第9話 遠征とフィス
道中で休憩を挟みながらも、一行はようやくデラヴィツナに到着した。ギルドから派遣された冒険者や町の者たちが出迎える中、騎士団の面々はその整った体つきと鋭い眼差しに、一瞬身構え、無意識に背筋を伸ばした。
近づくまでは誰が冒険者で、誰が町の普通の人々なのかわからないほど、しっかりした体つきの者が多く、第四騎士団の面々は少しばかりキリリとした顔を作っていた。
その姿は話には聞いていたが、なるほどとうなずきそうになる。
フィスは、わずかに目を細め、ずらりと並んだ人々を後方から眺めていたので、魔力の流れを元に冒険者と街の人の見分けはおおよそついていたが、大人しく黙って控えていた。
確かに大きな街ではない。
拠点にするのは急ごしらえで作られた大きな平屋づくりの小屋で、隣には馬を休ませるための簡易的な厩舎も作られている。そちらはさらにに急ごしらえで、丸太を組み合わせたものだが、ちゃんと屋根や餌場、水を汲む場所まで備えられているのはさすがだと、隊員たちは感心した。
調理場までは間に合わなかったらしく、湯を沸かせる程度の暖炉を兼ねた場所は作られていたが、それも大きな部屋だけだ。
火をおこすことはあまりなさそうだが、ありがたく礼を伝えた。
食事に関しては、携帯した乾燥ブレッドと湯が沸かせればスープ程度と思っていたが、町の者たちが全面的に提供してくれるらしいことにも感謝である。
町の一つしかない大きな宿屋を一時的な食堂として、そこで作ったものを拠点の小屋へ運ぶか、そのまま宿屋で食事を済ませるか、どちらかにすることに落ち着いた。
簡単に荷ほどきを済ませた今、フィスとサルジェは手分けをして町の周囲を見回っている。剣士二人と、魔導士の三人チームだ。
フィスが担当している区間には、すでに保護魔法と探知魔法を手早くかけ終わっていた。町の周りを巡ってそう高くない柵の様子や思いのほか、町の周囲には雑草が茂っていることも気になる。
町は大きくはないが、山側との距離はそれほど広くない。
山から出てくる魔物が町にたどり着くのに、時間はさほどかからないだろう。もちろん、町の全体を見ても宿屋や居住エリアは山側ではなく、街道側に位置している。それでも、大した距離ではない。
人の足には邪魔になる雑草も、魔獣にはどうという事もないものだ。そう思うと、人に不利な環境ばかり目について気になって仕方がなかった。
「あの自分はもう一周、町の周りを見て回りたいのですが」
一人で回れと言われても仕方がないが、そう口にしたフィスに同行していたルクスーゲルはすぐに頷いた。
「かまわない。一緒に回ろう。いいか?ソラーシュ」
「もちろん。何か気になることがあったならいくらでも見て回ろう」
ルクスーゲルのほかに、ソラーシュという剣士も一緒に回っていた。ソラーシュは盾騎士の一人で、水魔法の使い手だ。誰にでも合わせることができるが、自分から目立つのではなく、補助に回るのがうまい。
指名された組み合わせだが、フィスがやりやすい顔ぶれを選んだのだろう、とルクスーゲルもソラーシュも感じている。だからこそ、フィスがもう一度回りたいというなら、その通りにするだけだ。
「ありがとうございます。自分が気になったことが影響があるかどうかまだわからないのですが……」
「かまわん。後で後悔するよりも、気になることは潰しておいた方がいいだろう」
「そうだな。夕食がもっとうまくなるために腹を空かせると思えばどうという事もないぞ」
「ありがとうございます。ルクスーゲル先輩、ソラーシュ先輩」
暗くなる前にと、再び町の外に出た一行はフィスを先頭に歩き出した。
「それで何が気になったんだ?」
「人にとっての見通しの悪さです」
そういうと、フィスは山側から町の入り口側へ向かってぐるりと指先を向けた。
「町を囲むように、腰ほどの高さの灌木が生い茂り、その隙間には雑草がびっしりと根を張っているじゃないですか」
「ふむ。そうだな」
