探偵令嬢、気分は上々

猫屋ちゃき

探偵令嬢、気分は上々

 キラキラと眩しい初夏の陽射しが降り注ぐ庭で、エルデガルドは婚約者とその取り巻きたちと対峙していた。

 今日はパッチメン侯爵家主催のガーデンパーティーだ。

 とはいえ、集まっている顔ぶれは王立高等学院の面々がほとんどである。

 間もなく最高学年が卒業する時期だから、それに相応しい集まりといえる。

 そんな中でエルデガルドは、相応しくないやりとりをこれからやろうとしているのだ。


「婚約破棄について、正式な返事を聞かせてもらおうか」


 エルデガルドの婚約者、ダメヤン・パッチメンが得意満面で言う。

 その腕にしなだりかかり、目を潤ませ唇を尖らせたミッチェがエルデガルドを見つめてくる。たぶん、その表情を可愛いとダメヤンに言われているのだろう。

 エルデガルドがどのような言葉を発するのか、彼らは様子をうかがっている。

 十日前と同じ光景だわ、とエルデガルドは思った。

 

「返事ではなくて……あの日のみなさまの過ごし方について、確認させていただきたいことがあるんです」


 エルデガルドは胸を張り、よく通る声で言った。

 それから、猫の目のようにきゅっと目尻がつり上がった大きな瞳で、ダメヤンたちの取り巻きの顔をひとりひとり見つめていった。

 

(私はこの瞬間を迎えるために、十日かけたのよ)


 これからの戦いに備えて、エルデガルドは十日前のことを思い出していた。


 ***


「エルデガルド・ホルツマン、貴様との婚約を破棄させてもらう! 私はここにいるミッチェとの真実の愛に目覚めたんだ!」


 とある夜会で、エルデガルドはダメヤンに突然そう宣言された。

 彼の傍らには、目を潤ませ頬を紅潮させたミッチェがいた。

 栗色の髪に濃い茶色の瞳の平凡な見た目の女性だが、とても胸元が豊かだ。今も胸元が強調されたドレスを来て、ダメヤンの腕にしがみついてその豊かな胸を押しつけている。

 婚約者であるダメヤンが、男爵家の令嬢であるこのミッチェに夢中なのは知っていた。というより二人が相思相愛で、恋人同士であることも。

 とはいえ、まさかここまで堂々とくっついて人前に現れるとは思っていなかった。

 婚約破棄を突きつけるから、もう隠さなくていいと思ったのだろうか。

 二人の顔を見ると、あきらかに勝ちを確信している。きっと、エルデガルド有責で婚約破棄できるだけの材料を揃えてきているということだろう。

 勝ち誇った彼らの顔を見て、エルデガルドは笑いそうになった。彼らが悪巧みをしているのには気づいていたから、エルデガルドも彼らが不利になる情報を集めてきているのだ。

 従者のヤンを使って、三日前にダメヤンとミッチェが昼間から〝逢瀬〟をしていたことを押さえている。

 学院内でのことだから、目撃証言を集めるのも抜かりない。ついでに、彼らが〝逢瀬〟を楽しんでいた部屋の真下の部屋にいた生徒から、やたらと天井が揺れて落ち着かなかったという面白い話まで聞けている。

 貴族も通う学院の寮の天井が揺れるほどの〝逢瀬〟って相当激しいな、とエルデガルドはドン引きした。


「貴様はミッチェの可愛さに嫉妬し、ずいぶんとひどい目に遭わせてくれたらしいじゃないか。おまけに、彼女が男爵家であることを『賤しい身分の女』と罵ったそうだな。伯爵家の分際で!」


 ダメヤンはどうやら、エルデガルドがミッチェをいじめていたと言いたいらしい。

 それもひどい言いがかりだが、何より内容がひどい。

 曲がりなりにも爵位持ちの家の令嬢を捕まえて「賤しい身分の女」などと言うわけがないではないか。

 そして、エルデガルドに向かって「伯爵家の分際で」というあたりに、彼の差別意識がにじみ出ている。

 侯爵家だからといって伯爵家を馬鹿にできると思っているからこそ、「賤しい身分の女」などという悪口を思いつくのだろう。

 やってないことはやってないと言ってやってもよかったのだが、周囲を見回してやめにした。

 おそらく、〝いじめ〟の目撃者くらい用意しているに違いない。

 それに、別に身の潔白を証明したいとは思わないのだ。

 エルデガルドは、この婚約がなくなってしまうことは別にどうでもいい。むしろ大歓迎だ。

 だが、自分に非がある状態で婚約破棄されるのは嫌だった。

 ダメヤンがミッチェを好きになってそちらとくっつきたいなら勝手にしたらいいが、なぜそのために自分が悪者にならなくてはいけないのか納得できないからである。

 だから、エルデガルドは自分が知っている情報を開示することにした。


「三日前、学院の寮内でお二人は一緒にいたらしいですわね。ダメヤン様のお部屋で、四時間ほど二人きりだったようですが」


 ダメヤンの言葉にエルデガルドが何と返すか周囲の注目が集まっていただけに、どよめきが起きた。

 それは当然だ。

 いくら本人たちが真実の愛に目覚めたと叫ぼうと、公衆の面前でいちゃいちゃするのを周囲が生暖かく受け止めていようと、婚前交渉の事実はまずい。しかも、学び舎の中でだなんて。

