第2話 人嫌いのフィス

アシュトラーゼ王国では、もう長い間戦乱は起きていない。平和ではあるが、それぞれに役割はある。

第一騎士団は王宮と、王城周辺で近衛としての役割が主だ。逆に第四騎士団は、王国内に出現する魔獣の討伐を行っている。第一から第四までの騎士団は、人と魔獣に対する比率が逆転するような構成なのだ。


この役割の中に入ったことで急に何かが変わるか、というと、見習いの立場ではまだまだ訓練がほとんどである。


このほかに、魔導士部隊があり、兵舎もそれぞれ分かれていて、第四騎士団は北門近くにある。

個別の部屋は狭いが、建物自体は王城の一部であり、大きく立派だ。隊長室のある区画から離れて自分の部屋に戻るのも、同じ階や上下の部屋よりはもっと距離がある。


大きなかごと箱を抱えて隊長室から自分の部屋に戻ってきたフィスを待っていたわけではないだろうが、同じ隊の先輩騎士二人が近づいてくる。

当然視界に入っていたため、気にしすぎかとも思ったが、ひとまず足を止めた。


「おい、見習い」

「……はい」


今の第四部隊にいる見習いの中で、この場にいるのはフィスだけだ。

あまり感じの良い言い方ではないため、身構えながらも大人しく応える。


「隊長室に行っていたようだが、何の用だ?」

「その姿だけに愛想でも振りまきに行ったのか?」


からかうような笑いを含んだ言い方は、新人をからかうというより、明らかにフィスに向けられた悪意に近い。

騎士団にいるのは、貴族が多いが、この揶揄する声はとてもそうは聞こえない。


すべてではないが、やはり学院にもいたように、平民を下に見る者は一定数いる。その手の考えを持つ人たちだったかと首を傾げた。


「先輩方。恐縮ですが、自分の容姿を褒めていただきありがとうございます。用向きに関しては副隊長よりご指示をいただいておりましたので、副隊長へご確認いただけますでしょうか」

「は?」


何を言っているのか、と聞き返す声が、一段低くなった。

こういう場合、素直に答えれば話したことで怒られるだろうし、逆らえば火に油を注ぐわけでどちらにせよ、腹を立てることに変わりはないだろう。

いずれにせよ、相手の目的は絡むことなので正解などない。


じりじりと威嚇するような圧に向かって、平然としているが、内心ではまたかと思ってはいる。


そもそも、見習いが一番下だというなら、そのフィスにどんな指示があったにせよ、それを知らされていないということがどういうことか、わからない時点でどうなんだと言いたい。


普段は言葉少ないが、内心ではよくしゃべるフィスである。


すごんできた先輩騎士たちが次に何か言う前に、重ねて口を開く。


「副隊長のご指示で、隊長室に伺っていましたので、その用向きがどんなものであれ、許可なく触れ回るのは騎士としていかがなものでしょう?自分が未熟ゆえ、先輩がたの質問の意図を計りかねているとしたら、この理解が足りない新人にどうぞ、ご教授いただけますでしょうか」


丁寧に返してはいるが、言っている中身は生意気を通り越して辛辣だ。

『隊長から直接呼ばれた理由を軽々しく話すわけがない、そのくらいもわからないのか?』と言われて、気づかないほど愚かでもないだろう。きっと笑えるくらい見事に引っかかってくれるはずだ。


フィスの予想を裏切らない勢いで二人組の顔色が変わった。


「貴様、先輩騎士にむかって……」

「平民のくせに生意気だぞ」

「お前のような奴が騎士団の見習いなんて、どうせ裏があるんだろう!」


騎士団に入って、三か月もたつがいまだにそれを言うか、と内心では呆れているわけだが、正面からぶつかるほど愚かではない。


何と言われても、どうしようもないことに怯えたり、恐れたりすることはない。そもそも、こんなことを言う先輩騎士に認められられたくもないし、仲良くなりたくもない。


どちらかと言えば構わずに放っておいてほしい。


騎士団に入った時に、薬草茶と引き換えに、グレンフィルとカーライルに頼み込んだことの一つである。若く可愛らしい容姿と遅れて入ってきたことで、目を付けられるのではないかと色々心配され、それならば極力、構わないように配慮してほしいと頼んだのだ。


