第41話 障壁 (戦神の大剣視点)

「オラァァァァア!」


 冒険者の囲みを突破し、こちらにやってきた一体のオークを、予備の短剣で切り捨てる。

 そしてすぐに周囲を確認するが、そのオーク以外に囲みを突破した魔獣はいない。

 それを確認して、俺は一度嘆息を漏らした。


「はぁ、これで何体目だ?」


 アレックスの詠唱が始まって数分がたった。

 その間に、アレックスが障壁を破ろうとしていることに気づいた冒険者達も、アレックスを守ろうと動いていた。

 時折怒りの目をこちらに向けてくる者もいるし、冒険者達のほとんどは、真っ先に逃げ出した俺に対し、内心は不満を抱いているのは明らかだ。

 それでも冒険者達は、この状況で表立って反発してくることはしない。

 それは、喜ぶべき誤算だろう。


 だが、俺の顔に浮かぶのは変わらない焦燥だった。


「……くそ! きりがない」


 向こうからどんどんとやってくるホブゴブリンとオークの姿に、俺は苛立たしげに吐き捨てた。ら

 冒険者達の協力があってもなお、対応が難しくなるほどに、魔獣達の数は増えていた。

 幸いまだ冒険者達で対応可能だが、徐々に俺たちのほうにも魔獣が押し寄せてきている。

 いくら俺が一流冒険者といえども、予備の短剣しかない状態で複数のオークを相手にはしたくはなかった。

 決して良いとはいえない状況に、集中して詠唱を唱えるアレックスへと俺は呟く。


「……早くしろよ、アレックス!」


 超難易度魔獣が迫ってきているかもしれない中、のろのろと詠唱するアレックスに対し、自分が苛立ちを感じ始めていることに俺は気づいていた。

 だが、それ以上に俺が苛立ちを覚えていたのは、魔獣がやってきてもなお、街を覆う障壁の前に立つマースバルの姿だった。


「……真っ先に逃げることしか考えていないのか」


 マースバルの武闘家としての能力が信頼できるものがだと知っているからこそ、その実力を発揮しようとはしないマースバルに、俺は怒りを覚える。

 とはいえ、いざという時はマースバルの実力が頼りであることを知る俺は、怒りを抑え魔獣の方へと意識を集中させる。


 そばにいる冒険者達が、遠くを見て動きを止めたのはその時だった。


「ま、魔獣の群れが……!」


「……っ!」


 冒険者達の声に反応し、俺は遠い向こうへと視線をやる。

 そこに見えたのは、遠い向こうから、ほうほうの体で逃げ出す数人の冒険者と、それを追いかける魔獣の大群だった。

 その大群は、最初俺達が戦っていた魔獣の群れよりも多い。


「……囮にした冒険者達が全滅した、のか」


 その光景に、俺の顔から血の気が引く。

 もはや、いつオーガやフェンリルがやってきてもおかしくはない。

 いや、魔獣の陰で見えないだけでもうそばにやってきているかもしれないだろう。

 俺だけではなく、冒険者達の顔色も青い。


「炎の精霊に乞い願う!」


「アレックス!」


 希望となるアレックスの詠唱が締めに入ったのは、その瞬間だった。

 今日だけで大きな魔法を使った代償か、疲労で顔をゆがめながらもアレックスは叫ぶ。


「豪炎よ! 燃え尽くせ!」


 次の瞬間、アレックスから障壁に守られた城壁へと豪炎が唸りを上げて放たれた。

 その豪炎は、障壁とぶつかり四方へと広がる。


「これは……」


 魔獣に魔法が放たれた時とはまるで違うその光景に、俺は思わず目を奪われる。

 魔法が一体どれだけ強力な手段なのか、俺は今さらながら思い知らされる。


「なっ!?」


 故に、少しの間の後豪炎が消え去り目の前に広がった光景に、俺は動揺を隠しきれなかった。

 ……炎が消え去った後、俺の目に入ってきたのは変わらず青い光を放つ障壁だったのだから。


「嘘、だろ……」


 その光景に、呆然と声を漏らしたアレックスがそのまま気を失う。

 その姿からは、手加減したとはまるで考えられなかった。

 にも拘らず、障壁には一切傷ついたような様子はなかった。


「ふざけるな! どうなっているんだアズール!」


 今まで何もしていなかったマースバルが、まるで変わらない城壁を見て叫ぶのが聞こえる。

 けれど、それに俺はなんの反応も返すことはなかった。

 呆然と、傷一つない障壁を見つめることしかできない。


「くそが!」


 そんな俺を無視し、マースバルは城壁へと駆け寄り、拳を城壁にぶつけ始める。

 いくら武闘家でも、この城壁を前に何をしようが無駄だと理解できない訳でもないだろうに。


 ……俺の中、絶望が広がり始めたのはその時だった。


 アレックスの魔法を使ってもなお、ビクともしない障壁。

 こんなもの、一体どうすれば……。


「Fi─────i!」


 ──そんな俺を強引に正気に戻したのは、はるか遠くから聞こえた咆哮だった。


 まるで壊れかけの人形のように、俺はその咆哮の方へと目を向ける。

 そこにいたのは、雷をまとう絶望、フェンリルだった。


「くそがぁぁぁあ!」


 その姿に、もう隣街に逃げ込もうとするのは無理だと判断したのか、叫びながらマースバルが反転して逃げ出そうとする。