 だから、周囲の注目はエルデガルドからダメヤンとミッチェの二人へ移る。

 彼らは少し目を泳がせたものの、さして慌てる様子はなかった。

 その理由が、少ししてわかることになる。


「エルデガルド嬢、それは言いがかりだ。三日前、ダメヤンたちは俺たちとお茶会をしていたんだから」


 ひとりの青年が前に進み出て、エルデガルドに向かってそう言った。

 彼はカース・エラソォ。大商家エラソォ家の子息だ。


「そうそう。俺も一緒にいたぜ」


 カースに同意したのは、彼の隣にいた青年・ヤルティンだ。

 子爵家の子息だが、カース共々あまり上品とはいえない雰囲気である。


「それは本当ですか? 失礼ですが、あなた方とダメヤン様が親しいという印象はなかったですけれど」


 エルデガルドが訝るように言えば、また別の人物たちも前に進み出てきた。


「もうすぐ卒業でしょう? だから、せっかくならこれまであまり接点がなかった人たちでお茶会をしてみようって話になったのよ。ね、ヤミル?」

「そうよね、リリベル。社交界でも顔を合わせるのだもの。今から親しくしておくのがいいと思ってお茶会に参加したのよ」


 そう言って顔を見合わせているのは、華やかな容姿のリリベルと控えめなヤミルだ。

 二人とも伯爵家令嬢だが、あきらかにタイプが異なる。

 おしゃれで名が知れたリリベルと、あまり社交性のなさそうなヤミルという組み合わせは意外だ。

 だが、接点がなかった人と卒業前に親しくしてみたかったと言われれば、話の筋は通っているように感じてしまう。


「実は、今回の集まりは私が声をかけたせてもらった。実は、こういう集まりに興味があったのだが、なかなか奥手なものでな……ダメヤンに頼んでみたら、ほかのメンバーにも声をかけてくれて、それで実現したんだ」


 そう言ってやや恥ずかしそうに前に出てきたのは、モーレッツだ。

 彼も侯爵家の令息で、ダメヤンたちとは違い、真面目な印象がある。少し気弱なところがある気がしていたが、エルデガルドはこれまで彼に対して悪印象はなかった。


「というわけだ。残念だが、貴様が言いがかりをつけようとした三日前には、僕は彼らとお茶をしていたというわけだ。……悋気のあまり勝手な妄想で僕らを断罪しようなんて、本当に性悪だな」

「エルデガルド様、わたしのことが許せないからって、ひどいです……」


 自分たちのアリバイが証明できたからか、ダメヤンもミッチェも強気だ。

 どうしたものかと、エルデガルドは考え込む。

 彼らの話には、どうにも違和感があったのだ。

 というより、嘘だから違和感しかないのは当然だ。

 だが、そういった次元の話ではなく、強く引っかかりを覚えていた。

 エルデガルドが黙ってしまったからか、それから彼らはお茶会の日の様子について意気揚々と語った。

 カースがはしゃいでカップを倒してしまってお茶が溢れたこと。それをヤミルが自分のハンカチで拭いてあげたこと。

 モーレッツは遠乗りをしてみたいというダメヤンとミッチェに、馬術部としておすすめの場所を教えてやったこと。

 ヤルティンとリリベルがカードゲームで白熱した結果、口喧嘩に発展してしまってみんなに仲裁されたこと。

 どれもこれも、年が近い学友たちが集まれば起こり得る自然な出来事だ。本来であれば話題にもならない、とるに足りないこと。

 だからこそ、周囲の人々も彼らのほうを信じ始めていた。

 エルデガルドは不貞行為を指摘して〝痛み分け〟で終わらせようと思っていただけに、これでは自分のほうが分が悪いと悟った。

 このままでは、婚約者の浮気相手を嫉妬でいじめただけでなく、陥れようとありもしない容疑をかけようとしたとされてしまう。

 それは面白くなかった。


「……わかりました。三日前はみなさんでお茶会をなさっていたのですね」

「ああ、そうだ。わかっただろ? 無駄なあがきはやめて、さっさと婚約破棄を受け入れろ」


 勝ち誇った顔でダメヤンは言う。

 このムカつく顔を金輪際見なくて済むことを思えば、今すぐうんと言ってしまいたい。だが、そんなことをすれば一生、やってもいないことをやったと言われ続けるのだ。

 それだけは嫌だった。


「……必要な整理するのに十日ほどいただけますか?」


 なるべくしおらしく見えるように目を伏せて、エルデガルドは言った。本当は怒りに燃えているのだが、それを悟らせないほうがいいのはわかっている。

 その姿を見て、落ち込んでいると思ったのだろう。ダメヤンが鼻で笑った。


「心の整理? いいだろう。そのくらい許してやらねば狭量というものだ」


 こうしてエルデガルドは、十日の猶予を得た。

 そして、絶対にダメヤンとミッチェに己の非を認めさせると決意した。



「お嬢様、すみません! 俺がもっとしっかり証拠を押さえていれば……何なら、現場に突入してやっていれば!」


 夜会の会場を出ると、従者のヤンがすぐさま駆け寄ってきた。

 どうやら、会場内での出来事はしっかり把握しているらしい。そして、自分が集めた証拠が弱かったがためにエルデガルドが形勢不利になったと反省しているようだ。


「あなたが悪いわけじゃないわ。学院内でしっかり張り込みをしてくれているだけ感謝だもの」


 ヤンは孤児で、まだ幼かったときにエルデガルドが街で見つけて拾ったのだ。

 エルデガルド五歳、ヤンが推定七歳くらいの頃からの付き合いのため、誰より信頼している従者だ。

 そして彼は、エルデガルドを神のように崇めている。


「あー俺のエルデガルド様、マジ神。神々しい。後光が射してる。こんな美しくてお優しい方を婚約破棄するとか万死! 万死に値する!」

「こら、ヤン。落ち着きなさい」

「落ち着いてられませんよ! あいつらヤッてんだから! ヤリまくってたんだから! 何がお茶会してた、だよ」

「口の行儀が悪いわよ」


 ヤンをたしなめつつも、エルデガルドも同じ気持ちだった。

 あの日、ダメヤンとミッチェが〝逢瀬〟を楽しんでいたのは間違いないのだ。

 それなのに、わざわざある程度の人数に口裏を合わせるよう頼んで、お茶会をしていたということにしたいらしい。

 そこに何か違和感を覚えていた。


「彼らがお茶会をしていないのは、おそらく間違いないわ。全然接点がない顔ぶれだもの」

「とってつけた感じがすごかったですよね。何というか、小芝居でも見せられているというか」


 馬車に乗り込みながら、エルデガルドとヤンは考え込む。エルデガルドが抱いた違和感をヤンも感じていたようだ。

 

