天秤計りの魔導士

青戸天

第1話 天秤計りのフィス

王宮を取り囲む王城の一角。四方にそれぞれ第一から第四まで、それほど狭くもない訓練場が騎士団ごとに確保されている。第四騎士団の訓練場には隊員たちが、訓練の為に集まっていた。


騎士団といっても、皆同じ剣士ではなく、弓騎士もいれば、盾を持つ者もいる。それぞれの持つ武器や鎧が、あちこちで賑やかな音を立てていた。誰もいなければ風が吹く音さえ響く様な場所なのに、今は金属のぶつかり合う音や、重い皮のぶつかり合う音と、気合や掛け声があちこちから聞こえてきて、意識しないとぼんやりただその様子を眺めてしまいそうになる。


「フィス、土魔法で壁を作ってください」

「はい」


訓練場の後ろにいた新人見習い魔導士のフィスに、先輩魔導士から声がかかる。

騎士同士の打ち合いの場を作るために、簡単な土の壁を作るような指示だ。


互いに剣を構えた騎士たちの間に、壁を作って回る。広い訓練場の中で、お互いに打ち込んだりするときに、誤って近くの騎士にぶつかったり、勢いあまって吹っ飛んだりしないようにするためだ。


普段は、魔導士数人で他の作業の傍らで手分けして壁を作るのだが、今回は見習いのフィスに担当させるのも訓練の一つなのだろう。面倒くさい作業ではあるが、一気に立ち上げることもできないわけではない。


ただ、それを堂々とやるには、見習いの立場であり、面倒を避けたいフィスとしては、内心の天秤が損をする方へ傾いてしまう。


結果、一枚ずつ丁寧に立ち上げていくことになる。


「フィス、手伝いましょうか?」


その様子を見ていて、まだるっこしいと思ったのか、手が空いていた先輩魔導士のサルジェが近づいてきた。揃いの濃紺のローブですぐそばに立つ。


「サルジェ先輩、ありがとうございます」

「皆さんを待たせてしまうので、もう少し効率よく壁を作るとよいでしょう」


土魔法を使って、隊員たちの背丈ほどの高さに壁を作り、間に万一の時には助けに入る騎士が通れるようなスペースを確保する。フィスの本来の能力であれば、一気に作ることができるが、見習いができるレベルとしてはこの程度と決めている程度では、丁寧に一枚ずつ立ち上げることしかできない。


まわりを見ると確かに、訓練用の刃を鋳つぶした剣を手に、騎士たちは訓練場に散らばり始めている。


通り道を作らなければ背合わせで壁は一枚で済むのだがそうもいかない。

正直なところ、簡単だが面倒くさい作業なのだ。


「そのように隣り合った場所に作る際は二枚、同時に引き上げればよいです。これも、実際に戦いの場では速さと数が必要になりますので、手早く作れるようになりましょう」

「承知しました」


承知したと言いながらも、相変わらず一枚ずつ壁を作る。表向きは魔力量がそう多くないことになっているからだ。これが、見習いから昇格できるとか、なにか天秤の向こう側に乗るものがあれば違うのだが。


これが見習いの限界だと思われたのか、重ねて指導されることもなく、壁ができた場所から騎士たちが剣を構えていく。


サルジェが倍ずつ壁を作ってくれたおかげで、結果的に壁作りはすぐに終わった。

作り終わった壁の数は、十六。

八組分の壁を作ったわけだが、サルジェは同じ時間で盾持ちの稽古の分と、弓の稽古の分の的まで作っている。


邪魔にならないよう、端まで移動すれば、待ちかねたとばかりにあちこちから掛け声や気合の声が上がっていた。フィスに手を貸したサルジェは、もう一声かけるべきかと口を開く。


「見習いだから致し方ないですが、もう少し効率的にできるといいでしょうね」

「なるほど……。効率を上げれば見習いから昇格できますか?」


またこの新人は。


含みがあるのかないのかはわからないが、この見習い魔導士の言動は、隊の中でも浮いていて、三か月たった今でも馴染んでいるとはいいがたい状況である。


「それはまた別の話ではありませんか。見習い期間はもともと決められているものでしょう?」


騎士になりたて、魔導士になりたての者は、少なくとも半年は半人前、見習いとみなされる。それが騎士団のルールであり、よほどのことがなければ例外はないだろう。


そんなことを気にするよりも、着実に腕を上げて現場に出た時に、スムーズな連携ができるように仲間たちと関わっていく方が大事なことだ。

サルジェの顔にそう書かれているのはっきりと見て取れた時点で、話は終わりだと思う。


あっさりとフィスは話を切り上げにかかる。


「わかりました。では今のままで十分です」

「フィス・クローニ。見習い期間は、一人前と認めてもらえる実力を見せていく期間です。あなたの考えを否定するつもりはないですが、見習いから昇格したいという事であれば言われたことを着実にこなす、さらにできることがあれば努力をすることだと思うのですが?」

