第14話 困惑のフィス

デラヴィツナを出発した第四騎士団の遠征隊は少しばかり早めの移動をしているところだ。

王都までは丸一日の行程だが、デラヴィツナを出発したのは日がかなり高くなってからであり、夕暮れまでには王都に到着するべく急いでいた。


遠征に出発した時と馬車の構成はかわっていて、魔導士三人が乗ってきた馬車にはウィルライドとフィス、そして魔獣の核が乗っており、サルジェは別の馬車で魔法剣士とともに魔獣の肉の塊とともに移動している。


「来た時も腰に来たけど、こう急ぎだとますます座面の硬さが堪えるね」


出発して三十分程度たったころだろうか。乗り込んですぐはウィルライドもフィスも報告書を手分けして書いていたので、言葉少なだったが、さすがに飛ばす馬車の中でそう長く書き続けることもできない。


休み休み書くことにして今はペンを置いているところだ。


「堪えるというか、あの、気を付けないと舌を噛みそうです」

「ははっ、それはそう」


馬をいそがせているから、いくら整備された街道とはいえ、飛ばしているのでは馬車の振動は大きくなる。


「まるで、お鍋の中のじゃがいもの気分です……、あっ」


うっかり舌をかんだフィスが口を押えて渋い顔になっていると、ウィルライドがふいに真顔になった。


「フィス。これだけ飛ばしていれば外には聞こえない」

「はい?」

「今のうちに聞いておきたいことがある」


そういって、フィスの方へと姿勢を変えたウィルライドは至極真面目な顔になる。


「フィス。疑うわけじゃないが、君の魔力量は本当に初級魔導士レベルなのか?」

「はい。疑われるのは仕方がないと思いますが、自分は救護院出身ですし、学院に入るときにどの科を志望するのかで、計測していただいているんです。そこから学院にいる間に少しは増える可能性もありますが、大幅に伸びることはないかと」


少しも悪びれることもなく、フィスは答えた。確かに嘘ではない。学院に入る時にも魔力測定を受けている。


幼いころに調べた時より、確かに少し濃くなっていたが、それでも上級魔導士になれるほどではない。それは騎士団入団の時にも提出してある。


「それと、魔法印ですよね」

「ああ。それも聞きたいことだったんだが……」

「自分の養い親であるロフレスカ院長様が魔法が得意な方で、自分にも学院に入るまでいろいろと教えてくれていたのですが、どうしても自分は魔法印を使うのが苦手で。どうしたらうまく使えるか、練習するにも救護院ではそれほど書くものも自由にはなりません」

「だからと言って、王都の救護院は神殿の加護もあるし、貴族の寄付もあるだろう?」


救護院は、神殿が運営しているとはいえ、寄付で成り立っている。それほど潤沢な費用で運営されているわけではないというところを話すと、ウィルライドは微妙な顔になる。

ウィルライド家でもそうした救護院への寄付は行っているがその実態まで詳しいわけではないからだ。


「それはもちろんそうですが、十分な練習をするくらいなら外に出て地面に書くとか、そういうことをしないともったいないですし」

「それは……そうか」

「はい。それに自分は子供のころから薬草には詳しかったので、救護院を出て外壁近くの小さな小屋に出入りしていたので、森の中が遊び場であり勉強の場であり、仕事場だったのです」


話の初めは堅かったウィルライドの表情が少しずつ柔らかくなり始めた。


「木の葉はたくさん落ちてますからね。小さい魔法印を書く練習をして、自分でも魔法を使えるように練習していたら、ぶつかってあちこちに跳ね返ったりするので、面白くなって……。でも、学院で勉強していくうちに、普通は使わない方法だと知って、恥ずかしくなってあまり言わないようにしていたんです」