「ひとまず、彼らの身辺調査をしてみましょう。そこから何かわかるかもしれないわ」

「おまかせください! すぐに情報を集めてきます」


 違和感の正体を探るにしても、彼らと戦うにしても、あまりにも情報(カード)が少なすぎた。

 だから、エルデガルドは夜会の翌日から、すぐに調査を開始した。


 カース、ヤルティン、リリベル、ヤミル、モーレッツの五人のうち、二人の情報はすぐに集まった。


「お嬢様、お茶会があったと主張する日に、リリベルとヤミルが何をしていたのかわかりましたよ」


 夜会の翌日。

 学院ではなく自宅であるホルツマン家の屋敷に戻っているエルデガルドは、自室で集めた資料に向き合っていた。

 そこへ、街へ情報収集に行っていたヤンが駆け戻ってきた。


「早かったわね。まだ夕方にもなっていないのに」

「単純に考えて、あいつらがダメヤンたちに口裏を合わせたのは金に困っているからだろうなと当たりをつけまして。その結果、わかりやすく金に困っていたやつがあの五人の中にいたってだけです」


 エルデガルドが感心すると、ヤンは誇らしげに胸を反らした。主人に褒められたいと常に願っているだけでなく、いつも褒められるに値する成果を持ち帰ってくるのが彼の良いところだ。


「ひとりめがリリベル。こいつは子爵家令嬢ですが、平民の娘のふりをして郊外のカフェで働いていました」

「おしゃれな方だなと思ってはいたけれど、アルバイトをしていたのね。でも……カフェのお給金ではドレスやアクセサリーをたくさん買うのは難しくない?」

「そのとおりです。そこの店は表向きはカフェですが、実際はデートクラブでして……客は気に入った店員を指名して店外デートができるって仕組みなんですよ。そこでリリベルは〝リリィちゃん〟という人気の店員なんです」

「リリィちゃん……」

「〝パパ〟がたくさんいたみたいですよ。そこで稼いでいるだけでなく、パパたちから贈り物として貴金属をもらうこともあるらしいです」

「パパ……」


 ヤンからもたらされた情報に、エルデガルドは遠い目をしていた。未知の世界過ぎて驚いてしまったのだ。

 

「なるほどね。そんなふうにおしゃれにお金がかかるタイプだったから、ダメヤンたちから口裏を合わせることでお金をあげると持ちかけられたら、その話に乗るわけか」

「そうです。ヤミルのほうはもっとわかりやすくて、若手俳優に入れこんでいて、そいつに貢ぐ金が欲しかったみたいですね」


 そう言ってヤンは、一枚のチラシをエルデガルドの机に置いた。

 それは上流階級が楽しむ歌劇などとは違う、より大衆向けのもののようだった。

 物語の内容をイメージしたらしきチラシのイラストに描かれたひとりの人物を、ヤンは指差している。


「こいつがヤミルのお気に入り、アランです」


 それは、凛々しい眉とタレ目が特徴の甘い顔をした男だった。確かに、女性に好かれる顔だなとエルデガルドは思う。


「この俳優を気に入って観劇に通っているのはわかるわ。でも、大衆向け劇場に通うのに、そんなにお金がかかるの? ヤミルの家って、伯爵家よね?」

「それがですね、特別なチップを渡すとお気に入り俳優と公演のあとでお茶を楽しめるらしくて……ヤミルはアランとおしゃべりしたくて、かなりつぎ込んでいたみたいです。こっそり借金までしていたのを親に見つかって、返済はしたものの、自由に使えるお金がなくなっていたらしいですよ」

「それで、ダメヤンたちの提案に乗った可能性が高いということね」


 ヤンからの情報を整理して、エルデガルドは納得していた。

 特段これまで接点がなかった彼らがダメヤンたちに協力しているとすれば、おそらく金銭が絡んでいるだろうと踏んでいたが、やはりそうらしい。

 しかし、事情がわかったのは協力者の五人のうち、まだ二人だけだ。


「とはいえ、カースもヤルティンもモーレッツも家が裕福で、特に困っているという話は今のところ聞かないんですよね」

 

 リリベルとヤミルの情報しか入手できなかったらしく、ヤンは困った様子で頭をかいていた。

 まだ調査を始めて一日目だが、ヤンとしては初日にある程度の当たりをつけて、残りの日数で裏づけ調査をしたかったのだろう。

 彼の有能さを信頼しているから、彼が今どんな気持ちでいるかもわかる。


「お金には困っていなそうだとわかっただけでも前進よ。お金以外の理由でダメヤンたちに協力していると考えられるから」

「お嬢様は何か収穫ありましたか?」


 ヤンに水を向けられ、エルデガルドは新聞と一枚のメモを見せる。


「私のほうは何も手がかりがないから、とりあえずあの日世間では何があっていたのか調べてみたの。そしたら、西区のほうで事件があったみたいよ」


 そう言ってエルデガルドが示した新聞には、とある事件についての記事が載っていた。

 指名手配の男が密航で脱出しようとしていたらしく、港で大捕物があったらしい。


「西区の港って、確かカースの実家のエラソォ家の管轄ですよね? あそこ、かなり大きな商家で貿易もやってましたよね」

「そうなのよ。そんな家の人間が大捕物があった日に学友とのお茶会に参加していたなんて情報……私だったら伏せておきたいわ」

「外聞が悪いですよね。俺なら、現場に行って何ができるわけでもなくても、とりあえず駆けつけたことにしておきたいです……え? 行けばよくないですか? だってお茶会なんてなかったわけですから」