「これ、人には障害物ですけど、魔獣には障害にならないですよね?」
森の様に高木であれば、魔獣も障害となり、場合によっては木に登ることもあるが、だいたいは障害物として避けることが多い。
だが、灌木と雑草では大して邪魔にはならず、そのまま突き進んでくる上に、何なら隠れ蓑にもなる。
「この柵を中心に、探知魔法をかけて近づいてくる魔獣に早く気づいても、このくらい囲まれていたら、灌木や雑草の中にいくらでも隠れられるじゃありませんか?」
「なるほど?」
大型魔獣はさておき、中型、小型魔獣を相手にするなら確かにそれは言える。
討伐が目的とはいえ、町の人々にも冒険者にも騎士団にも被害を出さないことが第一だ。魔獣を呼び寄せるならもう少し違う手段を取りたい。
「かといって、町の周りに結界を張っても中型、小型の魔獣には効果があるかもしれませんが、近寄ってこない分、近くの町が襲われかねないのかなと……」
そう考えると、町の周りに均等に保護魔法をかけるのは、あまり良い案とは思えなかった。
もし、町に向かってくると考えるなら、もう少し町に引き込む策を考えるべきだし、町を守るためなら、町に惹きつけるのはおかしい。
気になったフィスは、山側を中心にもう一周、ゆっくりと回ることにした。
町を囲む柵からも少し離れて歩いてみると、歩きやすい場所もあれば草が生い茂っていて、柵寄りでないと歩けない場所もある。
「虫とか、嫌だな……」
思わず口から出た呟きの後、二つ目の草むらで足を止めた。
地面には違和感はないが、棘のある草がこんもりと茂っている。足元に落ちていた少し長い小枝を手にして、フィスはその茂みをかき分けた。
微かな魔力と、つん、と鼻の奥を刺す臭いがする。詳しくない者ならわからないだろうが、この棘を持つ草は本来、こんな匂いはしない。
本当なら草を刈って、そのあたりに何があるのかを調べるべきだろう。
だが、今、道具も何も持ってきてはいない。
今回の遠征では、ウィベリアに魔獣が出現し続ける理由を調査することも目的の一つになっていた。
評価はされるかもしれないが、それによって起こる変化を考えると、天秤が揺らぐ。
自分一人のことだけではない。フィスは、一緒に回っていた二人を振り返った。
* * *
小さい頃、王都に来てまだ間もない頃だ。薬草を売るために、フィスは王都のあちこちに顔を出していた。元々暮らしていた街ではうまくやれていたが、王都には知り合いがいないのだ。人が多い分、薬草を求める声は多いものの、子供が売りに来ても買い取ってくれるかというとなかなか難しい。
救護院の神官や出入りの業者に教えてもらいながら、少しずつ試してもらい、薬草を買い取ってくれる先を探していた。
貴族相手の店もある王都の中には、店に入る前に追い払われることのほうが多かった。たとえ店に入ることができても、救護院の紹介があっても、やんわりと、時には厳しく、追い払われることもある。
そのことをフィスはどうとも思わなかった。元々、住んでいた街でも似たような経験はあったわけで、それが当たり前のことだと感じていたのは、フィスのもつ知識の影響だったのかもしれない。
子供が突然現れて薬草を売りに来たとして、たとえそれがどのくらい良いものであっても、何も疑いもせずに買い取る者がいれば、逆に胡散臭いではないか。
一通り薬草やお茶を扱う店を回って感触をつかんだフィスは、時間を作って会いに来たソトラストに、自分がしていることを話した。
ソトラストに頼めば、当然、買い取ってくれる店を紹介してもらえたし、身元保証もしてもらえただろう。だが、フィスもソトラストも少しの迷いもなく、そうしなかった。
「そうですか。王都には、たくさんの店がありますからね。南側の大通りに面した店は、貴族や大きな店と取引が多いので、物がよくて売り方次第で買い取ってもらえるかもしれませんよ」
