第三二章 エッチな雰囲気にしてやるよ
「ば、馬鹿にすんなよ!」
こちらのコメント欄が目に入ったのか、アスティロッサが激昂したように声を上げた。
結晶石のついた杖を両手で握りしめ、全身から闇色のオーラを迸らせはじめる。
——何やら気配が変わったな。
今まではあくまで手抜きモードだったということだろうか。
「もうワンちゃん作戦はやめだ! オマエは殺す!」
アスティロッサが翼をはためかせながら宙に舞い、杖を掲げるなりその体から闇のオーラのようなものが立ち込めはじめる。
そして、そのオーラから分離するように漆黒の刃が次々と生み出されていき、まるで夜空に浮かぶ幾千の星のように部屋中を埋め尽くしていく。
なかなか壮大な光景だな――いくつくらいあるんだろう。
「躱せるもんなら躱してみやがれ! このウスラボケがぁ!」
口汚い罵声を上げながら、アスティロッサが掲げた杖を振り下ろした。
瞬間、宙に浮かんでいた漆黒の刃が一斉に俺に向かって飛来する。
その数たるや、ゆうに百は超えるだろう。体捌きだけで躱しきれるものではない。
俺は力強く長剣の柄を握りしめた。
ヒィィィン――と、長剣から耳障りな甲高い音が響きはじめる。
そして、それとともに半透明な刀身が電荷を帯びたように青白い閃光を放ち出した。
ふと脳裏に、一つの単語が浮かび上がってくる。
水雷の太刀――。
俺は放電でもするかのようにバチバチと青白い閃光を放つ長剣を構えると、自らの本能が導くまま、踊り狂うようにその刀身を暴れさせた。
剣閃が暴風のように渦巻き、迸る電荷が周辺の空気を帯電させて雷光を放つ。
俺は雷火を纏った竜巻の如く剣を振るい――気づけば、あれほどあった漆黒の刃はただの一つも残らず消し飛んでいた。
むふー、目が回る。
「……は?」
さっきも聞いたな。
『ぐるぐるゾンビ』
『やっぱぐるぐる回ってたよな?』
『まあいちおうなんか凄い斬ってる感はあった』
『もちっと映像キレイにならんかな』
『善処します』
『え? 運営の中の人いる?』
『今のIDゾン子じゃね?』
『マジで?』
『ゾン子さん?』
『消えた?』
『おい誰かIDメモっとけ』
コイツらマジでエロ以外はすぐに脱線するな。
《今の……ひょっとして、騎士さまの持ってる剣って……》
《お姫ちゃん、何か知ってる感じ?》
《いえ、騎士学校で聞いたことがあるだけだけれど……もしや、水鏡の剣では……?》
水鏡の剣――?
先ほど脳裏に浮かんできた言葉とは少し違うな。
あれは必殺技的なものだったのかな。
まあ、今は戦闘中だし、帰ったら詳しく聞いてみるか。
「な、なんで……な、なんなんだよ、オマエ!」
アスティロッサの顔に、ここにきてはじめて恐怖にも似た色が浮かんでいる。
いよいよもって自分が不利であることを悟りでもしたのだろうか。
ということは、今のがアスティロッサの持つ技の中で最も強いものだったのかな。
「く、くそっ!」
宙を飛翔したまま、背を向けて部屋の奥へと続く扉のほうに飛び退っていく。
俺は長剣を握ったまま、疾駆してその背を追った。
逃げゆくアスティロッサの速度は宙を浮遊しているためかそれほど早くはない。
おまけに自分が宙にいるという油断のためか、その背中は隙だらけだ。
俺は十分に近づけたと判断すると、高く跳躍してアスティロッサの背に飛び乗った。
「うぉわっ!? ……ぬえええっ!?」
完全に予想外だったようで、アスティロッサはそのまま床に墜落する。
なんで追いかけてくるって思わなかったんだろうな?
《いや、普通は飛び乗られるなんて思わないってェ……》
《騎士さまに常識が通用しないのは存じ上げていますけど……》
『ゾンビ、戦闘中にかぎって足が早いことが判明』
『エッチのときはいつも捕まってんのにな』
『デス子と姫ちゃんがエッチのときだけ異常になるんじゃね』
『ちんちんがデカすぎて走るのに邪魔とか?』
『あーありそう』
めちゃくちゃ勝手なこと言われてる……。
『【朗報】ゾンビ、ついにアスティロッサを押し倒す』
『待ってたぜ』
『こっちはもうスタンバイできてる』
『はやくはじめろし』
『まさかアスティロッサのエッチな姿が見れる日が来ようとはなぁ……』
『知り合いがエッチな配信してると知ったときのような高揚感』
『分かりみ』
いや、別にエッチなことする気はないんだが……。
「く、くそっ! 降りろ! バッキャロー!」
アスティロッサが翼をバタバタと激しくはためかせながら暴れてくる。
とりあえず、思った以上に鬱陶しいから仰向けにさせておくか。
そーれ、くるっと――あ、ヤバい。そう言えば半裸な上にちょっと胸があるんだった。
め、目のやり場が……。
《両性具有ってことは、おちんちんもあるのかなァ?》
《……べ、別にいいでしょ、そんなことは……》
《ちょっとは興味あるくせにィ!》
《ち、ちがっ! わ、わたしは騎士さまのモノしか興味ないんだから!》
《ダーリンのモノだってさ! エッチだねェ……》
《くっ……! ディスターニア!》
《ちょ、今はダメだって! あとで! あとで!》
マジでなにやってんだコイツら……。
「は、離せ! まだオレは負けてないぞ!」
ディスターニアが必死に杖を振りかざし、結晶石の先から稲光を放ってくる。
むう、この後に及んで危ないやつだな。
俺は上体を傾けて稲光を躱すと、そのまま杖をむんずと奪い取って遠くに投げ捨てた。
「くっ……杖がなくたってなぁ!」
今度は指先を突きつけて、その先から闇色の光線を放ってくる。
それもやっぱり首を捻ったり身を捩ったりして躱すと、もういろいろと面倒になってきたので、俺はアスティロッサの両手を掴んでその場に組み敷くことにした。
というか、コレ、完全に押し倒してる状態なんだが……。
『エッチな雰囲気になってまいりました』
『なんかいまいちゾンビのほうにやる気がねえな』
『いやらしい雰囲気にしてやるよ!』
『頼むデス子! いやらしい雰囲気にしてくれー!』
《うーん、せっかくだから一肌脱いじゃうかァ》
《え、ここからできるの?》
《死霊術における肉体操作はやりかたがいろいろあるからねェ》
は? 何をする気だ?
デス子の口ぶりに不安を感じてあたりを警戒していると、急に俺の目の前に赤い魔法陣のようなものが浮かび上がってくる。
げげっ、コレはきっと見たらまずいやつだ――と思ったときにはもう遅かった。
俺の体は自由を失い、気がつけばじっとアスティロッサの顔を見ろしていた。
「な、なんだよ……っ!?」
アスティロッサの顔に強い警戒と恐怖が浮かぶ。
すまん……これから起こることは、俺の本意ではないんだ。許してくれ。
俺が心の中で精一杯の申し開きをしていると、やがて俺の顔はゆっくりとアスティロッサを覆い隠すように近づいていった。
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