 新聞を見たときに感じたおかしさを、どうやらヤンも感じたらしい。

 どうせいなかった場所にいたと主張するのなら、カースの場合は港にいたと主張したほうがよかったはずなのだ。それが、新たな違和感だった。


「それで、このメモは? 乗馬倶楽部の集い?」


 ヤンがメモを指して言う。

 それは、エルデガルドが今日学院に行って掲示板に貼られていたチラシをメモしてきたものだ。


「チラシを剥がして持ち帰るわけにいかなかったからメモしてきたのだけれど。あのお茶会の日、乗馬倶楽部の集まりがあったみたいなのね。そして、モーレッツは乗馬倶楽部所属よ。でも彼、腹痛でお休みしていたのですって」

「それはまた……おかしな話ですね。仮病まで使って乗馬倶楽部を休んで、モーレッツはどこに行っていたのでしょうか?」

「そこなのよねぇ……」


 カースのときに感じたのと同じ疑問が、モーレッツにも湧いてきた。

 おそらく、今回のことを解き明かすにはこのあたりが重要になってくるのだろう。


「たぶんだけれど、彼らはダメヤンからの提案に乗ってお茶会に参加したことにしたのではなくて、お茶会に参加していたことにしなくてはいけない事情があるのではないかと思うの」


 エルデガルドは考えながら、そう自分の推測を口にした。

 それを聞いて、ヤンはひらめいた顔をする。


「なるほど! それなら、〝そこにいたことを人に知られたくない場所〟に彼らがいなかったか、ちょっと調べてみますね!」

「頼むわね」


 集めた情報を整理して、初日の調査は終了した。


 状況が動いたのは、それから数日後のことだった。


「お嬢様、モーレッツが歓楽街に出入りしていることがわかりましたよ」


 エルデガルドが自室で手紙の整理をしていると、元気よくヤンが入ってきた。

 その顔を見れば、かなり手応えがある情報を手に入れられたのだろう。


「歓楽街に? モーレッツの家はお母様が厳しいらしいから、それは大問題ね」


 歓楽街と聞いてエルデガルドの頭に浮かんだのは、娼館だ。

 厳しく育てられているモーレッツだから、娼館に出入りしていることを母親に知られるのはまずいだろう。

 それならば、ダメヤンたちと口裏を合わせてお茶会にいたことにするほうがいいはずだ。


「それだけではなく、彼がお気に入りで通っていたのは、熟女ばかり集めた店らしくて……モーレッツはマヌエラという娼婦をいつも指名してバブってオギャりまくってるそうです」

「バブ? オギャ?」

「あー……赤ちゃん返りして甘えん坊になっているってことですね」

「……なるほど。それは隠すわね。それにしてもヤンは本当に調べるのが上手だし、難しい言葉も知っているのね」

「いや、すみません……お嬢様のお耳に入れるべきでない言葉を使いましたね……ハハ」


 ヤンからもたらされた情報に素直に感心すると、彼は何だか気まずそうにした。

 エルデガルドは自分が世間知らずだという自覚があるから、いろんなことを知っているヤンをいつもすごいと思っているだけなのに。


「私のほうは、今日も収穫なしよ。お友達と手紙のやりとりをして、世間話から何かヒントを得られればと思ったのだけれど」


 エルデガルドは友人たちからの手紙を見返す。

 婚約破棄騒動でエルデガルドに対して悪感情を抱く人間もいるが、古くから付き合いがある人たちはみな同情的だ。

 その結果彼らは、エルデガルドの心が慰められるようにと、百貨店でやっている催しについて知らせてくれたり、世間で話題になっている劇について教えてくれたりするのだ。

 彼らに正面切って調査のことは話せないから仕方がないが、そこに有益な情報があるようには思えなかった。


「みんな口を揃えて、とある劇団の公演の話をしているわ。新興の劇団の旗揚げ公演が話題になっているらしいの」

「それ、俺も聞きました。これまで鳴かず飛ばずだった脚本家がどうにか出資を受けて、今回の公演に至ったらしいです。面白いって評判ですね。小さな劇場とはいえ、毎日人が列をなしているって」

「……そんなことになっていたの。やはりこもりきりはだめね。外を歩かなくては何の情報も得られないものね」


 情報通を気取るつもりはないが、エルデガルドは自身をそれなりに情報感度の高い人間だと思っている。

 だから、この数日だけで自分の知らない世界や世間の流行があることを知って少し焦りを覚えていた。

 淑女たるもの、ある程度世間の波について知っておくべきなのだ。

 それなのに、ダメヤンのことにかかりきりになるあまり新たな波に乗り遅れただなんて、許せない。

 こうしている間にもきっと彼らは楽しく暢気に過ごしているのだろうから。


「ヤン、明日は外に行くわよ! 街を歩くことで得られるものがあるかもしれないもの」

「はい! では、それまでにまた集められる情報がないか探ってきます」


 そういった流れで、その次の日は二人で街へと繰り出した。


「本当に賑わっているのね。すごい人だかりだわ」


 馬車で例の小劇場付近にやってきていたエルデガルドたちだったが、その予想外のにぎわいに驚いていた。

 チケットを求める人たちなのか、はたまたひと目俳優たちを見に来た人たちなのか、小劇場の前はごった返していた。その活気に、確かにここにひとつの流行があるのが見て取れる。