騎士団の中の中隊長には、フィスの事をからかうようなことや、いじるようなことはしないように通達が出ているはずなのに明らかに反する絡みである。


深々とため息をつきたいところだが、ここは嫌味の一つ二つで我慢するつもりで口を開いた。


「裏か表かわかりませんが、お二人に何かご迷惑をおかけしていたようでしたら、心よりお詫びいたしますが?」

「!!」


かっとなった先輩騎士がフィスの腕を勢いよく捻り上げた。

抵抗しないフィスをそのまま捻り上げたせいで、抱えていた箱が足元に落ちた。痛みはあるが、我慢できないことはない。この際だから一発か二発、殴られておけば後々絡まれる回数が減るのではないか。


そんな考えも頭をよぎる。

どうせ治癒魔法ですぐに治るのだ。


この騒ぎが聞こえたのか、隣の部屋からラウヴァルトとルクスーゲルが廊下に出てくる。


「これは……、何かありましたか?」


二人ともフィスの隣人はどちらも貴族の家の出身で、こんな場面を目にしてもすぐに食って掛かるようなことはしない。


ここは二人に任せた方が平和に収まるだろうか。

天秤の上に乗せるものを考え始める。二人に任せれば平和に終わるだろうが、今度はこの二人に礼をしなければならなくなる。


後々の面倒と二人への対応とを比較して、天秤は隣人へと傾いた。なにせ、ラウヴァルトとルクスーゲルは、学院時代の先輩でもある。


「新人の腕を取るというのは、穏やかではないとおもいますが」


金髪碧眼の美丈夫、ラウヴァルトは騎士服もよく似合う。

その上、王城用に仕立てた三つ揃いを着ると、用のないメイドたちがずらりと並ぶと言われるほどの人気ぶりである。そのラウヴァルトが、微笑みと共にじわじわと近づいてきた。


相方のルクスーゲルの方は、銀髪にブルーグレーの瞳で整った顔立ちだが、いつも目を伏せがちの寡黙さで知られている。


ラウヴァルトとほとんど変わらない背の高さだが、いくらかラウヴァルトよりも体格的に厚みを感じるのは、もともとの骨格の違いだろうか。


ルクスーゲルの方は、小さな咳をしただけで何も言ってはいないが、存在感が半端ない。

そういえば、この二人は学院時代から一緒にいて、こんな立ち回りをよくしていたなと思いだす。


家格は上だが、正直で口下手なルクス―ゲルは傍にいて圧をかけていて、その間に、口がうまく立ち回りも上手いラウヴァルトが話をまとめる。

今も関係性は変わらないんだな、と思いながらフィスは目礼を送った。


「お騒がせして申し訳ありません。自分が気づかずに先輩方に失礼なことを申し上げてしてしまったようです」


あえて言わなくてもラウヴァルトとルクスーゲルは、様子を見ただけでおおよそのことは察していたのだろうが、フィスの一言で状況を理解する。

腕を掴まれてただでさえ小さいフィスが下から見上げてくるところにラウヴァルトが近づいた。


フィスに絡んでいる騎士二人は隊の中では中堅で、特に強いわけでもないが、弱いわけでもない。

ただ一つ、悪い癖があるとすれば、平民を見下していて、よくない絡みを騎士団の中でも外でもすることだ。


隊の中ではよく知られている話で、何人かいる平民出身者だけでなく、仲裁に入ることに慣れている者が多い。それにしても、この状況はあまりよくない。


フィスの言葉を拾い上げてラウヴァルトが騎士たちに問いかける。


「フィスがした失礼とはどのようなことか聞いても?」

「……新人が生意気な口をきいたので少し言って聞かせようとしていただけだ」

「“言って聞かせようとして”腕を取るのは、少々、不穏なのでは?」


目の前でラウヴァルトとルクスーゲルが、当たり前のように並び立つと、それだけで迫力が増す。近づいてきた二人に先輩騎士は、視線を逸らして言い訳を始めた。少しだけ視線を動かしたルクスーゲルがもう一つ咳払いする。