いいものなら買い取るという話はとても塩梅がいい。確かに、とフィスは思い返した。あちこち回った中でも商人相手の店が多いところは、無碍に追い払うことも少なかったし、一応持ち込んだ薬草を見てくれる店もあった。
それから、南大通りの店を中心に、フィスは薬草茶と薬草を持って売りに回った。何度か足を向けて、試してもらう品を置いていくうちに、物を見て少しずつ買ってもらえるようになり、気安く声をかけてくれる店も徐々に増えた。
「フィス! 今日は寄っていかないの?」
「こんにちは。まだ残ってるんですか?ソニカさん」
「生意気ね!もう少し言い方ってものがあるでしょ」
フィスの挨拶に苦笑いを浮かべて腰に手を当てたのは、南大通でも人気のパン屋で働くソニカだ。パン屋のオーナーといっても、まだ若い。気の強い豪快なお姉さん、という感じである。
手招きされて足を向ければ、店の中はパンのいい匂いでいっぱいだ。
朝には棚に並ぶバスケットにたくさんの種類のパンが並んでいるが、昼を過ぎた今頃はだいたいのパンが売り切れている頃である。
救護院で朝から掃除や仕事を手伝った後、フィスがこの辺りに薬草を売りに来る頃には、だいたい売り切れになっているのがいつものことだ。
「いつもの、まだありますか?」
「さあねぇ。生意気なフィスに売るものなんてあったかな?」
棚のバスケットを片付け始めたソニカは、肩をすくめてとぼけてみせた。
小さいのにしっかりしていて、挨拶もできる。しばらく前から、この辺りで姿を見かけるようになって、どうやら物乞いなどではなく、救護院の子だという。
そんなフィスが気になって、声をかけてしまうようになった。
思い返すと、フィスがはじめて店に来たのは、もっと遅い時間だった。
『あの、パンを買いたいのですが、よろしいでしょうか』
パン屋の入り口から少しだけ顔を覗かせて、声をかけてきたフィスに、店じまいの支度をしていたソニカはただ首を振った。
もう売り物のパンは終わっている。
物乞いなら店の裏からと決まっているし、買いたいと言ってもこんな小さい、そして、あまりいい身なりでもない子供が何を、と思った。一日の疲れもあったので、あしらえば帰っていくだろう。疲れた頭でそんな風にぞんざいに追い払う。
『もう全部売れてしまったのですね。失礼しました』
丁寧に頭を下げて店を出ていく後姿に時間差で我に返った。
いくら子供相手だとしても、さすがにひどい。
「あの!ごめん。もう今日の分は売り切れてて。いつも昼過ぎにはだいたいなくなるの」
扉を閉める寸前のところで、小さな背中が振り返ってソニカを見ている。疲れていたとはいえ、あまりな態度だったと、思わず呼び止めてしまった。
『……ありがとうございます。またの機会にお願いします』
その口調に冷汗が出で、自分のひどい対応にもかかわらず、丁寧にこたえるフィスに罪悪感がわく。
身なりからして貧乏貴族の子供だったかしら、と思ったがもうすでにフィスの姿はなく、ただ鮮明に記憶に残っていた。
しばらくして、昼も終わりかけのぎりぎりにフィスが姿を見せた時にはほっとしたくらいだ。それからは、最後のいくつか、というタイミングで買っていくフィスにおまけをしたりしてきた。
だいたい、月に何回か、姿を見せるからそろそろじゃないかと思っていたところだ。
「今日は遅くなってしまったので、もう残ってないと思ってました」
少し背が伸びても棚の上まではフィスの身長ではとても届かない。残っているパンは目につきやすいように上の棚に寄せるから、なおさら残っているものは見えないのだ。
首を傾げて見上げてくるフィスの頭にぽん、と手を置いた。
「スティックパン、好きじゃなかったっけ?」
「えっ、はい」
ぱちんと片目をつむって、バスケットの一つを棚から降ろした。
細長い、パイ生地のようなパンを捻って、砂糖をかけたパンがどうやら一番のお気に入りらしく、今まで買った中で一番大事そうに抱えていったものだ。
「なーんでかね。今日はこれだけ多く作っちゃってさ。最後に売れ残ったら困るんだけど?」