「お嬢様、ここから先を馬車で進むのは難しいですし、今日の目的地は徒歩でしか行けない場所なので降りましょう」


 ヤンに促され、エルデガルドは馬車を降りた。

 昨日、あのあとヤンがいろいろ情報を集めた結果、郊外のとある場所でカースとヤルティンらしき姿を目撃したという話が聞けたそうだ。

 ヤンには彼独自の情報網があるそうで、そこに引っかかってきた話だという。

 彼に案内され、賑わっている通りをはずれ、路地へと進む。

 本来であれば足を踏み入れない場所だが、今日は平民に見えるように変装しているから平気だ。

 だが、あまりにも雰囲気が異なる場所に少し動揺した。


「……なんというか、猥雑な空気ね」

「このあたりは街娼も連れ込み宿もありますからね……こんな場所を貴族や富豪の坊っちゃんがうろついているなんて、それだけで大問題だ。ただ、やつらがどういったところに出入りしているかだけはまだ掴めていなくて」


 二人連れで歩いても違和感がないようにと少し距離を詰めて歩きながら、そっと声を落としてヤンは言った。


「掴めないって、あなたでも侵入できない場所があるの?」

「やつらが出入りしているのが、どうも会員制のクラブらしくて」

「こんなところにあるクラブなんて……何をしているのかしら?」


 どうにか中の様子をうかがえないかと建物の裏手に回ってみたが、エルデガルドもヤンも次の行動を考えあぐねていた。

 裏に勝手口と思しき小さなドアがあるが、そこから迂闊に中へ突入するわけにはいかない。せっかくここまで情報を集めたのに、下手を打てばすべてが水の泡になるからだ。


「こんな場所に出入りしていたことがわかっただけでも収穫よ。今日のところは帰りましょう、か……きゃっ!」


 エルデガルドがヤンに声をかけて立ち去ろうとしたとき、唐突に目の前のドアが開き、中から勢いよく人が出てきた。

 その人物がシャツだけ身につけてパンタロンも何も着ていないことに気がつき、エルデガルドはさらなる悲鳴を上げそうになるのをどうにかこらえた。


「あ、すまないね。まさかこんなところに人がいるとは思わなくてね。やあ、参った。喧嘩が始まったから逃げてきたが、下を置いてきてしまった。ねえ、君。その服貸してくれない?」


 出てきたのは背の高い男で、あろうことか仮面舞踏会につけてくるような仮面をつけていた。

 シャツと仮面しか身につけていない半裸の男に話しかけられ、ヤンもエルデガルドも一歩後ろに下がる。


「や、やだよ。ズボン貸したら俺が変態になるじゃん」

「まあ、そう言わずにさ。ひとりぼっちの半裸と、彼女連れの半裸だったら、後者のほうがマシだろ? 哀れな紳士にそのズボンを恵んでおくれよ」

「い、いやだ! 近寄るな変態おじさん!」


 変態おじさんに迫られ、いつもは余裕綽々のヤンがたじろいでいた。主人として従者を庇ってやろうと方法について考えていると、不意に変態おじさんがエルデガルドをじっと見た。


「あ! どっかで見た美少女だと思ったら、君はホルツマン家のご令嬢じゃないか! 私のことを知らないかい?」

「え……」

「お嬢様がお前のような変態と知り合いなわけないだろ!」

「変態じゃない! ハレンチと言ってくれ!」


 変態もといハレンチおじさんに尋ねられ、今度はエルデガルドがたじろぐ番だった。

 変装を見破られたのも気まずいし、何よりこんなハレンチな知り合いがいたのかと思うと不安になる。


「……いえ、ハレンチおじさんはお知り合いにはいないかと」

「ちょっと、その呼び方やめてよ……せめてハレンチ紳士にしてくれないか」


 長いシャツの裾で下半身は隠れているとはいえ、半裸の男を直視してはいけないと思い、エルデガルドは視線をそらした。目の端でハレンチ紳士がややしょんぼりしているのが見えたが、どう扱えばいいのかわからない。


「こんなところをご令嬢の君がうろついているということは……さては、例のお茶会参加者のアリバイ崩しをしたいんだな?」


 ニヤリとしてハレンチ紳士は言う。

 こんな人にまで婚約破棄騒動が知られてしまっているのも恥ずかしいし、何より自分の行動を推測されるのは気分がよくない。

 なんと答えようか思いつかないでいると、勝手にハレンチ紳士は話し始めた。


「そんな君に朗報だ。少なくとも、彼らのうち二人はお茶会に参加していない。なぜならあの日、ここで開催された乱交パーティーにいたからね」

「ら、らんこう……?」


 せっかく重要な情報がもたらされたというのに、聞き馴染みのない単語が出てきたせいでエルデガルドは戸惑った。


「お前! お嬢様の耳に下品な言葉を聞かせるな! お嬢様、えっと、あれです。不特定多数の異性と即物的な情愛を交わす集まりです! つまりハレンチってことです!」

「まあ……そこに、お茶会参加者のうち二人がいたということね。つまり、カースとヤルティンってこと?」


 ヤンのフォローにより、即座に情報を整理した。

 カースとヤルティンの所在がわからず苦戦していたが、ハレンチ紳士の話が本当であるならば、これですべての辻褄が合う。


「ヤルティンはこんな場所にいることがバレるの自体問題だし、カースに至っては自分の家が管轄する港で問題が起きた日にこんなところにいるのが知られたら大変よね……でも、会員制のクラブなら私たちは裏を取ることができないから、証拠としてどうなのかしら?」


 情報を整理して納得したものの、エルデガルドは不安そうにハレンチ紳士を見た。

 すると彼は得意げに微笑む。


「信じてくれていいよ、レディ。彼らがあの日ここにいたことは、私が証明しよう」

「でも……こんなところに出入りしている方の話を信じていいのか……」


 目の前の男が〝不特定多数の異性と即物的な情愛を交わす〟場所から出てきたのだと改めて考えて、エルデガルドは彼からさらに距離を取った。そんなエルデガルドを守るように、ヤンが目の前に立ちふさがる。


