、僕は学校に着くなり物理準備室に向かった。そこにはすでに柴堂先輩がおり、いつものように大きめの白衣ではなくしっかりと制服を着用していた。
そしてどこからともなく現れた高級車に乗って僕たちは会場へ向かうことになった。
大学というまだ高校に入ったばかりの僕には縁遠いところに向かうのと初めて乗る高級車に背筋が伸びてしまった。
「えっと、僕も付いて来て本当によかったんでしょうか」
「昨日も言っただろう。助手が一人必要なんだ。君の公欠届けはわたしが出しておいた」
「そ、そうですか」
柴堂先輩のことだからそう言うところはしっかりしているはずだと信じよう。それに物理準備室に向かう途中にすれ違った先生からも何やら視線を感じたし。
一時間ほど車に乗り、少し眠気がやってきた頃柴堂先輩が僕の肩を叩いた。
「さあ、見えて来たよ。目的が」
そこにあったのは日本でも特に難関と呼び声が高い大学だった……
「という訳で今日はありがとう」
「は、はい……」
大学の門をくぐってから大体半日。僕と柴堂先輩は煌びやかに照らされるレストランに来ていた。どうしてこうなったのだろうと頭の中で何度も考えるが慣れない場所に答えがうまくまとまらなかった。
発表会場に着いた僕は数時間に渡る研究発表を聞くことになった。そのどれも理解できるものではなく僕はただ居眠りをしないことだけを念頭に置いていた。
柴堂先輩はというとやはり有名人なのだろうか様々な大人の人に話しかけられており僕はただ端っこで小さくなっていた。
全プログラムが終わり解散となった時、柴堂先輩に今日のお礼として夕食をご馳走させてくれ。と提案をされた。もちろん断ったりもしたが最終的には無理やり連れられてしまった。
「ぼ、僕こういうところ来るの初めてなんですけど……」
「緊張するのも無理ないか。でもそうやって固まっている方が不自然だ。手掴みで食べない限り追い出されはしない」
「例えが極端すぎますよ」
目の前に出される高級そうな料理。いや高級なのだ。メニューなどなく値段など知る由もないが周りに座る人たちの服装を見ればここがどれほどのところか分かる。みんなドレスコードをして料理を食べる動きに一切の無駄がない。
とりあえず過度に音を立てないようにして姿勢を正したまま食事をすれば笑われることはないはず。
目の前の柴堂先輩もいつもの様子からは想像できないほど上品に食事を進めている。
それから出された料理をなんとか食べるが緊張のためかあまり味を覚えていない。いい食材を使っているのもなんとなく分かるし、とても美味しいのだがそれを味わえるほど余裕がなかった。
「その様子だとあまり楽しめなかったかな?」
「いや、なんと言いますか緊張してしまって……」
「ふむ。では場所を変えるかい?」
「いえ、お腹はいっぱいです。あと胸も……」
僕のあまり正常に動いていない頭から出た言葉に柴堂先輩は小さく笑っていた。
せっかくこんなところに連れて来てもらったのにこれではなんだか申し訳ない。
「そういえばここってよくいらっしゃる場所なんですか?」
「どうしてそう思ったのか?」
「予約が必要そうなのに思い付きのようにここに来ていました。それにコース料理なのかもしれないですけど特に注文した様子もありませんでしたし」
すると柴堂先輩は少しだけ目を見開いた。何か変なことを言ってしまっただろうか。
「君はよく見ているね」
「え?」
「ここはわたしの祖父の兄弟の息子の親戚の……」
そこから頭の中に描いた家系図でも追いつけないほど長い親戚紹介が始まった。
「その息子さんのお店なんだ」
「遠すぎてすでに知り合いではない気がするんですが」
「一周回ってわたしの父親の知り合いの店なんだよ。だから父親伝えで予約を取ってもらったのさ」
だったら最初っからお父さんの知り合いの店ということで話をして欲しかった。家系図がすでに絡まった糸のようにぐちゃぐちゃになってしまっている。
「小耳に挟んだのだが蒼美君にわたしたちとの出会いを聞いたそうだね」
「はい。まあそれ以外にも色々と」
小耳に挟むというか僕と蒼美先輩以外にそのことを知っている人はいないから本人から聞いたんだろう。
「彼女も様々あったからね」
「あの」
「なんだい?」
「柴堂先輩は赤里先輩とどこで知り合ったんですか?」
時系列からして蒼美先輩が出会った時にはすでに柴堂先輩はいた。というか三年生の二人が先に出会っているのは必然だ。
「わたしがキャプテンを認知したのは小学生の時だな」
「えっ⁉ そんなに長いんですか」
「ああ。今にしてみても不思議な気分だよ」
目を瞑り懐かしむように腕を組む柴堂先輩。小学生からともなれば生きているうちの半分は一緒にいることになる。
「わたしは昔からこんなタチでね。小学生の時には今のように研究や発明に没頭していたんだ」