「そうかもしれません。ですが、自分にとっては天秤の帳尻が合わないので。お手伝いいただきありがとうございました。後程お礼させていただきます」

「帳尻というのは……また、いつものあれですか」


今度は、はっきりと傍目で見てもわかるくらいうんざりした顔になる。


【天秤計りのフィス】


王宮魔導士になる前の、学生の頃から言われてきた渾名だ。


天秤が一方に傾くことを嫌い、頼まれごとを請け負わず、好意を受け取ることもない。

何故だと言われれば必ずこう答えるからだ。


天秤が片方に傾いて、帳尻が合わない。


この一言ですべてから距離をとるのは王宮魔導士の見習いになった今も同じだ。ことあるごとに口にするので、隊のなかでもほとんどの者が知っている。

呆れた顔のサルジェに対して、フィスの方は全く取り繕う様子もなかった。


「見習の期間が変わらないなら、今できる分でよいと自分は思います」


人を寄せ付けない小柄な魔導士に、先輩魔導士はため息をついた。

新人魔導士なら、上の覚えもめでたくなりたいとか、仲間に信頼されたいとか少しでもあるだろうに、フィスの態度は真逆としか言いようがない。


ほぼ間違いなく、フィスは隊の中では一番小柄だ。魔導士とはいえ、必要に応じて剣も持つし、弓も盾もそうだが、今のところ特に秀でたところは見たことがない。


薄茶色のくせ毛に少し大きめのローブ姿しか印象にないものが多いが、薄い茶色の瞳と子供のような色白の顔はどうしても学生が紛れ込んだような印象が強い。

その見た目で、やる気がない様に見える行動は明らかによくない方向で目立つことは間違いない。


「そのような態度では周囲からよく思われなと思いますが」


いささか強い口調でサルジェは、自分よりも頭半分下に目線を向けた。


フィスも、サルジェも所属は魔導士部隊でもなく騎士団である。

騎士団の第一から第四まで、魔導士は一隊につき数人だ。この第四には今は見習いのフィスを含めて五人いる。

ちなみに今は、フィスとサルジェをのぞいた、残りの三人のうち、二人は休みで残りの一人は騎士たちの手伝いに回っているところだ。


その中でも、サルジェは先輩魔導士としてよく面倒をみてくれる方だとフィスも分かっている。だが、自分の考えを曲げるほどの事ではないのも確かだ。


「その時はその時ですが、自分は自分の仕事をするだけなので、どのように思われるかは問題ございません」


こんな淡々としたやり取りも今回だけの事ではない。いよいよ、渋い顔になるのをサルジェは止められなかった。


「どう考えようと、仮にも騎士団に配属になったからには」


その先を言おうとして、目の前から踵を返して離れていくフィスに、サルジェはついに声を張り上げてしまった。


「まだ話は終わっていないが!」

「ご助力ありがとうございました。後程お礼に伺います」

「礼がほしいわけでは……!」


礼が欲しくて手を貸したわけではなく、先輩騎士としては当然の行いなのだ。それよりも、もう少しその周りと関わろうとしない態度を何とかさせたい。


そう考えたサルジェが話を終える前にフィスは歩き出してしまった。


「……まったく、なんとかならないのか、あの厄介さは」


サルジェが深く息を吐く。

騎士団に入るなら、だいたいが誇りと憧れをもって希望する者が多いが、本当に異色な見習い魔導士である。


「相変わらず手を焼いているな?」


すぐ近くで剣を手に、二人のやり取りを聞いていた中堅の騎士が近づいてくる。


「いくら見習いとはいえ、先輩の手を借りておきながらあんな態度でいいのか?」

「もう少し、隊に馴染もうとする姿勢があればいいんだがなあ」


仲間として普段は気軽に話をするとはいえ、サルジェにとっては先輩騎士である。不機嫌を収めて頭を下げた。


「見苦しいところをお見せして申し訳ありません」

「いや、俺たちはいいけどな。あれはなかなかの問題児で大変だな」


同じ魔導士として教えが行き届かない、と言われているのも同じだと、生真面目なサルジェは自然と頭が下がった。


「……お恥ずかしい限りです」