「そうだぞ。確かにその情報はありがたいが、お前の話を鵜呑みにするのもな」

「誤解だよ、誤解。私も人探しをしているだけで、こういった場所に来るのは趣味じゃない。その証拠に、全裸じゃないだろ?」


 信じてほしいというように腕を広げたポーズで近寄ってきたため、エルデガルドもヤンも一緒に後ずさる。

 そんなふたりを見て、ハレンチ紳士は面白がるように笑った。


「エルディちゃん、面白そうなことをしてるね。探偵さんみたいだ。おじさんも混ぜてよ」

「うちのお嬢様に近寄るなハレンチ野郎」

「ごめんごめん。好きな子にちょっかいかけられたら嫌だよね」

「俺の思いは恋愛じゃなく信仰だ!」

「何言ってるんだよ、意地張っちゃって」

「じゃああんたは教会行って女神様見てマスかくのかよ」

「あ、この小僧、下品だぞ!」


 ハレンチ紳士はヤンをからかうように笑っていた。

 おそらく、彼からこれ以上情報を得るのは難しいだろう。

 何より、エルデガルドの正体も婚約破棄騒動についても知っている人と、これ以上会話をしたくない。


「ヤン、荷物の中にあなたの変装セットがあるでしょ? その中からパンタロンを差し上げて」

「お嬢様、どうして知って……持ってますけど、あげたくないです」

「情報料よ。役立つ情報を提供してくださったのだから、対価はお渡ししないと」


 エルデガルドが促すと、ヤンは渋々荷物からパンタロンを取り出し、ハレンチ紳士に差し出した。


「推理と呼ぶには弱いけど、揺さぶりをかけるには十分な材料が揃ったわね。帰りましょう」


 ハレンチ紳士が渡した服を身に着けたのを確認して、エルデガルドは歩き出した。

 その背中に、彼が元気に声をかける。


「エルディちゃん、またね! 応援してるよ! 君があいつらの鼻を明かすの、楽しみにしてる!」


 彼の声には返事をせず、エルデガルドは歩き続ける。

 だが、この前の夜会にハレンチ紳士がいたことと、今後もおそらく夜会で顔を合わせることがわかって頭が痛くなっていた。



 そして物語は、冒頭へ戻る。


***


「心の整理とやらはついたか、エデルガルト」


 ダメヤンは勝ち誇った表情で、エルデガルドに話すよう促す。

 子どものとき、親同士が勝手に話を進めて結ばれた婚約者であるが、精一杯仲良くなれるよう努めてきたのに。

 こんな顔で自分を見るのだなと、エルデガルドは複雑な気持ちになった。

 だが、別に未練があるわけではない。好意もない。

 だから、早いところ方をつけることにする。


「それでは、みなさまとお話させてください」


 そう言ってエルデガルドは前に進み出た。

 まず見つめるのは、カースだ。


「カース様、先日は西区の港で大捕物があったそうで、大変でしたわね。エラソォ家の使用人の方とお話したのですけれど、あの日の騒ぎをおさめたのはカース様だとか! ヤルティン様もご一緒だったのでしょう? つまり、お二人はあの日お茶会にいなかったかと思うのですけれど」


 遠回りなことは言わず、直接的な表現でエルデガルドはカースに伝えた。

 念のため、西区の港まで行ってエラソォ家の使用人に話を聞いてきたのだ。

 カースなどよりもよほど外聞を気にする使用人たちは、みな口を揃えて、目を泳がせながら「ええ、カース坊っちゃまはあの日港にいらっしゃいました! え? ご学友のヤルティン様? いましたとも!」と言っていた。

