第二章 校内で噂の学園海賊(4)
~五月十八日~
入学して一ヶ月も経てば最初はゆっくりと進めていた授業のスピードも徐々に速くなり内容も中学の時の応用から新しい内容に変わってくる。
そんなこんなで六時間目が終わり、ホームルームが終わる頃には疲労した人たちがチラホラと見えた。近くの席の友達も机に突っ伏していた。
「だ、大丈夫?」
「なんとか。これから部活って考えたくね~」
「確か、卓球部だっけ?」
「そうなんだけどさ~ 一年は基本的に体力づくりで使える台も二台しかないからなかなか練習っぽい練習できてないんだよ」
「そうなんだ。大変だね」
未だに部活に所属をしていない僕としてはすでに入部している人の苦労というものは分からない。
まあ、五月に入ってからは僕も忙しくなったけど。
「そういや、白井部活決めたのか?」
「あー、今はそれどころではないというかなんというか」
ちょうどそのことを考えていた時に話題を出されてドキッとしてしまった。
確かに最近は学園海賊にかかりっきりになっていて部活動を決めることをすっかり忘れていた。先生もあの日以降、特に話をしてこないから忘れるところだった。
「早めに決めといたほうがいいぞ~ なんだったら卓球部入るか?」
「そうだね。候補の一つには入れておくよ」
今日は僕の前に誰も現れていない。この調子だと赤里先輩か黒崎先輩がどこかのタイミングで現れると思ったのだが。
そう思っていると教室の扉が開く音がした。別に今の時間帯なら他のクラスからの人の往来があるため不思議なことではないが教室内で話しをしていた人たちが段々と静かになって行くのを感じた。そしてその視線は開いた扉の方に向いているのを見て、僕も視線を向けた。
そこにはメイド服のような制服を身に着けた人が立っていた。
多分、みんなメイド服姿の人が立っていることに困惑しているんだろうがその光景に僕だけは冷静でいられた。
そして視線を向けた僕を見つけると小さく微笑んだ。
「白井さん! お迎えに上がりました」
綺麗なお辞儀をしてから僕の名前を呼ぶ。それによって視線は黒崎先輩から一気に僕の方に向いた。
「白井、お前の知り合い?」
「あ、うん。まあ……」
僕はカバンを持って黒崎先輩の元へ向かう。その間、ヒソヒソと先輩の恰好や僕との関係を考察するような声が聞こえた。
「黒崎先輩。どうして僕のクラスを?」
「メイドの百八の秘密技の一つです」
「もうなんでもありなんですね」
聞かなくても分かっていたことだが一応聞いてみた。この場合はどういう技見当たるんだろうか。
そんなことを考えていると黒崎先輩は何かに気が付き、顎に手を当てた。そして小さく頷いた。
「白井さん。後でそのワイシャツを脱いでください」
「えっ⁉」
突然ことに僕は変な声を出してしまった。しかも普通に話すくらいの声の大きさで言ったため教室内の人たちにも聞こえていて、考察をしていた声はあらぬ方向へ行こうとしていた。
「えっと…… 黒崎先輩。それはどういう意味でしょうか?」
「うん? どういう意味とは? ボタンが取れかかっているので後で直しますと言う意味ですが」
それを聞いた僕は自分のシャツのボタンを確認する。すると確かに一つ糸が緩くなっている物があった。
そういえば、今日の体育の時に遅れそうになって急いで着替えをしたからその時に引っかかってしまったのかもしれない。
そういうことならちゃんと説明をして欲しかった。いきなり服を脱げと言われたら誰だってこんな反応をしてしまう。
教室内の人たちも言葉の意味が分かったため邪推をする声は聞こえなくなった。
「では行きましょう」
「どこに行くんですか?」
「家庭科室です」
おもむろに歩き出す黒崎先輩を見ながら僕は教室でポカンとしていた友達に一声かけ後を追った。
家庭科室に着くとすぐさまワイシャツを直すと言われ脱ぐことになった。肌着は着ていたため抵抗なく脱ぎ、渡したがそのままでいるのは恥ずかしいためちょうど持っていた体育着のジャージを着ることにした。
どこからともなく取り出した裁縫道具を使い、手際よくボタンを直していく。中学の家庭科で裁縫は一通りやったがお世辞にも上手とは言えなかった。
手先の器用さや慣れもあるかもしれないが完成したものは思い出したくなかった。