「その生意気な口をきいた、というのは一方的な意見ではないでしょうか。事情はどうであれ、やりすぎはよくないですよ。どうしても指導が必要なら魔導士の中隊長を呼んできますが?」

「……っ」


渋々、掴んでいたフィスの腕を離した二人が不機嫌そうに離れる。腕が自由になったおかげでやっと解放されたフィスは、控えめに腕をさする。ぎゅっと握り締めた跡が赤く残り、少し痛みが残る。


面倒くさいな、と思いながらフィスが振り返ると、二人はフィスを睨みつけながら離れていく。


「……もういい。これからは気をつけろよ」

「はぁ……。ご指導ありがとうございました」


納得がいかなくても、どれだけ理不尽でも、ここで文句を言うほど愚かでもない。たちが悪いところがあっても二人とも同じ隊の騎士である。


感情をおさえ込んだ低い声に、まるで気が抜けたビアのようなフィスの声が続く。


その腑抜けた有様が気に障ると、息を吸い込んだ騎士は、もう一度フィスに声を荒げようとして踏みとどまった。ルクスーゲルのブルーグレーの目が自分たちを向いていることに気づいたからだ。

顔を見合わせた後、舌打ちをしてそのまま離れていくのも、あまりに型どおりすぎて拍子抜けしてしまう。


「……はぁ」


同じ隊の中でもこれだけ人数がいれば合うも合わないもいる。とりあえず、一難去ったことにほっとして、腕をさすりながらラウヴァルトとルクス―ゲルを振り返った。


「ありがとうございました。ラウヴァルト先輩、ルクスーゲル先輩」

「……お前、ありがたくなさそうだな」


形だけの礼ではないが、どうしても疲労感の方が強くて、無表情になってしまう。そこをゆっくりとラウヴァルトが、フィスの足元に転がっていた箱とかごを拾い上げる。


「腕は大丈夫か?」

「はい。力を抜いていましたし、あの程度でしたら、たとえ折れてもどうどとでもなるので、問題ありません」

「それは大丈夫とは言わないぞ」


若干、腕の軋みを覚えたが、箱を受け取るべく腕を伸ばした。

ぴくりと一瞬、頬に走った緊張で、フィスに向かって差し出された箱が引っ込む。


無言で、フィスの部屋の前へルクスーゲルが足を向ければ、振り返ったラウヴァルトがにっこり笑って軽く顎を引いた。


呆れるほど、こうした時の行動も息の合い方が尋常ではない。


「フィス……。その腕、治癒魔法をかけるかポーションを使うかどうする?」

「たいしたことはありませんし、どちらも不要です」

「でも、今、その腕は痛むだろう?」


ラウヴァルトから箱を受け取ったブルーグレーの目は、ただ心配の色を浮かべていて、普段は無口なルクス―ゲルが本当に心配しているのが伝わってくる。


「……たいしたことはありません、ラウヴァルト先輩。荷物を持っていただいてありがとうございます。ルクスーゲル先輩」

「ルクスでいい。ちなみにこれを言うのは四回目だ」


三か月の間に、隣部屋になって一回。

それから事あるごとに愛称でいいと言われてきたが、先輩とは言えルクスーゲルは貴族であり、苗字ではなく先輩付けで呼んでいるだけでもフィスにとっては、譲歩しているほうだ。


