第三七章 旧友

 ――と、急に俺の目の前にナビボードが表示された。

 今度は赤でも黄色でもないオレンジ色のアラート画面が表示されている。

 どうやらこのダンジョンに侵入者が現れたことは間違いないようだが、自動的に戦闘モードに切り替わることもなければ、手動で切り替えることもできないようだ。

 これまでとは違うタイプの侵入者ということだろうか。


「どうやらダンマスでも勇者でもないヒトが入ってきたみたいだねェ」


 デス子がソファからのそりと体を起こす。

 ダンマスでも勇者でもないって……つまり、迷子か?


「なんか騎士っぽい格好してるぞ」


 拠点に新たに設置したモニタデバイスのほうを見ながらアス子が言う。

 以前のダンジョン改装の際に配置した監視デバイスの映像を映し出すもので、原理的にはナビボードやユーステネットの仕組みに近いものらしい。

 半透明の四角いボードには外套つきの豪奢な鎧を身に着けた男性が映っている。

 端正な顔立ちをしており、騎士というよりも何処かの王子様のようだ。


「大丈夫! ダーリンのほうがイケメンだよォ!」


 そう言いながら、ものすごい勢いでデス子が抱きついてくる。

 そ、そうかなぁ。まあ、意地を張っても仕方がないし、素直に喜んでおこうかな……。


「あっ、コラ! そうやってすぐに可愛い子ぶるようなことを言って!」

「おにいの良いところは顔じゃなくてコッチだもんな!」


 ——と、今度はセレニアがガタッと椅子から立ち上がりながら声を上げ、アス子のほうは飛びついてきて俺の下半身をまさぐってくる。や、やめなさい。


「とりあえず、このヒトがなんの目的で来たのかだけでも聞きに行く?」


 デス子がいったん俺のもとから離れ、いつもの早着替えで黒いローブをその身に纏いながら訊いてきた。

 まあ、わざわざ着替えるくらいだから、デス子は行くつもりなのだろう。

 であれば、俺も同道しないわけにはいくまい。万が一のことでもあれば一大事だ。


「ひょっとして、わたしを心配してくれるのォ!? やっぱり、なんだかんだ言ってダーリンの最ラブはわたしだったんだねェ!」


 また改めてデス子が抱きついてきた。いちいちスキンシップが激しすぎる……。


「わたしも参ります!」

「アタシも行くー!」


 分かったから、とりあえず二人は先にポトフの残りを片づけてくださいね。


     ※


 我がダンジョンは意図的に一本道に作っているが、それがさっそく役立つことになった。

 俺たちは応接室で客人を待つことにした。

 わざわざ俺たちが出向かなくとも、ここで待っていればどのような侵入者であれ必ずこの部屋に辿り着く。


「どうせだったら通路に罠とか置いとけばいいじゃん」


 応接室の隅に置いてある観葉植物を珍しそうに眺めながら、アス子がいった。

 確かにそういったことも考えはしたのだが、DPの無駄なような気がしてしまってどうにも気が進まないんだよなぁ……。


『観葉植物のほうがよほど無駄だと思うが』

『来客用のトイレ作ってるやつが無駄遣いを語るのか』

『絵画もあるぞ』

『ぶっ壊されたローテーブルもわざわざ買い直してるじゃん』

『DPの無駄とはいったい』


 う、うるさいやつらだなぁ……。


「わたしは、こんなダンジョンが世界にひとつくらいあっても良いと思いますよ」


 お淑やかにソファに腰掛けながら、セレニアがにっこりと笑いかけてくれる。

 ほら、こうやって評価してくれる子もいるんですよ。


「ポイント稼ぎが見え見えだねェ……」


『したたかなお姫ちゃん』

『たぶんさっきの流れからの逆転を狙ってる』

『女の鞘当てはじまた』

『いいぞもっとやれ』


「そ、そんなんじゃありません!」


 最近は視聴者のセレニア弄りも激しくなってきたな。

 まあセレニアの場合は自業自得な部分も大いにあるが……。


 ――と、応接室の扉が開いた。

 奥からモニタデバイスに映っていた騎士風の男性がゆっくりとその姿を見せる。

 歳のころは二十歳そこいらといったところだろうか。

 暗褐色の髪は肩の高さで雑に切り揃えられているが、端正で中性的な顔立ちのせいかそれすらも何処か小洒落て見える。もう少し長ければ女性にすら見えたかもしれない。


 騎士は部屋に入ってくるなりじっと俺の顔を見つめた。


「まさか、こんな形で君と再会できるとはね……ロイ……」


 ロイ――?

