第二八章 初陣の前に

 そういえば、ダンジョンの外にはどうやって出るのだろう。


 実はつい先ほど、このダンジョンに勇者が攻め込んできたのだ。

 間が悪くまだ料理中のタイミングで、ササっと始末したとしてもすぐに死体の後処理をできそうにないし、それでうっかり腐らせでもしたら面倒なことになる。

 というわけで、ひとまず追い出すことにしたのだが、そのとき、俺は見えない壁のようなものに阻まれてダンジョンの外に出ることができなかったのだ。

 仕方なく勇者については気絶させた上でなるべく遠くのほうに投げ捨ててきたが、ヴォルグやダロスはどうやってダンジョンの外に出たのだろう。


『はい、またポンコツ出ましたー』

『それくらいダンマスじゃない俺でも分かるわ』

『え、俺分からんのだけど』

『おまえ人間だろ』

『特定やめろや』

『人間はダンマスの配信あんま見ないだろうししゃーない』


 むむ、どういうことだ……?

 ダンジョンマスターなら知っていて当たり前ということだろうか。


「ダーリン、実はこのダンジョンには本来ならあって当然のものが足りないのだよ……」


 デス子もちょっと苦笑いしている。

 い、いや、違うんだ。これはきっと記憶喪失のせいで……。


「ひょっとして、ダンジョンコア……?」


 ふと、セレニアが思いついたようにそう呟いた。

 そういえば、とくに必要性も感じていなかったし、むしろかえって防衛の手間が増えそうだからと設置していなかったな。

 ——って、ひょっとして、ダンジョンコアが必要ということか!?


「考えてもみたまえよ。コアがないダンジョンはダンマスを倒すことで攻略の条件が達成される仕組みになっているのに、コアがない状態でもダンマスが好き勝手にダンジョンの外に出て行っちゃえたら、攻略に来た勇者が困っちゃうだろォ?」


 そ、それは確かにそうだな……。

 もしそんな仕様が許されていたら、せっかくダンジョンの攻略に来たのに肝心の討伐対象が不在で、仕方ないから帰ってくるまで待つことになりました——なんて間抜けな展開も起こりえてしまう。


「騎士さまが強すぎたゆえの弊害ですね……」


 セレニアが擁護するように言ってくれるが、その顔には乾いた笑みが浮かんでいた。

 ぐぬぬ……このままでは俺もポンコツの汚名を被ることになってしまうぞ。


『このゾンビ、まだ自分は大丈夫だと思っているようです』

『だいたいのポンコツは自覚がないからな』

『もう手遅れってことか』

『所詮は腐った死体よ』


 く、腐ってはいねえ! 断じて!


「まァ、そんなわけでコアの設置さえすれば問題なしだよ! ただ、今後はコア防衛も意識する必要があるから、とくにお姫ちゃんには役に立ってもらうことになるねェ」


 ふむ。そういう意味では、やはりセレニアを仲間に引き込めたのは僥倖だったな。

 もちろん、攻めてくるダンジョンマスターの戦法によっては相性が悪かったりすることもあるだろうから、何もかもセレニアに任せっきりというわけにはいかないが。


「……その、くどいようですが、そんなにわたしを信用してもよろしいのですか?」


 不意に、セレニアがそんなことを言ってくる。

 少し俯きながらおずおずといった様子で上目遣いにこちらを見るセレニアは、何処か自信なさげなように見える。

 何か思うところでもあるのだろうか……?


「急に心変わりをして、お二人を裏切ることもあるかもしれませんよ?」


 むう。そんなこと、少なくともセレニアが気にする必要はないと思うが……。

 それに、もし仮にそうなったとしても、それは単純に俺たちの見極めが甘かっただけのことだ。

 たかだか一週間あまりのつきあいでお人好しがすぎると笑われてしまうかもしれないが、俺はもうセレニアを完全に信頼してしまっている。

 だから、裏切られたとしたら、それはもう仕方がないのだ。


 そもそも俺はそこまでダンジョンマスターであることに執着があるわけでもない。

 セレニアの裏切りによってダンジョンマスターとしての資格を失ったとして、俺にとってはそこまで大きな問題ではなかった。

 もちろん、裏切られたことによるショックくらいは多少なりとも残るだろうが……。


「そうそう。わたしも最初は一攫千金とか考えてたけど、今はもうダーリンと一緒にさえいれればいいからさァ。お姫ちゃんが裏切ったなら、そんときゃそんときよォ!」


 デス子も笑いながらちんちん型の人参でセレニアの頬っぺたをツンツンしている。


 ——と、そのとき、予想外のことが起こった。

 唐突にセレニアの瞳から大粒の涙が溢れはじめたのである。

 さすがにちんちんでツンツンされていることがあまりにも屈辱すぎたからというわけではないと思うが、いったいどうしたというのだろう。


「どどど、どうしたのォ!?」


 これにはさすがのデス子も大慌てのようだった。


「き、貴族のご令嬢にちんちんでツンツンはさすがにご無体がすぎのたかなァ……?」


 い、いや、たぶん違うと思うぞ。


『コイツら思考回路が一緒なんだが』

『これがポンコツ親子か』

『お似合いだよ』

『さすがにもうちょっとどうにかならんか』


 う、うるさいやつらだな。


「す、すみません……今までこんなふうに人の優しさに触れる機会がなかったもので……」


 溢れる涙を両手で拭いながら、セレニアが告げる。

 俺にはよく分からないが、伯爵令嬢だからといって誰しもが恵まれた環境にいたとはかぎらないということなのだろうか。

 セレニアの生い立ちについては少し気になったが、興味本位で訊かれるのは迷惑かもしれないし、いつか彼女が話したくなったときにゆっくり聞かせてもらおう。


 気づけばデス子が場所を移動しており、肩を震わせるセレニアに寄り添ってその背中を優しくさすっていた。

 なんだかんだで、仲は悪くないんだよなぁ……。


『てぇてぇ』

『キマシタワァー』

『これで何故バズらないのか不思議でならない』

『成人チャンネルやからなぁ』

『アーカイブ残ればな』


 コメント欄も感動の嵐が吹き荒れている。

 おまえら、投げ銭もよろしく頼むな。


「ありがとう、ディスターニア……」

「気にしないで。それに、やっぱこの流れって、いろいろと期待しちゃうからさァ……」

「そうよね……その、実はわたし、期待しちゃったせいでもう準備もできちゃってて……」


 俺も感動にホロリとしていたのだが、いつしか二人は何事かボソボソと話し合っている。

 それに、先ほどからやたらチラチラとこちらに目線を送ってきている気がするが――。


「ま、まさか、ダーリン、気づいてない……?」

「普通、こういう流れだったら慰めにきてくれるわよね……?」


 小声で囁き合いながら、互いに顔を見合わせたりこちらを見たりを繰り返している。

 あれ、なんだろう。だんだん嫌な予感がしてきたな……。


『これはやっぱりバズらないのも仕方ないわ』

『感動ポルノのほうがまだマシなのでは』

『正しく感動からのポルノ』

『まあ好きです』

『これだからこのチャンネルはやめられねえ』


 コメント欄も露骨に雰囲気が変わりはじめている。

 やはり、そういうことなのか……?

 俺が恐る恐る後退りをはじめると、ガタッと二人が同時に立ち上がった。


「いつまでそこでボーッと突っ立ってるんだい!?」

「ここは慰めエッチをするところでしょう!?」


 そして、二人は椅子とテーブルをなぎ倒しながら俺に襲いかかってきた。

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