買っていくよね?というソニカに、フィスは嬉しそうに頷いた。
救護院に買って帰ると、他の子に見つかって取り合いになることもある。スティックパンなら、包みを大きめの服に隠して持ち帰りやすい。
「じゃあ、全部ください」
「了解」
頷いてバスケットごと、カウンターにもっていく。ソニカは一つ一つ、紙にくるんだ。バスケットに残っていたのは五本で、我に返ったフィスはポケットから小さな袋を大事そうに取り出した。金が足りるかと不安になったのだろう。
「三つ分の金貨でいいよ。これねえ、細いパンだからすぐに固くなっちゃうんだよね。だから早く食べてもらった方がいいんだ」
「えっ。あの、……ありがとうございます」
頭を下げたフィスににやりと笑う。時々、こうして話すようになって、フィスが救護院の子供で、一人で稼いでいることも知った。
同情しているわけではないが、小さい子供相手に、このくらいできないほうが情けない。
ソニカはそう考えて、大きな声で笑った。
「いーよ。また次に来る時までうちの味、忘れられたら困るからね」
「わかりました。次に来る時は、もっとたくさん買えるように頑張ります。あと、もしよかったらこれ……」
フィスは手にしていた籠の中から紙包みを取り出した。フィスが売っている薬草茶の一つだ。
「風邪のひき初めによく効く薬草茶です。よかったらどうぞ」
「なにいってんの。それ、あんたの売り物でしょ?ダメダメ」
「スティックパンもソニカさんの売り物です。これは自分のお礼です」
そういってカウンターに置いたフィスに苦笑いを浮かべて手を伸ばした。最近、南大通りにいくつかある薬屋で人気のものと同じだ。
特に、リボンについているタグは、評判がよくてソニカも勧められたことがあるくらいだ。
「ありがとう。じゃあ、遠慮なく残りの二本分としてもらうね」
「そうしてください」
ほっとしたフィスの顔に笑顔が浮かぶ。売り物として薬屋で買えば、スティックパン二本では足りないものだ。
子供だから、自分の売値で勘定したのだろう。
この時ソニカはそう思って、フィスのバスケットにスティックパンを押し込んだ。
だが、フィスは施しになるのは避けたくて、薬草茶も見合ったものを差し出したのだ。よくしてくれるソニカへの礼の気持ちもあった。
でも、もう二度と天秤が傾くようなことはしない。
何度か同じようなことはあったが、ソニカのことは今も苦く残っている。
ルクスーゲルとソラーシュは、互いに視線を交えた。
「どうした?フィス」
「さっき回った時にも気になったのですが、あのスパインクランプ《棘草》が生えているあたりに何かあるようです」
そういいながら、フィスは先ほど木の枝でつついていた草のあたりを指さした。
スパインクランプは、庶民の間では棘草とも呼ばれている。低くこんもりと茂った球形の植物で濃い緑色の葉が密集しており、葉の間から無数の鋭い棘が生えているのが特徴だ。
そして、棘には毒があり、刺されると大きく腫れる。
「そもそも、この辺りはマギノビア山に近いです。標高が高い地域に一番近い町だからこそ、王都近くに生えている草とは異なるはずなんです。棘草は、確かにどこにでも生えている草なのですが、この辺りにはほとんど生えていないはずです」
「ふむ。確かにあまり生えてはいない草なのだろうが、この町は他の町との物資の行き来も多い。荷物に種がついているくらいはよくある話じゃないか?特に、この町は他の地域と荷の行き来が多い。まして、棘草のつぼみの周りには細かい棘があって服や荷物にくっつきやすい」
腕を組んだルクスーゲルが疑問を返したが、ソラーシュがフィスに手招きして少し下がるように促した。
「フィス。俺も少し気になるな。少し下がったほうがいい」
「ソラーシュ?」
「スパインクランプ《棘草》は魔生物だから確かに、魔力は感じるんだが別な魔力を俺も感じるんだよ」
そういって、手のひらを構えなが草むらに近づく。周囲の様子をみても、昨日今日何かあったようにはみえないが、それにしても何かがおかしいことはソラーシュも同意見だ。