「そうだったのか。それは、疑ってしまって悪かったな。魔導士の中にはよくない魔導士もいるからね」

「いえ、そう思われても仕方ないかと。ご心配おかけしました」


話しているうちに、ウィルライドが何を気にしているのかがわかってきた。魔導士の中には、『はぐれ』という存在もいるからだ。

いわゆる魔導士部隊にも入れず、魔導士として生計を立てることもせず、ただただ、その力を悪い手段に使う魔導士や魔法使いである。

どうやらウィルライドはそんなはぐれとかかわりがあったのかと、心配したらしい。


王都への道を急ぐ馬車の中、振動に揺られながらの会話を終えたころ、外を見ていたウィルライドがふと、外の様子を気にしだす。


「そろそろ休憩のようだ。往路のようにゆっくりするわけにはいかないだろうが少し馬車が止まるのはありがたいな」


馬車が緩やかに止まり、一行は静かな林間の広場に降り立った。木々の間を通る風が心地よく、馬たちはつながれたまま水を飲み始める。


馬車がとまるなり、外に出たフィスは地面に立ったのに、まだ揺れている気がした。

ウィルライドは馬車を出てカーライルのもとに行ったようで、外にはでたものの、馬車からは離れずに、フィスは大きく背伸びをした。


馬たちはそれぞれに、乗せていた隊員たちから世話をされていた。水やおやつ代わりのリンゴをもらって一息入れている。

ローブを脱いで馬車の座席に置くと、馬車の扉を開けて乗り口にそのまま腰を下ろした。


途中で止まっていた報告書を手にすると、日の光の下で書き始める。そこにルクスーゲルが近づいてきた。


「フィス。ご苦労だな」

「ルクスーゲル先輩。馬車の中は結構揺れててなかなか進まなかったものですから」

「王都に向かって急いでいるからな」


すぐそばの地面に腰を下ろしたルクスーゲルが水の入った革袋から水を飲む。


「昼も休憩らしい休憩はないからほどほどにしておけよ」

「そうなんですね。わかりました」


顔を上げて頷いたフィスを見て、ルクスーゲルは少しだけ目を見開いた。今までのフィスなら、顔を上げもせずに答えていただろうが今は顔を上げて笑顔まではいかなくても、きちんと頷いている。


遠征に参加して一緒にいる時間もあって、一緒に行動する時間もあった。今まできっちりと線を引いて壁を作っていたフィスが少しだけ馴染んだ気がした。


「……これだけでも遠征の価値はあったか」

「え?何がでしょうか?」

「いや、なんでもない」


ルクスーゲルの独り言にきょとんとした顔を見せたフィスは、ふと顔を上げる。


「そういえば、ルクスーゲル先輩はずっと馬ですけど、疲れませんか?」

「そうだな。馬車よりは疲れないかもしれないな。俺の相棒は騎士団にはいってからずっと一緒だから、こういう時は街道沿いに手綱を引かなくても進んでくれる。俺は乗せられていて、周りに気を配っていればいいだけだしな」


ルクスーゲルの馬は、馬車の近くでおやつを貰い、機嫌よさそうに時折、前足を動かしている。


馬に目を向けたフィスは、手元の報告書に戻りかけて、はっと我に返った。


今までならルクスーゲルに話しかけることはなかったが、遠征のせいだろうか。ルクスーゲルに気を許したわけではないはずなのに、自分から話しかけてしまった。


気を付けないと。

気を許しすぎると、傾きがおかしくなってしまう。


それは、避けないとお互いによくないことが起きることしか考えられない。

自分だけではなく、ルクスーゲルにもよくないことが起きるのは嫌だ。


「……気を付けよう」

「どうかしたか?」

「いえ。早く書き上げないとまた馬車の中では書けないなと思いまして」

「たしかにな」


余計なことを考えない。そう切り替えて報告書に目を向けたフィスがペンを走らせている間も、風に乗って隊員たちのひと時の話し声が聞こえてきた。


日差しも穏やかで風が柔らかく木の葉を揺らしながら流れていく。


束の間の休息、その言葉が本当に似合いな時間だ。

そしていくらもしないうちに先頭の方からざわざわと動きが伝わってきて、それと同時にウィルライドが戻ってくる。


「さあ、そろそろ出発だ」

「承知しました」


ウィルライドに声を掛けられて、フィスは馬車の中へをもどり、ルクスーゲルも自分の愛馬のもとへと戻る。そして、順に動き出した隊列に合わせてフィスたちの馬車も動き出した。