 ……え、誰のこと?


「いや、どう考えても流れ的にダーリンのことでしょうがァ!」


 デス子にものすごい勢いで突っ込まれてしまった。

 そ、そうか。俺のことか。


「配信で見て驚いたよ。あれほど名を馳せた騎士である君が、今や死神の眷属となりはて、記憶すら失って無様に使役される姿を晒しているとはね……」


 騎士は憐憫を感じさせる瞳で俺を見つめながら、静かに告げる。

 まあ、名を馳せていたかどうかはどうでもいいが、真っ当な神経を持つものからすれば生き恥を晒していると取られても仕方のない現状ではある。


「わたしたちのラブラブチュッチュな日常を無様とは言ってくれるねェ!」


 デス子はプリプリと怒っている。

 ただ、口調は強気でも決して前に出ようとしないあたり、目の前の騎士が危険な人物であるということは本能的に感じ取っているのだろう。

 セレニアもこの騎士が室内に入って来てから明らかに雰囲気が変わっており、ソファから立ち上がっていつでも剣を抜けるようにとその手を柄にかけて身構えている。


 いずれにせよ、この騎士が生前の俺を知っていることは間違いなさそうだが、仮にそうだったとして、わざわざ勇者でもない彼がこのダンジョンを訪れた理由はなんだろう。


「君を殺しに来た……と言ったら、理解してもらえるかい?」


 騎士が目を細めながらそう告げ、その手が腰にさした長剣の柄にかかる。

 何かしかけてくる気か……そう思って俺が身構えるより早く、セレニアが動いていた。

 キィン! ――と、甲高い金属音とともに、セレニアの剣と騎士の剣が交錯する。


「クリストフ卿……まさか、このような形でまみえることになろうとは……」

「いい剣筋だな、セレニア嬢。君のことも配信で見させてもらったよ」


 おや、知り合いか。

 わざわざ卿というからには、それなりの地位のある人物なのだろうか。


『クリストフ卿はドランティア侯の親衛隊の一人だな。騎士学校の卒業生でもあるから、セレニアとは何処かで面識があるのかもね』

『いいぞ有識者』

『侯爵親衛隊がセレ姫のエッチな痴態を見ていたわけか』

『やはりどれだけイケメンで高貴な者とあってもエロには抗えんか』

『いたしかたなし』


 おいやめろ。今たぶんめっちゃシリアスなところだから。


「勇者でもない貴方が、わざわざこのようなダンジョンまでお兄さまを殺しにきたというのですか……!?」


 騎士――クリストフと激しく鍔迫り合いをしながら、セレニアが声をあげる。

 うん、なんかこういう状況でお兄さまって言われるのはちょっと恥ずかしいな……。


「これは弔いだよ」


 クリストフは力任せにセレニアの体ごと剣を弾き飛ばし、俺のほうに向き直る。

 ここに来てはじめて、俺の首筋にチリチリと嫌な気配が立ち上りはじめる。

 どうやらこの騎士が俺を殺しに来たというのは冗談ではないらしい。


「天雷の騎士……いや、ロイッシュ。ただでさえ無念であったであろう君の死を、これ以上辱めるような真似をさせるわけにはいかない」


 静かに殺意を滾らせながら、クリストフが改めて剣を構える。

 どうにも話し合いで解決できる雰囲気ではなさそうなので、俺も諦めて剣を抜いた。

 俺が戦う姿勢を見せたためか、デス子が慌てたようにアス子を手招きしながら応接室の隅のほうに退避していく。


「アス子ちゃん、コッチコッチ! わたしたちは隅っこぐらししておこうぜェ!」

「なんで?」

「いやだって、どう考えてもこんな超人たちの戦いに巻き込まれたらタダじゃ済まないってェ……」

「アタシは負けねぇよ!」


 元気なのはいいことだけど、邪魔になるから退いといてください。


「ほら、こう言ってるからさァ……」

「まあ、おにいが言うなら……」


 意外と素直だった。可愛いやつだぜ。


「か、可愛いってさ! ど、どうしよう!」

「別にどうもしないけどォ」


