第37話 ヒュドラ戦 Ⅱ

「………え?」


ヒュドラが自分へと矛先を変えた時、こっちに向かってくるヒュドラに対し、私、ナルセーナは思わず間抜けな声をあげていた。

ヒュドラがどれだけお兄さんに執着しているのか、今まで必死に攻撃していた私は理解している。

だからこそ、ヒュドラが急に自分へと標的を変えた時、困惑を隠せなかった。


………けれども、その12個の目に浮かんでいた肌に張り付くような悪意に気づいた時、私はヒュドラの狙いを理解したのか。


お兄さんを難敵だと判断したヒュドラは、私を最初に殺そうとしたのだ。

私と言う心の拠り所を最初に殺すことで、お兄さんに対して絶望を与える為。


「っ!」


ヒュドラがお兄さんに抱く悪意、それは泥のようにへばりつく、異質なもので私は思わず息を呑む。

変異した後とする前、その違いは能力の差だけではなく、この悪意もなのだと、本能的に理解する。


だけど、その悪意に晒されてもなお、私は息を呑んだと気の動揺以上に心を揺らすことはなかった。

別にヒュドラの悪意に対して、私が恐怖を抱かなかったわけではない。

ただ、そんな恐怖さえどうでも良いと今の私は思っていた、そらだけだ。


何せ、その恐怖さえ気にならなくなるような胸の昂りを、私は感じていたのだから。


先程、見た光景。お兄さんがあの変異したヒュドラの攻撃を受け流した姿は、今も私の頭に貼り付いてる。

本当に何があれば、一瞬前まで全く受け止めることができなかったヒュドラの攻撃を、完璧にうけながすことができるのだろうか。

それは普通に考えれば、ありえない奇跡で、それでもお兄さんは成し遂げていて。


─── でも何故か、私はお兄さんならその奇跡をあっさりと成し遂げるのではないか、と思い込んでいた。


今になって、私は自分がどれ程お兄さんのことを信用しているのか理解する。

私が今まで必死に強くなろうとしてきた理由は、才能がないと嘆いていたお兄さんに恩を返し、守りたいと思ったからだった。

今まで数年間、私はそのために必死に頑張ってきた。


でも、私が最初強くなりたいと思ったのは、自分を守ってゴブリンを倒していったお兄さんの姿に憧れたからだった。




◇◆◇




未だ私の頭には、数年前傷だらけで、それでも必死に戦うお兄さんの姿が張り付いている。

あの時、私は自分が生き残るなんて一切信じていなかった。

その時の私が、そう理解してしまうほどにお兄さんの戦いはギリギリだった。

お兄さんは必死にゴブリンを必死に引きつけようとしていて、だがそれが成功していたのは体力があった最初だけだった。

体力が切れたお兄さんの動きは精彩を欠いて、直ぐにお兄さんはゴブリンに捕まり、大量のゴブリンにいたぶられるように殴られ、蹴られていた。

それでもお兄さんは最後までゴブリンを引きつけようとするように動いていて。


……けれども、数分後にはお兄さんは最早動く気力さえない、瀕死の状態で地面に倒れていた。


その時、お兄さんを守るため、私がゴブリンの前に立ちはだかったのは、決して勝算があったからなどという理由では無かった。

私はただ、必死に自分を守ろうとしてくれたお兄さんが、生き残る可能性を少しでも増やそうとしただけだった。

つまり私はその時、死ぬつもりだったのだ。



だから私は、あの瀕死の状態で立ち上がったお兄さんに対して驚愕を隠せなかった。



《ヒール》で回復しても、戦えるとは全く思えない状態だった。

瀕死とは言えない状態から、《ヒール》しかかけていないのだから。

普通なら立つことさえやっとのはずで。




─── でもお兄さんは、私を背に庇った状態で、ゴブリンを次々に殺していった。



それは正直、異様とも言える光景だったと、今ならわかる。

先程まで、逃げ回ることしか出来ていなかった人間が、傷だらけの状態で次々とゴブリンを倒していっているのだ。


だが、私はそのお兄さんの姿に覚えたのは、強い恋心だった。

お兄さんがゴブリンの群れに勝てるはずがないこと、それを私は誰よりも理解していて。


