第11話 騎士団とフィス
拠点の中は、粗削りで質素な空間が広がっている。天井は低く、蝋燭の淡い光が壁の荒い木の節目に影を落としていた。中央には粗削りな大きなテーブルが置かれ、まわりには騎士団の指揮を執る者たちが集まっている。
隊長であるカーライルを筆頭に、ウィルライド、剣騎士のコンラッド、弓騎士のエリオット、そして盾騎士のグラントがいる。皆、鎧を脱いだばかりでこれが狭い部屋だったら男臭い匂いに満ちていただろう。
彼らが集まるこの場で、フィスは片隅の椅子に気配を殺すように座っていた。見習いの自分が果たしてここにいていいものかと感じつつも、ウィルライドとカーライルが『構わない』と一言で片付けたため、落ち着かない気持ちのまま彼らの話し合いを見守っていた。
拠点は、討伐を終えた疲れも見せずに今後どうするべきかという話で、それぞれがお互いの考えに探るような目を向けている。外からわずかに風の音が聞こえるが、今頃宿屋の方はあっという間に終わった討伐に盛り上がっているころだ。
「さて、厄介だな」
彼の言葉は、討伐が一段落した今も、根本的な問題が解決していないことをそのまま物語っている。カーライルの言葉に続くように、エリオットが手元の地図を広げ、ストーンバイターの動きを指先で追って見せた。
「先ほどのストーンバイターだが、山から出てきたとは断定できなかった。土属性の魔獣だから痕跡が追いにくいのだ。例の地中の仕掛けが原因で現れたとも考えられるが、その出所は確かではない」
エリオットは冷静で、観察力と判断力が際立つ弓騎士である。まるで魔獣の動きを目の前に示すかのように、指先で慎重に道筋をたどり、他の者たちにもわかりやすいようにその動きを見せた。ストーンバイターが目撃されてからすぐに拠点を飛び出して、ずっと追っていただけはある。
「結局、あの不気味な塊が町の周囲にないのか、あるならばまずは一つ一つ撤去していくしかないだろう」
静かにエリオットの話を聞いていた盾騎士のグラントが低い声で言った。彼の言葉には実直さがあり、頑固とも受け取られそうな重さがある。
平民出身の彼は、仲間の信頼を得て盾騎士の中隊長にまで登りつめた苦労人だ。仲間たちへの気配りと頑固さが彼の魅力であり、その大柄な体躯と穏やかな物腰から放たれる言葉は、どこか場の空気を落ち着かせる力があった。
「確かに、あんなものがまだあるのなら撤去作業は重要でしょう。しかし、ああいうものが人為的に設置されている可能性も考慮すべきでは?少なくとも、今のウィベリア領における魔獣被害は、これが一因である可能性が高いと考えるべきでしょう」
間髪入れず、コンラッドが強い口調で異を唱えた。彼は剣騎士の中隊長で、熱く真っ直ぐな性格だ。物事を表面的に捉えるのではなく、原因や目的にまで踏み込むことで、状況をより深く把握しようとする。
問題をデラヴィツナの町に限定して語ろうとする話の流れに、どこか苛立ちを感じているようだった。
「もしも人為的なものならば、デラヴィツナだけでは問題は解決しないでしょう。ウィベリア領全体に同じような仕掛けがあるかもしれない。まずは王城へ報告し、対策を講じるべきでは?」
「まだ確実ではないだろう?今は手元にあるものを確実に対処することが最優先では?」
グラントが冷静に言い返す。
彼は事実に基づく行動を重視するタイプで、確証が得られないまま報告することは納得がいかないのだろう。騎士団の中では、彼のような冷静な思考が頼りにされる一方で、時として柔軟さを欠くようにも見える。コンラッドの前のめりな発言に対し、初めから話を大きくするよりも確実さを取りたい、という意図が見えた。
こうして意見がぶつかり合う様子に、個々の性格が色濃くにじみ出ている。穏やかで堅実なグラント、状況の奥深くまで見通そうとするコンラッド、冷静に観察するエリオット。カーライルは、そんな彼らの意見をじっくりと聞きながら思案しているように見えた。
「それでは、解決策がないままあるのかないのか、探し回るだけか?」
コンラッドがさらに声を強めて、半歩分前に踏み出した。