苦笑いを浮かべた他の者たちはその肩を叩く。

同じ隊の仲間として早く馴染んでくれればと思っているだけで、騎士たちもサルジェを責めるつもりなどない。


「馬鹿だな。同じ隊の仲間だろう?」

「まったくだ。後輩の面倒を見るのは皆同じだ。気にするな」


先輩騎士たちのやり取りを背中で聞きながら、ちり、とフィスの腕にはめたアームレットが少しだけ熱を持つ。


そっと右の肘よりも上に触れる。


自分自身にかける保護魔法や機能強化は身に着けるもので行うのが普通である。

フィスの両腕にはアームレットとブレスレットをそれぞれ付けているが、普段見えるところにあるのはブレスレットだけで皆、アームレットには気づいていない。


フィスが触れた右腕のアームレットには、視力や聴力などを強化するように魔法をかけてある。意識を向けても、無意識でもアームレットは反応を返す。


そのおかげでフィスはサルジェと先輩騎士の会話を正確に聞き分けられていたが、聞こえていないふりをすることに慣れている。


口を出しはしなくても、隊の騎士たちの目は、ちらほらとフィスに向いているが、堂々と顔を上げた。


どんな場所でも面倒はつきもの。


密かに胸のうちで呟くが、顔には一切出さない。

胸のうちの天秤が傾く様なことはしないと決めているからだ。


木陰の見守り場所に移動したフィスは、何事もなかったように立つ。傍から見ればぼんやりと立っているように見えたフィスの前に、影が差した。濃灰の眼光鋭い副隊長のカーライルだ。

頭一つ分くらいは見上げてしまうが、騎士団では当然すぎるくらいの鍛えられた姿である。


「フィス」

「はい、副隊長」

「すまないが、訓練が終わったらいつものアレを頼めるか?」


騎士団の副隊長であるカーライルからは、フィスだけはとても無骨な騎士団の隊員と未だに思えない。

細い腕、手も小さい。

まだ学生といってもおかしくないような腕を胸のあたりまで上げて、フィスは素直に応じた。


「承知しました。後程伺います」

「そうしてくれると助かる。隊長室の方へな」

「はい」


小柄な見た目に見習いという立場もあって、気弱な少年かと思いきや、目の前の魔導士は周囲の様子を気にする様子もない。

本人は淡々としていて、気負いすぎる様子もないのだが、どうしても隊の中では生意気とみられやすい。


今も、皆の注目が向いているところに話しかけてしまうと、さらに視線が集中することは想像できたが、フィスは全く気にする様子はなかった。

カーライルはその生意気さも面白いと思いながら、フィスを置いて訓練に戻っていった。


* * *


訓練が終わってから、自主練をする者は残り、他の者は兵舎の部屋に戻り、各々の時間を過ごす者とに分かれる。


フィスも早々に自室に引き上げていたが、王城内の兵舎はとても狭い。ベッドと小さなクローゼットのほかには机と椅子があるくらいだ。


たったこれだけで、部屋の中はもう一杯だ。人によっては、もう少し広い部屋を使える者もいるが、一番の下の見習い魔導士の部屋などはこんなものと言えばこんなものだろう。


一見すれば、きれいに片付いていて、物が少ない部屋だが、机の下や、クローゼットの中をあければごちゃごちゃと詰め込まれた荷物が見えた。


「えーっと。どうやって運ぼうかな……」


机の下とクローゼットから小さな袋をかき集めて、箱一つでは足りずに大きなかごにも押し込んだ。


訓練の時の騎士服から、体より少し大きなシャツとパンツに着替えていても、ローブは変わらず羽織っている。兵舎内を歩いていると、フィスを知らない者には誤解されてしまうからだ。

騎士服を着ていても、小さく見えることに変わりはないのだが、私服では余計に学生に見えるのも困りものである。


あまり緩い姿すぎるだろうかと一瞬手を止めたが、魔導士のローブだけは羽織っているからいいことにする。

足首までのブーツは紐をきつくしていても、サイズが合っていないことが丸わかりの足音だ。一応は気を使いながらもどこか間の抜けた足音をさせながら、一番人通りの少ない道順を通って、隊長室に向かう。