魔獣には、それぞれ特性があって、例えば好む花が開花すると、その周囲につられて現れたり、棘草が生えていることを上手く利用する頭の良い魔獣もいる。
どこかに集団をつくるのも、潜みやすい洞窟があったり、大きな木があったり必ず理由がある。
「大型の鎌か何か、町のものに借りてくればよかったですね」
「確かに。棘草だと、かき分けるにも一苦労だからな」
フィスが手にしていた木の枝を、ソラーシュに渡して少しずつ近づく。
王都近辺では、大ばさみも装備の一つとして持ってくるが、今は長距離の移動なので持ってきていない。結局、周りの木の枝をしだけ切り落として、茂みをかき分けることにした。
フィスが腰に差していたナイフを取り出して、軽く振るう。その間もソラーシュが身構えており、ルクスーゲルは静かに剣を抜いた。
「地面は特に……、掘り返したような様子もないですね」
「そうだな。それらしい様子があればわかるだろうし……」
「あれ、何かこの根元に」
棘草の棘は、刺さればなかなか抜けず厄介である。慎重に棘草をかき分けていたソラーシュが、根元に木の枝を押し込んだ。
「……っ!」
「フィスっ、下がれ!」
どこかに触ったのか、ぶわりと周囲に魔力が吹きだした。吹き出した魔力は、不気味な圧になって煙のように迫ってくる。
ソラーシュが反射的に手を差し出して、フィスをかばいながら水魔法を向けた。量と方向を絞ったソラーシュの水魔法が噴出した魔力を巻き込むようにして棘草に向かう。
深く根を張った棘草を押し流すまではいかず、渦を巻いた水魔法が棘草の周りに広がって地面に落ちた。
「なんだ……?今のは」
「自分は問題ない。ソラーシュ、フィス。二人は大丈夫か?」
一番後方にいたルクスーゲルが警戒しながら、棘草に近かったフィスとソラーシュを下がらせる。
吹きだした魔力に木の枝を掴んでいた手が軽く痺れたが、反射的に打ち出した水魔法のおかげでソラーシュには大した影響はなかった。
「俺は大丈夫だ。すまない。庇うのが一瞬遅れたな。フィス」
「いえ、自分も気づくのが遅くて。ソラーシュ先輩のおかげでなんということもないです」
ソラーシュの心配そうな視線がこちらに注がれる。フィスは内心の動揺を押し隠しながら、深く息を吸い、努めて冷静に返事をした。
自分一人では、魔獣に襲われたことも、棘草を避けることも経験があるが、自分を庇おうとする人が周りにいて、こうして対峙するのは初めてだ。
フィスのほうがソラーシュやルクスーゲルを庇おうとして、逆に庇われる動きに慌ててしまった。
何をやってるのか、と自分を𠮟りつける。
知識はあるのに活かせていない自分に焦りを覚える。
落ち着けと自分に言い聞かせて深く息を吸い込んだ。
フィスが自分を立て直そうとしている間に、先輩二人は落ち着いて状況確認を始めていた。そろそろ薄暗くなりそうな気配だが、ソラーシュの水魔法で濡れたほかは、変わった様子がない。近づいていくと、先ほどは気にならなかったがわずかに鼻を衝く匂いがする。
「……なにやら、臭うな」
「確かにな。水魔法のせいではないようだ」
「ああ。少なくとも棘草の臭いではないぞ?」
ルクスーゲルとソラーシュが話をしながら再び棘草の塊に近づいていく。
棘に備えて、戦闘用のグローブでルクスーゲルが手を伸ばした。そっと根元のほうをかき分けると臭いが強くなる。
「この臭いの元は何なんだ?」
「何かが埋まっているのか、それとも何か臭いの元になる何かが生えているのか……」
根元のあたりをさらに剣で刈り取ろうとしたルクスーゲルをソラーシュがが止めた。
「棘草は、刈った断面にも毒があるから、剣を使うのはやめたほうがいい」
「そうか。すまん、助かる」
「いや。フィス、短剣を借りていいか?」
自分で近づこうとしていたフィスに、ソラーシュは手を差し出した。
