非日常が僕の幸せ。

煤元良蔵

非日常が僕の幸せ

 寄生体X。

 人に寄生し、宿主の肉体を操るミミズのような生物。

 寄生された人間の症状として、思考や言動、性格が寄生前と真逆になる変化がみられる。この状態は三日間続くとされている。

 

※ ※ ※ 

 

 コン、コン。


「ヒッ!?」


 戸を叩く音に逆野シゲルは小さな悲鳴を上げた。いつもより早い時刻のノックにシゲルの心拍はどんどんと速くなっていく。それを抑える為に深呼吸を繰り返すが、バクバクと脈打つ心臓が落ち着くことはない。

 そんなシゲルとは対照的な優しい声色の声が戸の奥から聞こえてくる。


「シゲルちゃん?ここにいるの?」


 その声にシゲルは戸惑ってしまう。声……というよりも、いつもなら声を掛ける前に戸が開かれるはずなのだが……今日は何故か戸の奥から声を掛けてきている。


「は、はい」


 シゲルは戸の奥の人物に返事をした。

 戸の奥の人物はホッとしたように息を吐いたようだ。微かに「よかった」という声が聞こえてきた。そしてすぐにすぐに「開けるわよ?」という言葉と共に目の前の戸が開かれた。


「ま、待っ––」

 

 言葉を言い終える前に戸が開かれた。眩しい光にシゲルは咄嗟に目を閉じた。そして、来たるそれに耐える為にギュッと体を抱いた。


「……」


 しかし、いつまで経ってもそれがくることはなかった。

 恐る恐る目を開くと、シゲルの母、逆野重美が首を傾げてこちらを見ていた。


「どうしたのシゲルちゃ……ちょっと!どうしたのその傷!?ちょっと見せなさい……手当しなきゃ!」

 

 そう言った重美は顔面蒼白になりながら、救急箱を取りに走っていってしまった。状況が分からず、重美がいた場所をぼんやりと眺めていたシゲルだったが、タタタタタ、という足音で我に返る。


「シゲルちゃん!ほら、手当てしましょ!」

「う、う、うん」


 戸惑うシゲルを無視して重美は慣れた手つきで絆創膏や包帯を巻き始める。その手際の良さも……シゲルを混乱させた。

 重美は真剣な表情でシゲルの腕の傷や痣、頬の傷を手当てしてくれている。


「大丈夫?痛かったら言うのよ?そうだ、病院に行かなくちゃ!」

「だ、だ、大丈夫。大丈夫だよ母さん。心配しないで。昨日、ちょっと転んじゃっただけだから」


 と、シゲルは重美を安心させるために咄嗟に嘘をついた。


「そう?でも、痛かったら言うのよ。父さんも心配してるんだから」

「え?あ。う、うん。言うよ。でも、大丈夫だよ」


 シゲルは笑顔で重美にそう言った。未だに何か言いたそうだった重美だったが、それ以上何も言わなかった。


「朝ご飯を食べましょ」

「え?あ、う、うん」

 

 戸惑いながら返事をした後、重美と共にリビングへと向かう。その途中、ふと重美が足を止めて振り返ってきた。 突然のことにシゲルは体を硬直させる。ただ、それを悟られないようにしてシゲルは尋ねた。


「ど、どうしたの母さん。何かあった」

「いや、シゲルちゃん。どうして押し入れなんかに入っていたの?母さん、家中探しちゃったわよ」

「え、あ、そ、それは……ほら、子供心を忘れないようにさ。俺、押し入れに入るの好きだったから」

 

 重美の問いにシゲルは笑いながら答えた。


「そう?まあ、シゲルちゃんがそう言うなら。さて、朝ご飯朝ごはん!」


 重美はそれ以上何も言わず、鼻歌を歌いながら歩き始める。シゲルはそんな母親の後ろ姿を嬉しい気持ちで見つめる。

 リビングでは父の逆野権蔵がスーツを着て、コーヒーを飲んでいた。その手には新聞も握られている。

 初めて見る父親のスーツ姿に唖然としていると、権蔵がようやくこちらに気が付いた。


「どうした?ってその絆創膏や包帯はどうしたんだ!?」

「え?あ、ああ。これ、昨日転んじゃって、さっき母さんに手当てしてもらったんだ」

「そ、そうなのか?」


 シゲルの言葉を聞いた権蔵は台所に向かった重美に尋ねた。


「ええ。私もさっき知ったの」

「そうなのか。ごめんなシゲル、気付いてやれなくて……シゲル、何かあったらちゃんと父さんと母さんに言うんだぞ。お前は大切な俺たちの息子だ。何があっても守ってやるからな」

「う、うん」


 権蔵の言葉にシゲルの頬を涙が伝う。


「ど、どうしたんだ!?」

「ううん、何でもない。はは、目にゴミが入っちゃったのかな」

「そうか、ならいいんだが」

「はいはい。朝ご飯を食べましょ」


 涙を拭って食卓につくと、重美が美味しそうな朝ご飯をテーブルの上に並べていく。

 白ご飯に味噌汁、焼き魚にホウレン草のお浸し、オレンジジュースと納豆。

 シゲルの目の前にはご馳走が広がっていた。


「こ、これ。か、母さんが作ったの?」

「ん?そうよ?なんで?」

「い、いや、何でもない。いただきまーす!」


 元気よく手を合わせたシゲルは目の前のご馳走にかぶりつき始めた。そんなシゲルの姿を重美と権蔵が優しい笑みを浮かべて見つめている。その視線が恥ずかしくて、シゲルはご飯を食べるスピードを速める。


「んぐっ!?」

「シゲル!?ほら、オレンジジュースを飲め。まったく、中学生になったんだから、少しは落ち着きなさい。そんなに急がなくてもご飯は逃げないんだから」


 食道に詰まりかけたご飯をオレンジジュースで流し込み、シゲルは盛大に咳き込んだ。そんなシゲルの背を重美が優しく撫でてくれる。


「あ、ありがとう母さん」

「いいのよお礼なんて。それよりも急がないでしっかりと味わって食べてね」

「う、うん」


 ティッシュで口を拭きながら、シゲルは頬を赤らめて頷く。


「せっかく母さんが作ったんだからな。味わって食わなきゃ。後で怒られるぞ?」

「ふふっ、そうだね。と、父さん」


 ウインクする権蔵に笑顔を返したシゲルは楽しい気持ちのまま朝食を食べ続けた。


「ん?」


 ふと、シゲルは視線の先のテレビに目をやった。テレビ画面には大きな文字で『寄生体Xに寄生されると』と映し出されている。

 どこぞの大学の教授が寄生体Xに寄生された人の危険性を熱弁していた。

 

「どうしたのシゲルちゃん?」

 

 手を止めてテレビを見ていたからだろう。重美が心配そうな顔でシゲルを見ていた。


「何でもない。それより、母さん。これ、本当においしいよ!」

「あら、嬉しいわ!」

「なんたって母さんの飯だからな。美味いに決まってる!」


 笑う両親の姿。一つの食卓を囲んで笑いあう家族。温かい家族。ずっと、ずっと夢見ていた時間……夢なら覚めないでほしい。

 ただ、この時間が永遠に続けばいいと、シゲルは心から願った。

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非日常が僕の幸せ。 煤元良蔵 @arakimoto

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