 とにかく、エラソォ家の子息のくせに駆けつけなかったことはやはり外聞が悪いらしい。

 だが、本人はそれがわかっていないらしく、エルデガルドの言葉に好戦的な態度を取った。


「はあ? 何言ってるんだよ? 俺たちはあの日お茶会をしてたって言っただろ?」


 馬鹿にした態度で、あくまで強気に乗り切ろうとしているらしい。

 だからエルデガルドは彼のそばまで寄って、扇子で口元を隠しながら彼に囁いた。


「秘密の花園」

「ぇ……」


 エルデガルドが囁いたあとポケットから仮面を取り出してチラつかせると、瞬時に彼の顔色が変わった。

 これは、会員制の秘密クラブの名前だ。中に潜入はできずとも、調べるとどうにかクラブの名前は知ることができたのだ。

 この名前を告げるだけで、よほどの阿呆でなければ十分な揺さぶりになるだろう。そして、仮面はダメ押しだ。


「ずいぶん楽しそうな集まりに参加されていたみたいですね。どんな催しなのか、世間知らずな私に教えてくださる?」


 エルデガルドがにっこり淑女の微笑みを浮かべて尋ねると、カースは真っ青になっていた。状況を理解したらしいヤルティンも、わかりやすく冷や汗をかいている。


「そ、そうだよ。実はあの日港にいてお茶会には出ていない。出てたことにしてくれって頼まれただけなんだよ」

「お、俺も! 別にそのぐらいの頼み聞くのならいいかなって思っただけだよ!」


 カースが打ち明けると、ヤルティンも慌てて言い添えた。

 一番情報を集めるのが大変だった二人だが、陥落するのは早かった。

 エルデガルドに秘密をバラされるくらいなら、別の嘘に乗っかるほうがマシだと理解できるだけの頭があってよかった。

 エルデガルドは次に、モーレッツを見つめた。

 この中で最も馬鹿ではないだろう彼は、どうにか平常心を保とうとしているが、眉間と口元に余裕のなさが見えた。


「モーレッツ様」

「な、なんだ?」


 呼びかけただけで、彼はビクッと数ミリほど飛び上がった。

 気の毒だなと思うが、ダメヤンに加担したのだから仕方がない。


「私、調べてみたのですけれど、あの日、モーレッツ様は乗馬倶楽部の集まりがあったのでは? そして、腹痛でお休みしていたのですよね?」


 エルデガルドが言うと、あきらかにモーレッツはほっとした顔をした。

 エルデガルドが掴んだ情報が、仮病を使って乗馬倶楽部を休んだことだけだと思っているのだろう。

 すぐに表情に余裕が戻ってきたのを見て、あまり賢くないのかもしれないとエルデガルドは思う。


「ああ、そうだ。……お茶会に参加したかったから、よくないとわかりつつ仮病を使ってしまった」

「本当に? 本当にそうなのですか? 私、あなたのお母様に確認しに行ってきたのですけれど」


 そう言ってから、エルデガルドはモーレッツの耳元で「マヌエラ」と囁いた。


「モーレッツ様って、お母様が大好きでとっても大事にしてらっしゃるのですってね。それで、お母様が言ってらしたのですよ。お茶会の日はお母様のもとで安静にしてらしたって。あら? あなたの大好きなお母様が嘘をついたのかしら?」


 エルデガルドが無邪気を装って聞けば、モーレッツの顔は真っ青になっていた。

 ちなみに、お母様に聞きに行ったというのは嘘ではない。

 エルデガルドはマヌエラに会いに行き、彼があの日娼館にいたという証言を取ってきたのだ。

 客の情報は簡単に喋らないだろうと思い、エルデガルドは嘘をついた。乗馬倶楽部で暴力事件が起きたため、その日モーレッツが乗馬倶楽部にいなかったのかどうか調べていると。

 すると、客であるモーレッツを可愛がっているらしいマヌエラは、力いっぱい言ってくれたのだ。「あの日、あの子は私の膝枕でいい子にしていました」と。

 とっても優しいお母様である。


「ぼ、僕は、あの日家にいた……体調が優れなかったからな。僕も、ダメヤンに頼まれてお茶会にいたことにしてくれと言われていたんだ。……嘘をついて悪かった」


 勝ち目がないと悟ったのか、モーレッツは震えながら言った。

 「嘘をついて悪かった」だなんて、絶賛嘘つき中なのによく言うなと思うが、娼婦をママと呼んで甘えていることがバレるのがまずいのはわかるから追求しないでおく。

 男子たちが陥落したのを見て、残るリリベルとヤミルはすでに震えていた。


「リリィちゃん」

「ぇ、え、ぁ……ぅゎ……」


 エルデガルドが名前を呼んだだけで、リリベルは涙目になっていた。

 これで許してやってもいいが、念を押しておく。


「あなたのパパ……じゃなかった。お父様によろしくお伝えくださいね」

「あ、はい! 私もお茶会にいませんでした! すみませんっ!」


 リリベルは首をブンブン振って、頼むからバラさないでくれと仕草でエルデガルドに伝えてきた。

 謝れるのなら許してやろうと、エルデガルドは今度はヤミルを見る。


「ヤミルさん、観劇がご趣味なんですってね! そういえば、私も最近気になる俳優がいるの。ねぇヤミルさん、どうやったら好きな俳優さんとお近づきになれるのかしら?」


 ヤミルは逃げ出そうとしたため、エルデガルドは駆け寄って行ってその手を両手で握った。

 それから親しみをこめて尋ねたのだが、彼女は心を閉ざしたようにそっぽを向く。


「し、知らない…俳優とか興味ないし。てか、もうわかっていると思いますけれど、私もお茶会に参加していないです。というより、お茶会なんてなかったんですよ!」


 そう叫ぶと、渾身の力でエルデガルドの手を振り払い、ヤミルは逃げていってしまった。

 カースもヤルティンもモーレッツもリリベルも、この場に残っているが、あきらかに関わり合いになりたくないという空気を出している。

 注目している周囲の人々も、先ほどまでとは打って変わって、白けている様子だ。

 誰も、ダメヤンとミッチェに味方する者はいない雰囲気である。


「婚約破棄に応じるつもりはありますが、私に非があったというのは撤回していただかないと。あなた方が結婚前にもかかわらず肉体的な結びつきがあり、その不貞行為を理由に私から解消をさせてもらう、としていただかないと」


 ダメヤンとミッチェに向き直って、エルデガルドは言った。

 ガーデンパーティーの会場がざわつく。

 昼間から大勢の人々に聞かせる話題ではないと思ったが、事実なのだから仕方がない。


「き、貴様、卑怯だぞ!」

「この悪魔! 一体どんな手を使ったのよ!」


 この期に及んで、ダメヤンとミッチェは罵ってきた。

 どうにかごねて話をうやむやにしようとしているのがわかって、どうしたものかとエルデガルドは頭を悩ませた。

 そのとき、唐突に周囲がざわめいた。


「皆様に余興をお届けに参りました。とある方からのご依頼で、これより寸劇を行わせていただきます」


 そう言ってよく声の通るひとりの男がやってくると、数人の人間たちが道具を手にやってきて、あっという間に小さな舞台を組み上げてしまう。

 舞台の上には陽に透けるほどの薄布の幕がかけられており、その向こうにシルエットが浮かび上がった。


「これよりご覧に入れますのは、一組の男女の物語。侯爵家に生まれた男と男爵家に生まれた女が出会うわけですが、彼らには上級貴族と下級貴族という身分差があった。それだけではない。男のほうにはなんと、親が決めた婚約者がいたわけである」


 最初に出てきた役者の男が朗々と話の筋について語り、物語は始まった。

 簡単に言えばそれは、あきらかにダメヤンとミッチェがモデルの物語だった。

 身分差も障害もあった二人が強い力で惹かれ合い……くんずほぐれつする話である。

 寸劇が進んでいくと、シルエットの二人の姿が重なり合っていくのが見えた。それに合わせて役者が「ああ、すごい」「最高だよ、私のマシュマロ天使」「すごいのぉ」という会話を繰り広げる。