近づきすぎていいことはないが、この二人は隣の部屋でもあり、フィスを気遣う様子には一応感謝をしている。感謝しながらも、フィスの心の中で天秤はぐらりと傾く。


どれほど善意であっても、関わりすぎることは、自分を守るためには良くない。これ以上、近づきすぎれば、その善意が負担になるのは目に見えている。


「お言葉ありがとうございます。ですが、自分は平民ですし、まだ見習いですから先輩呼びは、どうにも変えにくいところです」


隊の中で貴族も平民もない。


そう言われる前に先手を打ってみる。重ねて、今声をかけて助けてもらったことへの礼にと、箱を受け取ってからかごの中をがさがさと漁った。


「お声をかけていただいたお礼と言っては何ですが、酔い覚ましの薬草です。飲みすぎた時にでもお飲みください」


それぞれに、薬草茶の包みをかごから取り出す。助けてもらったことは、借りにはしたくないという事だ。


「……ありがたくもらっておくが、礼が欲しくて声をかけたわけじゃないんだが?」


ずっと微笑みを浮かべていたラウヴァルトの笑顔が引っ込んで、眉の間に深いしわが刻まれた。

ただ、ありがとう、の一言で済む話ではないか。

それらしい言い回しではなく、今日は直接的な言い様だ。


「わかっていますが、自分は助けていただいたままというわけにはいかないので受け取ってください」


深々と頭を下げたフィスに、深いため息が降ってきた。


「あれか。天秤が傾くか?」

「はい」


学院時代を知っているのはフィスだけではない。ラウヴァルトもフィスの事を知っているわけで、フィスがいつもの言葉を言う前に先回りされれば、頷くしかない。もう少し粘られるかと思ったが、フィスへの心配の方が強かったようだ。


