第42話 責任のありか

「……師匠、好き勝手にさせていいんですか?」


 身体に疲れを感じながら、僕が師匠にそう問いかけたのは、支部長の隠れ部屋を後にした後のことだった。

 その周囲には、支部長ミストとバンザムの姿、そのどちらもない。


 ……あの二人は、部屋を出た瞬間、迷宮暴走を乗り切るため、やらなければならないことがあると告げ、姿を消したのだ。


 それでも師匠は、少し文句を言っただけで止めようともしなかった。

 その態度に僕は疑問を口にする。


「あの油断ならない二人を野放しにするなんて……」


 支部長ミスト、あのエルフは僕の想像以上に油断ならない人間だった。

 幸いにも戦闘にはならず、実力がどんなものなのかは知る機会はなかったが、その智謀だけでも脅威なのは間違いないだろう。

 そんな不確定分子の行動を許した師匠の意図が分からず、僕は不満を隠せない。

 だが、そんな僕に対し、師匠の顔には一切不安は存在しなかった。


「そこまで過敏に気にすらは必要はない。あのハンザムという男は知らんが、この状況でミストが私達に害のある行動などしない。それに、ミストは上に立てない状況であれば、自由に動かしておいた方がいい」


「……え?」


 戸惑いを隠せない僕に、師匠は淡々と説明する。


「言っただろう。ミストは六百年生きていると。私達なんぞ比較にならないほど、知識を蓄えている。それを活かさない手はない」


 その言葉は、僕も納得できるものだった。

 あのミストは、師匠を鍛えと言われても納得できる何かを備えていた。

 それはたしかに、ミストの自由を奪って監視するようなことをすれば、発揮できない類の何かだろう。

 ミストが僕達のためにその智謀を発揮してくれれば、状況は大いに変化するに違いない。


 ……そう、僕達のために使ってくれるという確証があれば。


「そう、ですか」


「ああ。とはいえ、ミストから警戒を緩めはするな。油断すれば、気付かぬ内に取り込まれるぞ」


「……はい」


 警告する師匠は、隠す気のない嫌悪を顕にしている。

 その表情を見ながらも、僕は気づいていた。


 支部長ミトスにたいし師匠は、嫌悪すると同時に、信頼も抱いていることを。


 ミストが自分達のために智謀を使うと信じて疑わないことや、この状況で僕達に害を与えることはないと断言したこと。

 それは、師匠とミストの間に強い信頼関係があったことを示すものだった。

 ミストが師匠の師であったと納得できるほどの。

 それを理解した僕の中、不信感が生まれる。


 しかし、僕はそのことを師匠に指摘することはなかった。


「いいか。迷宮都市にいる間は、絶対にミストに対して気を抜くな」


 僕に何度も、ミストの危険性を念押ししてくる師匠。

 その言葉に頷きながら、僕は師匠が見せたミストに対する信頼が無意識なものであることを確信する。

 それに、ミストに対する師匠の嫌悪感も決して演技には見えなかった。

 その矛盾について指摘したとしても、師匠を余計に混乱させてしまうだけなのかもしれない。


 故に僕は、群れのうちに生まれた疑問を胸の奥へと押し込む。

 もう少し落ち着けば、師匠にミストと一体何があったのか、聞ければいいなと思いながら。


 ……望む平穏がまだまだ先であることを、その時の僕は知るよしがなかった。




 ◇◆◇




「なっ!? 戦神の大剣が冒険者を引き連れて逃げ出した?」


 ……ギルドに戻った僕を待っていたのは、まるで想像もしていなかった報告だった。

 僕の驚愕の声は、周囲にいる人間達にも伝わり、マーネル達街の冒険者は顔を歪め、縄で囚われた冒険者達の顔が強張る。

 そして目の前にいる僕に対し、冒険者達が逃げ出したことを教えてくれたナルセーナが泣きだしそうな程に顔を歪め、頭を下げた。


「ごめんなさい、お兄さん。こんな状況でこんなに人手を失うことになってしまって……。私がもっと気を張っていれば……」


「ナルセーナ、頭を上げて。これはナルセーナの責任なんかじゃない。……むしろ、これだけの冒険者を止めてのとを誇るべきだ」


 そんなナルセーナに、僕は顔に苦渋を浮かべて首を横に振った。

 ふと目を横にそらすと、そこには異常な数の縄で囚われた冒険者達の姿がある。

 その数は数百人以上。

 話を聞いた限り、その冒険者達は逃げ出そうとしたところでナルセーナ達に捕えられた冒険者達らしい。

 そんな数の冒険者達を止めたナルセーナ達のことを責められる人間など誰一人といないだろう。


「でも……」


 それでも、まだ顔から罪悪感が消えないナルセーナに、僕は後悔を顔に滲ませながら告げた。


「それよりも、責められるべきは僕の方だ。……戦神の大剣がこういった手段をとることを想像できたのは、僕だけだったのに」


 戦神の大剣が手段を選ばないことや、自分本位で僕を忌み嫌っていること。

 またその実、僕に対し戦いを挑むほど考えが浅いことを知っていた。

