第45話 無表情

 紗淑乃ちゃんは長期の休みの間、朝になると俺の家に必ず来ていた。


 それもほんの一瞬。


 夏休みの場合、チャイムが鳴り、俺が玄関のドアを開けると、白いワンピースを着た清楚な紗淑乃ちゃんが。


「定陸ちゃん、好き」


 と無表情で言った後、すぐに帰ってしまうのだ。


 その姿は美しく、俺はその度に心が沸き立ってしまう。


 日曜日の朝も、俺の家に来て、


「定陸ちゃん、好き」


 と無表情で言う。


 ただ、平日や土曜日と違うのは、それから一緒に今の両親の家に向かうことだ。


 夏の青い空の下、白いワンピースを着た清楚な紗淑乃ちゃんが俺の隣に並んで歩く。


 美しいのはもちろんだが、いい匂いもしてくる。


 俺はその姿を見るだけでも心が沸き立ってしまうが、すぐ隣に紗淑乃ちゃんがいるという状況は、俺の心をさらに沸き立たせていくものだった。


 でも、紗淑乃ちゃんは一切表情を変えることはない。


 俺は、紗淑乃ちゃんからすれば異性なのだから、少しは顔を赤くするとか、恥ずかしがってくれてもいいような気はするのだが……。


 俺が一人で心を沸き立たせているだけのような気がするものの、それでも紗淑乃ちゃんは美しいので、心の沸騰を止めることはできない。


 冬休みや春休みも、その季節に合わせた服を着て、俺の心を沸き立たせていく。


 この紗淑乃ちゃんの行動のおかげで、俺と紗淑乃ちゃんは疎遠になっていないということは言える。


 ただ、俺のことを本当に好きなのかどうかはわからないまま。


「好き」という言葉について、顔を赤くしたり、恥ずかしがったりして言うのであれば、俺のことを本当に好きなのだろうと認識することはできるだろう。


 しかし、紗淑乃ちゃんは、今まで一貫して「好き」という時は無表情だ。


 そして、それ以外の時も俺と二人きりの時は、微笑むことはない。


 俺としては、依然として紗淑乃ちゃんが俺のことを好きな理由がわからないし、俺のことを好きだと言う時は無表情のままなので、あいさつの一種だと思う気持ちに変化は基本的にはない。


 俺は、紗淑乃ちゃんに好意は持ってはいるし、その美しさに心が沸き立つことは多い。


 そして、心が沸騰してしまうこともある。


 しかし、紗淑乃ちゃんのことは理解できないことが多いので、どんなに心が沸騰しても、恋というところまでには発展しないままだった。


 また、俺は、紗淑乃ちゃんは俺と幼馴染として一緒に過ごしてきたので、俺に対して好きだと言っている面が強いのだろうと思っているところがあった。


 そして、俺たちがこれから成長し、幼馴染としてのつながりが弱くなっていけば、その内、俺に対し好きだと言うことはなくなっていくのだろうと思う気持ちも最近は強くなってきていた。


 そうなれば寂しいことではあるのだが、仕方がないことだと思っていた。




 一方で、俺は、両親が離婚したことによって、前世と同じくイジメの対象になることが予想された。


 そうなると、俺の幼馴染である紗淑乃ちゃんにも影響が出てくる可能性があった。


 俺はまだ紗淑乃ちゃんに対しては、恋というところまでは到達していないものの、好意は持っているし、守りだい存在だと思っている。


 その意識は、ただの幼馴染というものではなく、恋人に近いものになってきていると言っていいと思っている。


 前世では毅然とした態度で接し、イジメを抑え込んできた。


 その方針は今世も変わらないが、俺は一歩進むことにした。


 自分の身を守ることと、紗淑乃ちゃんの身を守ること、という目的から護身術を身につけることにしたのだ。


 お父様の知り合いにその専門家がいた。


 そこで、俺は小学校五年生の春から、その方を師匠として、護身術を定期的に教えてもらうことになった。


 前世も今世も、運動はあまり好きではなかった俺。


 最初は苦労し、つらいと思うことも多かったが、一年後には見違えるように上達することができた。


 師匠からは、基本的な技を教えてもらうと同時に、難易度が高く、究極の技の一つである、『微笑みにより相手を威圧すると同時に、その戦意を失わせる』という技を教えてもらい、自分の技として使いこなせるようになった。


 師匠は俺に素質があり、そして、一生懸命努力をしたからその技をから使いこなせるようになったのだと褒めてくれた。


 しかし、俺は、この技を使いこなせるようになったのは、師匠の熱心な指導のおかげだと思っている。


 俺は師匠に感謝していた。


 これで、自分の身を守れるようになれるとともに、紗淑乃ちゃんの身を守れるようになると思うと、鍛えて良かったと思い、うれしい気持ちになった。


 こうして鍛えた影響があったのか、心配していた俺へのイジメは、たまに嫌味を言われる程度でおさまるようになった。


 その意味でも鍛えて良かったと思っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る