第8話 初仕事とフィス

フィスは訓練場で剣の訓練を終えた後、手入れをしていたところに急な呼び出しを受けた。


休暇が終われば、またいつもの訓練と仕事の日々である。第四騎士団の隊長室に集まった一同を前に、グレンフィルとカーライルが並んで立つ。


「ウィベリア領への討伐依頼を受諾した。冒険者ギルドとウィベリア伯爵家の騎士団でこれまでは対応していたが、冒険者ギルドの手が、少しばかり足りなくなったらしい。しばらくの間、第四騎士団で魔獣討伐を引き受けることになった」


団長の言葉に騎士たちからは、さほど驚きは見られない。おそらく、遠くない時期にそのような任務があるだろうと、ほとんどの者が予測していたからだ。


魔獣は、ものによっては様々な魔法素材として活用されることもあるが、それも含めて基本的にそれぞれの領が抱える騎士団や冒険者が討伐する。ただし、被害が大きい場合や、対応しきれない場合、複数の領にまたがるような場合は王城騎士団が出る。


レノール子爵領の分も一手に魔獣を引き受けている状態のウィベリアで、魔獣に対処し続けるのは難しい。まして、通常以上の発生率と、ウィベリアの豊かな領地すべてをカバーするのはもっと難しいだろう。


「我々は、ウィベリア領の中でもマギノビア山側のデラヴィツナという街に向かう」


全員が地図や領地の概要は把握しているが、小さな集落の名前まで覚えている者は少ない。隊員たちの前で、カーライルが大きな地図を掲げた。


この当たり、と指さされたあたりを見て、皆が無言で頷く。


「……あー、今回の討伐依頼には原因究明も含まれることを、留意してほしい」

「隊長、調査はどのように?」

「それは現地に着いてから指示を出すので、今は気にしなくていい。また、調査に関しては、当然ながら口外禁止である」


先輩騎士の質問に、カーライルがグレンフィルに代わって応じた。ぼそぼそとした会話があちこちで聞こえるのも無理はない。

ここにいる者たちは誰しも、いずれ調査依頼だけでも来るのではないかと考えていたはずだ。フィスでさえ、そういう話が来るのではと思っていたくらいだ。


それよりも、討伐に出るのは見習い騎士の一同にとって初めてである。ちらりと離れた場所にいる同期の顔を見ると、緊張なのか青ざめて見える者もいる。不安もあるだろうし、魔導士とは違い、実際に剣を持って魔獣に対峙するのは恐ろしいだろう。


だが、フィスにとっては緊張するよりも、長時間他の騎士と一緒に馬車で移動することが少々面倒である。


「デラヴィツナは大きな街ではないが、マギノビア山に一番近いため、慎重に行動するように。現地では冒険者ギルドとウィベリア伯爵家の支援であることを忘れずに、皆、気を引き締めて臨んでくれ」


グレンフィルの締めの言葉に、一斉に応の声が上がる。


騎士団は、基本的に貴族でも平民でも平等だ。先輩後輩の区別はあっても、先輩の指示が絶対ではない。指示は、隊長、副隊長、そして分隊長からのものが優先される。


続けてカーライルが、詳細な指示を始めた。


「出発は明朝、必要な装備や物資は今日中に整えておくように。デラヴィツナでの拠点は、現地の冒険者ギルドが先に入って受け入れ態勢を整えることになっている。現地に到着次第、冒険者ギルドと合流し、迅速に状況を把握する」


フィスだけでなく、見習い騎士たちは、カーライルの指示を書き留めることで精いっぱいだ。さらに周りの先輩騎士たちからも、あれこれと続けて言われてしまい、頷き続けている。