ドアの前の護衛騎士に軽く会釈をしてから、ドアをノックした。


「入れ」


小柄なフィスが荷物一杯でドアを開けようとしているのを見かねて、部屋の前に立つ護衛騎士が開けてくれた。

隊長室は全体的に重厚な色で統一された部屋で、造りを知らない者からすれば驚くほど広い。

入ってすぐ、大きな黒塗りの艶やかなテーブルがあり、時には会議などにも使われている。そして、その奥に執務室がある。


普段は開けっぱなしの執務室の席に腰を下ろしているはずの隊長、グレンフィルが大きなテーブルを前に座っていた。隊長と、副隊長は部屋の前に護衛騎士がつくほどの上位の貴族である。荷物を抱えたままではあるが、深々と頭を下げた。


「フィス・クローニ、参りました」

「訓練終わりにすまないな。フィス」


気さくに笑う体格のいい男、グレンフィル隊長の前にで、フィスはテーブルの上に運んできたものを置いた。


足首までのローブがゆるゆるの服を誤魔化しているのだが、余計にフィスを小さく見せている。ゆるい袖を引いて、荷物を広げようとするとグレンフィルはひらりと手を上げた。


「かまわないから、座るといい」

「ありがとうございます。失礼いたします」


椅子に座るとフィスは薄茶色の目を二人に向けた。髪色も瞳と同じ、ミルクティのような薄い茶色で、顔の周りを覆うような長さが余計に幼く見えるらしい。

男の方が圧倒的に多い、騎士団の中で、フィスの姿は色々な意味で目を付けられないのかと、グレンフィルもカーライルも初めは随分心配したものだ。


「早速ですまないが、先ずはいつものやつを頼む。手元にどのくらいあるだろうか?」

「はい。あるだけお持ちしております」


かごの中から、同じ印をつけた小さな袋を机に並べる。顔が映るくらい磨き上げられた机の上に並べられるには不似合いな、茶色の袋からは嗅ぎなれた薬草茶の匂いがした。


「こうしてお前が来てからは、おかげですこぶる調子がいいぞ。薬ばかり飲んでいては色々と目立ってしまうからな」

「恐れ入ります」


緊張することもなく、ひょいひょいと手を動かしている小柄な魔導士に、隊長の隣に立っていたカーライルは内心で苦笑いしていた。

平民だというが、見た目とは裏腹に受け答えもしっかりしていて、どこぞの貴族の子弟かと思う時もあるくらいだ。


後はもう少し背丈が伸びて、少年らしさが抜ければそれなりに騎士らしく見えてくると思うのだが、今はまだほど遠いようだ。


そんなフィスが、カーライルの方へも同じように袋をいくつか差し出した。


「副隊長用にはこちらをどうぞ」

「うん?」

「隊長の薬草茶とは別の調合をしております。少し、お疲れのように見えましたので、お酒を控えめによく眠れるようにと」


訓練の時の様子だけでなく、このところの様子を耳にして数日前に調合をしていたものだ。

グレンフィルに差し出す物とは違い、袋の数は多くない。


「……こほん。そうか」


隊長には何も言われていないから大丈夫、そう思っていたカーライルにとっては、余計なことを、というわけにもいかず、気まずそうに目線を彷徨わせる。その様子を横目で見て、グレンフィルが肩を震わせた。


「ふ……、副隊長殿。目ざとい魔導士殿に心配されるくらいは自覚があるのならそろそろ酒を控えるべきはないのではないか?」

「んんっ、フィスの薬草茶は飲みすぎにもよく効くということで助かります」


口元が歪むのを片手を添えて誤魔化したグレンフィルと、何も聞いていないとばかりに視線を逸らしたフィスを前に、仕事のできる男、カーライルは開き直ることにしたらしい。


手前に引き寄せた袋を一つ手にして香りを嗅ぐ。


いまでこそ独特の香りにほっとするが、初めの頃は、グレンフィルもカーライルも慣れない薬草茶の香りに困ったものだ。


「これからも、副隊長の体調管理は頼むぞ、フィス。面倒を押し付けている俺も悪いのだが、な」


下の者たちとよく酒を飲むのも大事なことだ。

憂さを晴らしてやり、相談に乗ってやり、様子を聞き出すのも大事な仕事の一つである。


なかなか下の者までは手が回らないというグレンフィルも、別の理由で気を使うことが多かったのだろう。胃痛によく効く薬草茶はもう少しもつと思っていたが、フィスの予想よりなくなるのが早い。