「確かに仕掛けを撤去するのは必要なことだが、根本的な原因が何か、本当に魔獣の発生に関わっているのか確かめるためにも、ほかの町ではどうなのか調査をした方がいいじゃないか」
エリオットもこの流れに同意し、言葉を重ねる。
「行動するためには根拠が必要だが、時間も無限ではない。ここは、王城と連携を取り、ほかの町の調査も同時に進めるのはどうでしょう」
グラントはむっとして黙り込み、両者の間で意見が対立する形になった。部屋の空気を重くするような沈黙の中、ウィルライドが和やかな表情を浮かべて皆の前で両手を開いた。
「どちらも目的は同じですよね。今回の件は異常ですし、デラヴィツナだけでなくウィベリア全体に関わる可能性も視野に入れるべきでしょう。我々でできる範囲であの塊と同じものがないか調査を進めながら王城と連携する。それでどうでしょう?」
その場にいる全員がウィルライドの言葉に頷いた。両者の意見を取り込んでいて、それぞれが納得せざるを得ないものだ。
カーライルもその提案に同意するようにうなずき、短く指示を出した。
「結論は出たな。ではウィルライド、早急にグレンフィル隊長へ報告の知らせを送ってくれ。夜が明けたら、隊を分けて町の周囲を捜索し、仕掛けを確認しよう。ほかに意見はあるか?」
誰も首を振らなかったことでこの話は決定になる。では、とウィルライドが羊皮紙に報告をまとめ始めた。ほかの者たちはそれぞれの隊員たちのもとへと向かうために拠点を出ていく。
結局、この場にいて、話し合いの様子を見ていたフィスはここにいてよかったのか、と胸の内で首をひねった。
騎士団の中では、貴族でも平民でも上下はないとされている。隊長、副隊長以外は中隊長でも隊員たちに指示を伝えるだけで、上下関係ではない。
だが、フィスは見習の騎士なので先輩騎士の指示に従わなければならない。
そんなフィスが作戦の方針を決める場にいても、意見を言うこともできず、作戦に反対することもない。そんなフィスが、この場にいるように言われたのはどういう意味だろう。
「さて、フィス」
「はい」
カーライルに呼ばれて椅子から立ち上がる。テーブルから離れてフィスの目の前に立ったカーライルは、険しい顔を崩した。
「今回、お前が見つけたものはどちらにせよ、大きな意味を持つだろう。お前の力は十分役に立った。この遠征が終わったらお前の騎士昇格を検討しよう」
あと三か月は待たなければならない騎士昇格だが、第四騎士団の副隊長であるカーライルが異例のことを言い出したことに驚く。
驚きのあまり、視線があちこちにさまよっていると、テーブルで報告書を書いていたウィルライドと目が合った。微笑んだウィルライドが頷いていて、なるほど、と納得する。
フィスがことあるごとに、これは評価されるのか、見習を卒業できるのかと口にしていたことをウィルライドが伝えてくれたらしい。
「ありがとうございます。引き続き、貢献できるように頑張ります」
一礼し、控えめに答えたフィスに対して、カーライルの手がフィスの頭に置かれる。普段は、そんなことはめったにないのに今日は異例ばかりだ。
「あの……?」
「お前は頑張り屋だからなぁ。それでも、無理はしすぎるなよ?」
苦笑いと後はなんだろう。先達の後輩を見る温かい目をフィス自身は今一つ理解しきれないが、カーライルとウィルライドはお互いにその気持ちがわかったらしい。
「若いうちはそれもよくわからないでしょうけども、ね」
「そうだな。それは我らの仕事だな」
きょとんとした顔のフィスをみて二人は笑い出した。そしてフィスに宿屋に向かうように言った。
「では、失礼します」
素直に拠点を出てたところでフィスは足を止めた。一人きりでいることには慣れている。騎士団に入ったからと言って、なれ合ったりするつもりもない。
それなのに、先ほどのカーライルとウィルライドの様子をみて、なんだか嬉しくなった。
評価されたことも嬉しかったが、それよりも二人がフィスを弟や息子のような目で見ていたことが不思議だった。
自分には親はいない。ソトラストとロフレスカが両親の代わりのような存在だが、その距離は思うほど近いものではない。彼らに立場があって出会ったからだ。