 ……だが、それはフェンリルを刺激する行為だった。


「Fi──i」


「あ」


 固まる冒険者の中、唯一逃げ出そうとしたマースバルの方に、フェンリルが目をやる。

 そして、フェンリルの注意を引いたことに気づいたマースバルが、顔に絶望とも驚愕とも見える表情を浮かべ固まる。


 それが俺見たマースバルの最後の表情だった。


「Fi─────i!」


 次の瞬間、マースバルへと雷を身にまとい突っ込んだフェンリルの速度は雷速と呼ぶのに相応しいものだった。


「くっ!」


 まるで地震が起きたかのような強い衝撃と土埃がまい、俺は思わず顔を手で覆う。

 すぐに俺は顔を上げて、確認するが土埃の中マースバルの姿を確認することはできない。


 ……それでも、マースバルが死んだことは明らかだと俺は理解する。

 気に入らないことがあったとはいえ、強力な能力を持つ仲間が殺されたことで、俺の足は震えていた。

 しかし、その恐怖が俺に生きる活力を与えることとなった。


「くそくそ! こんなところで死ねるか……!」


 そう叫びながら、俺はフェンリルが突っ込んで行った城壁へと目をやる。

 恐怖に侵されながらも、俺は冷静に希望を見出していた。


 マースバルは障壁の側にいたことと。

 フェンリルが突っ込んで行った直後に衝撃を感じたこと。


 その二つの点から、俺はフェンリルが障壁に守られたあの城壁にぶつかったことを確信していた。

 だとすれば、確実に城壁は崩れている。


 それが俺の生き残れる唯一の道だった。


「隣街に逃げ込めれば……」


 隣街に逃げ込むということは、フェンリルの隣を通らなければならないことを示している。

 だが、隣街にさえ逃げ込むことができれば、そこにいるのは大量の人間だ。

 隣街は滅びるかもしれないが、それを犠牲に俺は逃げ切ることができる。


 その考えの元、俺は土埃に集中する。

 城壁への崩れた部分を見つけ次第逃げられるように。


 だから俺は、土埃が晴れていく中、はっきりとそれを確認することができた。


「…………………は?」


 ──フェンリルが突撃する前と変わらず、青い燐光を放つ城壁を。


「Fi───i!」


 城壁が壊せないことにフェンリルも戸惑ったのか、苛立ち混じりに突撃を繰り返す。

 にも拘らず、障壁に傷がつくことはなかった。


「……何が、おきている?」


 その光景に、俺は呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 変異する前でも、超難易度魔獣がどれだけの存在か、俺は知っている。

 その攻撃を止める障壁でさえ、作ろうとすれば、魔法使いが百人単位で必要だろう。


 そして、目の前にいる変異したフェンリルは、その俺の記憶にある超難易度魔獣より遥かに強力なのだ。


 超難易度魔獣に対して果敢に攻撃していたあのマースバルが、まるで反応できず殺されたことがその何よりの証拠。

 ……そのフェンリルの攻撃を、あの障壁はあっさりと弾いたのだ。


 その障壁へと呆然とした足取りで近づきながら、俺は呟く。


「何でこんなものが? こんなものが一日二日でできるものじゃないのに……」


 俺は、近づくほどにその障壁の巨大さを知ることになった。

 街一つを覆う城壁全てを守る障壁、それだけでこの障壁の規模がどれほどのものか分かるだろう。

 その上、これだけ強固な障壁を作るのには、どれだけの期間が必要になることか。

 そして、少なくとも俺が一ヶ月ほど前にこの街に来た時、こんな障壁はなかった。


 青い、初めて見た時と変わらない燐光を放つ、異常な程強固な障壁を見上げながら、俺は頭に浮かんだ思いを口にする。


「……どうすれば、こんな迷宮暴走が起こるのを知っていたようなタイミングで、こんな強固な障壁を作れる?」


 そう、これはまるで。


 ──迷宮暴走が起こるのを知っていたようではないか。


 その想像に、俺の背に冷たいものが走る。


 自分の頭上から、重たい羽ばたくような聞こえたのは、その時だった。


 その音に反応し、俺は頭上を見上げ、そして半笑いのような顔で言葉を漏らす。


「嘘、だろ? ──グリフォンだと」


 上空にいたのは、鷲のような上半身に獅子のような身体を持つ超難易度魔獣だった。

 その威圧感はフェンリルと同等で、俺はグリフォンも変異していることを悟る。


 次の瞬間、グリフォンは俺目がけて急降下を開始した。


「あ」


 迷宮都市に残っているべきだった、そう俺が気づいたのは、目前まで死が迫った時だった。

 これは俺一人がどうこうしたところで、なんの意味もないほどの事態だった。

 隣街に障壁がなかったところで、隣街ごと俺も死ぬだけだっただろう。


 逃げ出そうなど、考えるべきではなかった。


 そんな思考を最後に、俺の視界は黒に染まった……。

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