デラヴィツナからの道は整備されているが、王都近くの石畳ほどではない。そこを一行がスピードを上げて進む。街道沿いとはいえ、町や村は点在していて、ほとんどは先ほど休憩していたような、木立や草原だ。


もうすぐ昼近いが、昼の休憩を挟まずに一行は進む。さらにスピードを上げる馬車にウィルライドとフィスは揺れの大きさに前をむいて並んで座っていた。


二人が乗る馬車には魔封じの袋に入れられた魔獣の核がある。そのまま座席に放り出しておくのもなんだということで小さい箱に入れてある。

二人が並んで座ったことで反対側の座席の下にしまってあるが、魔力量が本当は多いフィスにとって、魔封じの袋に入っていてもそこに何かあるという気配があって、なかなか落ち着かなかった。


「ウィルライド先輩。あの取り出した核はやっぱり普通の魔獣の核とちがうんでしょうか」

「その可能性はないわけじゃないね。戻って魔導士部隊の研究班に託すことになると思うけど」

「そうなんですね。てっきり、魔獣の核は神殿にすべて送るのかと思ってました」


神殿で加工されてから魔獣の核は素材や、魔力を図るキューブとして出回るのですべて神殿に集まっているのだと思っていた。


ウィルライドは振動に耐えながらなんとか口を開く。


「違うさ。冒険者ギルドは、ギルドの中で加工する魔導士を雇っているけど、王城騎士団は魔導士部隊に預けて無効化してもらってから神殿に送るんだ」


フィスは薬草は扱うがほかの素材を加工したりはしない。身に着ける物を作ったときはすでに加工済みの素材を使った程度で、どういう過程を経て素材になっているのか知らなかった。


「無効化、ですか?」

「そう。それは魔導士部隊の外には公表禁止、冒険者ギルドの魔導士も魔導士部隊と契約魔法を交わした者しかできないことになってるね。私もどんなものかは知らないよ」

「そういうものなのですね。学院でも無効化の魔法というのは聞いたことがなかったのでどういうものなのかなと思いまして」

「内容はともなく、無効化の処理は特別なものではありませんよ。ただ、無効化、というよりも、ただ単に素材のための加工、と思われているのが一般的でしょうね」


なるほど、と頷いて話が途切れる。揺れる馬車の中、無効化の魔法を考えていると、頭の中に何をすればいいのか、どうすれば無効化できるのか浮かんできて、ざわりと背筋が震えた。


胃のあたりに手を当てて、ウィルライドに気づかれないように浅く息を吐く。そして、軽く目を伏せると、頭の中に浮かんだ知識と、その知識を持っていた人の警告を振り払おうとする。


身を守るために知識はあって困らないと思う反面、知りすぎていることにいいことはないとも思う。フィスの手に余るからだ。


「フィス?どうした。酔ったのか?」

「いえ……。どうしても魔封じの袋に入っていてもそこに核があると思うと落ち着かないもので……」


フィスにつられてウィルライドも目の前を向く。苦笑いを浮かべたウィルライドは手を伸ばして、軽く向かい側の座面を持ち上げた。


「大丈夫だけど、やっぱり気になるかい?」

「ええ。なんとなく……」


なんとなく、弱い魔力が流れているような気がしてならないのだ。

ウィルライドは少しも気にしていないようだが、どうにも落ち着かない。フィスは自分が勘がいいなどと思ったことはないのだが、少しずつざわざわする感覚が強くなってくる気がした。