すると黒崎先輩はボタンの穴に針を通していた手を止めた。
「そんなに真剣に見られてしまいますと恥ずかしいです」
「あ、すいません。僕があまり上手く出来ないのですごいなって」
尊敬のまなざしを向けながら言うと頬を赤く染めてしまった。
「そんなに褒めないで下さい。このくらい普通ですよ」
「普通ではないですよ。実際、僕はできませんし」
そんな話をしていると糸を切る音がして、黒崎先輩はワイシャツを広げ確認する。
「できました。これで大丈夫です」
「ありがとうございます。今後からは気を付けます」
「次は一緒にやってみましょうか」
「きれいにできますかね……」
「わたくしが見ていますから大丈夫ですよ」
僕にワイシャツを渡すと黒崎先輩は家庭科室から出て行った。
付いて行った方がいいかと思ったが先に着替える方が先だ。ジャージを脱いで改めてワイシャツを見る。
付け直されたボタンは他のボタンより綺麗に付けられており、製品より綺麗に付けてしまうなんて黒崎先輩の腕は相当なものだと感じた。
着替え終わると同時に黒崎先輩が戻ってきた。その手には縦にも横にも大きい箱を持っており机の上に置きながら僕の向かいに座った。
「えっと、これは?」
「お昼休みに作ったものなんですけど少々作りすぎてしまいまして」
箱を開けると中からホールケーキが出てきた。だがどういう訳か三段仕様だった。
「……これを、お昼休みにですか?」
明らかにパーティー仕様のケーキを見ながら僕は尋ねた。
「いえ、実際は昨日から少しずつ準備をしていたのですが。お恥ずかしながら興が乗ってしまいまして大きめに完成してしまいました」
少し朱に染まる頬に手を当てながら黒崎先輩は言う。
完璧だと思っていた黒崎先輩でもちょっとした失敗をするんだなと思ったがよく考えてみたらこれはちょっとの失敗ではない。
大きめと言ってもこれを切り分けたら何等分になるんだろうか。
「何か嬉しいことでもあったんですか?」
「うっ、どうしてそれを」
「なんとなくです。大きく作るということは嬉しいことがあったからだと思いまして」
「その…… 学園海賊に新しい仲間が増えたと思ったら嬉しく思ってしまいまして。わたくしあの中では最後に加入しまして後輩ができるというのも初めてで……」
なるほど。僕が現れるまで三年生と二年生で構成されていて更に自分が最後に入ったとなれば当然、したっぱに近い感じになる。
というか、僕はまだ学園海賊の仲間になったつもりはないんだけどな。だがそんなことを言われてしまうととてもそんなことは言えなかった。
「と、とりあえず気にせず食べて下さい!」
いつの間にか持っていたナイフで三段のホールケーキを切っていく。上に乗っているイチゴを基準として、きれいな八等分になった。縦の大きさは別として。
切り分けられたケーキの一切れがお皿に乗せられ、僕の前に置かれる。
「どうぞ。味には自信があります」
「あ、ありがとうございます」
味に関してはアップルパイですでに証明されているから心配する必要はない。
一緒に添えられていたフォークでケーキを切り口に運ぶ。
柔らかいスポンジケーキに甘すぎないクリーム。そして口の中に広がるイチゴの程よい酸味。職人の方が作ったと言われても疑うことのないくらい美味しい。
アップルパイも美味しかったがこれはそれを超えている。
ペロッと一切れを食べ終えてしまった僕を見て、黒崎先輩は終始笑顔だった。
「まだまだたくさんありますよ」
と言って空いたお皿にケーキを乗せていく。
三切れほど食べたところでそろそろ限界が近づいてきた。美味しいと言っても無限に食べられるわけではない。
これだけ食べれば十分だろうと思っていると空いたお皿にケーキが乗せられる。
「あ、えっと……」
「たくさん食べて下さいね」
有無を言わさない笑顔で僕を見ながら空いたカップにコーヒーも注ぐ。ついでに言うとコーヒーもすでに三杯くらいおかわりがされている。
このわんこそばならぬわんこケーキを終わらせる方法。それはただ一つ。残りの五切れを全て食べ切ること。
今日の夕飯のことは考えないことにしよう。
その日、僕は合計七切れを食べて、帰路に就くのだった。
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