だから、お兄さんがゴブリンを倒していった時、どれだけの奇跡が起きたかを理解し、そして私を守るためにその奇跡を起こしたお兄さんに対し、強い恋心を覚えたのだ。


そしてその時、私は初めて強さを欲したのだ。


守って貰えることに嬉しさを感じなながら、それでもぼろぼろなお兄さんの役に立てないことが私にはどうしても耐えられなかった。

だからその時私は抱いたのだ


この人の隣で戦えるだけの強さが欲しいと。


そして、その記憶に私は何でこんなに胸の昂りを覚えているのか、そして何故こんなにもお兄さんを信用してしまっているのか。

その全ての理由を理解する。


あの時から私はお兄さんなら奇跡を起こせると、思い込んでしまっているのだ。

そしてその奇跡が私の存在あってのことだと、理解できるからこそ、こんなにも胸が熱いのだ。


だったら、今回こそ私はお兄さんの隣で共に戦ってみせるのだ。



「ナルセーナ!」



そう思ったからこそ、私は、そのお兄さんの叫び声が聞こえた時、お兄さんへと笑みを返す。

私は大丈夫だと、後は頼んだと、そう伝えるために。




「FU───────u!」




ヒュドラは私へと、悪意を露わにして襲いかかってくる。

けれども今の私はその姿に、恐怖を抱くことも、気圧されることも。

そしてまた、この場から逃げようとすることもなかった。


今までの自分に、ヒュドラが止められないことぐらい、私は百も承知だった。

だが、そんな理由で私はヒュドラから逃げるつもりはなかった。

ヒュドラは私を弱いと思い込んでいる。

だからこそ、その意表がつければ大きな隙を作ることが出来るだろう。


何より、ここで逃げてしまってはお兄さんと並び立つことはできない、そう私は感じたのだから。


私は、ヒュドラがその長い尾で私を攻撃しようとした時一切動かなかった。

私はただ、集中してヒュドラの攻撃を見る。


そして次の瞬間、私はこちらを攻撃してきた尾に対し、自分の拳を殴りつけた。


「はぁぁぁぁああ!」


「FUUUUUU!?」


その瞬間、ヒュドラは顔が苦悶に歪め、苦鳴を上げる。

そのヒュドラの姿に、ようやく有効な攻撃を見つけたことを私は理解する。

私の実力では、スキルだけでヒュドラに有効なダメージを与えることができない。

しかし、ヒュドラの攻撃に合わせるように攻撃すれば、ヒュドラの攻撃+私のスキル分のダメージを与えることができる。

その衝撃は内臓まで伝わったに違いない。


そしてその攻撃は相当効いたらしく、ヒュドラが私に向ける目には、はっきりとした敵意が浮かんでいた。


どうやらようやく私を敵だと認識したらしい。


「FU──────u!」


「なっ!」


……しかしそれでもヒュドラは、私への攻撃を止めることはなかった。


そのヒュドラの態度に、私はこの攻撃の弱点が一瞬で看破されたことを悟り、思わず顔を引攣らせる。

私が唯一ヒュドラにダメージを与えることのできる同時攻撃は、有効ではあるが致命的な欠点があった。

それはヒュドラの攻撃のダメージは、私にも蓄積していくのだ。


つまり、この方法は決して長くは使えないのだ。


「っー!」


「FUUUUUUu!」


何とか私は次のヒュドラの尾の攻撃も対処するが、その瞬間走る拳の痛みに、あと数回程度しか攻撃を止められないことを理解する。

そして私の様子から、そのことを理解したのかヒュドラの顔に勝利の確信のようなものが浮かぶ。


「はぁ………」


─── しかしその時、私も同時に安堵の息を漏らし、へたり込んだ。


その私の様子を見て、ヒュドラの顔がに警戒が浮かぶ。

そんなヒュドラへと、私は疲れたように笑いかけた。


「ごめんね。私はただ時間稼いでいただけなんだ。───きちんと伝わってくれてよかった」


「FU─!?」


その私の言葉に、ヒュドラはようやくなにかを感じ取ったのか後ろを向き、そして背後にいた人間の存在に気づく。


けれどもその時、最早手遅れだった。


「後は任せてくれ」


次の瞬間、そう告げたお兄さんの短剣が、ヒュドラへと振り落とされた……

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