同情や義務感ではなく、その立場ゆえにフィスを保護して、養育の手助けをしてきたわけで、下手な同情などよりもよほど信用できるが、わきまえるところはわきまえている。
この騎士団においては、それ以上に距離がある人たちばかりのはずが、ラウヴァルトとルクスーゲルにせよ、ルキウスにせよ、フィスに構ってくる人たちが多い。
フィスにとって彼らは、これまでも時々現れた同情や義務感でフィスに親切にする人たちだと思っていたが、先ほどのカーライルとウィルライドは少しだけ違った気がする。
「……でも」
彼らのような人たちを信頼して裏切られた誰かの記憶。
彼らのような優しい人たちが自分のために傷ついていく記憶。
フィスの中の秤がぐらりと揺れた。
大きく息を吸い込んで、首を振る。
慌てることはない。
彼らの気持ちがありがたいのは本当だ。
それを受け取って、フィスが返すことができるのは次の成果だろう。
天秤の両側に釣り合う分のものが乗っていればいい。
ただ、それだけだ。
大丈夫、と自分に言い聞かせて顔を上げる。そして、賑わっている宿屋に向かって歩き出した。
宿屋に入ると、熱気と賑わいが詰まった空気が一気に押し寄せてくる気がした。
「フィス。遅かったな」
フィスに気づいたルクスーゲルがすぐに近づいてきて、心配そうにのぞき込んでくる。
「遅くなりました。ウィリー先輩のお手伝いをしていたものですから」
「そうだったのか。一日、初めての遠征で疲れただろう。先に風呂をもらってくるといい。皆、この様だがまだ食事はたっぷり残っているからな」
早々に宿に来て、食べるだけ食べた隊員たちはすでに飲み始めており、声高に町の者や冒険者たちと笑いあっていた。
「すごいですね。皆さん……」
「早々に仕事が終わったからな」
あまり皆と食事をすることが少ないフィスは、こうして飲み屋で盛り上がっているところを見かけることはあっても、その場にいるのは初めてだ。
盛り上がりように呆気に取られてしまうが、どうやら普通のことらしい。
先に風呂をと言われてもほかの隊員たちがいる場所でというのも、気が進まない。どうしようかと思っていると、すぐに町の者が近づいてきた。
「騎士様!お疲れ様です。今いらしたのですね。先に風呂をご案内しましょうか」
「あ、いえ。自分は大丈夫です」
「えっ。いや、でもお疲れでしょうし、旅の埃も落としたいのでは……」
そういわれても、フィスには身に着けている魔動印を施したアミュレットやアームレットがある。それを人目に触れさせたくはなかった。
「では、顔だけ表せていただきます。自分は魔導士なので、身に着けているものなどは自分でできますので」
暗に、魔法できれいにできるのだというと、たったそれだけのことなのに、話しかけた町の者の目がきらきらと輝いた。
「そうなんですね!さすが王城騎士団の魔導士様です!!素晴らしいです」
「いえ、大したことは……」
「何をおっしゃるのですか!先ほどのストーンバイターだって、今頃後悔していますよ。冒険者ギルドの皆さんもいらっしゃいますけど、あれほど早くやっつけられるなんて本当にすごいんですから!」
デラヴィツナは土地柄もあって、魔獣の出没には慣れているだろうに、これほど興奮して語るほどすごかったのだろうか、と首を傾げそうになる。それならば、自分もやはり拠点の外で、その様子を見てみたかったと思う。
「自分は見習で、拠点の中で待機でしたから先輩たちのようには、まだまだです」
困ったように見習なのだと口にしたフィスに、ようやく町の者の勢いは少し落ち着いてくる。今度は、少しばかり目の色が変わって、自分よりも若く見えるフィスの手を強引に握った。
「大丈夫ですよ!きっと騎士様もすぐに皆様のようになれます!さあ、早くさっぱりとされてから腹いっぱい食べてください!」
「あっ、はい」
ぶんぶんと手をつかんで振り回した後、フィスに手招きして宿屋の風呂場へと連れて行った。
