第三十章 初陣
疲れない体というのは便利なもので、カロリースティックを適当に齧りながら一昼夜走り続けるだけで目的のダンジョンにたどり着くことができた。
地図で見たときはかなりの距離だったので長旅になることも覚悟していたが、想定していたよりも体感的にはずっと近かった気がする。
途中で人族のものと思われる馬車を何台か追い抜いたから、単純に俺の脚が自分で思っていたよりもずっと速かっただけかもしれないが。
幸いにも目的地にはまだ無事にダンジョンが顕在していた。
勇者によって攻略されたダンジョンはおおよそ24時間程度で完全に崩壊してしまうということだったので、少なくともまだその心配はなさそうだ。
といっても、すでに中に勇者が侵入している可能性はあるし、のんびりしていてうっかり攻略でもされてしまった目も当てられない。
俺はいつ戦闘になっても良いように長剣を鞘から抜くと、さっそくダンジョンの中に足を踏み入れた。
入口は荒野の岩場に空いた穴のような形状をしており、敷居を跨いだ瞬間に何かアラートでも表示されるかと思ったが、少なくともすぐにどうこうということはなさそうだった。
魔トックで掘ったときのものと同じような3メートルほどの幅と高さのある通路がなだらかに地下へと続いており、先のほうに扉らしきものが見える。
ふと思うことがあってナビボードで確認してみると、これまで俺のダンジョンの全体図を表示していた部分がこのダンジョンのマップを示すものに変わっていた。
どうやら視界に映る範囲を自動的に記録してくれる仕様のようだ。便利じゃねえか……。
《アラートが出ないってことは、まだ誰も占領してないのかなァ?》
脳内にデス子の声が響いてくる。
そうか。俺たちはすでに誰か別の『ダンマス同盟』のメンバーがこのダンジョンを支配下においているものと考えていたが、放置している可能性だってもちろんある。
《油断させるための作戦かもしれません。用心は怠りませんようにね》
む、そうか。狡猾な相手であればそういったことをしてくる可能性もあるな……。
《お姫ちゃんは発想が卑怯だねェ》
《えっ……? あ……ち、違うわよ! わたしはあくまで危険性を考えて……》
《どうだかねェ……卑怯でスケベで、これが伯爵令嬢だなんて……むァっ!? こら! 急に変なところを触らないでくれたまえよ!?》
《貴方を黙らせるのはこれが一番手っ取り早いって、分かってるんだからね!》
《ちょ、んん……ッ! そ、そこはダメっ……あ、あっ!》
なにやってんだコイツら……。
まあいい。そちらは無視して通路の奥まで進むと、扉を薄く開いてその先に何が待っているのか覗き込んでみる。
どうやら扉の先は少し広めの部屋になっているようで、内部には牢獄のようなものが二つ設置されているようだった。
何か捕らえられてでもいるのだろうか。
とりあえず危険な気配は感じなかったので、俺はその感覚を信じて部屋の中に踏み入れることにした。
初めてセレニアやその守護者たちと相対したときもそうだったが、俺の体は本当に危険なときは勝手に反応してくれるようにできているのだ。
部屋に入った俺は、ひとまず牢獄の様子を窺ってみることにした。
――そして、その奇妙な光景に思わず言葉を失ってしまう。
牢獄の中には、どちらにも共通して一糸まとわぬ姿の男性が二人ずつ入れられていた。
そのうちの一方では、男性同士が『愛し合って』いた。
もう一方は互いに距離を取り、ただただ暗い顔をして座り込んでいた。
いったいどういうことだろう。ダンジョンマスターの趣味なのだろうか。
牢獄の中から外の風景は見えないようになっているのか、俺が部屋の中に入ってきたにも関わらず反応らしい反応は返ってこない。
「「面白いだろ! そこにいるのはどちらも恋人同士の勇者たちだぜ!」」
――と、室内に何処からともなく声が響いてくる。
音の発生源を探っていると、部屋の角に四角い筒のようなデバイスが設置されていることに気がついた。
先ほどの音声はそこから響いてきているようだ。よく見ると近くに監視デバイスもある。
しかし、恋人同士の勇者というのはどういうことだろう。
どうやら記憶喪失の俺の中にも男色の文化は知識としてあるようだが、その男色のペアを二組用意して見世物にでもしているということだろうか……?
「「そう思うだろ? 違うんだなぁ! そいつらはもともと男女の恋人同士さ!」」
――どういうことだ? 俺の目にはどちらも男性同士のペアに見えるが……。
「「オレが女のほうを男に変えてやったんだよ!」」
な、なんだと!? 世の中にはそんな恐ろしい魔術もあるのか……!?
