第三一章 ゾンビの剣に斬れぬモノなし

 その声は、音を出すデバイスから響いてきた声と同じものだった。


 この悪ガキっぽい魔族の少年が、このダンジョンの現ダンジョンマスターなのだろうか。

 頭からは山羊のよう二本の角を生やし、勝ち気そうな瞳は金色の輝きを放っている。

 顔立ちは一見すると十代半ばほどの少年のように見えるが、はだけた上半身の胸にはわずかに膨らみがあるようにも見えた。

 背中には黒い鴉のような翼を持ち、ぶかぶかなズボンの裾から伸びる獣毛に包まれた下肢には蹄のようなものがついている。


『あれコイツ、アスティロッサじゃね?』

『うお、マジじゃん』

『ダンマス連合だったの?』

『そういや最近配信なかったな』


 急にコメント欄がザワつき出した。

 なんだなんだ? 有名人か?


『ちょっとヘンテコなダンジョンマスターだよ』

『ダンジョンにきた勇者を性転換させたり獣に換えたりして、さらにその勇者同士でヤらせたりするヤベーやつだよ』

『さすがにちょっと上級者向けすぎて俺は無理だった』

『レズくらいしか見れるのねえもんな』


 おまえら基本的にエロでしか判断せんのか。


『むしろ成人指定チャンネルにそれ以外の何があるよ』

『グロ見たいならそもそも他んトコいくわ』

『アスティロッサ、ほとんど殺さんしな』


 ふむ。なんかよく分からんが、とにかくヘンテコリンな魔術を使うやつってことだな。


『雑すぎね』

『まあでもたぶんゾンビのが強いよ』

『どうせならアスティロッサもヤっちゃえば?』

『あいつって男じゃねえの?』

『両性らしいよ』

『へー』


 マジか。魔族って両性具有な種属もいるんだな。


「おいおい、視聴者と遊んでる場合か? オレがその気になればオマエを今この場で可愛いワンちゃんに変えてやることもできるんだぜ?」


 やや不機嫌そうに顔を歪めながら、目の前の少年――アスティロッサが言った。

 先ほどのコメントから察するに、もともとは普通に配信をするダンジョンマスターだったということになるのだろうか。

 まあ、これから戦う相手の事情なんて知ったところで無駄な感情が入るだけだし、さっさと蹴りをつけてしまうか。


 ――と、次の瞬間、ナビボードが強制的に開かれて赤いアラート画面が表示された。

 こちらの気配を察したのか、いよいよアスティロッサが戦闘モードに切り替えたようだ。


「オマエ、つまんねーな。動揺もしないし、挑発にものらない。本当に人間か?」


 アスティロッサが手を掲げ、先端に紫色の結晶体がついた槍のようなものを召喚する。

 そして、くるくるとそれを振り回しながら怪訝そうな顔つきでこちらを睨みつけてきた。


 ふむ。どうやらこの魔族は俺のことを人間の勇者と勘違いしているみたいだな。

 確かに、何も知らない者からすれば、少し顔色が悪い以外は普通の人間と変わらないか。

 まあ、別にこの場でダンジョンマスターらしいことができるわけでもないし、どう思われていようが大した違いはなさそうだが。


《ゥおーィ! 気づいたらなんかめっちゃ戦闘はじまってるゥ!》

《ちょっと、アラート出てたんじゃないの!?》

《今出たんだよォ! ていうか、なんでもう目の前に敵っぽいやついるのさ!?》


 急に頭の中にやかましい声が響きはじめた。

 どうやら乳繰り合っていた二人がようやく俺の配信画面を見てくれたらしい。

 デス子の口ぶりからするに、ナビボードのアラートは両者で共有されるようだから、そのおかげでようやく俺の状況に気づいたという可能性もありそうだが。


《ぬァ!? アスティロッサじゃん! なんでェ!? ダンマス連合にいたの!?》


 お、知り合いか?