今、宿屋の客は冒険者ギルドの者たちだけだが、騎士団の面々も借りたという大きな風呂には、まだ何人か人がいるようだった。フィスはその手前の手洗いや顔を洗う場所で、さっと顔だけを洗い、ほかに人がいないことを確かめてからさっさと水魔法と風魔法で全身をきれいに整えた。
すぐに、ルクスーゲルのところに戻ってくると、まだかかると思っていたらしく、少しばかり驚かれた。
「きたのか。早かったな」
手招きされて、ルクスーゲルとサルジェ、コンラッドがそろっているテーブルに近づく。
「改めてお疲れ様です。遅れてすみません」
席に座る前に頭を下げたフィスにこの中では年長のコンラッドが大きな木のカップを差し出した。
「仕事は終わったんだ。堅苦しいことは抜きにして食事が先だろう?」
「はい。ありがとうございます。失礼します」
まだ食事はたっぷりあると、ルクスーゲルがいっていた通り、フィスが腰を下ろした目の前には大皿で料理が並んでいた。
野菜いっぱいのスープと、ローストされた肉に、新鮮な野菜の盛り合わせ、焼きたてのパンや香ばしいシチュー、特産のライチにも似た果物も大皿に盛られている。町の者たちが精いっぱいの御馳走を並べてくれているらしい。
特に、新鮮な野菜の盛り合わせや果物はデラヴィツナではなかなか入手が難しいものである。それをこれだけ豪勢に使っているところからして、歓迎されているようだ。
「さ、俺たちはもう十分食べているから、気にせず好きなだけとるといい」
そういって勧められても、この量をすべて食べたら恐ろしいことになりそうだ。
「い、いただきます」
野菜スープから取り分けて食べ始めたフィスは、周りの勢いに圧倒されて、盛り上がっている者たちの方を振り返った。
「フィスは遠征も初めてだからな。驚いたか?」
珍しく、サルジェも酒を飲んでいるせいか、いつもの硬い口調からくだけている。違和感を感じるのは、フィスがこうした場に参加することは初めてで、素面だからなのだが、とりあえず口にしたスープを飲み下して頷いた。
「いつもこんな風なんですか?」
「まあ、だいたいは?」
笑いながらナッツを口に放り込み、樽酒の水割りを飲んでいるサルジェの姿はとても機嫌がよさそうに見えた。
同じく、酒は飲んでいるがほとんど変わらないルクスーゲルが苦笑いを浮かべる。
「今日は特にだが、まあ、大体こんなようなものだな。現場で盛り上がることはあまりなくて、大抵、野営地で飲むからここまでじゃないんだが」
「そうだな。遠征先でこうして拠点まで用意してもらうことも少ないしな」
コンラッドが赤ワインを手に頷いた。その飲みっぷりはまるで水のようだが、グラスの中は確かに赤く見えた。
「そうなのですね」
どうしてここまで盛り上がれるのか、不思議で仕方がなかったが、その理由を聞いてもフィスに理解はできなさそうなので、曖昧に相槌だけをうって食事に集中することにする。
何か言いたげだったが、ルクスーゲルは何も言わず、フィスの目の前に肉の一切れを取り皿にのせた。サルジェは、あまり酒に強くないらしく、顔を赤くしながら機嫌よく酒を飲み続けている。
「ルクス。だいぶ今日は無理をさせたが、剣は大丈夫だったか?」
「ああ、はい。うまく流せたので問題ありません」
「そうか。やりやすかったぞ。助かった」
コンラッドとルクスーゲルの会話の間に挟まる位置に座るフィスは、二人の会話の邪魔にならないように、少しだけ椅子を引く。
だが、それもコンラッドの長い脚で押さえられた。
「なんだ。ゆっくり食べていればいいだろうに」
どこかに行くつもりなのかと問いかけられて、気まずさに首を振る。
「いいえ、お二人の邪魔になるかなと思いまして」
「はっ、こんな騒がしい場所だ。遠慮なんて要らん」
そんなものかと、目を彷徨わせている姿にルクスーゲルが助け舟を出してくれた。
「とにかく、気にするなってことだ」
「はい」
いつもなら、この場にラウヴァルトも座っているはずだが、今回は王城居残り組だ。
フィスは、一人で暮らしてきたことが自分の生活の基本であり、その中で少しずつ「自分のルール」で判断して暮らしてきた。
騎士団に入って、仕事をすることはもちろん基本なのだが、こうして町の人々に感謝されていることにも違和感がある。