なんとなくそれが想像できてしまうのは僕の中で柴堂先輩と言う人が研究や開発をしている人という認識ができている証なんだろう。
「学校のみんなが黒光りするカブトムシに夢中の時にわたしは銀色に輝くカブトムシの置物を作っていた」
「そ、それはまた……」
「しかし自分たちと違うことをしている人をあまりいい目で見れないのが集団生活初めの小学生によくあることだ。わたしはよく分からないことをしているやつと言うレッテルが貼られていた」
まあ低学年の時にそんなものを作っていれば気味悪いと思ってしまう人もいるかもしれない。でも柴堂先輩もそのくらいで自分を曲げるような人ではない。むしろ煩わしい人がいなくなって清々したとか思っていたかもしれない。
「そんな時に一人の少年が現れわたしに言ったんだ」
『これ、動かねえの?』
そんな遠慮のないことを言うのは僕の中に一人しか心当たりがなかった。
「無遠慮なやつだなと思ったよ。でもそう言われて何をしないわたしではなかった。ただ動くだけではなく発光と音声ギミックを加えた」
「なんで一を求められて三で返しているんですか」
「だが彼はそれを見て、次は変形しないのかと聞いてきた」
なんで注文以上のやつを出したのにさらに要望を加えるのだろうか。いや一つのことで満足しないのがあの日とそのものなんだろう。
「それからはいたちごっこが始まった。二段階の変形機能を加えたらさらに変形はできないのかと」
それから果てしない攻防戦があったことを柴堂先輩は懐かしそうに話す。しかしその話に出てくるカブトムシ。どこかで……
その時、物理準備室に置かれていた薄汚れたカブトムシの置物を思い出した。壊れてしまっていつか直そうと思っている。と言っていたあのカブトムシがもしかして。
「そんな生活をしている時、わたしの周りにある変化が起きた」
「変化ですか?」
僕が別のことを考えているうちに話は少し進んでいたようだった。
「よく分からないとわたしを突っぱねていた人たちが徐々に周りに集まるようになった」
「なんでまた」
「わたしたちが楽しく何かをしているのが気になったのだろう。誰かが楽しそうにしていたら混ざりたくなるのもまた人だろ?」
確かに誰かが楽しそうにしていたら何をやっているのか気になってしまう。ましてや小学生なら変なわだかまりも気にしないだろうし。
「わたしは他者との対話をしてこなかった。だが人と関わることで一人では到底出すことのできないアイデアをここまで生み出すことができるのかと驚いたよ」
孤高を過ごしてきた柴堂先輩も一人の少年との出会いで変化を得た。そしてその変化はどんどん大きくなっていた。
「まあそれから色々あってわたしたちは同じ高校に通うことになった。そして前々から持ち出されていた海賊の話が出てきてね」
「突然端折りましたね。でも結成自体は高校からなんですね」
「わたしはこんなだから高校からも研究に集中してもらうように部活動入部が免除された。だからちょうどよかったんだ」
そういえば昨日も先生がそんなことを言っていたな。
蒼美先輩といい柴堂先輩も免除されている側の人なのか。ということは赤里先輩と黒崎先輩ももしかして……
「さて、長居をし過ぎてしまった。食事を終えたならすぐさま退席をしなければね」
そう言われ周りを見るとそこにあった人影の半分くらいはいなくなっていた。そこまで長話をしていた気はしないがそれはここがファミレスなどとは違い長居を目的としたお店ではないということなんだろう。
「でも僕お金……」
「ああ、それは心配ない。わたしが払っておいた。といっても後で交友費として学会に申告するんだけどね」
「何から何まですみません」
「わたしのわがままで連れて来たんだ。そのお礼として考えておいてくれ」
お礼と言われても大学に着いてからの飲み物や昼食代も出してもらっていてこんな高いお店の代金も。僕が一方的に得をしている気しかしない。
「では、わたしは店主と少し話をしてくるから先に外に出ていてくれたまえ」
入り口まで行ったところで柴堂先輩はそう言ってベルを鳴らしていた。僕も一言お礼を言った方がいいかなと思ったが僕の心を読んだかのように柴堂先輩が首を横に振った。
外に出るとすでに空は真っ暗だった。日が伸び始めているとはいえ二十一時を目前にすれば当然だ。
でもいつも見るのとは違い都心ということもあり周りにあるビルやお店には煌びやかな明かりが灯り夜なのだが賑やかさを感じる。
金曜日だからか人もそれなりに多くこの町が寝静まるのはまだ先なのかもしれない。帰ったらお風呂に入ったり友達に課題が出ていないかを聞いたりやらないといけないことはまだあるな。そう考えると僕が寝るのもまだ先だ。
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