第38話 ヒュドラ戦 Ⅲ

「FU─!?」


短剣を握りしめて背後に立っていた僕を見て、隠しきれない驚愕を漏らすヒュドラ。

そのヒュドラの様子に、僕はナルセーナの作戦の成功したことを確信する。

ナルセーナの策のお陰で、ヒュドラは致命的な猶予を僕に与えてしまった。


防御から、攻撃へと僕がスイッチを入れ換えれるだけの猶予を。


その結果、準備を整えた状態でヒュドラの背後へと回り込むことができた僕は笑う。


「後は任せてくれ」


次の瞬間、僕は魔力と気で強化した腕で、短剣を振り下ろした。

ヒュドラはその巨大な体を動かし、なんとか僕の攻撃の射程外へと逃げようとする。

だが、降り下ろされた短剣が鱗に達するまでの僅かな時間では、さすがのヒュドラも攻撃をかわすことなど出来なかった。


「FUuuuuuuuuuuuu!」


振り落とされた僕の短剣は、三つ首を切り落として胴体に深い傷をつけ、ヒュドラは悲鳴をあげる。

次の瞬間、その傷口から血液のような魔力が溢れ出した。

それは莫大な生命力を有する魔獸でさえ、致命傷となる傷。

……だが、その傷を見ても僕は喜ぶことは出来なかった。


「あぐっ!」


ヒュドラに深い傷をつけた代償であるかのように、僕の手は酷い痛みが走ったのだ。

変異したヒュドラに大きな傷をつけた攻撃、それは後先を考えずに強化しての一撃だった。

それは、あのナルセーナの攻撃さえ、通用しなかったヒュドラには生半可な攻撃では何の効果もないかもしれず、最悪折角ナルセーナが作ってくれた好機を無駄にしかねない、と判断しての行動。


……けれども今、もう少し手加減をしておくのだったという後悔を僕は覚えていた。


「あぐぅ……」


腕に走る今まで感じたこともない激痛、疲労もあるせいか僕はその痛みに耐えきれずうずくまってしまう。

しかし、このままではヒュドラに反撃に合うかも知れなくて……



「FU、uuuuuu、」



……けれども次の瞬間、耳に入った弱々しいヒュドラの声に振り向いた僕は、反撃に警戒する必要は無いことを悟った。


横たわるヒュドラは最早虫の息だった。

その傷口からは、どす黒い色をした宝石のかけらのようなものが散らばっていて、僕はその時になって短剣はヒュドラの魔石を砕いていたことに気づいた。


「弱点の魔石に偶然当たったのか……」


まさかの幸運に僕は、苦笑を浮かべる。

もし、僕の攻撃がただ胴体を傷つけただけならば、変異したこのヒュドラの致命傷と成ることはなかっただろう。

今までのヒュドラとの戦いから、僕はそう想像する。

だが、偶然魔獣の弱点である魔石を砕いたことが勝負を決めた。


魔石を砕かれ即死しないその生命力は確かに異常だが、それでも弱点である魔石を砕かれた今、もうヒュドラは長くは無いだろう。



「FUuuuuuu、uuuuuu、」



……だが、そんな状態であってなお、ヒュドラは僕達へと憎しみの目を向けていた。

相手が瀕死だと分かっていながらも、ぞっとせずにはいられない目を。

変異したヒュドラは、本当に恐ろしい敵だった。


知能、魔法、筋力に生命力。


その全てが、変異前よりも格段に上がっていた。

変異前ですでに化け物と呼ばれる存在であることのにも関わらず。


今回、僕とナルセーナがこのヒュドラに勝つことができたのは、ただ状況が僕たちに味方したからにすぎない。


ヒュドラは僕に執着しすぎ、そしてナルセーナを軽んじすぎた。

それが僕たちの勝因だった。


もしヒュドラが僕に執着せず、ナルセーナを真っ先に狙っていれば。


またナルセーナを軽んじることなく、もう少しナルセーナを警戒していれば。


そんなさまざまなヒュドラの計算ミスがあったから僕とナルセーナは勝利を手にした。

しかし、まともに戦った場合、僕達が勝てる可能性は3割程度だっただろう。

お互いの存在を信じ、限界を越えた力を発揮できたのを考慮しても。


それくらいの力の差が僕たちとヒュドラの間にはあった。

確かに僕は底辺から必死に力を求め、なんとかある程度強くなったが、それでも僕の上にはさまざまな化け物がいる。

変異したヒュドラと戦ったことで、僕はその事実を思い知らされる。


「でも、ナルセーナと一緒なら僕はもっと強くなれる。ナルセーナとともにいれるなら、最強にだってなってやる」


だが、その事実を知った上で僕は笑った。

この世界は決して優しくはない。

この先も世界は、ナルセーナと僕を今回のヒュドラの件のような理不尽で、蹂躙しようとするだろう。

誰にも認められず、虐げられてきた僕はその世界の残酷さを知っている。


だからこそ、そんな世界がナルセーナに牙を向いたとしても、その理不尽をはねのけることが出来る力を僕は欲し。


そしてナルセーナと一緒であれば、その力を手に出来る覚悟があった。


「だから、その礎になってくれ」


僕はそう告げて、未だ息のあるヒュドラへと短剣を振り下ろす。

未だ腕には激しい痛みが残っており、万全な調子ではない。

だが、虫の息であるヒュドラにはこんな状態の一撃でも充分だろう。




そして因縁の災厄は、静かに命を終えた。





◇◆◇





「終ったん、ですね……」


ヒュドラに止めを刺し、振り向いた僕にナルセーナは濃い疲労が浮かぶ顔に笑みを浮かべる。


「っぁ、」


しかし、それを最後にナルセーナは身体から力が抜けたようにへたり込んでしまう。

僕の前で情けない姿を晒すのが咎めたのか、ナルセーナは焦った様子で必死に体に力を入れ、身体を起こそうとする。


「気にしないで」


「ふあっ、」


しかし僕は、そのナルセーナの行動を制止してその体を抱き上げた。

その僕の行動に驚いたのか、ナルセーナは一瞬その顔に動揺を浮かべて顔を赤くする。


「すぅ……」


けれども僕があるきだし少しした頃には、ナルセーナは寝息をたてていた。


「お疲れ様、ナルセーナ」


ナルセーナの寝顔にそう小さく呟いた僕の胸は、ナルセーナに対する愛しさが溢れだしていた。

その時になれば僕は自分の気持ちを誤魔化すことが出来なくなっていた。


─── ナルセーナに対して抱く、恋心を。


ナルセーナはいまの僕にとって信頼でき、便りになる仲間で、愛しく魅力的な少女だった。

そしてそんな少女を抱えたまま、こちらを呆然と見てくる冒険者の間を歩く僕はある願いを胸に抱く。


平穏な生活など高望みはしない。

ナルセーナが望んでくれるなら、共に過ごしていきたいと。


……その願いを叶える為にどれだけの困難をこえなければならないか、そのときの僕は知るよしもなかった。

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