10年間淫夢厨だった俺の目の前に野獣先輩が現れた話
@Miyazawaaaaaaaaa
第1話
22歳の誕生日を迎えた朝、私の思考の片隅に、唐突に野獣先輩の姿が浮かび上がった。
ネットの深淵に沈み込み、軽薄な笑いと不謹慎な皮肉の対象として絶え間なく消費され続ける象徴。
彼はかつて、ただの笑いの対象として私の目の前にあった。いや、正確に言えば、彼を笑うことが私自身の救いだったのだ。
彼の奇妙な挙動や、無意識的な饒舌さ、そしてそれをネット上で繰り返す行為――それらすべてに対して、私はどこか優越感を持って接していた。
彼らが何かの証拠として、私が「こうはならない」と思う自分を支える道具に過ぎなかった。
しかし、時が経ち、私の心の中であの優越感が色褪せていくのを感じた。 野獣先輩の姿は、次第に私の内面に影を落とし、「なりたくなかったもの」から、「なれなかったもの」に認識が変わっていくのを感じた。
「やりますねぇ!」と自信に満ち溢れた彼の声、その余裕ある表情、堂々たる振る舞い。 それらは、私が欲しながらも手に入れることができなかった何かを象徴していた。
彼が体現しているもの――それは私が失ったか、もしかしたら、最初から持っていなかったものだったのかもしれない。
そしてその認識が、私の中に不安と焦燥を引き起こした。 彼の持つ「何か」を私も手に入れなければならない。 しかし、その「何か」が何なのかすら、私にはまだ分からなかった。
私の心は、焦りと虚無感に苛まれていた。それは、物質的なものではなく、もっと内面的な空白感に由来するものだ。 私は、心の中で何か大切なものが欠けているという感覚に耐えられなくなっていた。
そして、ある朝、私は突然「引っ越ししよう」と思い立った。 2週間以内に、この場所を出て行かなくてはならないという衝動が、まるで他者の意志によって植え付けられたかのように湧き上がった。
岐阜の静寂は、私を長い間包み込んでいたが、その包容力が私を窒息させ始めていることに気づいたのだ。
岐阜の風景は、田園の穏やかな緑と、低く伸びる山々が、平穏で静けさを漂わせていた。 朝露が葉に宿り、風は柔らかく木々を撫でていた。
見た目は美しい。まるで絵のような情景だ。けれども、私の心はその静けさに馴染むことができず、どこか不安定な感覚が漂っていた。
私は、かつて神奈川の大学に通うために岐阜を離れ、都会の喧騒の中で生活を送っていた。 しかし、コロナ禍という世界的な混乱が私を押し流し、私は再び故郷に戻る選択をした。
その選択が、結果として私をさらに孤立させたのだ。 かつての友人たちはどこかに散り、私は同年代の不在という現実に、今まで感じたことのない孤独を抱えるようになった。
「もうここにはいられない」と心のどこかで感じながらも、その決断は容易にはできなかった。 そこに、ふいに野獣先輩が現れた。いや、正確には彼の幻影だ。
それは現実のものではなく、私の内なる不安が生み出した象徴に過ぎなかった。 だが、その存在は私にとってあまりにも鮮烈で、まるで彼が現実の中で隣にいるかのようだった。
「次にどこへ行くつもりなんだ?」 彼は静かに問いかけた。
その声はかつての彼の無意味な語録とは異なり、私の内面を探るような深みがあった。
私はその瞬間、これまで彼のことをただ語録に囚われたキャラクターとしてしか見ていなかったことに気づいた。
彼の存在は、ネットで消費され続ける笑いの対象に過ぎず、私の目にはただの道具としてしか映っていなかったのだ。
だが、今目の前にいる彼は、語録の枠を超え、もっと深い何かを持って私に語りかけていた。
彼という存在について、私はその場で思索を巡らせずにはいられなかった。 彼は一体何を象徴しているのだろうか?