ルクス―ゲルが手を伸ばして、フィスの部屋のドアを手で支える。


「ラウ、フィスの考え方だから。ただ、俺たちも帳尻が合わないことは同じだ。そこで、今度一緒に飲みに行く、というのはどうだ?」

「……え」

「それはいいな。何も、帳尻を合わせるのはフィスだけの特権じゃないからな」


確かに、誰にでも天秤はある。それはそうなのだが、フィスとしては先輩ではあっても、これ以上関わりを深めたくはない。


決して二人が悪いわけではないが、それは譲れないところなのだ。


「あの、では、さらに頭痛によく効くお茶もお付けします。それで足りなければ、その、今度、そのうちにご一緒するということでいいでしょうか」

「そうか。では仕方がない。強制しても仕方がないしな、次の機会にいこう」


あっさりと引いたルクス―ゲルとラウヴァルトが続けてフィスの頭に、ぽん、と手を置いて自分たちの部屋へ戻っていく。


これ以上絡まれないうちに、フィスも自分の部屋に入ってドアを閉めた。


「……疲れたなぁ。今日は、なんでこんなに立て続くんだろ」


部屋に入るなり、箱とかごをクローゼットに戻して、ベッドの上に腰を下ろした。


本当に面倒くさい日だ。


誰とも関わらずに済む一日もあるのに、今日は訓練から始まってやけにあちこちで絡まれる日だ。


シャツをまくり上げれば、捻り上げられた腕のあちこちがひどく痛む。

無理に捻り上げられたため、筋を痛めたらしい。治癒魔法をかければすぐに治るものだが、自分ができることは誰にも知られていない。

本来は、治癒魔法をかけるのは、治癒ができる魔導士の先輩のところに行くか、神官の元に行くのみである。


立ち上がって、部屋の入り口に鍵と保護魔法をかける。小さな窓も、自分は開けていないが念のため閉まっていることを確かめてから、ないよりましのカーテンを閉めた。


そうしてようやく、部屋の真ん中に立つ。


「治癒<ヒール>」


最も弱い治癒魔法を唱えて痛む腕に手を向けると、ふわりとフィスの体を包み込むように一瞬、淡く光った。


腕をみれば、掴まれていた跡も赤くなっていた場所も消えて痛みもない。

肩の力をぬいて、袖を戻した。


治癒魔法は、五要素魔法とは別で、誰もが使えるわけではない。治癒魔法が使えるという事だけで、上からの目もかわり制約が増えることしか想像できない。

だからこそフィスにとっては簡単なことでも、余計なことを知られて面倒が増えたくないから隠すだけだ。


面倒を避けるためには、丁寧なくらいがちょうどいい。クローゼットをあけて持ち帰った箱とかごを片付ける。

大きくはないクローゼットの中を改めて眺めると、吊るされた騎士服は端に寄せてあって、本来の使い方ではなくなっている。


ハンガーをかけるはずのバーからはたくさんの袋がぶら下がっており、中にはそれぞれ薬草が入っている。間に棚でも置きたいところだが、クローゼットも含めて借り受けている部屋なので、勝手な改造はできない。

悩んだ挙句、ぶら下げる紐の長さで整理することにした。


そして、下には調合済みの薬草茶が箱に入っているわけだが、持ちだした箱を戻して残りを数えると、かなり少ない。


「隊長の……、あんなに早くなくなると思ってなかったからなぁ。薬と違って飲んでもらうのはかまわないんだけど、隊長も副隊長も大変だってことだよね」


偉い人の苦労は想像しても分からないが、胃が痛くなることが多い、という事だけで同情しそうになる。同情したからといって、天秤を傾けていたらおかしなことになってしまう。


フィスにできることは、せいぜい飲みやすい薬草茶を提供し続けることだけだ。


「お腹に効くお茶はもうないとして、次によくでる飲みすぎ、二日酔いもだいぶ減ったなぁ。風邪があんまり減らないのはさすが騎士団だけど」


普段から体を鍛えているにせよ、どれほど自分を律しているとしても、風邪をひくときはひくものだが、それでも騎士団の中で体調を崩す者はそう多くない。

だいたいが貴族なのですぐに神官に治してもらうか、薬を飲むか。

そうした判断は早いのだろう。


代わりに、頭痛や筋肉痛など痛みを抑えるものはよく出る。


「うん。なんだか本当に、騎士団らしいなぁっていうのが、お茶の減り具合でもわかるのはおもしろいよね」


それぞれ、残りの数を数え直しながら、フィスはよくしゃべる。

独りでいる時間が長いこともあるが、フィスはもともと話をすることも好きだし、好奇心も旺盛で、負けず嫌いでもある。


天秤が傾かなければいくらでも話をするのだ。


だが、大抵の場合は、それを繰り返していると親しくなり、親しくなれば天秤がぐらつくことが増える。

対等で、貸し借りのない関係というのはなかなか難しい。親しくなれば、どうしてもどちらかの天秤が傾いてしまうものだ。


その結果、傍から見ればとても無口だが口を開けば生意気な見習い魔導士に見えていることだろう。


「よし、と。残りの数も分かったし、許可も取ってあるし。家まで取りに行ってくることにしよう」


フィスを含めて、ほとんどの隊員が兵舎で暮らしている。いざという時にすぐ出動できるようにだが、貴族であれ平民であれ、帰る家がある。そして、フィスにも帰るべき家があるのだ。