その間に、中隊長クラスの騎士からはあれこれと質問が飛び、それに対して一通りカーライルが答え終われば終了だ。


一同が敬礼し、隊長室から出るのにあわせて、フィスも他の騎士たちと共に部屋を出た。

魔導士であるフィスには、他の騎士たちの様に鎧や剣の手入れはいらいないが、何があってもいい様に、若手の騎士たちと共に、全体の装備品を確認する。


予備の武器や防具、魔獣によっては追加する装備もあるからだ。一通りの準備が終わって部屋に戻ってから、フィスはいつも身に着けている短剣の手入れをした。


短剣用の皮ベルトを確認し、薬草などを揃えて荷造りを終える。。


翌朝、第四騎士団はウィベリア領へと出発した。騎士団の三分の一は、王城周りで何か起きた場合を考えて残り、三分の二がこの討伐隊に参加している。

魔導士と、荷馬車の担当だけは馬車に乗り、ほとんどの者は騎乗である。一般の馬車よりも早い移動に耐えられるように、荷馬車も魔導士たちが乗る馬車も頑丈なものだ。


「いつもながら、乗り心地がいいとは言えないな」


第四騎士団の魔導士のうち、今回の討伐には三名が参加している。その一人が、困ったように呟いた。


「仕方ありません。貴族の馬車とは違いますしね。フィスは初めてですよね?」

「騎士団の箱馬車に乗るのは初めてです」


先輩魔導士ウィルライドがこぼすほど、乗り心地が悪いとは思えなかった。一般の王都を回る庶民用の馬車はもっと素朴な造りで、座席も板のままだ。箱馬車の様に寄りかかることもできず、揺れれば転げ落ちそうになることもよくある。


それに比べれば、固い革張りとはいえ、座面も寄りかかる背面もあり、頑丈な造りは小型の魔獣程度なら侵入できないほどだ。座面の下には収納スペースがあり、今回はすぐに出し入れする物や軽食が積み込まれていて、休憩時に荷馬車から荷を下ろさなくてもいいようになっている。


「自分は、この頑丈な感じが安心できますが、ウィリー先輩は乗り心地が良くないですか?」

「騎士としてはこの程度のことに不満を口にするべきではないかもしれないが、……すまない。つい、口を滑らせた」

「ああ、いえ。気にされることではないかと。自分は庶民ですから高等学院で初めて馬の乗り方を習いましたし、いまだにペシュロンには騎乗したことがないくらいです。この馬車も初めてのことで浮かれているだけかもしれません」


騎士団の馬はペシュロンという軍用のがっしりとした種類の馬であり、力が非常に強い。多少のことでは怯えることもなく、魔獣に立ち向かうこともあるくらいだが、気性が荒いわけではなく、どちらかと言えば素直なものが多い。騎乗するには向いている馬ではあるが、貴族の馬車を引く馬よりもがっしりした体つきのため、乗りづらいとはいえる。


「そうか。気を遣わせてすまないな」

「クトゥール家は女性が多くていらっしゃいますから。お持ちの白馬車の優美さは聞き及んでおります」


サルジェがとりなすように言うと、ウィルライドは苦笑いを浮かべて頭に手をやった。


ウィルライドは、クトゥール子爵家の当主であり、代々騎士の家系である。しかも、女性が多い家系で、ウィルライドの上に姉の女性騎士のエルレイダがいる。エルレイダも優秀な騎士として知られており、王族護衛の為第一騎士団の所属である。


非常に仲の良い姉弟としても知られており、愛称のウィリーと呼ばれる所以もここにある。


まだ、ウィルライドが若く、騎士団に入って何年目かの頃、エルレイダが第四騎士団の訓練を見学に来たことがあった。

弟の様子を気にかけていたらしく、ベテラン騎士の一撃を食らって吹っ飛んだウィルライドにむかってエルレイダが思わず声を上げてしまったのだ。


「ウィリー!!立ち上がって!」


女性の甲高い声は訓練場に響き渡り、第四騎士団の者たちは笑うことはなかったが、まだ新人のウィルライドへの親しみを込めて、この日を境にウィリー呼びが定着してしまったのは有名だ。