《バフォメット属の魔術師だよォ! 才能は凄いんだけど、ちょっと性格というか嗜好に問題がありすぎて、魔術師協会から追放されたんだよねェ。ダンマスになったって話はわたしも聞いてたけど、まさかダンマス連合に入っていたとはなァ……》

《魔術師……騎士さま、油断されませんようにね!》


 ふむ。どうやらすごそうなやつであることは間違いなさそうだな。

 嗜好に問題があるというのも、先ほどのコメント欄の情報と合致する。

 うっかり俺も性転換させられたらどうしよう。


「はっはぁ! おまえはまずワンちゃんになるんだよっ!」


 ――と、アスティロッサが槍だか杖だかを突きつけてきた。

 首筋にチリチリと焼けつくような感覚が走る。

 咄嗟に横に飛ぶと、アスティロッサの構えた槍だか杖だかの先端についた結晶体から稲光のようなものが迸り、たった今まで俺がいた場所を貫いていった。

 ふむ。どうにもあの結晶体が槍の穂先に見えて仕方なかったが、どうやら杖らしいな。


「……あん?」


 アスティロッサは不思議そうな顔をしている。

 何が起こったか分からないとでも言いたそうな顔だ。

 ――また首筋に静電気のような不快感が走った。

 今度は反対に向かって飛ぶと、また同じようにその場を稲光が突き抜けていった。


「……なんで躱せるんだ? オレの魔術は亜音速で飛んでんだぞ?」


『アオンソクってなんだ?』

『ユスれよ』

『音速よりは遅い速度ってことだな』

『じゃあ遅いのか?』

『先生、ここに馬鹿がいます』

『そこまで言わんでも』

『めっちゃ早いけど音速ほどではないって感じやな』

『ゾンビ普通にかわしてるけど』

『コイツはちょっとおかしいから』


 まあ、なんで躱せるかって言われたら、なんとなく分かるからとしか言えんな。

 というか、あの稲光に当たったらワンちゃんになるのかな。

 だとしたら絶対に当たるわけにはいかんのだが。


「オマエ、ちょっと面倒だな。オレの流儀からは外れるけど、たまには頼るか」


 それまで浮かんでいた薄ら笑いを引っ込めると、アスティロッサが顔の前にナビボードを表示して何やら操作をはじめる。

 次の瞬間、アスティロッサの傍らに闇色のオーラが立ち込めたと思うやいなや、その中から無数の首を持った巨大なヘビのような魔物が姿を現した。

 全長にして10メートルはあるのではなかろうか。

 よく見ると胴体の部分には前足と後ろ足のようなものがあり、その背には翼のようなものも生えている。

 巨大な顎からは紫色の舌が覗き、避けた口の端からは不気味な色の液体が滴っていた。


《ヒュドラだねェ! 毒のブレスに気をつけ……あ、大丈夫か!》

《大丈夫?》

《ダーリンはゾンビだからねェ!》


 あ、そうか。ゾンビだから毒とかそういうのには最初から抵抗があるのかな。


《神経毒や麻痺毒だと多少は効くかもだけど、致死毒は効かないねェ!》


 もう死んでるものな。


《そゆこと! それと、ヒュドラは再生力が凄いから、首を斬ったあとに傷口を焼くとかしないと何度でも再生しちゃうよォ!》


 えー、それは面倒だな。

 再生する前にぜんぶの首をまとめて斬り落としたら倒せたりせんのかな。


《や、まあ、それはちょっと実例を聞いたことがないから分かんないけどォ》

《すみません。わたしがいればお手伝いできたのですが……》

《わたしがいたってちゃんとサポートできたよォ!》


 いや、そこは別に張り合わなくていいからさ……。


 まあ、もしそこまでやってもヒュドラを倒せなかったら、そっちはほうっておいて本命を狙えばいいだけだ。