ゆっくりと腰に手を回して、柄を握る。ふっと息を吐いて、ルクスーゲルの視線をさけるように顔を向けずに短剣を差し出した。
「ありがとう。すまんな、フィス」
ルクスーゲルは頷いてフィスの肩を叩く。
自分でもできる、とか、後ろに下げられたこととか、フィスが自覚していない葛藤を見越したのか、労わるような眼を向けられるのがすごく嫌だった。
「ソラーシュ、また何か吹き出すかもしれないから気を付けてくれ。根元に何か埋まっているのかもしれない」
うなずいたソラーシュが棘草の周りをさらに刈って、少しだけ見通しがよくなったところをルクスーゲルが覗き込んだ。
ただ後ろで見ていることに我慢できなくなって、フィスは指先から弱い炎を出して灯りの代わりにする。
「助かる、フィス」
「もっと明るいほうがいいでしょうか?」
「そうだな、もう少しだけ明るくできるか?」
周囲の枯草に燃え移らないように、炎の大きさは変えずに温度を上げる。青白く光る塊が棘草の根元に不気味な色の何かを映し出す。
「なんだ……?」
「なにかあるな」
手を伸ばそうとして、ソラーシュとルクスーゲルは顔を見合せて手を引いた。首を振った二人に灯りを持ったフィスは、一番離れた場所から覗き込んで一つの案を口にする。
「あの、できればこういうのはどうでしょうか?」
「フィス?」
「自分の風魔法とソラーシュ先輩の水魔法で棘草の根元を掘り起こして拠点に運ぶのはどうでしょう。ここで調べようとしても限度がありますし、掘り起こせるなら移動できるかもしれないので」
何かわからないが、魔力を含んだ何かであってもここで掘り返してどうこうするよりも、運べるなら拠点に運んで調べたほうが良い。
その提案にソラーシュとルクスーゲルは顔を見合わせてうなずいた。
「拠点まで運ぶのは任せてくれ。グローブもしているし、力仕事は俺がやろう」
「心強いな。じゃあ、それでいこう。フィス」
「承知しました」
うなずいて一度灯りを下げる。ソラーシュと棘草に向かって並んで手をかざす。ソラーシュの水魔法に合わせて、風魔法で水と掘り出した土を吹き飛ばす。
合わせてひそかに、土魔法で下から押し出せば水魔法に勢いがつく。
倒れかけた棘草を風魔法で支えていると、まあるく掘り出した塊をルクスーゲルが土をつかんで持ち上げる。
「これは……、魔獣の肉か?」
「そうかもしれないな」
「魔獣の肉を埋めるなんて……どういう?」
「わからんな。とにかく、拠点に向かおう」
どこまでも不気味な塊に、お互いに顔を見合わせた後、三人は急いで拠点へと戻ることにした。
魔獣は核がのこっていて、肉があれば再び再生する。だから、騎士団が討伐するときは核を壊すか、核だけを必ず回収することになっていた。
マギノビア山付近には、シャドウワイアーム《影蛇》やクリフサーペント《岩蛇》がほとんどで、ごくたまに、ストーンバイター《岩熊》が現れるくらいだった。今はどれも当たり前のように出てくるらしいが、アルペングリム《氷狼》まで出てくることもあったらしい。
足元でじゃり、じゃり、と踏みしめる感触が急に現実感を突き付けてくる。
王都外の出身であるフィスには、このあたりで出てくるという魔獣はどれも図鑑の中でしか見たことがないものばかりである。羊程度なら、一飲みできるという影蛇などは体の長さなら大型の馬車の二台分くらいはあるらしい。そんなものが出てくるといわれても、想像もできないではないか。
岩蛇や岩隈は、その体の堅さから軽くぶつかったくらいでも大けがになるらしいが、図鑑だけではその様子はわからない。学院の頃に見た記憶からその姿絵が頭に浮かんだが、それ以上にフィスの中の知識がふわりと浮かんできた。
これは現実のことだと。
今まで、フィスが触れずに済んだだけで、望んで踏み込んだ場所だ。焦りもあるが、それ以上に、どこかでワクワクしている自分のことも感じていた。
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