後になって、自宅でウィルライドと稽古をしていた時を思い出して、つい、叫んでしまったと、第四騎士団へエルレイダの詫びがあったが時すでに遅しというところである。


そして、ウィルライド本人もそれを嫌がるところか、『いやあ、うちは女系でして』と笑っていて、今ではウィルライドと呼ぶ者の方が少ない。


「しばらく前に妹のところに子供が生まれてね。これがまた女の子で、父も母も目の中に入れても惜しくない勢いなんだ。妻のフィーネもいずれ私たちに子供が生まれた時に都合がいいからと言うので、馬車を新しくしたばかりなんだがもう知られていたか」

「女性同士の話は、早いですからね」

「確かに。初めは少し座面を柔らかくする程度のつもりだったんだが、凝り始めるとついね。今度、機会があれば乗せてあげよう」


揺れても振動で疲れることがない上に、装飾もこだわって作られた新しい馬車に乗っていると、この丈夫さに思いきり振り切った馬車は堪えるらしい。


「しかし、この馬車の一番は腰にくると思うが、サルジェもフィスも平気なのかい?」

「私も少々……。まあ、座ったきりですから仕方がないのですが……」


わからなくはない、とサルジェが苦笑いを浮かべると、お互いに共感したのか頷き合っている。ウィルライドとサルジェの様子を見ながらフィスは、窓の外へと目を向けた。


ウィベリア領まで、どれほど急いでもまるっと一日かかる。昼頃に通りかかる街で休憩を挟み、走り続けてようやく夜半に到着するだろう。

王都に来てから、このような長距離移動は初めてである。そのせいもあって、少しばかりフィスも浮かれていたのかもしれない。


「ところで、フィスはあまり話さないと聞いていたが、案外そんなことはないんだな」


話が途切れたところで、ウィルライドがフィスに目を向けた。にこやかな様子にフィスは、少し首をかしげる。微妙な顔をしたサルジェの視線は気にしないことにして、ウィルライドの方へと、向きを変えて座りなおした。


「自分はそれほど大人しい方ではないと思うんですが、そう思われていましたか?」

「うん、そうだな。私が聞いていた話では、とても無口だと聞いていたよ」

「そうでしたか。そんなつもりはあまりなかったんですが、今までお話する機会がなかったからでしょうか。改めてよろしくお願いします」

「そうだね。今回は一緒に行動する機会が多くなると思うから、こちらこそよろしく頼むよ」


サルジェは何か言いたげだったが、二人の会話に割り込むことはせず、控えめに黙っている。ウィルライドとサルジェが並んで座っており、フィスは二人と向かい合う形で口を開いた。


「今回の討伐についてですが、詳細を教えていただけますか」

「いや、詳細というほどのことは知らないな。召集の場で聞いたくらいだよ。サルジェは何か聞いているかい?」

「私も、招集で聞いたことだけですね」


ふむ、と考え込む二人を前に、召集の場で書き留めたメモを取り出した。


「ウィベリア領もレノール領もマギノビア山に近く、大型魔獣が多いと思いますが、小型の魔獣もいるのではないでしょうか?」

「飛龍種は大型だけですが、他は小型も大型もあり得ますよ」


フィスが住んでいた王都に近い街も、王都の外で暮らしていた時も魔獣は小型のものがほとんどで大型種には遭遇したことがない。


「デラヴィツナは小さな町だが、マギノビア山から取れる鉱物や、そこでしか採れない資源を他の街へ出荷する重要な拠点と言える場所らしい」

「お詳しいですが、以前からご存じなのですか?」

「いやいや。昨日のうちに急いで調べた程度だよ」


ウィルライドは、クトゥール子爵家の当主としての責任感もあってか、事前に資料を当たっていたようだ。代々騎士の家柄であり、姉のエルレイダや先祖たちの残した記録もある家の者が、情報など知りませんでしたとは言えないだろう。