 緊張感のないやつらだ。


 しかし、このクリストフやら、ドランティア侯爵の親衛隊ということだが、天雷の騎士は戦地で没したはずだから、そっちはおそらく一介の騎士だったわけだよな。

 となると、仮に俺が天雷の騎士だったとしてもクリストフと直接的な繋がりがあったとは思えないのだが、だとしたらどういう関係だったのだろう。


「僕らは友だった……それ以外に、理由は必要ないよ」


 ブワッ――と、殺気の塊が突風のように吹きつけ、容赦なくソファを突き飛ばしながらクリストフが斬りかかってくる。

 重たそうな鎧を身に着けてるくせに――とんでもなく、疾い!

 ガラス製のローテーブルを蹴散らしながら振り下ろされた一閃を、俺は身を捩りつつ長剣で反らす。

 そのままクリストフの側面に回るように踏み込むが、その動きを読んでいたように追撃の一太刀を放ってきたため、これも長剣で受けとめた。

 一方、この隙に乗じて、セレニアがクリストフの背後から鋭い刺突を放つ。

 しかし、クリストフは後ろにでも目がついているのか、素早く身を翻してこれを躱し、さらにセレニアに向かって一閃を放った。


 さすがは親衛隊――と言ったところか。

 とはいえ、セレニアが泣いていないところを見るに、そこまで脅威ではないのかな。


「わ、わたしを敵の強さのバロメーターにしないでください!」


 クリストフの一閃を飛び退いて避けながら、セレニアが文句を言ってくる。

 ほら、ぜんぜん余裕があるじゃないか。


「さすがに、ロイとセレニア嬢を同時に相手するのは分が悪いか……」


 こちらも軽く後ろに飛び退きながら、クリストフが呟く。

 まあ、俺たち二人の攻撃を容易く凌いでいる時点でとんでもなく強い騎士なのは間違いないのだろうが、かといっていつまでも続けられるものではないだろう。

 そもそも俺はこの体になってから体力の概念が消失しているので、戦いが長期化すればするほどこちらにとっては有利になる。


 ――と、俺たちが互いの出方を窺っている中、急に視界の外れでアス子が動いた。


「……おらーっ!」


 いつの間にか召喚していたらしい結晶体のついた杖を掲げ、その先端から稲光を放つ。


「なっ……!?」


 あまりに突然の攻撃にクリストフの反応が遅れ、稲光がその体を貫いた。

 その体は怪しい光りに包まれ、彼は苦しげに胸を抑えながら剣を杖代わりにしてその場に膝をつく。

 

「お、おおっ! な、ナイスゥ……?」


 あまりに唐突なアシストに、デス子も反応に困っている。


「な、何が起こっているの……?」


 謎の光に包まれたままうずくまっているクリストフを見下ろしながら、セレニアも困惑した表情を浮かべている。

 一方で、配信のコメント欄は謎の賑を見せていた。


『キタコレ』

『コイツ、イケメン童貞だったのか』

『どういうこと?』

『イケメンピカピカ』

『見てりゃ分かる』


 ふむ。よくは分からないが、アス子が配信をやっていたときに見ていた視聴者なら、これから何が起こるのか分かるのかも知れないな。

 そういえば、はじめてアス子と対峙したときに『ワンちゃんにしてやる』と言いながら稲光を浴びせかけられた気もするが――つまり、彼はワンちゃんになってしまうのか……?


 やがて、光がいっそう強くなったかと思うと、クリストフの体を中心に閃光のようなものが炸裂して、応接室の内部を真っ白に染め上げた。

 そして、その光が収まったとき、うずくまるクリストフはまだ少なくとも人の形は保っているようだった。

 ただ、少し体のサイズが縮んでいるような……?


「な、何が……?」


 膝をついたまま、クリストフがゆっくりと顔を上げた。

 ――というか、その声……そして、その顔……。


 お、女の子になってるーっ!?

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