第40話 離婚に向かう実の両親

 ぼくはは着実に仕事をこなせるようになるとともに、アイデアについても次々と出せるようになっていった。


 そして、小学校五年生の終わり頃には、最初の目標としていた子会社の社長にふさわしい人材にまで成長することができた。


 一年前倒しでの成果ということになる。


 おじいちゃんとおばあちゃん、そして、井頭さんは、この結果に喜んでくれた。


 ぼくは、小学校一年生の二学期からこの小学校五年生の三月まで、一生懸命勉強してきた。


 その間、両親の離婚問題があって、決して心は安定していたわけではない。


 つらく、苦しい思いをしたこともあった。


 挫折しかかったこともあった。


 この三人がぼくを支えてくれたからこそ、ここまでくることができたのだ。


 ぼくは、この三人に対して、


「今まで、ぼくを支えてくださいまして、ありがとうございました。これからぼくはこの会社の子会社の社長という重責を担うことになりますが、より一層一生懸命努力していきますので、よろしくお願いします」


 と言った後、頭を下げた。


 ぼくは、心の底から、この三人に感謝をしていたのだった。




 ぼくは、小学校六年生の春を迎えようとしていた。


 桜が咲く中、新年度が始まろうとしている。


 ぼくの両親は、この三月、離婚が正式に成立した。


 既に、ぼくが幼稚園の頃から、「家庭内別居」になっていた両親。


 ぼくが小学校一年生の二学期になった頃からは、父親が家に帰らなくなっていた。


 以前から愛人を作っていたようなのだが、この頃からその人と同棲するようになったのだ。


 父親もたまに帰って来ることはあった。


 でも、母親に対しては用事以外の会話はせず、冷たい雰囲気が漂う。


 そして、俺に対してはささないことで怒る。


 これなら帰ってこない方がましと思うほどだ。


 母親は家に帰ってきてはいたが、その頃から夜遅く帰ってくるようになった。


 母親の方も、その頃に愛人を作り、毎日のように会っていたようだ。


 こういう状況だったので、必然的におじいちゃんとおばあちゃんの家にいることが多くなっていく。


 母親も、


「その方がわたしもますます助かるわ」


 と言って、歓迎していた。


 そして、家に全く帰ってこなくなった父親はもちろんのこと、母親の方もぼくがおじいちゃんとおばあちゃんの家に行き、勉強をしていることについて、関心を持つことはなかった。


 もともと幼稚園の時から、そうじや洗濯はぼくがやっていた。


 母親がするのは朝ご飯作りと晩ご飯作りぐらいだったのだが、ぼくの朝ご飯は自分で作ってくれということになり、自分が作るのは晩ご飯ぐらいになっていたのだ。


 それも、おじいちゃんとおばあちゃんのところで食べてもらえればいいということになって、作るのを放棄し、自分は夜遅く帰ってくるようになってしまったのだ。


 しかし、まだこの頃は毎日家に帰ってくるだけましだった。


 小学校三年生になると、週に一度しか帰らなくなってしまった。


 帰ってきても、家に帰ってくること自体が面倒になっているようで、ささないことで怒られるだけだったので、嫌な思いしかしなくなっていた。


 父親は、ぼくが産まれてきた時点で、ぼくのことをじゃまものだと思い始め、今ではじゃまもの以外の認識はなくなっている。


 母親の方は、ぼくを幼稚園の頃からじゃまもの扱いし始めたようなので、父親よりはましだとは言える。


 しかし、この頃になると父親と同じく、ぼくに対してじゃまもの以外の認識をすることはなくなっていた。


 小学校四年生になると、母親は、月一回、もしくは用事があった時しか家に帰らないようになった。


 もう、両親はほとんど離婚したと同然の状況だったのだが、なぜか両親とも離婚に踏み出そうとはしなかった。

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