「うちには、デラヴィツナに行ったことがある者はいないが、最低限の情報は揃っているからね」


そういうと、デラヴィツナの様子を詳しく教えてくれた。


デラヴィツナの住民たちは、鉱物を運び出すために山に出入りするのだそうだ。彼らは危険を承知で生活している分、冒険者まではいかなくとも腕に覚えのある者が多い。

街の者だけでなく、冒険者たちも支援にはいっているにもかかわらず、騎士団に要請を出すという事は可能性としては広く考えておいた方がいいだろう。


大型種が出てくるのか、よほど出現する頻度が多いのか、強い魔獣なのか、少しでも事前考えておくことは大事である。


「盗賊なども狙われやすい町だが、強い者が多いらしいので、冒険者が定期的に回ってくるし、防犯面では問題ないはずなんだがなあ」


冒険者たちは日常的に町の護衛を行っていらしいが、魔獣の出現が増えて、日々の仕事が限界に近づいているという。


当然ながら、町の者たちも仕事の傍らでは休む間もなく戦っている。領の騎士団はより強い魔獣が出る地域、町の者たちでは対抗できない場所へ向かうため、デラヴィツナにはほとんど来ないそうだ。


「それは……なかなか厳しい状況ですね。町の者たちは疲弊していることでしょう」

「その通りだね。我々の最優先事項は、まず町の者たちに休息を取らせる時間を確保することになると思う」


ウィルライドとサルジェの話を聞きながら、フィスは目的地の町の様子を思い浮かべる。王都出身ではないフィスには、マギノビア山に近い場所など、想像もできない。


「そんな状況のデラヴィツナなので、町の人々の手を煩わせたくはないね。そうだな、フィスは初めての遠征だし、少し街に着いてからの段取りを話しておこうか」


そう言って、ウィルライドは軽く指先をふるった。三人のちょうど真ん中あたりに羊皮紙が広がる。デラヴィツナの街をイメージした地図らしき絵を描く。


「まず、町に着いたら拠点に入るね。装備や拠点の整備は全員で協力して進めるが、だいたいの分担はすぐに把握できるはずだ。馬と馬車も同じだね。次に、私たちは町の周囲を分担して見て回る」


頷いたサルジェが先輩らしく、フィスに細かい説明を始めた。


「魔導士は、こういう場合、到着してすぐ周囲に結界を張ったり、侵入に備えた探知魔法をかけるんだ。町の周囲には柵や塀があるだろうが、侵入経路を予測して、剣士と組んで一通り回る」