 俺は改めて長剣の柄を強く握ると、いくらか警戒心を感じさせる表情でこちらを睨みつけているアスティロッサにちらりと見やってから、ヒュドラに向き直った。


 八股に分かれたヒュドラの首の一本がゆらりと動く。

 嫌な予感に姿勢を低くしながら前に踏み出すと、俺の頭上を紫色の液体が飛びすぎていった。

 どうやらヒュドラが口から吐き出したものであるらしい。

 体が汚れたら嫌だし、避けられる分は避けるか。

 そのまま足をとめずに右前方に跳躍――と、今度は俺のいた場所をアスティロッサの放った稲光が打ち据えていた。

 なるほど。魔物との連携で俺を追い詰めようという狙いのようだな。


「なんで当たんないんだよ!」


《なんで当たんないんだろうねェ?》

《未来が見えているのかしら……》


 苛立ちから冷静さを欠いてきたのか、アスティロッサがろくに狙いも定まらない稲光を立て続けに連発してくる。

 俺は身をひねりながらそれらを潜り抜けると、首をうねらせて毒液を吐いてくるヒュドラの首に肉薄する。

 数は全部で九本――いちいち一本ずつ落としていったのではむざむざ再生するための時間を与えるだけだろう。

 こちらから斬りかかっていたのでは、間に合わないかもしれない。であれば――。

 

 俺はヒュドラの眼前まで迫ると、そこで一度足をとめる。

 頭上にあるヒュドラの首がすかさず毒液を吐いてきて、それを飛び退いて躱そうとするや否や、そんな俺の死角を狙って別の首が直接俺の体を噛み砕こうと迫ってくる。

 俺は長剣を強く握り、身を翻しながら迫りくるヒュドラの首にその切先を突き立てた。

 硬く見える表皮に長剣があっさりと突き刺さり、俺はそのまま大きく薙ぎ払ってヒュドラの首を斬り落とす。

 包丁でカブを切るよりも軽い手応えだ。相変わらずとんでもない斬れ味をしている。


 ヒュドラの首はさらに迫ってくる。今度は左右同時だ。

 俺は前方に踏み込みながら身を翻し、まずは右から迫るヒュドラの顎を躱しながら長剣を振るい、その首を斬り落とした。

 そのままさらにヒュドラの胴体のほうに向けて疾駆し、近い位置にある二本の首を根本から一太刀でまとめて斬り飛ばす。

 そして、そのまま反転――最初に迫ってきたもう一方の首に向けて跳躍すると、顎を開いて待ち受けるその首の側面に身を捻って回り、長剣を閃かせて叩き斬る。

 さらに急に首を落とされて重心を崩したヒュドラの胴体に肉薄すると、下がってきた外側二本の首をまとめて斬り飛ばした。


 残る首は二本。最初に毒液を吐きかけてきた正面の首と、その隣の首だ。

 俺は他の首がまだ再生をはじめていないことに安堵すると、あとはもうそのままおもむろに歩み寄って袈裟懸けに正面の首を斬り落とし、身をひねりながら返す一刀で最後の一本も叩き斬った。

 思ったよりもサクッと片づいたぜ。


「……は?」


 すべての首を失ったヒュドラが闇色のオーラを撒き散らしながら霧散していき、その光景を見つめるアスティロッサは完全に硬直している。

 なんか相対する相手にはいつもこんな反応をされている気がするな。


《配信だとフレームレートが低くてダーリンの動き終えてなくない?》

《こんな感じに見えてるのね……これでは騎士さまの強さも伝わりにくいのでは……?》


『相変わらずゾンビつえー』

『剣持ったコイツが負けるイメージができん』

『なんか気づいたら全部首落ちてたんだが』

『手品かな』

『ゾンビくんは手品師だった?』

『勝ちゲーすぎてむしろ退屈まである』

『もう戦闘はいいから早くアスティロッサとエッチしてくれ』

『それな』


 まあ、強さは伝わってるんじゃないですかね……?


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