フィスたちにとっては仕事でしかないはずで、討伐して当然、失敗することなどありえないはずだ。
それが騎士であり騎士団のはず。
「ルクス、サルジェと一緒に向こうから酒を持ってきてくれるか?」
「わかりました。サルジェ、いけるか?」
「いける。次は白ワインを飲む」
立ち上がったルクスーゲルはサルジェを伴って、部屋の奥の方へと歩いて行く。その後ろ姿を見送ったコンラッドがフィスの方へを体の向きを変える。
「あまり話したことがないが、ルクスやラウから話を聞いてるから、すっかり馴染みな気がするな」
「はぁ……」
「こうした場はあまり好きではないか?」
何度目かの乾杯の声にかき消されそうになって、目を閉じかけたフィスに苦笑いを浮かべたコンラッドが問いかけた。
「あー……。その、好き嫌いではなく、初めてなのでびっくりしているといいますか……」
「ふん?」
片眉をあげて面白そうに話を聞いているコンラッドが続きを、と促す。ここにきて、ようやくフィスは先ほどコンラッドが酒を持ってくるようにと言って、ルクスーゲルとサルジェに頼んだのは、この場から席を外させるためだったのかと、気が付いた。
人の多さと、料理の匂いと、酒の匂いが混ざり合って、部屋の中は暑いくらいだが、入り口に近い、このテーブルの周りは少しだけ熱気が薄い。
「討伐に出動するのも初めてなので、こんな風に盛り上がっているのが不思議な気がします」
言葉を選びながらも、思いのほかきっぱりと口にしたフィスをコンラッドは気に入ったようだ。
「なるほどな。お前はこの場をどう思う?」
「どういうというのは?」
「率直に言っていいぞ」
率直にと言われても、どこまで言ったものか。
それを口にしてメリットがあるのかどうか、フィスは迷った後、思い直して口を開いた。
「あの、騎士としては仕事をしたわけじゃないですか。感謝してもらえるのは嬉しいですが、ここまで盛り上がるのは少し違うのではないかとも思います」
「そうか。この場には、先に若い騎士から先に来させているんだが、その意味は分かるか?」
空になった皿を押しのけて、果物に手を伸ばす。話しながら食べ続けているのは、失礼かとも思ったが、コンラッドはそのまま食べろというので気にしないことにして、考え込む。
「若い騎士から……」
そもそもこのような場所に関わり合いがないと思っていたフィスだ。違和感を口にしてこんな問いかけが来るとも思っていなかった。
とはいえ、問いかけられると素顔に考え込んでしまう。
「もしかして、経験を積ませるということでしょうか?」
「まあ、当たらずともだな。なかなかいいところをついてる」
そういって、コンラッドは分かりやすく教えてくれた。
騎士とは。
アシュトラーゼ王国では、国王ではなく国に対して忠誠を誓う。国王といえど、過った道へ進む場合は王国に忠誠を誓った貴族、騎士がそれを諫めるとなっている。そのため、騎士になって騎士団に入団する際は国旗と国王を前に国への忠誠を誓うのだ。
そして、騎士道を歩むものと自ら宣誓を行う。
だが、誓いを立てたからと言って、自らの一挙手一投足すべてを整えられる者はいない。少しずつ、騎士になっていくのだ。
「といっても、騎士団に入ってすぐは見習、それに訓練の日々だ。うちは特に、上下の縛りはないと言っているが、それでも多少の先輩後輩はあるわけだし、経験不足で先輩騎士から怒られることもあるだろう。それが面白いやつなんていやしない」
それでも初めて討伐に出る、王城の勤務にあたれば騎士として扱われ、実際に剣や斧、弓や盾を持ち、実戦に出ることになる。
それを誇らしいと思う者もいれば、実戦での恐怖に負けそうになる者もいる。
「そんな時に、自分たちの仕事の結果がどう思われるのか、どういう結果につながるのか、こういう体験をすることでその先にある人のことを考えられるようになるだろう?」
じっと、咀嚼しながらコンラッドの話を聞いていたフィスは、飲み込んだ後の後味を目の前のお茶で飲み下して口を開いた。
「若い騎士だけでなく、先輩方は後輩がどう動くか、誘導することを経験する、そして、町の方々や冒険者ギルドの皆さんと交流するという機会を作ることで騎士団についても知ってもらうことができる、ということですね」