「つまり、鳥獣除けの鳴子のような役割を果たすわけだな」


羊皮紙の上に、くるくると描かれる絵はわかりやすく、騎士団以外でも社交的で、説明も上手いと言われるウィルライドらしいと思う。

ウィルライドとこれほど、話をするのは初めてだがフィスからすると、話しやすい先輩である。


「あとは、町の人々や冒険者への聞き取りになるかな。出現場所や種類を聞いておくと、武器や、我々がいざという時に使う魔法もある程度、考えておけるな」


これももっともなことだ。

場所柄、水場の近くでは土魔法は不利になることもあれば、有利になることもある。木立の中なら風魔法は使いにくいし、火魔法はもっと場所を選ぶ。

また、魔獣によっては火や水に強い種類もいるので頭に入れておくことができれば、少しは効率がいい。


一通り、子供に説明するような絵を描いて街の様子から段取りの説明を終えたウィルライドが再び手をふるって羊皮紙がくるりと丸まって、フィスの目の前に落ちてくる。

それを受け取って、丁寧にポケットにしまった。


「そうだな。フィスは得意な魔法はあるのかな?」


何気ない問いかけに変わらない答えが口を出る。


「特段得意とする魔法はございません。魔力量には恵まれていないため、数で補っているに過ぎません」

「そういえば、初めての挨拶の時もそのような話をしていたね。だが、自分なりによく使ってしまうものなどはありそうだと思うが?」


確かにクセではないが、一度使って使いやすければ繰り返し使ってしまうこともある。

あるが、特徴として覚えられたくないフィスはあっさりと否定した。


「うーん、あまりそういうものはありません。その場に応じて使う種類を変える程度で、逆に、胸を張って言えるものがないのは情けないところではありますが……」


実はどれか一つが得意なわけではなく、全般的に魔法は得意だ。魔力量も偽っているが、王都規模でなければ町の周囲に探知魔法をかける程度は容易にこなせる。

だが、普通の魔導士は、広範囲に持続する魔法をかけるために、いくつかのポイントを絞らないとかけられない。


コツのようなものなのだが、それはフィスが持つ膨大な知識のおかげである。

普通は違う事も分かっているから、余計なことは言わない方がよい。

それでも、学院や騎士団で学んだことの組み合わせだけでも効率のいい魔法をかけることはできる。


そんなことを考えながら、黙っているとウィルライドは、よい方向に誤解してくれたらしい。


「いや、情けないとは思わないよ。ただの経験の差じゃないか。これから経験を重ねていけばこれというモノが見つかるかもしれないし、見つからないからと言って悪いわけではないとも」


温かみのある言葉は先輩らしいというよりも、年の離れた兄弟の面倒を見ているような穏やかさがある。

ウィルライドは、子爵家の当主になってからずいぶん経つという。奥方を迎えたのも随分若い頃だったそうだ。隠居した前子爵夫妻や他家に嫁いだ妹家族とも仲の良い家長だからこその、穏やかな人当たりなのだろうか。


距離はとるが、穏やかな人柄からくる言葉は素直に嬉しい。


「お言葉ありがとうございます。早く役に立てるように頑張ります」

「そう構えることもないさ。ちなみに私は風魔法が得意だけど、森の中では出番が少なく、使い勝手が悪いことが多いからね」

「私はとても地味ですが、土魔法が得意です。今回は、近づいてくる魔獣の足止めが中心になりそうですね」


ウィスライドに続いて、サルジェもいつもより穏やかに話し続ける。

互いの得意なことを話し合っているうちに、馬車の乗り心地の悪さを置き去って、馬車は進む。

二人の話からすると、普段はもう少し、魔獣の出現している場所の情報、種類や様子などがよくわかるらしいが、今回の様に限られていない場合は対策の立てようがないらしい。


その場合は、こんな風に参加している同士の理解を深める時間になるという。


「それから、今回は、安全性と確実性を重視してほしい。これはあくまで私の個人的な意見なんだけどね。どんな魔獣が出るのかもわからない分、とにかく全員の安全を最優先にしよう」


特に、今回は見習い騎士たちも参加している討伐だ。主にフィスに向けて言いたかったのだろうが、ウィルライドは全員の安全に重きを置いた。

こんな時こそ、と言いたげだったサルジェが、何度か口を開きかけてやめる。


「見習いだからと言って、討伐に参加するなら第四騎士団の一員に変わりはないのはもちろんだとも。まして、魔獣は街の者だからとか、見習いだからといって避けてはくれないものだし、騎士団の一員としては隠れていられるわけでもないしね。それなら、少なくとも魔導士の僕らは全員が無事で変えることを頭に置いておかなくちゃいけない」


ウィルライドの言葉は、何か言いたげなサルジェにも向けられているらしい。先輩としては、役に立て、と言いたいところだろう。

だが、今回の討伐では年長のウィルライドが魔導士の中隊長である。


「サルジェは、フィスと組むことが多いから色々と気を遣わせてすまないね。でも、僕は、フィスもサルジェも第四騎士団の全員が街の人たちを守って帰ることを大事にしたいよ」

「承知しました。それこそ、魔導士の腕の見せ所と思います」

「ははっ、サルジェも真面目過ぎるなぁ。少し肩の力を抜くくらいがいいんだけどね」


真面目過ぎるくらい真面目なサルジェに対しても、困ったように笑ったウィルライドは窓の外に目を向けた。


「さあ、今は考えすぎる時間じゃないよ。見てごらんよ。これが遠征じゃなければピクニックでもしたくなるくらいの陽気じゃないか」


日差しも穏やかで、心地いい風が吹いている。現代の日本のような気候ではなく、王都近辺は年中、温暖な気候だ。


「騎士団でピクニックはさすがにちょっと……。第四騎士団は男ばかりですし、何というか、むさくるしいというか」


生真面目すぎる中堅魔導士の心底嫌そうな顔に、フィスとウィルライドは顔を見合わせて笑い出した。


「サルジェ先輩。それはさすがに……。自分はピクニックならもう少し携帯食ではなく、美味しいものが食べたいです」

「確かに!フィスはいいことを言うね。食べるならどんなものが食べたい?」


深入り過ぎず、かといって話に困らない程度の話題を振るのが本当にうまい。


「ナッツかオリーブのパンにチーズをのせたサンドイッチとか、サレとかどうでしょうか」


サレ、というのは甘くないほんのり塩味のクレープ状の生地にハムやチーズ、野菜を包んで食べるものである。片手で食べられる簡単さと、好きな具を選んで食べられる、屋台で人気の食べ物だ。