追加で箱からお茶の袋を取り出して差し出すと、グレンフィルは高級そうな茶缶を引寄せてその中に片っ端から入れた。


「やれやれ。我らはこの年若い魔導士殿に世話をしてもらわないといけないとは、情けない限りだな」

「とんでもございません。この程度、お世話の数のうちには入りません。自分などはさしずめ、ペン先の替えのようなものでございます」


いくらでも替えがきく物。

あればよい。その程度のもの。

そんな例えにグレンフィルは首を振った。


隊長も副隊長も、日頃は王城に詰めているが現役の騎士である。


「何をいう。お前も立派なうちの隊の騎士の一人だろう。それに、配属になったその日の挨拶で、薬草茶で健康管理をと売り込みに来たのはお前の方ではないか」


そう言われて、三月前の配属日をそれぞれが思い出す。


騎士団の隊長と副隊長という立場だけでなく、貴族でもある二人の身の回りへの警戒は厳重だ。

こうして自らの執務室にいても、口にするもの、身の回りへの警戒はそれなりのものだ。そんなグレンフィルが、フィスの挨拶を思い出して声をあげて笑いだした。


騎士団の入隊は、学院を卒業した後すぐである。しかし、魔導士においては、その属性によって向き不向きを見定めてからになることが多く、フィスが配属になったのも、同期の入隊からは少し遅れての事だった。


「今日から配属になりました、フィス・クローニです。御覧の通り、小柄なので小回りが利くと思っていただければと思います」

「……フィス・クローニ。失礼だが、平民の出身か?」

「はい。属性は複数持ちなのですが、残念なことにあまり魔力量に恵まれておりませんので」


二文字や三文字の短い名前は平民であることの証拠だ。貴族の場合、愛称はともかく、フルネームが長い。

魔導士になるのならば、平民出身であっても、だいたいが入隊時には貴族の養子になっていることが多いので、改名もしていない短い名前は珍しいと目に留まったのだ。


だが、魔導士になるくらいなら魔力量に恵まれてないといっても、平民としては決して低いわけはない。それでも貴族の養子にと声がかからなかったのは、何か理由があるのだろうと思われることも折り込み済みだ。


「平民ですし、救護院の出なので、これといったお声もかからない身ですが、薬草に関しては少々得意でして」


年齢からしても、学院を出たばかりの若さでは、年も身分もはるか上の隊長と副長を前にして緊張する場面だ。

だが、フィスの顔には緊張も入隊時の空回りしそうな意欲もない代わりに、淡々とした話しぶりに思わず、グレンフィルはまじまじとフィスを眺めてしまう。その上、挨拶代わりにと薬草茶を差し出したことには、さすがの二人も面食らった。


「これは救護院時代にはよく、薬屋にも売りに出ておりまして、効果と味はご安心ください。ああ、少し茶器をお借りしてもいいでしょうか?」


顔を見合わせている二人を前に茶器を借り受けた上に、メイドに頼んで熱い湯を運んでもらう。目の前で三人分の茶を入れて、上質な紅茶やコーヒーに慣れた二人に向かって差し出した。


香ばしい匂いを前に、この薬草茶の効能を説明して、フィスは自分の前にも茶器を引き寄せる。


「あ、毒見が必要でしたら、自分だけでは足りないと思いますので護衛騎士の方にでも声をかけてお願いしましょうか?」


困惑を通り越して呆れる隊長と副隊長を前に、フィスは茶を口に運ぶ。


「これ、先ほどお話したように、胃痛によく効くんです。気苦労だったり、お酒の飲みすぎだったり、食べすぎだったり。そういう症状によく効くのと、薬ではないので体への負担も少ないのでおすすめです」