「あの……、ウィルライド先輩?」

「うん?」


ウィルライドがフィスの方を向いたとき、馬車が大きく揺れて、急に向きが変わった気がした。

すぐに窓の外を覗いたウィルライドは叫び声を耳にする。

先頭ではなく、中ほどにいた馬車より少し前にいたカーライルだ。


「魔獣だ!!全員、戦闘態勢をとれ!」


馬車の中にいてもはっきりと聞き取れる声に、ウィルライドとフィスは身構えた。馬車が揺らぎながら止まったのがわかると、飛び出そうとしたフィスをウィルライドが止める。


「フィス!君は馬車の中でそれを守りなさい!」

「ウィルライド先輩!!」


馬車から飛び出していくウィルライドの後を、追いかけようとして慌てて馬車の扉を閉める。

馬車を降りようとしたフィスの目にはヒョウのようなしなやかな体に尖った耳、爬虫類のような黄色い目と長い尾が見えた。


「フェロウグレイ!!」


馬を飛び降りた騎士たちが剣を抜いているのが見える。


フェロウグレイは、灰色で滑らかな毛並みだが、光を吸収するような質感を持っていて、昼間でも目立たずに行動しやすい。十頭程度のグループで行動する魔獣で、動物も人も構わず襲う。

人や獣、同じ魔獣さえ、その魔力をたどって執拗に追跡してくる上に、非常に賢い。第四騎士団では、何度か遭遇したこともあるし、討伐したこともあるが、難しい相手であることは間違いない。


強い上に群れで行動、無駄な戦闘を避けて、一頭が囮になることもある。


わぁぁ、と馬車の外の叫び声が聞こえてくる。


「サルジェ!フィス!馬車から出るなよ!!」


誰かの叫び声が聞こえてきて、サルジェの方も魔獣の肉を運んでいるため、それを奪われないように閉じこもっているらしい。フィスは、先ほどウィルライドが少しだけ見せた核が入った箱を確認して、扉のそばに身構える。


雑食のフェロウグレイだが、魔力がある者をより好むのははっきりしていて、襲ってきた理由もさもありなん、ではある。なにせ、庶民より魔力の高い者がそろっているのと、まだ魔力が残っている魔獣の肉、魔獣の核を運んでいれば、彼らを引き付けるには十分すぎる。


騎士たちは二人、三人がかりでフェロウグレイに向かう。しかし、相手はしなやかな動きで跳ね、意表をついて飛び掛かってくる。

そのまま、勢いに乗せて鋭い爪をふるう。


決して細くは見えない前足が振り下ろされると、剣や鞘で受け止めないと場合によっては腕の一本くらい軽く持っていかれる。



フィスの頭の中には、図鑑で見たフェロウグレイの特徴だけでなく、誰かの記憶がフィスとサルジェのいる馬車によって来るかもしれない、と思い浮かんでいた。


ウィルライドがあちこちで水魔法を使って、フェロウグレイの足を止めているのと、魔法剣士たちが得意な属性の魔法を使いながら剣をふるう。


それでもストーンバイターを討伐した時のような、早い動きではなく、皆の乗ってきた馬たちと騎士たちの間を縫うようにフェロウグレイが走り回って、手を焼いているようにも見えた。


討伐には慣れている隊員たちだから不安はないはずだが、それでも大丈夫だろうか、と思ってしまう。

しかも、馬車のすぐ外でも戦っている様子が聞こえてくる。


フェロウグレイは、ほとんど鳴き声を上げず唸り声も上げない分、騎士団の隊員たちの声が響く。


「くっ!このお!!」

「気をつけろ!!」


剣をふるうと、フェロウグレイが身軽に飛びのいて、騎士同士の剣がお互いに向かう。慌てて剣を引くと、今度は真横から風を切る音とともに強烈な一撃が飛んでくる。


「気を抜くな!皆、距離をとれ!!」


固まれば同士討ちになりかねない。離れろという声が聞こえた。


馬車の窓から外を覗きこんだフィスは、ちょうど近くにいたルクスーゲルが自分にフェロウグレイを引き付けているところだった。


思わず声を掛けそうになって身を乗り出す。

ストーンバイターを相手にしたルクスーゲルならと思っていたが、それでも不安で窓にかじりついてしまう。


剣を振る。

大きく振ればかわされる。

仲間を傷つける危険もある。


だから、コンパクトに斬る。それでも届かない。


決してルクスーゲルの動きが悪いわけでもなければ、剣の腕が悪いわけでもない。

ただ、フェロウグレイの俊敏さがそれほんの少し上回る。

ルクスーゲルの剣がフェロウグレイの鋭い爪を受け止めた瞬間、がしっと硬い音が響いた。金属で殴り掛かったような力強い一撃で、腕をもっていかれそうな衝撃が伝わる。その衝撃を振り払うように剣を振り抜き、すぐに構えなおした。