「やめてくれ。本当に腹が減ってくるじゃないか」


渋い顔をしたサルジェに、ぺこりと頭を下げたがウィルライドの目は楽しそうに笑っていた。


フィスにとっては初の遠征で、出だしから箱馬車に詰め込まれて息がつまると思っていたが、思いがけず快適な移動である。


日頃からフィスの指導をするサルジェは真面目だが、真面目故にフィスの態度が気に入らないことも多い。それが小言になって、頭から降ってくることも多いが、それはサルジェの真面目さからくるものだ。


責任感も強く、早くフィスが馴染めるように、役に立てるように、他の隊員たちからも認められるようにと気負っている姿が見え隠れしていて、フィスとしては嫌いではない。

むしろ、申し訳ないくらいだが、自分を曲げてまで合わせることでもないと思っている。


そんなことをすれば後になって苦しくなるのはフィス自身である。ただ単純に、見えているものが違うだけで、従うかどうかは別問題ということだ。


それを、ウィルライドならうまく調整してくれそうな気がした。後輩で、見習いの自分から言うよりも、ウィルライドの人柄ならサルジェも納得してくれそうである。


妙に明るい馬車の様子に、近くを馬で進んでいた騎士が覗き込んだ。


「何かあったのか?」


朗らかなウィルライドが、小さな窓から顔を覗かせる。


「いや、大したことじゃない。そろそろ休憩地に着く頃かな?」

「ああ。もう先頭は見えてるはずだ」

「そうか。昼食が楽しみだな」


馬上の騎士とそんな話を交わしているのを聞きながら、フィスは反対側の窓も開いた。


頑丈な作りの馬車は、普通の貴族が乗るものよりも窓が小さいが、左右両方の窓を開けると、心地よい風が通り抜ける。

王都とは違う、草の香りを感じながら、馬車は休憩場所となる町へと進んでいった。


フィスは、馬車の中から流れゆく風景をぼんやりと見つめながら、かつて過ごした街を思いだす。

人と距離を置き、穏やかに生きることを目標にしてきたが、騎士団に入ることで、誰かと関わることは不可欠になりつつある。

今では、少なくとも同じ騎士団に属する隊員たちの存在は、距離は保ちつつもフィスにとってはっきりと認める存在になってきていた。


「フィス、大丈夫か?馬車にでも酔ったのなら……」


ウィルライドが少し気遣わしげに声をかけてきた。


「いえ、大丈夫です。ただ少し、その、王都からこんなに離れるのは初めてなのでぼんやりしてしまいました」


当たり障りのない答えだが、嘘ではない。少し前の自分なら、これほどの距離を旅することがあるとは思わなかっただろう。

足の速い騎士団の馬車で半日も移動すると、王都からはだいぶ離れる。見たことのない景色は、興味深い反面、物思いに沈みやすい。


そんなフィスに気付いたウィルライドは、いつでも仲間のことを気にかけ、困っているときにはそっと手を差し伸べる。目指しているところはルキウスも同じなのだろうが、年の差なのか、ウィルライドの気配りは全く違った。


「考えるのも大事だけどね。初の遠征だし、あまり気負わなくていいよ。遠征は一人で向かうわけじゃないからね」


その言葉に頷いて、窓の外に視線を戻した。

風に乗って運ばれる草木の香りは、討伐という緊張感とはかけ離れているが、それもちょうどいいのだろう。


頭を空にしよう。


フィスは大きく息を吸い込んだ。

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