 にも拘らず、迷宮暴走の中これだけ戦力の揃った迷宮都市から逃げ出す訳がない、と僕は油断していたのだ。


「そんな! 支部長のところにいて、この場所にいなかったお兄さんが責任を負う必要なんて!」


 後悔を隠せない僕に対し、ナルセーナは必死にそう言ってくれる。

 だが、五百人近い冒険者、それも多くの実力者を逃がした現状、僕は責任を感じずにはいられなかった。

 たしかに逃げた冒険者達の中、僕達に匹敵する人間などいない。


 ……それでも、迷宮暴走という未曾有の事態ではとにかく人数が必要だった。


 例えば変異したホブゴブリンが百体いようが、僕達レベルならば死ぬことは万に一つもありえない。

 それどころか、傷一つ負わず全滅させることさえ不可能ではないだろう。


 しかし、百体全てを倒すまでに多くの時間がかかる。

 できるかぎり余裕を意識すればするほど。

 そして、迷宮暴走が起きている今、僕達がボブゴブリン達にかかりきりなっていれば、全てを倒すまでに迷宮都市は魔獣によって蹂躙されることになるだろう。

 街の人達もただではすまない。


 また、いくらホブゴブリンとはいえ、変異したオーガや、変異した超難易度魔獣との戦いの時に襲われれば、僕達だって致命的な傷を負いかねない。

 そんな状況下である今、僕達が強敵に集中できるようにそれ以外に対処する人手は必要だ。


 なのに、僕はその大切な人手となる冒険者達を逃がしてしまったのだ。


「……くそ!」


 自分の犯してしまったことに、僕は唇を噛み締める。

 せめて、謝罪をと口を開こうとして……何者かが、僕とナルセーナの肩に手を置き、強引に謝罪をやめさせたのはその時だった。


「責任感の強いのはいいことだが、責任を追うのは君たちではないよ」


「……ロナウドさん」


「単純な話だ。一番悪いのは対策がとなかった被害者ではなく、犯罪者。当たり前の話だろう?」


 そうロナウドさんは笑って、次の瞬間縄に囚われた冒険者の方へと、その細い目を向けて口を開いた。


「責任を取るのは自分達だとわかっているだろう。首謀者の戦神の大剣のメンバー、戦士君と治癒師君?」


「……っ!」


 ロナウドさんの視線の先、そこにいたのはナルセーナが気絶させたという戦神の大剣の戦士と治癒師がいた。

 その戦士は、戦神の大剣のリーダーの方ではなかったが、たしかに僕が戦神の大剣の中で見た顔だった。

 ロナウドさんに見つめられる彼らは、緊張で顔を強張らせていた。


 現在、ロナウドさんはその冒険者達を威圧していないどころか、何時もどおりだ。

 その態度こそが逆に冒険者達に得体のしれない感覚を植え付けているのだろう。

 もしくは、超一流冒険者というロナウドさんの立場に威圧されているのかもしれない。

 それでも、一流冒険者である二人がそれだけで大人しくなることはなかった。


「責任を取る? 何を言い出すかと思えばたかが冒険者の立場で!」


 ロナウドさんに対し、戦士の男は必死に叫ぶがそれが虚勢でしかないことは明らかだった。

 その戦士と対照的に、冷笑を浮かべた治癒師が口を開く。


「超一流冒険者だからと言って調子に乗りすぎなのでは? 私達に責任を押し付けるのは、正しい選択だとは思えませんよ」


 そして彼は、ロナウドさんではなく、周囲に立つマーネル達や街の人達に向けて告げる。


「よく考えてみてください。一流冒険者としての実力を持つ私達を処罰して本当にいいのですか? 迷宮暴走を対処する鍵になりかねない私達を!」


 その言葉に、マーネル達は険しい顔を崩さなかったが、街の人達やその他の冒険者の顔に不安がよぎるのが見える。

 それを見て、治癒師の狙いを理解した僕は、思わず言葉を漏らしていた。


「……卑怯な」


 迷宮暴走という未曾有の事態が起きた今、街の人達や冒険者達の胸には不安がある。

 それに、つけ込んで治癒師は自分達が生き残れるようにしようとしているのだ。


 ……自分達が、状況をさらに悪くしたくせに。


 そのことに、僕の胸の中怒りが生まれる。

 そもそも、いくら実力があろうがこの状況でこれだけの罪を犯して許されれば、この集団で罪を守らない人間が続出する。

 治癒師の言葉は詭弁でしかなく、決して許せるものではないのだ。


 そう僕は、戦神の大剣の治癒師へと叫ぼうとして、その前にロナウドさんが口を開いた。


「言いたいことはそれだけかい?」


 ロナウドさんの表情も雰囲気も、戦神の大剣の戦士と治癒師が叫ぶ前とまるで変わりなかった。

 その穏やかな表情のまま、ロナウドさんは困ったように笑い──そして、背中の魔剣を抜いた。


「悪いけど、その話は考慮する価値もないかな」


「…………え?」


 次の瞬間、今まで必死に余裕を取り繕っていた治癒師の顔が、一瞬にして青ざめることになった……。

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