王都の外にあるため、一応の装備と支度が必要になる。


腰のベルトに添うように短剣を収めれば、パッと見た感じには武器を持っているようには見えない。靴の紐をむずび直して、騎士団の紋章が入っていない黒いローブを羽織る。


ついでに、少し新しい薬草も採取できればいい。さっきまでのごたつきも外に出ることでいい気分転換になるだろう。


麻袋は肩にかけて、手にはかごを持つと部屋を出る。扉には鍵と共に、もう一度保護魔法をかけて、フィスがいない間に勝手に部屋に入ることはできないようにする。


ここまでしなくても、ということはない。どこでも自分が安全にいられるためには、できることをする。

手を抜いて後悔するのは自分だけだからこそ、できることはやる。


そうして、フィスは外に出るために兵舎を後にした。


* * *


「まったく、心配をかける……」


フィスが自室で腕を治癒してから外出するまでの間、隣室の二人は笑顔のままのラウヴァルトと、気を揉んでいたルクスーゲルが対照的な顔つきで向き合っていた。


「あれは、学院の頃よりも頑なになっているのか?」

「さあ……。おそらくだが、まだ距離感が掴めないから、一線を引くのもだいぶ距離があるんだろう。仕事の上に、先輩や上司だと思っているわけだしな」


部屋に戻ってから、大人しくなったように見えて心配性のルクスーゲルはしばらく隣室の様子を伺っていた。

倒れこんだりする様子もなく、静かな気配を感じて、ほっと息を吐く。


他の騎士たちと関わらないフィスはあまり知らないが、二人の部屋はフィスの部屋と比べるとかなり広い。柱など構造のせいもあるのだろうが、こちらは部屋の両サイドにベッドがあり、それぞれ窓際に机と椅子、そしてクローゼットの他に丸いテーブルと椅子が別にある。


ラウヴァルトは、そのテーブルを前に足を組んで座っており、指先でテーブルをトントンと叩いていた。


「それにしても、やはりあの様子じゃ、色々と目を付けられるばかりだろうな」


部屋の中に立ったままのルクスーゲルからは、どうにかしろとラウヴァルトへ目線が向けられる。


「僕に向かってあまり無理を言わないでくれよ。今以上にどうにかすることは難しいことを一緒にいるルクスならわかるだろう?」


優雅な微笑みを浮かべているが、指先にはちゃんとその苛立ちが表れている。

ラウヴァルトとルクスーゲルは学院時代から、というよりも、兄同士がとても仲が良くて、その縁で二人も幼いころからの付き合いである。


ルクスーゲルの方が伯爵家の出身で、ラウヴァルトは子爵家の出身だが、年齢はラウヴァルトの方が一つ上で、ルクスーゲルは不器用な弟のように見ている節がある。


その弟のようなルクスに座れと目の前の椅子を促した。


「そもそも、学院時代のフィスをよく知っているのは、僕じゃなくてルクスじゃないか?」

「それは……仕方がない。俺の話を信じてくれとしか言いようがないが……」

「正直、あれじゃルクスの話を疑いそうになるくらいだよ」

「今のフィスを見ているとそう思っても仕方がないことはわかるが……」


ルクスが悲しそうな顔で俯くのを見て、ラウヴァルトが今度はため息をついた。


アシュトラーゼ王国では、生まれてすぐ神殿で魔力の有無と属性を調べる。それは平民でも貴族でも変わらない。魔力ありと確認された場合、魔力封じの指輪をはめることになる。


無自覚に魔力を放出してしまうと、本人だけでなく周囲に危険が及ぶ恐れがあるためだ。。そして初等部に入学するときにはじめて指輪を神殿に返還する。そこから、魔力制御の訓練が始まるのだ。


そして高等部に上がるときにもう一度、魔力量と属性を診断する。

これらはすべて無償で行われ、身分もお金のあるなしも関係ない。


フィスのような孤児の場合は、保護されてすぐ診断を行い魔力封じの指輪をはめる。通常であれば。


しかし、フィスは初等部も中等部も通っていない。

異例ではあるが、救護院出身でも問題なしということで入学してきたとき、ラウヴァルトは最終学年、ルクスーゲルはその一つ下だった。


「聞いたか?変わり種の新入生がいるらしいな」

「ああ。入学生のサポートで見かけた」


3学年以上の優秀な生徒は新入生の様々なサポートにつく。ラウヴァルトもルクスーゲルも騎士科だが、課目によっては他の科であってもサポートしなければならない。


初年度は特に、科に関わらず、すべての課目を履修するので、他の科の先輩後輩とも交流の機会を持つことができる仕組みだ。


剣技の授業は、特に難しい。初年度の場合、貴族の子弟ではない者は、初めて触れることが多いからだ。


短剣から始めて、片手剣、大剣、槍等、本人の向き不向きも合わせて基本的な動きを学ぶ。


授業の後半から上級生がサポートに入り、基本的な扱い方をそれぞれが学ぶ。同級生同士、武器を手にしたまま不用意に近づいてしまう者が多く、サポートの上級生はとにかくそれらを止めて歩くので大忙しだった。


