第59話 実の父親の来訪

 六月上旬、梅雨がまもなく訪れる頃。


 俺はある日の放課後、マンションにある自分の部屋に帰ってきた。


 そして、すぐにスーツに着替えた後、いつものように会社に向かった。


 電車に乗る為、駅の改札に向かって歩いていると、秘書の馬森さんから、


「社長、移動中、申し訳ありませんが、社長と面会したいという方が来られております」


 という連絡が入った。




 俺と馬森さん。


 後見役の井頭さんは高齢ということもあり、馬森さんが秘書になった時、俺の相談ごとについては、これからは馬森さんになるべくその対応を任せたいと言っていた。


 俺はそれを聞いた時、口には出さなかったが、


「大丈夫だろうか?」


 と思わざるをえなかった。


 経験豊富な井頭さんに対して、優秀とはいうものの、馬森さんは経験が浅いと言えるだろう。


 その馬森さんが井頭さんの担っていた役割を果たしていくというのは、難しいことだろうと思っていたからだ。


 でも、それは全くの杞憂だった。


 スケジュールの管理等の秘書の本来の仕事はもちろんのこと、俺の意思を正確に把握してくれているし、仕事で俺が困っていることがあると、的確なアドバイスをしてくれる。


 本人はそれでも井頭さんには遠く及ばないと言っていた。


 馬森さんは自分のことを自慢することはない代わりに、必要以上に謙遜することもない。


 その馬森さんからしても、井頭さんとの能力の差は大きいと思うのだろう。


 でも、井頭さんは彼女の有能さを褒めていて、彼女には、


「あなたはとても優秀な方だ。もっと自信をもちなさい」


 と言っていた。


 それだけ馬森さんの能力を買っているのだろう。


 俺の方も、彼女がもともと有能だという話は聞いていたのだけれども。それ以上に有能な人だと認識するようになっていった。


 そして、今ではもう水魚の交わりと言っていいほどの関係になっていた。


 理想の秘書だといっていい。


 今のお父様の人の力量を見抜く力は本当にすごいことを改めて認識したと言っていい。


 ただ、相変わらず表情はどんな時でも変わらない。


「仕事が恋人」で、仕事のことしか興味はないままだ。


 とはいっても、仕事だけに集中しているわけではない、


 マンションの部屋で一人ぐらしをしているのだが、家事はきちんとこなしているという。


 料理を趣味にしていて、得意なのだそうだ。


 馬森さんが魅力的で、素敵な人であるということはよくわかる。


 少しぐらいでいいので、微笑んでくれると、もっと魅力的で素敵な人になっていくと思う。


 俺は馬森さんとこれからも一緒に仕事をしていき、お互いの理解をより一層深めていきたいと思っている。


 そうすれば、馬森さんは俺に微笑んでくれるようになってくれると思う。


 現状では難しい話だが、俺はそういう希望を持っていた。




 会社に向かっていると、馬森さんから電話がかかってきた。


 俺は馬森さんから来客があるという話を聞いた後、一旦、駅の中にある人を避けられる場所まで歩いた後立ち止まり、そこで馬森さんと改めて電話で話をすることにした。


 俺は、


「どんな方でしょうか?」


 と聞くと馬森さんは、


「社長の父親だと申し出てきている方で、萩森利信(はぎもりとしのぶ)さんという名前の方です」


 と応えた。


「父親、萩森利信……」


 俺の実の父親の名前。


 その人物は、俺の実の父親だということなのだろう。


 馬森さんによると、その俺の実の父親だと名乗るその来客は、事前のアポイントメントは取っていなかったという。


 俺が学校を出る直前に会社にやってきたのだが、


「まだ社長は来ておりません」


 と馬森さんが告げると、実の父親と名乗る人物は、俺の父親であるという書類を提示し、


「もうすぐここにやって来るだろう。わたしは実の父親なのだから、ここで待たせてもらう」


 と言ったということだ。


 俺の実の父親であることは間違いなさそうだし、傲慢な態度を取っているということなので、普通であれば、対応に苦慮することが予想されてくる。


 しかし、馬森さんは動じることはない。


 そして、いつもの馬森さんであれば、俺の実の父親であったとしても、


「アポイントメントをきちんと取って、出直してきてください」


 と冷静に威圧をかけながら言って、問答無用で帰ってもらうところだ。


 馬森さんの威圧をかけた言い方に耐えられる人間は、ほとんどいないと俺は思っている。




(あとがき)


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