「「スゴイだろ! でも、不思議だよなぁ……」」
デバイスから聞こえてくる声は得意げに言ったあとで、ほくそ笑むように笑った。
「「女が男になったあとも愛し合ってるペアもいれば、女が男になった途端に愛が冷めちゃうペアもいるんだ! そんなに性別って大事なもんかなー?」」
なるほど、そういうことか……。
このダンジョンは、すでにダロスが支配していたころとは大きく様変わりしていると見てよさそうだ。
その上で、今のダンジョンマスターは侵入者をすぐに撃退するのではなく、まずはこのような悪趣味な見世物を披露して精神的に追い詰めにきているのだろう。
これからおまえたちもこうなるんだぞ――というわけだ。
あいにくと、俺がゾンビだからなのか、あるいは二匹の悪魔によって倒錯した生活を余儀なくされているせいなのか、目の前の光景にもあまり心は動かなかったが……。
「「次の部屋でも同じものが見れるぜ! ぜひ堪能していってくれよな!」」
デバイスから聞こえる音声がそう告げる。
次の部屋にも同様に勇者が捕らえられているということは、少なくともそれだけの勇者がこのダンジョンの攻略に失敗しているということだろうか。
だとすれば、ここのダンジョンマスターはそれなりの手練れということになる。
同じ魔術の使い手として、デス子が何か知っていたりはしないだろうか……。
《ほら、ディスターニア……何をしてほしいのか言ってごらんなさいよ……!》
《んっ……あ、あァ……もっと強く……んあッ……キスしながらもっと強くしてェ……!》
ダメだコイツら。まったく役に立たねえ。
というか、最近はセレニアのほうが強いのか……。
そう言えばコメント欄も静かなだ。
『俺はいるぜ!』
『賢者タイムにホモを見せられるとかどんな拷問だ?』
『悟りを開けそう』
いろいろとタイミング悪くてスマンな。
ともあれ、俺は牢獄の間を抜けてその奥にある扉の先へと進んでいった。
次の部屋にも同じような牢獄が二つおかれていたが、少しばかり中の様子が違った。
今度はどちらも女性のペアだったのだ。
ただ、不思議なことに、こちらの牢獄はどちらも仲睦まじい様子だった。
片方は疲れた体を支え合うように座り込んで互いに身を寄せ合い、もう片方は床に体を横たえたまま小声で何かを語らっているようだった。
やはりこちらの面々も俺の存在には気づいていないようで、それぞれがそれぞれの世界に入り込んでいるように見える。
「「ぃよーぅ! こっちは不思議なことにどっちも仲良しなんだよなぁ。女のほうが性別を気にしない傾向にあるのかもしれねーな!」」
ケラケラという笑い声まじりの無邪気な声が響いてくる。
どうやら、この部屋にも先ほどの部屋と同様のデバイスが設置されているらしい。
さすがにそんな一方的な意見には賛同しかねるが、少なくともこの部屋に関しては一つ前の部屋と違い、いくらか平穏な空気に包まれているように見える。
とはいえ、女性たちが一糸まとわぬ姿で牢獄に捕らえられ、このような見世物にされている状況自体が異常なことには違いない。
もとは勇者というわけだから俺が助ける義理もないのだろうが、それでもこんな倒錯的かつ冒涜的な行いが放置されていて良いのかという葛藤はあった。
俺自身がもともと人間であったことも少なからず影響しているのかもしれない。
『悩めるゾンビ』
『倒錯っぷりだけならゾンビくんのママたちも変わらんけど』
『ママぁ!』
『もうデス子ママで確定なん?』
『まあおっぱいのサイズに関しては確かにママ感あるよ』
『あっちでもレズこっちでもレズか』
『今戻って来たやつはまだマシだよ。ついさっきまでホモだったんだぞ』
『マジで?』
『ホモ以外は帰ってくれないか!』
ちょっとずつこっちのチャンネルの視聴者も増えてきたみたいだな。
賢者が増えてきたってことか。
「「さあ、次はオマエが牢屋に入るかどうかをテストする番だぜ! 怖いならここで引き返すんだな! 逃げるようなザァコには興味ないからな!」」
デバイスから煽るような声が響いてくる。
牢屋に入るかテスト――か。
おそらくは何かしら罠なり魔物なりが待っているのだろうが、もともとダンジョンの攻略を目的に遠路はるばるやってきたのだから、引き返す選択肢などはじめからない。
俺はさらに牢獄の奥にある扉を抜け、次の部屋へと進んだ。
そこはそれまでの牢獄があった部屋よりもさらに広い作りになっており、そういう意匠なのか結果的にそうなったのか、床も壁もところどころが激しく損傷した状態になっていた。
少なくとも何度となくここで戦闘が繰り返されてきたことは間違いなさそうで、そこかしこには褐変した血糊のようなものもへばりついている。
部屋の中央には褐色の肌をした少年のような風貌の人物が立っており、腕組みをしながらニヤニヤとこちらを見据えていた。
「ぃよーぅ! 逃げずにやってきたようだな!」
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