ごく。


熱々だった茶を少しずつ冷ましながら飲んだフィスは、ふう、と息を吐いた。


「これでも朝から緊張していまして。お茶のおかげで少し落ち着きました。お時間いただきましてありがとうございます」


自分が淹れたお茶なのに、まるで振る舞ってもらったかのような言いざまに呆れを通り越して、グレンフィルとカーライルは顔を見合わせるばかりだ。

お湯を運んできたメイドが、その有様をみて気を回して、そっと護衛騎士を部屋に招き入れる。


代わりに茶を。


ひそひそと小声の説明を聞いて納得した護衛騎士は、グレンフィルたちに一礼してからカップに手を伸ばす。首を軽く傾げて、片手でどうぞ、とフィスが勧める。


疑われていることに慣れているのか。

貴族相手に何が必要なのか本当にわかっているのか。


この部屋にいるフィス以外の誰もが、色々な疑問を感じているが、それを口に出せずにいる。

なんとも言い難い部屋の空気を感じながら、カップを手にした護衛騎士は香りを嗅ぎ、一口飲みこんだ。喉を通り、腹に落ちていく感覚を確かめる。


遅効性も考えられると、手袋の隙間から保護魔法のついた腕輪を覗いた。


保護魔力が込められた腕輪は毒に反応すれば色が変わる。そのほかにも混乱や眠気や護衛している相手にありえそうなものには反応するようになっている。

だが、腕につけた腕輪はどれにも変化がなかった。


「……問題ないかと思われます」

「ふむ……」


目の前に置かれたカップとフィスを見比べる一堂に向かって、それもまた想定内だと首を振った。


「あの、無理にお飲みにならなくても今は大丈夫です。当然ですが、隊長と副隊長が、自分のような者が持ってきたものなど気軽に口にできないのは当然です。ですが、学院でも薬草学は成績がよくて、学院に通えたのもこの薬草茶を売って稼いだからなので、少しでも記憶の片隅にとどめていただければ何かのお役に立つかもしれません」


フィスの身元保証は救護院の神官である。

大っぴらにはしていないが、当然入隊前には身元調べが行われるもので、フィスも例外ではない。

グレンフィルとカーライルが手元で見ているのはフィスが持ってきた配属届けの他に隊で調べた身上書である。


そこにある通り、本当に薬草学は得意らしい。

薬師になれる成績で、しかもそれほど魔力が高くないにせよ全属性なら、騎士団以外にも希望もできただろうし勧誘もあっただろう。


それでも騎士団に入ったのは憧れていたのか、それともどこかの貴族の養子に入りたかったのか。


事前に見ていた身上書でそんな話をしていたグレンフィルとカーライルだが、今はひたすら困惑の一言に尽きた。その二人をよそに、フィスはもったいないとばかりに少し冷めかけた二人の分の茶を手前に引き寄せる。


「あ、参考までに、普段用意されている薬があると思いますが、程度によって薬草茶も織り交ぜてお使いになると、お体にはよいかと思います」


自分のカップに温いお茶をあけた後、一応、とばかりにまだ温かい湯をポッドに注いで新しいお茶を二人には差し出した。


この世界では、具合が悪ければ医者にかかるか神殿にいくかの二つだが、それなりの対価がかかる。平民にとっては現代でいうところの常備薬のような扱いの薬草の存在は大きい。


「騎士団といっても、胃痛や風邪にかかる方々もいらっしゃると思います。こうした薬草で手当をすると薬代も安くすみますし、予防の効果もあるんです」


お前は商人か。


カーライルはそう言いそうになったがグレンフィルの目は、フィスの事を面白い新人と判断したようだ。


「なるほどな。言い分には一理あるな。だが、王宮騎士団としては出入りの業者は決まっているぞ。お前から仕入れることはできないが?」


グレンフィルの青い目の奥が愉快そうに動く。


「お代はいただきません。必要な分だけ用意します」

「……ほう」

「その代わり、勤務以外の時間に王城の外に出ることを認めていただけますか。薬草を採取してきたいので」

「……それは……、勤務時間以外は皆同じように自由なのだが?」


何を当たり前のことを言うのだ、というグレンフィルにぽかんと口をあけたフィスは、我にかえって気まずそうに咳ばらいをする。


隊長室の中が無言になったこの日から、フィスは薬草茶を隊に持ち込むようになった。


「胃痛だけでなく、頭痛や風邪にもよいからな。十分助かっている」

「お役に立てて何よりです。そろそろまた補充にいかなくてはならないので、もう少ししたら採取に向かおうと思います」

「うむ。気を付けていってくるといい」

「ありがとうございます」


残りの手持ちのなかから、ドアを開けてくれた護衛騎士にと追加の薬草茶を置いてフィスは隊長室から下がっていった。


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