第8話 その頃の稲妻の剣 Ⅲ

「フシュゥゥゥゥゥゥ!」


ヒュドラに咬まれたアーミアがその場に崩れ落ち、ヒュドラが勝鬨をあげる。


「直ぐに薬を渡して!私の万能薬じゃ時間がかかる!」


「何よ薬って、そんなの持っているわけが無いじゃ無い!」


「はぁっ!?」


そしてそんな中、ライラが叫び声をあげるが誰一人として薬など持っているものはいない。

当たり前だろう。

何せマルグルスは一切用意しようとしなかったのだから。

ライラはそれでも諦めず、アーミアの身体を探り薬を探したが、見つかるはずが無かった。


「あ、ああ、あああ……」


……そして、その光景を見た時にはすでにマルグルスの中から戦意は消え去っていた。


「て、撤退だ!逃げろ!ヒュドラから距離を取れぇ!」


「はぁ!?」


次の瞬間、マルグルスは何とかそれだけを告げると後ろを向いて走り出した。

突然のそのマルグルスの言葉に仲間が驚愕の声を上げるが、それは残念ながらマルグルスの頭には入らない。

その時、マルグルスの頭を支配していたのはパーティーの火力担当であるアーミアが戦闘不能になった今、戦っても勝てることがない、なんていう計算ではなかった。

マルグルスの頭を支配していたのはただの恐怖。

ヒュドラの圧倒的な戦力差を思い知らされたマルグルスはただ恐怖し、その恐怖に支配されるまま逃げ出したのだ。


「っ!」


しかし、自分の後ろにいた仲間の姿をみて一瞬マルグルスは恐怖から我に帰る。

サーベリアに関しては傷を治療されたことで大した異常はないが、ライラに関しては治癒魔法を使い過ぎたせいで貧血一歩手前の状態で、さらにアーミアに関しては意識すらない。

そしてその仲間の姿に一瞬、マルグルスの中に躊躇が生まれる。

このまま、自分が逃げてしまっていいのかという躊躇いが。


……だが、その躊躇はほんの一瞬のものだった。


「お、俺は鎧を持っている上に疲れている!アーミアを頼んだぞ!」


「え、待って戦士の貴方なら身体強化のスキルがあるのじゃ……待って!」


次の瞬間、アーミアを抱えることで走る速度が遅くなることを懸念したマルグルスは後ろから響くライラの声を無視し走って行く。


「っ!」


そしてそのマルグルスの態度にライラは絶句する。

当たり前だ。

身体強化スキルを有する戦士が、鎧など重いというわけが無いのだ。

それだけ身体強化のスキルは優秀で、負傷者が出れば戦士が運ぶのが冒険者の間でのルールなのだ。

だからこそ、マルグルスが自分一人で逃げ出した時ライラは絶句して。


「わ、私も疲れが残るから先に行くわ!アーミアは頼んだわよ!」


「………は?」


……そして、その一瞬の隙をみてサーベリアも逃げ出した。

その光景にライラは最早言葉を発することもできなかった。

たしかにサーベリアは盗賊なので、俊敏性はともかく筋力はそこまででは無い。


……だが、だからといって後衛の治癒師に任せて逃げ出してどうする。


ライラは先逃げ出した二人にそう怒鳴りつけたい衝動に駆られる。


「ああぁあ!ばかやろおぉぉぉ!」


けれども、その怒りを押さえ込んでライラはアーミアを抱えて走り出した。

ただでさえ身体を鍛えていない後衛のライラの動きは小柄とはいえ、人一人分の重量を背負ったことでさらに遅いものとなる。


「はあ、はあ、はあ、」


しかし、それでも必死にライラはアーミアを背負って走って行く。

もしかしたらこのままアーミアだけではなく、自分諸共ヒュドラに殺されるかもしれない。

そう考えながらもライラは足を止めるつもりはなかった。

決して付き合いは長いとは言えないが、それでも一緒に戦った仲間を見捨てるほど薄情ではなく、また仲間にあっさりと見捨てられたこの女魔導師をどうしてもライラは見捨てることが出来なかったのだ。