「めでたしめでたし!」


 ヤマもオチもない物語だというのに、役者はそう言って締めくくった。当然、拍手はまばらにしか上がらない。

 だが、ダメヤンとミッチェを追い詰めるには十分だったらしい。

 彼らは口を開けたまま、何も言えずわなわな震えていた。


「どなたからの差し入れかわかりませんが、とってもわかりやすい劇でしたわね。みなさま、ダメヤンさまとミッチェ様の行いは、先ほどの劇の通りでございます。これにより、ダメヤン様有責で私との婚約が破棄されることに、何か異論はございますか?」


 役者を真似てエルデガルドが堂々と周囲に呼びかけると、今度は大きな拍手が上がった。

 これだけ大勢の前でやったのだ。ダメヤンはこの状況を受け入れるしかないだろう。

 あとの話は、ホルツマン家とパッチメン家同士──つまり双方の父親同士で話をつければいいだけである。

 本来、正当な方法で婚約をなかったことにしたければ、最初から自分の父親に頼めばよかっただけなのだ。

 それをこんな舐めた真似をされたから、エルデガルドも激しく抵抗するしかなかったわけである。

 婚約破棄が嫌だったわけではない。

 悪いことをしてもいないのに悪者にされるのが、どうやっても許せなかったのだ。



***


「あー、すっきりしたわね」


 ダメヤンとミッチェを返り討ちにした一ヶ月後、エルデガルドは軽やかな足取りで知らない街を歩いていた。

 無事に婚約を解消し、学院も卒業してから、エルデガルドは思いきって家を出たのだ。

 表向きは、今回の騒動でとても傷ついて疲れたため、少しの間王都を離れて休養するという名目だ。

 だが、実際は違う。

 エルデは知らない土地で、新たな人生をスタートさせようと思っている。

 目的地に選んだのは、この国で王都の次に大きな都市だ。つまり、休養なんてする気はない。


「ねえ、何だか今回の騒動で、なぜだかみなさん私にお金をくれたじゃない? これを元手に開業してみようかしら」


 エルデガルドはご機嫌で言う。


「口止め料ですよ。で、開業って何をするんですか? 俺は何でもお手伝いしますけれど」


 エルデガルドが知らない土地で自分だけを頼りにしてくれるのが嬉しくて、ヤンもご機嫌である。


「探偵なんてどうかしら? ヤンの情報収集力と私の推理力を持ってすれば、探偵業もできるんじゃない?」

「お嬢様が探偵? 探偵令嬢? 素敵ですね! 俺とお嬢様にぴったりじゃないですか!」


 気分が高揚しているエルデガルドは、調子に乗って言う。そして、同じく調子に乗っているヤンも止めない。

 ご機嫌な二人は、そのまま軽やかな足取りで滞在先のホテルへ向かった。

 すると、ホテルのフロントで呼び止められる。


「レディ・エルデガルドにお手紙を預かっております」

「お手紙? お父様からかしら?」


 フロント係から受け取った手紙を確認すると、封蝋も宛名も見覚えがなかった。


「リュディガー・ゼクレス? 聞いたことはある気がするけれど、知り合いではないわ」


 部屋まで行くと、エルデガルドはすぐに封を切った。

 だが、便箋の一行目を見て後悔する。


「え、嫌だ……ハレンチ紳士」


 手紙の一行目から『やあ、エルディちゃん。元気かな? 無事に婚約破棄が成立してよかったね』と書かれていて、エルデガルドの背筋には怖気が走る。

 そして、手紙を読み進めると、この前のガーデンパーティーの余興がハレンチ紳士からの差し入れだったこともわかった。


『彼らの最初の妙に芝居がかった様子が気になって調べてみたら、やっぱりそうだった。最近話題の新興劇団に金を渡していたのはダメヤンだった。彼は脚本家に金を渡し、今回の筋書きを書かせたみたいだね。さすがは侯爵家。金の使い方が違うね。だが、私は公爵家の人間なのでさらにもっと上を行く! というわけで、さらに大金を釣ってあの劇団を買収してみたわけさ。私からのプレゼント、気に入ってくれたかな?』


 文章からもあの男の軽薄そうな声が伝わってくるようで、エルデガルドは鳥肌が立つのを抑えられなかった。

 何より、自分が見落としていた真相を彼が見抜いていたのが悔しい。


「何が『楽しいことをするつもりなら、今度こそ私を誘ってね。探偵さんごっことか。私の能力は今回のことで証明できたよね? 連絡待ってます。君のリュー様より』よ!」


 ハレンチ紳士にしてやられたのが腹が立って、エルデガルドは悔しがる。

 そして、彼がこちらのことを見抜いているのが嫌になる。

 ホルツマン家に確認した可能性もあるが、もしかすると滞在先も彼自身の力で探し当てたのかもしれない。

 そう考えると、ますます腹が立ってくる。


「ゼクレス家って、国王陛下の弟君……つまり王弟殿下の家じゃないですか! 今は公爵家を名乗っていますが。つまり……ハレンチおじさんは国王陛下の甥? 世も末だ」


 真実に気づいたヤンが、ものすごいまずいものを食べたみたいな顔をしていた。

 公爵家の人間がなぜあんな振る舞いをしていたのかわからないが、自分のしたいことを〝ごっこ〟呼ばわりされたことに、エルデガルドは改めて腹を立てる。


「ヤン、絶対に立派な探偵になりましょうね!」


 手紙をポイッと放り投げて、エルデガルドは宣言した。

 気が強くしたたかで、それでいて世間知らずな伯爵家令嬢エルデガルドが本当に探偵になるのは、また別の物語である。





〈END〉


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探偵令嬢、気分は上々 猫屋ちゃき @neko_chaki

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