第三四章 憧れのお兄さま

「……なんだよ。そんなに見られたら、その、恥ずかしいだろ」


 じーっと俺が見つめていることに気づいてか、アス子が頬を染めながら顔を背けた。

 褐色の肌に金色の目、髪は白髪かと思っていたが、実際は銀髪なのかもしれない。

 すっかり女性らしくなった大きな瞳は月を思わせる金色で、面立ちから感じる年齢は人間でいう十代半ばから後半くらいだろうか。

 頭には山羊のような角があり、背中からは鴉のような翼が生えている。

 脚は太腿の中程から足先にかけて黒い獣毛に覆われていて、膝から下にもう一箇所逆向きの関節があり、下肢に関しては蹄のついた山羊のような形状になっている。


 デス子ともセレニアとも異なる、完全に魔族然とした少女である。

 そして、その姿――とくに山羊を彷彿とさせる部分に、俺はある願望を刺激されていた。


 そう。山羊である。山羊を飼育してみたいのだ。

 山羊を育ててそのミルクを飲んでみたい。

 山羊から絞ったミルクでチーズを作ってみたい。

 乳が出なくなった山羊をシメてその肉を食してみたい。

 そんな願望が俺の中で渦巻きはじめていた。


「なんか、すっごくエッチな目で見られてる気がする……うぅ、興奮してきちゃうよ……」

「いや、あれはたぶん食べもののことを考えてるときの顔だねェ……」

「そ、それって、アタシを食べちゃいたいってことか!?」

「微妙に違う気もするけれど……」


 じーっとアス子を見つめる俺をよそに、三人娘は如雨露で畑に水撒きをしている。

 六ヶ所に増えた今回の畑で育ちつつある作物の内訳は玉ねぎ、胡瓜、ラディッシュ、馬鈴薯、キャベツ、人参の六種類で、とくに玉ねぎを引き当てられたのは幸運だった。

 今回の野菜でまた新たにポトフを作ってもいいし、ぶどう酒は嗜好品扱いらしくセレニアのGショップで購入できるから、それを使ってビーフシチューを作ってみてもいい。

 スパイス類は炊事場の外観オプションから追加できるので、米が収穫できるようになったらカレーに挑戦してみてもいいかもしれない。

 胡瓜とラディッシュは茹でた馬鈴薯と合わせてサラダにしてみようか。

 人参を加えたら色味がゴチャゴチャしすぎてかえって見栄えが悪くなるかな……?


『幸せそうなゾンビ』

『誰だよゾンビをここまで枯らせたやつは』

『そこで水やりしてるよ』

『相変わらずお姫ちゃんしか服着てねえ』

『セレちゃんはなんだかんだで高貴な身の上だからな』

『高貴な変態』

『むしろアス子はブラジャーつけてるだけ成長してる』

『何処で買ったん?』

『なんか女帝のGショップで買ったらしい』

『Gショップ有能やな』

『有能か? ブラジャーとかいらんだろ』

『たし蟹』


 コメント欄では今日も好き勝手なやりとりがなされている。

 あれからチャンネル登録者数も増えていて、俺たちのチャンネルは3万人まで増加、セレニアのチャンネルも5万人くらいまで数を戻しつつある。

 そういえば、アス子も本来は配信チャンネルを持っているはずだよな。

 俺たちと戦っていたときは配信自体を停止していたようだったが、今はどういった扱いになっているのだろう。


「んー、ダンマス連合に入るときに配信とめてくれって言われてそれっきりだな。正直、コメントとかずっと無視してたし、今さらつけなくてもいいかなって」


 そうなのか。まあ、そもそも配信業に興味のないダンジョンマスターがいたって別におかしくはないものな。

 とはいえ、アス子はそれなりに名の知れた魔術師だったという話だったし、登録者数もそれなりに多かったのではなかろうか。


「5万くらいじゃなかったっけなぁ」


 うちより多いやんけ!