「はあ、はあ、はあ、あと、もう少し!」


だから、ヒュドラが背後で大口を開けているかもしれないという恐怖を抱きながら、それでもライラは必死にマルグルス達の元へと歩いて行く。


そして、ライラはヒュドラに殺されることなくその場を後にしたのだった……






◇◆◇





「フシュゥゥ………」


侵略者たちが逃げて行くのをみたあと、ヒュドラは安堵の息を漏らし最初眠っていた場所へと移動して目を閉じる。

マルグルス達は逃げるのに必死で気づいていなかったが、ヒュドラはかなり追い詰められていた。


そう、逃げる敵を追いかける余力さえない程に。


最初から一番の難敵だったアーミアを襲わなかったことも、そのことが関係している。

マルグルスは決して優秀な剣士では無い。

いや、攻撃力に関しては決して無能では無いが、敵を引き止める能力に欠けているのだ。

敵を観察する能力、いや、味方を含めた周囲を観察する能力に欠けており、攻撃力だけでゴリ押ししようとする。


それは一流パーティーの前衛として致命的な欠点だったが、そんなマルグルスを振り払うことさえヒュドラにとってはかなりの負担だったのだ。


だからこそ、アーミアを何とか無力化した後ヒュドラは目に見えて弱っていた。

遠目であれば分かりにくかったかもしれないのだが、けれども近くにいたマルグルスならすぐに分かっただろう。


……そう、冷静であればすぐに。


そう、これは本当に千載一遇のチャンスだったのだ。

もし、ヒュドラの薬さえ持っていれば、もしもう少しマルグルスが冷静であれば。

そんな状況であれば、マルグルス達はヒュドラをら倒すことができただろう。

だが、そのことにマルグルスは気づかない。


そして、もうヒュドラを倒すチャンスはマルグルスに訪れることはない。





◇◆◇






「良かったライラ!無事だったか!」


「本当に私たち心配していたのよ!」


ライラが何とかマルグルス達の元に辿り着いた時、彼女を迎えたのはマルグルスの全く心に響かない歓迎の声だった。

そのマルグルス達の態度に、ライラは怒声をあげそうになるが必死に堪えてアーミアの治療を始めることにする。

何せもう、アーミアは危機的状況だったのだから。


「……これは万能薬を使うしか」


アーミアの状態を見て、最早一刻の猶予もないと理解した私は万能薬を所用しようとする。


「待て!治癒魔法で治癒してくれないか!万能薬などの魔法薬に頼ると後で後遺症が残るのだろう!明日もヒュドラを退治に行くのにそんな暇など……」


けれども、その私の行動に対しマルグルスは何事かを告げようと口を開く。

そのマルグルスのあまりにも見当違いな言葉に一瞬私は殺意さえ抱く。


「あっ」


だが、その怒りを抑えんこんで私はアーミアの頭を持ち上げ、その口に万能薬を流し込む。


「ん……」


そしてアーミアの顔が少し戻ったのを確認してマルグルスを睨みつけた。


「ふざけないで!治癒魔法でヒュドラの毒を浄化するのにどれだけの魔力が必要だと思っているの!貴方が無駄な一手間をかけようとしただけで、この子はもう少しで死ぬところだったのよ!」


「っ!」


そのライラの剣幕に、マルグルスは思わず黙りこむ。


「だが、ラウストは《ヒール》だけでヒュドラの毒を浄化して……」


しかし、マルグルスはライラへとそう告げようとして……


「そんな治癒師がいるわけがないでしょう!いいから早く彼女を運びなさい!今度はさっきみたいに我先にと逃げたりしないわよね?」


「っ!」


……けれども、冷ややかな目線を送ってくるライラに対してそれ以上の言い訳をするだけの余力はマルグルスには無かった。

そして、マルグルス達は昨日の敗北以上に重い空気を纏いながら、冒険者ギルドへと繋がる転移陣へと向かって歩き出す。


「……今日は運が悪かったか」


そんな空気の中、マルグルスは誰にも聞かれないよう小さくそんな言葉を漏らす。


……しかし、その言葉はただの負け惜しみ以外の何者でもないことを、マルグルス自身が一番理解していた。



◇◇◇


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