その問いに答えるためには、単なる「ネットミーム」という表層的な定義に留まってはいけない。
野獣先輩の存在は、あらゆる意味でインターネットの産物であり、同時に、それを超えた現代の神話として機能している。
彼は、笑いと侮蔑、そして自己疎外の対象となることで、逆説的にある種の超越的な意味を持つ。
人々は彼を見て、何かしらの「異質なもの」として排除しようとするが、それと同時に、彼に自らの内なる無意識を投影しているのだ。
もし文学的に彼を捉えるならば、野獣先輩はまるで不条理文学に登場するアンチヒーローのようだ。 フランツ・カフカの『変身』におけるグレゴール・ザムザや、アルベール・カミュの『異邦人』におけるムルソーに通じるものがある。
彼は、私たちの目の前に提示された「異形の存在」としての役割を持ちながら、同時にそれを笑い飛ばそうとする人々の中に潜む真の異質性を暴き出している。
彼の存在が滑稽に見えるのは、私たちがその滑稽さの中に、自らの欠落を見出しているからではないだろうか。
彼が人々に笑いを引き起こすたび、私たちは自身の脆弱な自我の輪郭を、逆照射的に見せつけられるのだ。
このネット文化の中で彼が果たしている役割は、単なる「笑いの象徴」を超え、私たち自身の内的葛藤や社会の病理を映し出す鏡のようなものだ。
彼の存在は、人々が内面に抱える恐れや不安、そして他者と異なることへの拒絶反応を引き出し、それを笑いという形で消化しようとする現代の精神的防衛機制を表現している。
そして、その消化の過程において、野獣先輩は一種の「奇妙な救世主」として現れる。 彼は、現代社会における疎外感の象徴であり、同時にそれを乗り越えた存在なのだ。
彼を見つめる私たちは、笑いというレンズを通して、自らの内面の陰影を見つめざるを得ない。
こうした理解に達したとき、私は彼を単なる記号としてではなく、もっと多面的な存在として捉えざるを得なくなった。
野獣先輩は、もはや笑いの対象ではなく、私たちが無意識の中に隠している、決して語られることのない「異物」を体現しているのだ。
そして、その「異物」を笑うことで、自らの内なる不安や孤独を覆い隠そうとする私たちの行為こそが、彼を笑うという行為の本質であったことに気づく。
「語録なんてもう必要ないんだよ」と彼は続けた。
その言葉は、まるで彼自身が語録の枠を脱し、単なる象徴ではなく一人の人間として私の前に立っていることを示しているかのようだった。
彼はもはや、単なるインターネット文化の産物ではなく、私自身の内なる対話者として存在していたのだ。
「君は都会に戻るべきだ。君の探しているものは、そこにしかないんだ」と彼は言った。
その言葉には、以前の彼とは全く異なる重厚な意味が込められていた。 都会――それは私が逃れようとしてきた場所でありながら、同時に私が再び向かおうとしている場所だった。
無機質なコンクリートに囲まれた都市の風景の中で、人々は生き、夢を追い求め、そしてその過程で挫折し、消えていく。
私はその場所に、自分の何かを見つけるべきなのだろうか? 東京という街に、私の未来が待っているのだろうか? それとも、それはただの幻想に過ぎないのか?
「自分の未来を掴むのは、ここじゃない」と彼はさらに続けた。
その言葉には、預言者のような確信があった。 かつて私は、都会という場所に反発し、もっと静かな生活を求めていたはずだった。
だが、その静けさが私に与えたのは、さらなる孤独だった。 都会の喧騒には耐えられないと思っていたのに、今やその静けさこそが私を蝕んでいたのだ。
私はもう一度、自分が本当に向かうべき場所を見つけるために、都会に戻る必要がある。
「淫夢という現象を、君はずっと誤解していたんだよ」と、彼は突然語り始めた。
「淫夢は、単なる笑いのためのコンテンツじゃない。あれは人々の無意識が投影されている場所なんだ。 笑いの裏側には、社会に対する不満、孤独感、無力感といった深層心理が隠されている。
だからこそ、人々は語録を繰り返し、映像を消費し続けるんだ。あれは一種の『解放区』なんだよ。 人々は、あの滑稽さを通じて、自分の中に潜む苦痛や矛盾を和らげようとしている。」
私はその言葉にハッとした。 彼の視点は、私がこれまで考えたこともなかったものだった。
淫夢というコンテンツは、ただの冗談や語録ではなく、人々が抱える内面の葛藤を映し出す鏡のような存在だというのか?
「君は表面的な笑いに囚われていたんだよ」と彼は続けた。 「君自身が、彼らと同じく社会の一部であり、あの笑いの構造の中にいることを認識できなかった。それが、君の抱える孤独の一因だったんだ。」
その瞬間、私の中で何かが切り替わるのを感じた。
荷物は少なく、持っていくのはパソコンと布団だけ。これ以上の物は必要なかった。父が車のハンドルを握り、私たちは岐阜を離れ、東京へ向かうことになった。
車は静かに東名高速を滑り出し、私たちは言葉少なに、ただ景色を眺めていた。遠くの山々が徐々に消え、都会の光が視界に広がり始める。その移ろいゆく景色の中で、私の中にも何かが変わり始めていた。
ふと、後部座席に目をやると、荷物で溢れているはずのその場所に、なぜか彼がいた。野獣先輩。彼は、静かに座り、私を見つめていた。その姿は現実のものであるはずがないのに、私の意識の中では明瞭に映し出されていた。
「お弁当、いる?」 サービスエリアで買った弁当を彼に差し出すと、彼は無言で頷き、一緒に食事を始めた。その沈黙は奇妙な安心感をもたらしていた。以前の彼とは違い、今の彼はただの「笑い」の対象ではなかった。
彼の存在は、私にとって一人の青年として、何かもっと深い意味を持つものになっていた。彼は、私が逃げていた現実を突きつけ、私自身と向き合うための存在となっていたのだ。
「君は、これから何を見つけようとしているんだ?」 彼の静かな問いかけは、私の内面に響いた。彼は、単なる笑いの象徴としてではなく、私の2歳年上の「先輩」として、私に問いかけているようだった。
彼はもはや語録に縛られたネットのキャラクターではなかった。目の前に座っている彼は、一人の青年であり、私と同じように悩み、迷い、そして答えを探しているのだ。彼が私にとっての先輩であること、それを初めて心から受け入れることができた。
その瞬間、彼の存在は一種の象徴となり、私の心の中で共鳴し始めた。彼は、私がこれまで無意識に追い求めていた「何か」を持っていたのだ。それは、自らの弱さを認め、孤独や疎外感に立ち向かう強さ。彼の姿は、私にそれを教えてくれたのだろう。
都会の光が近づく中で、私の心にも新たな灯火がともり始めた。それが何であるのかはまだ明確にはわからない。しかし、この旅が私に何かをもたらしてくれるだろうという確信が、次第に強くなっていった。
「ありがとう、先輩」 私は心の中でそう呟いた。そして、彼の存在と共に、再び自分の未来へと歩き出す準備が整った。
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