「え、そうなのか?」

「ケモナーとか、ちょっと特殊な性向なヒトたちに需要があったのかねェ」


 畑の畝と畝の間に如雨露で水を撒きながら、デス子がそんなことを言っている。

 そう言えば、もともとアス子は攻めてきた勇者に対して性転換や獣化などの魔術をかけて尊厳を破壊をするような行いを配信していたのだったな。

 まあ決して大多数に受ける内容ではないが、特殊な趣味を持つ者たちのニッチな需要を満たすチャンネルとして一定の需要があったという可能性は想像に難くないか。


「よかったら、アタシのとこでおにいのチャンネルの宣伝してやろうか?」

「おォ、それはいいねェ! まァ、需要がマッチするかは微妙なとこだけども……」

「おにい……?」


 アス子の提案に素直に喜ぶデス子だが、そのやり取りを聞いていたセレニアは怪訝そうな視線をアス子に送っている。

 まあ、俺の耳にもちゃんと入っていましたよ。俺、ママの次は妹ができたんだな……。


「だ、だって、アタシ、おにいの名前知らないし!」


 ほう、奇遇だな。実は俺も知らないんだ。


「え? なんで?」

「ダーリンは記憶喪失なんだよねェ。まァ、半分くらいわたしのせいなんだけど」


 いや、概ねおまえのせいだが。


「そうなの!? じゃあ、もうおにいって呼ぶしかないじゃん!」

「……騎士さまでもゾンビさまでも、別に他の呼びかたはあるんじゃない?」


 何か思うところでもあるのか、セレニアはずっと半眼でアス子を睨みつけている。


「なにそれ? おにいは騎士なのか? でも、ゾンビってなんだよ」


 アス子は目を丸くして首を傾げている。

 そうか。このあたりはちょっと説明が必要かもしれないな。

 実は俺は記憶喪失のゾンビでデス子の使徒でウンタラカンタラ――。


「ま、マジかよ!? ゾンビだったのか!? こんな強いゾンビいる!?」

「ひょっとしたら、屍鬼王ノスフェル卿よりも強いかもしれないねェ……」


 アス子が目ン玉をひん剥きながら驚嘆し、デス子もちょっと苦笑いしている。

 ほう。世の中には屍鬼王なんて人物もいるのか。

 というか、ゾンビって弱いのかな。まあ、あまり強いイメージはないが。


「まあでも、けっきょく名前も素性も分かんないなら、おにいでよくない?」


 アス子はキョトンとした顔でセレニアを見つめている。


「それは……でも……」


 セレニアが何か言い澱み、俯きながらキュッと拳を握りしめる。

 やはり何か思うところがあるのだろうか。

 変なわだかまりを残してもいけないし、よければ話を聞かせてほしいところだが……。


「……だって……」


 セレニアが、思い詰めたような顔で俺を見つめてくる。

 その顔には、これまでに見せたこともないほど強い焦燥感が浮かんでいた。

 ——いったいどうしたと言うのだろう?

 俺が思わずセレニアのほうに向かって歩み寄りかけると、彼女は両手の指先が白むほどに強く拳を握りしめ、肩を震わせながら口を開く。


「だって、これじゃ……アスティロッサが妹キャラみたいじゃないですか!」


 ……うん?


『刻が……とまった……?』

『実は姫ちゃんも妹キャラ狙いだったってこと?』

『そういえばセレ姫ってお姉ちゃんいたよね』

『たしかソフィリアっていったよな』

『あ、知ってんの?』

『まあ社交界ではわりと有名な人だから』

『社交界!?』

『高貴な視聴者がいるぞ!』

『こんなエッチなチャンネルを見てる高貴な視聴者がいるぞ!』

『IDひかえとけ!』

『やめろや』


「ま、まさかとは思うけどォ、妹キャラを取られたくないってことかなァ……?」


 恐る恐ると言った様子でデス子が訊く。

 セレニアは肩を震わせ、唇を強く噛み、気づけば瞳には涙すら溜めはじめている。

 そ、そこまで……!?


「わたしだって……わたしだって、本当はお兄さまとお呼びしたい!」


 涙を振り払いながら、セレニアが叫んだ。

 考えてみれば、言動のせいで大人びて見えているだけで、そもそも彼女だって本来はまだまだうら若き少女なのだ。

 自分自身の年齢すら分からないので確実なことは言えないが、少なくとも俺より五、六歳は幼いのではないかと思う。

 ひょっとしたら、本心ではまだ誰かに甘えたいときもあるのかもしれない。


「じゃあ、今日からお兄さまって呼べばいいじゃん」


 アッケラカンとアス子が言う。まあ、アス子からすればそうなるよな。

 俺も別にセレニアがお兄さまって呼びたいというなら呼んでくれてかまいませんよ。


「……そ、そんなの……」


 セレニアがおずおずと上目遣いに俺の顔を窺ってくる。


「お、お……」


 そして――。


 何故か、セレニアが俺の視界から消えた。

 咄嗟に体が反応し、その場から飛び退ろうとするのだが――ま、間に合わない!?

 強烈に足許を払われ、俺はその場に後ろから倒れ込んだ。

 そして、次の瞬間には何故か俺の上にセレニアが覆いかぶさっていた。

 完全に俺の認知を超えた速度だった。


「……お、お兄さま……」


 俺に覆いかぶさったまま、真っ赤な顔でセレニアが言った。

 恥ずかしいのか何かは知らないが、ここまでやります……?


『セレ姫一瞬消えなかった?』

『消えたよな』

『ゾンビくん負けてるやん』

『女帝覚醒』

『実はお姫ちゃんめちゃくちゃ強いんか?』

『強いらしいんだけどな』

『なんで自信なさげなんよ』

『実践での初戦闘の相手が騎士くんだったからね』

『あー』

『基準がゾンビじゃ分かんねえな』


 コメント欄がザワつきはじめる。

 そう言えば『ダンマス連合』との会合のときは配信をとめていたから、セレニアがダロスを瞬殺したときのことを視聴者のみんなは知らないのか。


「ああ、お兄さま……お兄さま……!」


 しまった。気づいたら、なんかセレニアが感極まってしまっている。

 これは早く離脱しないと面倒なことになる――と思ったときには、もう俺の唇はセレニアによって塞がれてしまっていた。むぐぐ……。


「あーっ! ドサクサに紛れてなにやってんだよ! アタシも混ぜろよ!」

「まァ、こうなるよねェ。わたしは分かってましたよ」


 予想どおりアス子が上から飛びかかってきて、デス子は何処からか引っ張り出してきた折りたたみ式のベッドに横たわりながら下着の中に手を突っ込んでいる。

 くっ、畑を……畑だけは守らねば――。


「お兄さま……ああ、わたしだけのお兄さま……」

「独り占めすんなよ!」

「勝手にお姫ちゃんのものにしないでくれたまえよ!?」


『どろんこズモウはじまた』

『もう何回目だ?』

『ゾンビくん明らかに畑のこと気にしてて笑いを誘う』

『もう位置取りが畑優先すぎるんよ』

『おまえらもすでに純粋にエロ楽しんでねえじゃん』

『しゃーない』

『いやでもアス子との絡みは楽しみにしてるよ』

『期待まげ』


 くそっ――毎度のことながら、どうして無事に農作業を終えることができないんだ。

 これが終わったら、絶対にジャグジーを設置して水浴び用の設備を作ってやるからな!

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