それならばフィスも納得できる。天秤の上にそれぞれが乗っていて、バランスが取れていると思えば、フィスもこの場にいることに納得できる。
誰かと関わることは苦手でも、印象を作るための仕事だと思えばいい。その対価にこうして食事を提供されるというわけだ。
コンラッドは、ぽかんと口を開けてしばらくまじまじと頭半分下にあるフィスの顔を見ていた。一人納得して頷いていたフィスは、その様子に気づいて、首を傾げる。
「あの、コンラッド先輩?」
「……いや。あー……。フィスは庶民だったな?どこの家にも養子の声はかかっていないのか?」
「ないです。自分は救護院の出ですし、魔力も魔導士としては多いわけではないので、声をかけていただくほどのことはないのでしょう」
「そうか?それは……」
腕を組んでぶつぶつと何かをつぶやいているが、このにぎやかな部屋の中では聞こえるものではない。
そうしているうちにサルジェとルクスーゲルがなみなみと酒を注いだカップを持って戻ってくる。
「お待たせしました。コンラッド先輩」
「すみません。あちらでワインの飲み比べをしていたもので」
多少ろれつが怪しくなってきたサルジェは飲み比べといって、ワインを向こうでもたっぷり飲んできたらしい。
そばにいたルクスーゲルがこっそりと頷いて見せたので、なかなかいい具合の酔いっぷりなのだろう。
「どうだ、フィス。腹はいっぱいになったか?」
「はい。果物を久しぶりにいただきました」
「あまり減ってないようだが、気に入ったなら部屋に少し持っていってもいいぞ?」
簡単にいう、と思っていると、コンラッドは皿ごと引き寄せてくる。
「持って行け、持っていけ。どうせ皆、酔っぱらっていて気にしないだろう。部屋で気楽に食べればいい」
フィスの周りを陣取っている面々は、フィスに酒を飲ませようとは少しも思っていないらしい。この国では学院を卒業する年には酒を飲むのが当たり前ではあるが、フィスはあまり飲む気になれなくてこうした場では飲まないことにしている。
それを当たり前のように受け入れるのは、この隊だけでなく、この国ではよくあることだ。
「ついでに、寝酒代わりに大きなポットにお茶もいれてもらってくるか」
「ルクスーゲル先輩。自分で行きますから」
「いや、向こうはだいぶ酔っ払いが多いからな。絡まれるより、ここにいたほうがいい。俺が行ってくる」
今も変わらず、学院の先輩後輩のようにさっと立ち上がったルクスーゲルが行ってしまうと、酔ったサルジェが隣に腰を下ろす。
「なぁ、フィス!」
「はい」
「お前さぁ、もっと、頭いいよな?」
「……はい?」
酔っ払いの相手をしたこともなければ、世話をしたこともないフィスにとっては目を白黒させるばかりだが、戻ってきたルクスーゲルがサルジェの襟首をつかんでひょいっと立たせた。
「よし、フィス。その果物の皿とこれをもって部屋に戻っていいぞ」
「えっ?」
「お前は、あんまり人の多い場所は疲れるだろう?まだ遠征も始まったばかりだからな。無理して付き合うことはないから部屋に戻ってゆっくりするといい」
仕事ならば騎士団の一員として、気負いそうだったが、思いがけない言葉にほっと肩の力を抜いた。
若い騎士の役目がどうのという話の後に、こうして気を使われるのは申し訳ない気もするが、これだけ騒がしいならフィス一人がいなくても気づかれないだろう。
「……いいんですか?」
「ああ。どうせ、誰も気づかん」
フィスが思った通りのことをルクスーゲルが口に出したから、思わず吹き出してしまう。
「盛り上がってますからね。じゃあ、お言葉に甘えます」
「ああ、ゆっくり休め。明日からまた忙しいからな」
「はい。では、お先に失礼します」
ルクスーゲルとコンラッドに持たされた皿とポットを持って立ち上がる。何か面白かったのか、どっと上がった笑い声に押し出されるように、宿屋を後にした。
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