隊員たちが距離をとって応戦する中、ルクスーゲルは素早く隊列の端へと移動し、魔獣が隊の中心に近づくのを防ぐ位置に移動する。


「こいつ、他の奴らより少し動きが速い!」


ルクスーゲルが叫ぶ。その声に応じて、周りにいた隊員たちがすぐに反応する。


フェロウグレイを囲むように皆が動き、その中で、ルクスーゲルはフェロウグレイの注意を引きつけながら後退する。蛇のような目を光らせた魔獣が静かに、跳躍し鋭い爪を振り下ろす。


「そうはさせん!」


ルクスーゲルはその爪をぎりぎりのタイミングで受け流し、反撃のタイミングを狙ったが、フェロウグレイは飛び退いて距離を取った。


ルクスーゲルが相手をしている間に、隊員たちはフェロウグレイを囲むような陣形を徐々に作り始めた。魔法剣士たちが剣に魔力を込め、遠距離から火球や風刃を放つ。

魔法攻撃を避けたフェロウグレイがその動きを抑え込まれている間に、剣士たちが連携して突きを繰り出す。


「とにかく足だ!動きを止めろ!」


カーライルの命令に、魔法剣士たちがフェロウグレイの足元を重点的に攻撃する。火魔法で毛皮を焦がされ、動きを鈍らせた一頭が、隊員の一振りに足を切られて転がった。


「まだまだ!」


目の前で転がったフェロウグロウが起き上がろうとしてもがいているのを、群れのフェロウグロウたちが連れて行こうと近づいては、弾かれるように離れる。残りのフェロウグレイたちが怒りに満ちた唸り声を上げ、足を止めて身を低くした。


その時、群れの中でも特に大きなフェロウグレイが、しっかりと貯めた後にルクスーゲルに向かって高く飛んだ。


「くっ!」


空中で迎え撃とうとした瞬間、フェロウグレイが予想を裏切り、体をひねって着地する。そして、ルクスーゲルの剣の届かない間合いから再び襲い掛かった。


爪が振り下ろされる。ルクスーゲルの背を上回る高さから振り下ろされる。

その瞬間、横から強烈な水の流れが魔獣を吹き飛ばした。


「ウィルライド!」


ルクスーゲルが振り返る間もない。名前を呼ぶだけ呼ぶと、水魔法を使ったウィルライドが距離をとったまま叫んだ。


「そいつが頭だ!ルクス」

「了解!」


ウィルライドの援護で魔獣に立ち向かおうとするが、その時、遠くで馬車に隠れていたフィスの目に、魔獣たちが一斉に動きを変える様子が見えた。


「……あっ!」


彼らの注意を引くつもりでフェロウグレイがルクスーゲルたちに集中している間に、群れの方が馬車を狙い始めていたのだ。


フィスは咄嗟に扉を押さえたが、馬車の周囲には一頭、また一頭とフェロウグレイが飛び掛かってくるたびに馬車が揺れる。


「こっちに来ちゃうのか……!」


馬車の中、フィスは手早く小さな魔法印を描いていく。馬車を襲うのはやはり、魔獣の核があるからだろう。フィスと同じように核が持つ魔力を、フェロウグレイも感じ取っているのかもしれない。


「馬車がもってくれればいいけど……!」


声に出さない小さなつぶやきが、揺れる馬車の中で響く。魔法印が出来上がると、フィスはそれを扉の内側に押し当てて魔力を流す。印がほんのりと光り、外部からの衝撃に備えて包み込むように強化魔法が広がった。水魔法や火魔法を放つなら対象に向けて、手をかざすなりすればいいが、物に対して使うのは魔法印を使うのが手っ取り早くて、強い。