「武器を手にしたまま不用意に、他の者に近づくな!」

「人が近づいたらすぐに鞘に納めるか、剣先を下ろせ!」


声高に言って回っても、身に沁みついていない者たちはどうしても不用意な動きが多い。

貴族の子弟で、家ですでに習っている者たちは一歩離れており、貴族でも次男、三男や文官の家の者、そして平民出身の者たちが中央に固まる。


喉を枯らすように叫んでいたルクスーゲルは、貴族でもないのに、いつも一人外れの方にいる新入生に気づいた。


目立たず、静かだが、見ていると短剣と片手剣を交互に練習している。

教授はそもそも、中央で騒いでいる生徒たちで手一杯で、貴族たちはお互いに手合わせしたりしているところをサポートの上級生が面倒を見ている。

始まってから数回見ていたが、いつまでたってもその生徒は一人だった。


「君」

「はい」


見かねたルクスーゲルがある日声をかけた。

素直に顔を上げた生徒は、ルクスーゲルが近づいてきたのを見て、手にしていた短剣を鞘に納めた。


「短剣かい?」

「はい。よく、森で採取するときに護身用に持ち歩いていたので、扱いには慣れています」

「なるほど。どうりで……」


慣れない生徒なら、自分は短剣ですと抜き身で見せてくるところだが、鞘におさめた短剣は下を向いている。

扱いに慣れているという言葉は確かなようだ。


「片手剣の練習もしているのか?」

「はい。自分は魔導士科なのですが、いざという時には剣も使えた方がよいと思いまして」


確かに、魔導士であれば魔法を使うが、いざという時に魔力切れという事もある。自分の身を守るだけでなく、一人でも切り抜けられるように、剣や槍など武器を使えるようになっておくべきだ。


「いい考えだ。自分は、騎士科のルクスーゲル・ドルマインツだ」

「フィス・クローニです。よろしくご指導お願いします。先輩」


いかにも新入生らしい、幼い容姿だ。学院時代からすでに体格は若手騎士に劣らないと言われていたルクスーゲルが並んでいると、それになりに目を引く。

その頃から、フィスはあまり目立たない様にしていたが、ルクスーゲルは一人でいるフィスを気にかけて授業の度に声をかけた。


「今でもフィスは俺に世話になったというが、そんなことはない」

「騎士になった今だからと言いたいんだろう?わかったよ。お前の話を疑うようなことを言ってすまなかった」


まるで長毛の大型犬が項垂れるような姿のルクスーゲルをみて苦笑いが浮かぶ。ラウヴァルトも口に出していないが、幾度か見かけて気になっていた。


人のいない夜半や早朝の訓練場や兵舎の周りで見かけたフィスが一人、片手剣で素振りをしていた。どこかで見た動きだな、と思って思い出す。

ルクスーゲルの動きによく似ていたからだ。


学院の頃、ルクスーゲルが教えたのはわずかな期間だけだったはずだが、丁寧に繰り返す鍛錬は真面目そのものだった。


それを表に出せばいいのに。


単純にそう思ったものだが、それはそれで面倒も多少なりともあるのだろう。

気の使いすぎだと思わなくもなかったが、直接話したことがなさ過ぎて、どう判断したらいいのかわからない。


ルクスーゲルが気にかけているだけに、見捨てるわけにもいかないところだ。


「今度、本気でフィスを飲みに連れていくしかないな。まずはそこからだよ」


何をどうするにしてもまずはフィスを知らなければどうすることもできない。

項垂れたルクスーゲルと共に、連れていくならどこの店がいいのか真剣な顔で話し始めた。

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