幕間 受付嬢アマースト Ⅰ
「………っ」
変異したヒュドラが現れた件から二日後、迷宮都市冒険者ギルドの受付の中、私は青ざめた顔で俯いていた。
それは明らかに不審な態度で、冒険者達から不審げな目を向けられているのが分かる。
それでも私は、いつも通りを装うことはできなかった。
私がそんな状態となった理由、それは私が周囲から隠していたことにより、変異してしまったヒュドラの存在だった。
ヒュドラの存在を隠していたことは重罪だ。
受付嬢を首にされることは確実で、最悪数日間牢に入れられる可能性がある。
……けれども隠してきたヒュドラが変異した今、私に与えられる罰は、ヒュドラの存在を隠していたものとは比べ物にならない重さになるだろう。
確実に奴隷にされるか、それ以上の罰を私は与えられるだろう。
「……私は、何故ヒュドラの存在を隠そうと」
その想像に身体を震わせ、漏らした私の言葉には隠しきれない後悔が込められていた。
自分がこの先どうなってしまうか、そのことを想像するだけで身体から震えが止まらない。
今はまだ、ヒュドラが短期間で変異した異常について調べているのか、私がヒュドラを隠していた人間だとは気づかれていない。
……だが、私がヒュドラを隠していたことがバレるのは時間の問題だろう。
その悲観的な未来予想に、私の顔から血の気が引く。
ここから逃げ出したい衝動に駆られるが、今更逃げたところで罪が重くなるだけで逃げきれるわけがない。
そのことが理解できるからこそ、私は少しでも怪しまれないよう受付の仕事をすることしか出来ない。
八方塞がりの状況に、私の心はどんどんと追い詰められていた。
「……私は、何も悪くない」
……そして限界を迎えた私は、現実から目を背けた。
「……ヒュドラの突然変異に私は関わっていない。私は運が悪かっただけ。何で私が罪に問われないといけないの?」
私は小さな声で、何度も自分を擁護するような言葉を呟き、そう思い込もうとする。
……自分が保身のためにヒュドラの存在を隠したせいで、運が悪ければ迷宮都市が潰れかねない事態が起こったという現実から目をそらして。
「そうよ、何で私が奴隷なんかにならないといけないのよ。全て悪いのは突然変異したヒュドラでしょ?私は被害者よ」
その内完全に私の中から罪悪感が消え去り、自分は被害者であるという認識が胸の中を支配する。
自分はヒュドラの異常変異の被害者なだけで、何の非もないと思い込む。
……だが、そんな現実逃避をしたところで現実が変るわけがなかった。
何時もと変わらない光景が流れる冒険者ギルドの光景、それに私はどれだけ自分が現実を無視しようとしても、そんなことには何の意味もないことを思い知らされる。
このままでは先がない状況は、自分が被害者だと思い込んだところで一切変わっていなかった。
「っ!」
どうすることも出来ない現実を思い知らされて、それでも私は奴隷になることだけは認めることはできなかった。
刻一刻と迫る時間に対する焦燥に、私は唇を噛み締め、何か縋りつけるものを探すように辺りを見回す。
「そ、その、私少しお花摘みに」
「うん、分かった。僕は明日の依頼をどうするか見てるよ」
── 偶然、楽しそうに話し合っているラウストとその仲間の武闘家を私が見つけたのは、その時だった。
その姿を見た瞬間、私は思わず顔を歪めた。
治癒師ラウスト、今まで欠陥だと蔑まれてきたはずのその治癒師は、今や迷宮都市どころか、王都でも名が上がる冒険者となっていた。
たった二人のパーティーで、変異したヒュドラを殆ど被害のない状態で討伐したことが評価され、次期超一流冒険者になれるのではないか、と噂されているらしい。
……それは、奴隷に落とされる可能性があり、怯えている私と正反対の状況だった。
ほんの少し前までは、私とラウストの立場は大きく違っていた。
私は稲妻の剣という一流パーティーの専属の受付嬢で、それに対してラウストは迷宮都市の人間から蔑まれる対象だった。
「……なんでっ!」
だが、今はその状況が信じられないほどラウストの立場は上がっていた。
その状況に、私はラウストに対して妬みと憎しみを隠すことが出来ない。
ラウストが稲妻の剣に残って居れば、ここまで自分が追い詰められることはなかっただろうと分かってしまうから尚更。
……自分が稲妻の剣を止めなかったことを脇に、私はラウストに対する恨みを募らせる。
「せめてラウストが、稲妻の剣に入った状態で、手柄を立てれば……」
もし、稲妻の剣にいる時ラウストが居れば、その手柄は稲妻の剣のものとなり、専属ギルド職員であった私の手柄にもなった。
そう考えて、私はため息を漏らしかけて。
「っ!これなら!」
その時、私の頭にラウストの手柄を自分のものにする、とある方法が浮かんだ。
その方法を思いついた瞬間、私の口元が緩む。
これなら、奴隷になることだけは避けられるかもしれない。
「ごめんなさい。少し外すわね」
「え、あ!は、はい!」
そう考えた次の瞬間、隣にいた受付嬢にそう告げて、私はラウストの元へと歩き出していた。
幸いなことに今ラウストの側には、厄介な武闘家はいない。
これなら、私が今からしようとしていることを邪魔する人間はいない。
そう考えた私は、満面の笑みで熱心に依頼を探しているラウストへと口を開く。
「少し良いかしら」
「………え?」
次の瞬間、私に声をかけられたことに気づいたラウストは間の抜けた声を漏らすが、私はそんなこと一切気に留めず言葉を続けた。
「私と一緒に来てくれる?」
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