「これで、少しはっ……!」


外でルクスーゲルたちが戦っているのを思い出して、再び窓に近づく。


外を覗こうとして飛びついてきたフェロウグレイの顔が目の前に飛びだしてきて、後ろに尻もちをつきながらも、手のひらをむけて火魔法を放った。


「ギャンッ!」


顔に向けて火魔法をぶつけたからか、鳴き声を上げてフェロウグレイが吹き飛んだ。


その間に、ルクスーゲルは先ほどの一頭と向き合っていた。通常の個体よりも一回り大きく、明らかに群れのリーダーだ。


「無茶するなよ、ルクスーゲル!」

「わかってます!任せてください!」


自らも剣を握ったカーライルの指示に、隊員たちの動きが変わる。

群れの方は、ほかの隊員たちに任せてルクスーゲルは、このフェロウグレイのボスとにらみ合っては、攻撃を繰り返した。


「頭のいいお前に向こうに行かれると困る」


魔獣はじりじりと間合いを詰め、徐々に低く身をかがめて跳躍の準備をしているのが明らかだった。ルクスーゲルは剣を低く構え、視線を外さずに集中する。魔獣が一瞬の隙を狙って飛びかかると、ルクスーゲルは反射的に剣を繰り出した。


「させん!」


ルクスーゲルの一振りがフェロウグレイの前足を捉えた。しかし、敵はわずかに身を捻り、紙一重で致命傷を避ける。すぐに反撃に転じたフェロウグレイが鋭い爪を振り下ろすと、ルクスーゲルはその爪を剣で受け止めながら後退した。


ルクスーゲルが群れのボスを引きつけている間、周囲では他の隊員たちが群れの魔獣たちを一頭、一頭削っていた。カーライルの指揮のもと、剣士たちが連携し、魔法と剣の攻撃で次々と魔獣の動きを抑えていく。猫のように動きが早くて、予想しづらい相手だけに、皆、息をつく暇がない。


「そこだ!動きを止めろ!」

「ウィルライド、援護を頼む!」


すでにあちこち走り回っていたウィルライドは呼ぶ声に応えて、水の魔法で足元を滑らせたり、魔獣たちの動きを一時的に封じ込めたりして援護を続けた。


フィスは揺れる馬車に、周囲にはまだ複数のフェロウグレイが残っていることを察した。何度も馬車の扉に向かって突進してきて、衝撃で扉が揺れる。こうなってくるとそんなに広くはないと思っていた馬車の中が異様に広く感じられた。


魔法の効果を確認しながらも、手元に新たな魔法印を描き始めた。


「こんなことで役に立たないと思われたくない!」


フィスは完成した魔法印を馬車の足元に貼り付ける。足元から一定範囲に浸透して魔力を干渉させる仕組みの印だった。魔獣が馬車にぶつかると、びりびりと痺れて跳ね返す。

これで、馬車に近づくと痛い目を見るとわかるだろうと思っていると、群れのボスが鋭い鳴き声を上げた。


その声に動きを止めたフェロウグレイたちが、向きを変えて、馬車へと向かい始める。


「くそ、あいつら!」


ルクスーゲルが叫ぶと、周りにいた隊員たちが一斉に馬車を守るために走り出す。


しかし、その瞬間、群れのボスがルクスーゲルに跳躍を仕掛けた。隊員たちが馬車を守るために動いたため、一瞬だけ孤立したルクスーゲルの背に大きな影が重なった。


振り上げたフェロウグレイの腕と大きく今にも噛みつこうと開いた口と。

次の瞬間には、何が起きているか容易に想像できる姿が見えた。


馬車の窓から一瞬、その様子が見えたフィスは、息をするよりも早く手を挙げた。


「まっ……!」


すでに先ほどの一撃で窓は吹き飛んでいる。そこから、フィスのはなった魔法がルクスーゲルの背を守るように光った。続いて、氷魔法を放つと、鋭い氷の刃が群れのボスの体に次々と刺さる。


「何……!?」


来るはずの衝撃がなくて驚いたルクスーゲルが振り返り、その間に隊員たちが馬車を囲んでいたフェロウグレイの残りに向かう。ボスがやられたからか、急に勢いが弱くなったフェロウグレイを隊員たちの剣が、次々と打倒していった。


あちこちでまだ動いている個体にとどめを刺していく中で、ルクスーゲルが馬車の扉をたたいた。


「フィス!無事か?」


馬車の中で力が抜けたように座り込んでいたフィスが我に返る。


「あ……はい。大丈夫です!」


応えるのと同時に扉に触れて、先ほどの魔法印からほどけるように光が広がった。


そうしてゆっくりと扉を開けたフィスをルクスーゲルが心配そうにのぞき込んだ。

「怪我がなくて何よりだ」


その一言を聞いて、頭が考えるよりも先に体が動いた。

ルクスーゲルの肩をつかんでフィスが怒鳴る。


「な、なにやってるんですか!!あんな、あんな一撃もらいそうになるとか、先輩は……っ!!」

「お、落ち着け。フィス」


驚いたルクスーゲルは、フィスがよほど怖い思いをしたのか、どこかぶつけたりしたのかと馬車の中に視線を向けていると、もう一度フィスが叫んだ。


「気を付けてくださいよ!!もう!」


一人興奮して叫んだフィスを見て、目を丸くしていたルクスーゲルが何度か瞬きをした後、ようやく口を開く。


「さっきの、お前だったのか……?」

「あ……っ」

「そうか……。すまない。助かった」


ルクスーゲルはしばらくフィスを見つめていたが、やがて表情を和らげた。

その顔をみてフィスは少しだけ肩の力を抜いたものの、いつもあれだけ天秤が傾かないように意識しているのに、考えるよりも先に動いていた自分に驚いた。


しかも、フィスが使った魔法のうち、氷魔法はまだしも防衛魔法の方は明らかに上級魔導士でないと使えないものだ。それを見習がつかえるはずもないものである。


「いえ……、あの、すみ……ません」

「何を謝る?初めてで驚いたんだろう。すまん。気を抜いていたわけじゃないんだが、あのくらいの怪我なら後で治癒魔法をかけてもらえば済むと思ってな」

「そん、治癒魔法なんて簡単にいいますけど!」


この世界、怪我なら大抵のことは治癒魔法で治すことができる。なんでもあり、ではないが、全身の三分の一が残っていれば再生できるといわれている。


だが、痛いものは痛い。ルクスーゲルは、騎士団に入ってからの経験で慣れてしまったのだろうが、フィスにとってはそれはものすごく大変なこと、でしかなかった。


頭ではわかっていたことのはずなのに、声が震える。


「……すみません。自分も魔獣と戦ったこともあれば、訓練もしているのでわかっているんですけど」

「フィス。初めての現場だ。それが当然なんだ」


幼い子供をなだめるように言い聞かせられる自分が恥ずかしい。

意識して息を吸って、吐いて、力業で自分を抑え込む。


それをルクスーゲルは気にするな、と言って馬車から離れていった。

フェロウグレイたちは、すべて地面に転がっていて、どの個体も動いていない。近くにいた隊員たちがすぐに核を取り出す作業を始めている。


「ルクス!無事か?」

「はい!馬車も中のフィスも無事です」


カーライルの声がする。それに答えたルクスーゲルは群れのボスに向かう。自分が倒した相手の核を抜くのは第四騎士団の中でも暗黙のルールだ。負傷して動けない、などではない限り、倒したものが核を抜くところまでする。ただ、乱戦で誰がどうなったのかわからない場合や、相手が大きな個体の場合は総出で行う。


あとは、王都まで運んで魔導士部隊に任せるだけである。核を抜けば、すぐに素材や食材に早変わりだ。


「周囲の警戒を怠るな!まだほかの群れがいるかもしれん。処理が終わったらすぐに移動するぞ!」


その声を聞きながら、フィスはのろのろと床面に張り付けた魔法印を解いた。ひどく長い時間に思えたが、どのくらいの時間が過ぎたのだろう。


日差しは少しも変わらずに馬車の中にも光を落としていた。

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